第7話:最下位と激昂美少女




 セミの声が聞こえる。


 意識が浮上する過程で、自分が寝ていたという事実を知った。

 寝られた。すごい、僕寝たんだ。

 わぁ、久しぶりに頭の中がすっきりしてる。


 薄っすら目を開けると、カーテン越しの日光で明るくなった室内に――


「汚らわしい!!」


 人を殺せそうな目で僕を見下ろすアナスタシアがいた。

 そして、間髪置かずに緑色のクッションが振り下ろされる。


「ふがっ」


 ばすっ、と柔らかい塊が直撃し完全に目が覚める。


「変態! このド変態! くたばれ!!」

「ちょ、ふがっ、まっ、ぼふぁっ」


 反論すら許さない連撃に隣で眠っていたアンネリースも目を覚ます。


「な、なっちゃん!?」

「ほがっ」

「待って、ストップ! なっちゃん待って!」


 慌てて制止するも、それから八発ほどクッションは降り注いだ。



 *****



 アンネリースから誤解を解いてもらったものの、まだ先方の目つきは鋭い。

 元々あんまりなかった信頼を更に失ってしまったようだ。


「あのぉ……」

「ソール」

「は、っはい」

「何もなかったのよね」

「何もありませんでした」

「でも、寝坊するくらいには夜更かししてたんでしょう?」

「夜更かしは、したけど……」


 ぎろり、と睨まれた。


「ごめんなさい」

「なっちゃん、本当に本当に何もなかったから。ただソール君にベッド貸してもらっただけでね」


 言い訳をひねり出しながら、ベッドに座らされた僕たちは縮こまっていた。


「あっちゃんは危機感がなさすぎるの! 男はみんな狼なのよ!」


 いや、僕そんなにがっつかないたちだし……。

 子供相手にそっちの興味ないし……。と言いかけて口を噤む。

 火に油を注ぎたくはない。


「二度としないし、今後は気をつけるから」

「誓える?」

「誓う誓う」

「ソールは?」

「ち、誓います」

「よろしい。二度目はないわよ。今度同じ過ちを犯したらバラすから。いいわね、ソール」

「はいぃ……」


 怖い怖い。身の振り方には気をつけよう。

 アナスタシアさんはとてもおっかない。


「もう。せっかくグルナードからメールが来たのに。まさかこんなことになってるなんて思わなかったわ。夢・に・も! ね」

「へ? もしかしてアレ、当選したの?」

「二人分当たってたわ。開催は二十日後だって」

「あのぉ、当選ってコンサートか何か?」


 置いてけぼりにされたくなくて尋ねるも、物凄い目つきで睨まれてしまった。


「すみません……」

「あー、ええと、五月頃にね、グルナードが新商品のテスターを募集してたの。選ばれたら本社ビルで立食パーティーに参加できて、無料で各種商品がもらえてね」

「へぇ」


 控えめに反応しておく。


「そういうことよ」


 タダにつられたのか、立食パーティーにつられたのか。

 どちらでも構わないけれど、随分太っ腹で大盤振る舞いな会社だ。

 がっぽがっぽ儲けてるんだろうなぁ。


「一年以上グルナード商品を使用している人限定だったのに、かなり倍率高かったのよ。応募が殺到してニュースにもなったもの」

「知らなかったなぁ。ニュース、見てないから……」

「ソール君がちょっと不憫に思えてきた……」

「うん。置き去りにされてる感すごいよね……」


 朝から打ちのめされている。顔面も心も。

 もうこの話したくないなぁ。心が抉れて辛い。


「よぉし、朝ごはん作ります!」

「ワッフル!」

「よろしく」


 無理やり元気を出して、僕はキッチンへと向かった。



 *****



 朝昼夕食に、おやつに時々夜食。

 二人と関わり合いを持つようになって、次第に生活リズムが整いだした。


 アンネリースに抱き枕にされてからは、睡眠時間も緩やかに増え始めた。

