第9話:祈りと群青美女




 長期休みの登校日、だったっけ。


 朝食後、アンネリースとアナスタシアはすぐにいなくなってしまった。

 とにかく学校に行って、新学期の手続きやら説明会やらを受けないといけないらしい。

 朝食の後片付けと言いつけられた掃除を終え、一人、ベッドに座って休憩する。


 アンネリース大丈夫かな。今朝も左脚を引きずって歩いていた。あ、でもアナスタシアと学校まで飛んでいけば問題ないか。

 いや、でも厳しい学校だとペナルティ喰らうんだよなぁ。


「心配だなぁ……」


 天井を仰いで、呟く。

 その時、視界の隅でぴかぴかと光が点滅した。


「またメッセージきてる……」


 誰からだろう。

 僕は嫌々サイドデスク上の携帯端末を掴んだ。

 画面をタップし、メッセージの全文を表示させる。


「あ……」


 すぐに『うん。待ってるね』と返信した。


「さて、そうと決まったら証拠隠滅しなきゃ」


 だらだらしている暇はない。

 二時間後、あの人が僕を訪ねてくる。

 僕のことを心配してくれた、最強最大の味方が。



 *****



 チャイムが鳴り、僕は返事をしてドアを開けた。

 立っていたのはパンツタイプの神官服を着こなす女性。

 パンプスがローヒールなのは普段スニーカーを愛用する彼女らしかった。

 被っていたつばの大きな帽子をとると、おおらかな笑みが僕に注がれる。


「久しぶり。ごめんね、急に来ちゃって」

「ううん、こっちこそ。いつもありがと」


 僕を訪ねてきたのは、血の繋がらない姉さんだ。

 血が繋がらない、と言っても特別やましい事情があるわけではない。

 お互いの親に交友があったので、姉弟同然に育っただけだ。


「もしかして駅から歩きだった?」


「えームリムリ。近くまで職場の子に送ってもらっちゃった。ちょうど二区に用事があったから、ソールの顔が見たくなっちゃってね」


 どうぞ、と姉さんを室内へ招き入れる。

 いつまでも白い肌を灼熱に晒していたくない。


「あー、涼しい! ここ天国だぁ」

「まだ仕事残ってるのに天国へ来ちゃったでしょ?」

「気にしない気にしない。今夜はいけ好かないおっさんたちと会食させられるし、昼間くらい自由にしたいってもんよ。充電しなきゃ私キレちゃうし」

「大変だなぁ」


 キレるのはやめてあげてね。

 姉さんに蹴られたらおっさんたち、ばっきばきに折れちゃうから。


「もうさぁ、夜くらい子供たちと遊ばせて欲しいよねぇ。でも抜けると怒られるしなー……あれ? ソール、この部屋甘い匂いがする……アロマ焚いてる?」

「そ、そう? 特に匂いのするものは置いてないけど」


 はい証拠隠滅失敗。

 この人の鋭さは侮れない。

 恐らく、お嬢様方のクリームか何かだ。


「ふーん。ま、いいや」


 姉さんは自己完結し、髪留めを外す。

 ウェーブのかかった長い瑠璃色が舞い、背に垂れた。


「何か必要なものがあったら買いに行くけど、どうする?」


 深い青色をかき上げて、姉さんことリンラン・シャノワーヌはエアコンの風を浴びる。


「昨日買い出し行ったばっかりだから大丈夫」


 冷蔵庫は食材と作り置きでぎっしりだ。今日はしっかり涼んでもらおうと思う。


「……体調良さそうだね。最近はちゃんと眠れてる?」


 美貌を強調する淡い微笑みに「ぼちぼちだよ」と僕も笑った。


「あ、お皿も洗ってある! もしかして料理した?」

「まあ、ちょっとだけ」


 姉さんは、ぱっと頬を朱に染める。

 コンサート会場でのあの表情と同じだ。


「スコーン焼いたんだけど、食べてみない? 今なら紅茶のジャムつき」

「食べる!!」

「もちろん紅茶は姉さんが淹れてくれるよね?」

「まっかせなさい!」


 ぱちん、とウインクが飛んだ。

 女神に愛された名門神官輩出一族の一人。

 今や莫大な富と名声を得た彼女も、僕にとっては男勝りで頼りになるただの姉に過ぎなかった。



 *****



「コンサート、来てたでしょ」

「バレた?」

「バレバレ。ありがとね」

「綺麗だったよ、演奏もドレスも」

「こら」


 他愛もない会話が幸せだった。



 軽くスコーンを温めている間に、姉さんは紅茶を淹れる。