 眠れない日ももちろんあるが、以前よりはずっとマシだ。

 僕は人間らしい生活を取り戻しつつある。相変わらず仕事はしていないけれど。


 しかしおもちゃ業は順調にこなしている。

 振り回される日々にすっかり慣れてしまった。


 ご主人様であるお嬢様方は、今朝から二人して出かけている。

 友達と映画を見に行くのだそうだ。

 従って、夕方までは一人きりで過ごせる。だがぼうっとしてはいられない。

 冷蔵庫が空になりかけているので買い出しに行かねばならない。

 どんな要望にも的確に答えるのがプロのおもちゃの役目である。


 午後二時過ぎ。

 僕は大型スーパーへと足を運んだ。


 すでに夕飯のリクエストはもらっているので、買うものは大体決まっている。

 長めの散歩がてら歩いていくも、店に入るなり人の多さにびっくりしてしまった。

 それから携帯端末で曜日を確認し、今日が休日だと知る。

 曜日感覚はまだ取り戻せていないらしい。


 さて、まずは野菜売り場を目指そう。

 新鮮な夏野菜が手に入ると嬉しいなぁ。

 なんて考えながら歩いていると――


「ソール?」


 誰かに名前を呼ばれる。

 声のした方へ顔を向けると、赤毛の男性が僕を見ていた。

 二十代後半のひょうきんな印象を受ける男性だ。


「……キース先輩?」

「おう! 久しぶりだな!」


 やっぱり。


 学生時代同じ学校に通っていた、キース・ラングリッジ先輩だ。

 ここ何年か会っていなかったけれど、見るからに元気そうで安心した。


「買い出しですか」

「俺が一番ヒマだからな。つーか、お前その包帯どうした?」

「いやぁ、こけてガラスに突っ込んじゃったんですよ」


 事実はそれとなく隠しておきたい。

 十四歳少女のおもちゃをやっている事実は。


「気ぃつけろよ? ガラスってわりかしシャレにならねぇぞ」

「身をもって知りましたよ。二度としません。キース先輩みたいに介抱してくれる人もいませんしね」

「安心しろ。俺も介抱してくれそうな人は身近にいない」

「またまたぁー。今日は奥さんは一緒じゃないんですね」

「子供と一緒に爆睡中だ。最近忙しかったから疲れててなぁ。俺一人だけだと寂しいけど仕方ねぇ」


 キース先輩は頭を掻き、照れくさそうにする。

 この人は恐妻家で子煩悩な人なのである。


「相変わらず仲良いですね」

「仲が良いっていうか、尻に敷かれているっていうか。ま、上手くやってるつもりだよ」


 手綱をがっちり掴まれて幸せそうなので、お似合いの夫婦なのだろう。


「お前こそ、二区まで来るなんてどうしたんだ? 聖区住みじゃなかったっけか」

「ちょっと遠出したくなっちゃって。探検です」


 うそだけど、半分本当だ。


「ふーん。あ、ここな、乳製品安いぞ」

「やった。じゃあ買いですね」

「おう。確か今日チーズが安売りだったしな。あとオレンジも大安売り中」

「すっかり主夫ですねぇ」


 微笑ましい。


「常日頃迷惑かけまくってるし、これくらいはしねぇと怖いんだよ、あいつ」


 キース先輩は学生時代交友のあった女性と結ばれ、確か一人娘をもうけていたはずだ。

 学生時代、落第すれすれだった彼の尻を、叩いて叩いて叩きまくって卒業まで辿り着かせたのが今の奥さんである。


「元気そうで安心しました」

「俺から元気をとったら何も残らなねぇからよ。お前こそ、体調崩したって聞いてたから心配してたんだぞ」

「あー、お蔭さまでこの通り、ですよ」

「もう大丈夫なのか?」

「はい。ぴんぴんしてますから」


 一体どのルートで耳に入ったのやら。

 いや、大方察しはつくけれど。


「もう無理すんなよ」


 僕と同じくらいの背格好で、赤毛赤目の男。

 髪は短く刈っていてつんつんしている。