 茶器は社会人になったお祝いに、と姉さんから贈られたものだ。

 茶葉はスーパーで売っている安物。

 だがしかし、姉さんの腕にかかれば一級品と大差ない味に変身するのである。


「ジャム多めにしておいたよ」

「わかってるじゃない。こっちもあとちょっと」


 お隣は携帯端末を見ながら蒸らしに入っていた。

 もうすぐ絶品の紅茶が出来上がる。楽しみだ。



 数分後。

 僕たちは小さなテーブルに向かい合っていた。


「すっごくすっごく久しぶりにソールのお菓子、食べるかも」


 皿にはスコーンが二つに、琥珀色のジャムも添えてある。


「衰えてるよ。自分でもわかるもん」

「どれどれ」


 姉さんはスコーンをちぎり、ジャムをつけて小さな口へ。

 ふふっ、と小さく笑いながらもぐもぐと味わっていた。


「いかがですかー、お姉さま」

「さすが私の弟。完璧」

「またぁ、おだてても三つめはないからね?」

「絶対お店のより美味しいもん。私が焼いてもこうはならないんだよなぁー、どうしてだろ」


 首を傾げて二口めを頬張る。


「分量通りやってる?」

「うん」

「工程面倒臭がってない?」

「ないない。単純に腕の差でしょ」

「腕ぇ?」


 もっと上手い人を知っているので褒められてもいまいち喜べない。

 ありがたくいただいてはおくけれど。

 姉さんがティーカップを持ったのを見て、僕もスコーンに手をつけた。


 うん、やっぱりぱさぱさして固い。衰えてる。


「あー! ゆっくりお茶したの久ぶり!」

「忙しかったみたいだね」

「もう、あっちもこっちも暴走暴走、どこもかしこも暴走ばっかり! うちの職員にも仕事中に暴走しちゃった人がいてね、処理に追われて大変だったんだよ? 部屋中のパソコン吹っ飛ばされて復旧に手間取ってさぁ。ソールのところにも早く行きたかったんだけど、なかなか、ね」

「三区でも流行ってるんだ」


 どんなに統治者が秀でていても、暴走は発生する、か。


「次は誰が暴走するのかって、みんな戦々恐々。私なんか特にね」


 頭を抱えてため息をつく姉さん。

 彼女の法力が万が一暴走したら、死人が出かねない。

 そして、本人ももれなく命を落とすだろう。


「気をつけてよ?」

「うぅ……なるべくはね」


 淹れてもらった紅茶を飲む。

 ふんわりと渋みのない澄み渡った香りが鼻に抜けていった。


 やっぱり一級品だ。


「んあー、せめて原因が特定できれば対策を講じられるんだけどなぁ。いくら検査しても一時的に法力素が溢れた急性法力素制御不全症候群、ってことだけしか突き止められなくてさ。もうお手上げ状態」

「内分泌の異常、でしょ? 成人でそれはおかしいよね」

「そう! ここまで頻発するなんて明らかにおかしいんだよ! 暴走したうちの職員だって健康優良児で有名な人だったんだから。でねでね、私の費用持ちで一通り精査しても検査に引っ掛からないの! この手の異常なら何らかの疾患かあるいはホルモン剤、違法薬物摂取辺りが妥当でしょ?」

「普通そうだろうね」


 ホルモンの分泌を乱すのなら、大体その手の要因が隠れているはずである。


「狙って検査してるのになーんで出てこないんだろ……」


 大きくため息をついて姉さんはティーカップに口をつける。

 これは大分疲れていらっしゃる。


「お疲れさまです」

「うー、ごめんね、こんな話して」

「ちょっと前まで薬品の開発研究でバタバタだったのに今度はこれだもん。気持ちはわかるよ」


 姉さんはふふっ、と不敵に笑う。


「息つく暇もないってまさにこんな感じなんだろうね。あ、そうそう! 薬の商品名、プリエに決まったんだよ!」

「プリエ……って潰えた言語?」

「正解」

「可愛い響きだね」

「そりゃあ私の三人目の娘、みたいなもんですから?」


 数年前から姉さんが携わっていたある医薬品の研究開発も、ついに最終段階だ。

 僕もヒキコモリになってから初めて知ったのだが、ずっと水面下で動いていたらしい。


「単純に嬉しいんだよ。私の法力が人の役に立つって証明できるんだもん。血液精錬の力で人を救えるんだって、みんなに知ってもらえるんだよ? こんなに嬉しいこと、滅多にないからさ」

「夢が叶ったね」

「まだまだこれから。もっともっとやってやるんだから」


 頼もしい言葉だ。



 血液精錬。

 己の血液を金属や薬品などに変換させる珍しい法力。

 かつて悪用され、数千万の命を奪った悪しき力。

 これまでの歴史上、姉さん含め二人しか開花していない、どんな法力より稀有なもの。


 発動させるためには肉体を傷つけ出血させることが必須となる。

 よって肉体への負荷も恐ろしく高い。

 今回の研究もかなり危険な綱渡りだったそうだ。


 プリエは、姉さんが自らの血液から造った薬品である。

 そのサンプルを元に研究を進め量産体制を築き、現在に至った。

 人を傷つけるだけの法力を、誰かを癒すために使いたい。


 不可能に思えた姉さんの祈りは、もうすぐ現実になる。


「ほんっと、有言実行の人だよねぇ姉さんは。尊敬するよ」

「家族には散々心配させちゃったけどね」

「そりゃあするって。僕も聞いたときはぞっとしたし」

「ごめんごめん」


 ともすれば死へ誘われる法力を使う。

 僕を含め、周囲の誰もが気が気ではなかっただろう。


「くれぐれも、無理はしないでよ?」

「はぁーい。もう治験も終わったしプリエの件についてはしばらくゆっくりするつもり」


 スコーンをおいしそうに頬張って、椅子に背を預けた。まるで悪戯っ子だ。


「頑張った姉さんにご褒美」


 僕の分のスコーンを一つ姉さんの皿に移す。

 三つめはなしの予定だったけれど、やっぱりあげよう。

 休息に焼き菓子は必要だろうしね。


「いいの? 食べちゃうよ?」

「どうぞどうぞ」

「やったぁ」


 少女のようにあどけない笑みが向けられる。

 この人と話していると、自分のどす黒い塊が浄化されていく気がするのだ。

 鈴蘭の名を冠した彼女の純白が、僕の闇を吸い取ってしまう。

 気分も身体も軽くなって、頭痛すら鳴りを潜めてくれる。

 これだから弟をやめられない。


「ところで姉さん」

「んぅ?」


 もぐもぐしながら首を傾げる当人。


「キース先輩が僕のこと知ってたのはどうしてかなぁ?」

「うぐっ。ごめん、私経由だけじゃないけど聞かれてちょっとだけしゃべっちゃった」

「やっぱり。この前ばったり会ったからさ」

「ごめん……」


 そんなばつの悪そうな顔しなくても。


「別に怒ってないよ。ただどこからかなぁ、と思って」

「もしかしてごはん誘われた?」

「うん。繁忙期抜けたら行こうぜって」

「好きだなぁ、キース」

「マメだよねぇ」


 二人して天井を仰ぎ見る。


「今やあのバカキースが院長先生なんだって。世の中は不可解極まりないよ……」

「だねぇ」


 キース先輩は小児病院と、不随する研究施設を運営している。

 今回プリエの研究開発を行ったのも、キース先輩が携わっている施設だ。


「先輩、臨床向いてなさそうだし経営の方が逆にしっくりくるのかも」

「えぇーでもなぁ」


 本人が聞いていたら泣きそうだ。


「いやー、何度聞いても未だに信じらんない……」


 遠い目をした姉さんは右の二の腕を掻く。


「あれ? 腕、どうしたの?」

「ああ、貰いもののクリームつけたらかぶれちゃって。ほら、グルナードとかいうやつ」

「今人気らしいね」

「私、匂いが強すぎて苦手かも。真っ赤に腫れるし」

「僕も。どぎつい香水みたいで」

「そうそう、そんな感じ」


 アンネリースとアナスタシアからあの匂いがする度、胸の奥がざわざわする。

 なによりあの男が作った商品を使うなんて、考えただけで吐きそうだ。

 気持ち悪い。


 無添加とか低刺激とか謳っておきながら現に姉さんがかぶれてるじゃないか。

 信用ならない。

 使ってやるものか。こんな流行さっさと廃れてしまえ。


「ふふぅー、おいしい。このジャムほんのり甘くていい仕事してる」


 ご満悦の姉さんをよそに一人心の中で呪詛を唱えていた。

 すると、どこからともなく電子音が響く。


「ん、え? うそ」


 慌ててスコーンを飲み込んだ姉さんはズボンのポケットを探る。


「ちょっとごめん。秘書さんからだ」


 どうやら携帯端末の着信音のようだ。

 姉さんは席を立ち、キッチンスペースへ移動した。


「はい。どしたの? うん……うん。えっ!? もーまたぁ? うん……わかった。すぐ戻ります。うん……。とりあえず情報まとめといて。うん、よろしく。じゃあ」


 一分程度で通話は終わった。


「まさか暴走事件?」

「ビンゴ。急いで帰ってこいってさ。ごめんね、あとお願いできる?」

「いいよ。早く行かなきゃね」

「ごめん、ほんとにごめんね」


 謝りながら忙しなく髪をまとめ、帽子をかぶる。


「もーやになる!」


 ぶーぶー文句を垂れながら、姉さんは玄関ドアを開けた。


「じゃあまたね、ソール」

「いつでもどうぞ」


 お嬢様方のいない時なら大歓迎だ。


「バイバイ」


 手を振り合い、小柄な身体は再び炎天下に晒される。


「あ、待って姉さん」


 ふと思い出し、僕は夏の日差しに照らされる姉さんを呼び止めた。

 そして、振り返った彼女に――。



「アナスタシアに会ったよ」



 アナスタシア。


 その名に、瑠璃色の瞳が大きく開かれる。


「……元気だった?」

「うん」

「そう。ならいいの」


 儚く口角を上げた瑠璃色は「じゃね」と眩む世界へ消えていった。


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