 左手薬指には指輪が光り、ラフな服装は奥さんセレクトとみた。


 昔はもう少し細身だったが今はそれなりに筋肉のついた身体つきをしている。

 腕相撲したら負けるかもしれない。


「なぁんてな。俺が言う事でもないな!」

「あはは……」


 キース先輩は快活に笑う。

 笑い方は昔と変わらない。

 最初はちょっと怖い人だと思っていて近づき難かった。

 けれど、話してみると気さくですぐに打ち解けた。


 一生独身で最悪孤独死の可能性もあったキース先輩だが、今は幸せそのものだ。

 ちなみに奥さんから「一人ぼっちで死にたくないのなら指輪を買ってきなさい」と脅されて結婚に至った。仲間内では有名な逸話だ。


「そうだ。久しぶりに会えたんだし、今度メシ行かねぇか」

「いいですよ」

「よーし。今はバタバタしてるから来月くらいになるけど、口約束にはしないかからな? お前も忘れんなよ」

「もちろんキース先輩のおごりですよね?」

「まかせろって。繁忙期抜けたら連絡するわ」

「待ってますよー。仕事、大変なんですか?」

「んー、ま、自分で選んだ道だから逃げらんねぇし、逃げると怖いのがいるし。足掻けるだけ足掻いてるだけだ」

「変わりませんね、キース先輩は」


 昔から信頼のおける人だった。

 今は護るものが増えて、さらに人として成長している。

 僕とは大違いだ。


「お前は変わったな。昔はいっつもムスッとしてたのに」

「えー、忘れてくださいよー」

「俺が話しかけたら、ちょっと黙ってくれません? とか言ってただろ」

「やーめーてーくーだーさーいー」

「すげぇ冷たい目で睨まれたし」

「あー」

「たまに無視されたし」

「あーあー」


 人の暗黒時代を蒸し返さないでいただきたい。


「先輩だってチンピラだったじゃないですか」

「チンピラって、もっと他の言い方あるだろ。チンピラはねぇって」

「やーいチンピラー。ヤンキー。万年最下位ー」

「やめろ! 成績の話はするなぁ!」

「三年の期末テストの後に……」

「やめて! 河川敷に縛られて転がされた話はやめて!」


 犯人は奥さんである。

 散々勉強に付き合ったのに、ふざけた点数を取った罰だった。

 その後、キース先輩にはファミレスのミックスグリルがご馳走された。

 まさに絵にかいたような飴と鞭だ。


「あははー、いじり甲斐のある人が先輩だと楽しいですねー」

「お前なぁ」


 肩を落としてため息をつくキース先輩。

 学生時代から仲間内でのいじられ役に定評があったけれど、今も衰えない。

 余談だが、僕が彼に冷ややかだったのは最初だけで、打ち解けてからはそこそこの受け答えをしていた。

 こちらも色々あったので大目に見てほしい。

 大人になった今とは違うのだから。


「次会った時は覚悟しろよ……」

「そっちこそ。キース先輩に口で負ける気はありませんからね」

「お前本当に俺に容赦ねぇな」

「あはは、面白い人で遊びたくなるのは世の常ですよ? 残念ですけどやめませんー」


 僕は笑い、キース先輩は苦い表情を浮かべる。


 休職してから人との関わり合いが億劫だったのに、この人とは自然と話せた。

 懐に深く踏み込んでこない人となら関係は築けそうだ。


「ったく。じゃあ俺行くからよ。達者でな」

「はい。また」


 手を振りあって背を向ける。



「あ。ソール!」

「はい?」


 呼び止められて、僕は振り返った。


「リンが心配してたぞ」


 ああ、やっぱりあの人経由で伝わっていたか。


「知ってますよ」


 無理やり穏やかに口角を上げて、僕は再び背を向ける。

 心配させたに、いつか謝らなければ。

 職なしの今の状態では、到底安心してもらえないだろうけれど。


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