第5話:退院祝いとお夜食美少女
翌日の昼下がり。
アンネリースは無事退院した。
アナスタシアが持ってきたスペアの義足を付けて、いつもの黒い靴下を履いて。
帰り際、リンラン様御用達の紅茶店でティーバッグを手に入れ、二人とも上機嫌だ。アナスタシアなんて、鼻歌を歌いながら軽やかにスキップする始末である。
よほどリンラン様と同じものを手に入れられて嬉しいらしい。
気持ちは分からないでもないので、僕はルンルン気分の二人の後をついていく。
「そうだ」
マンションの最寄り駅を降りて、駅前通りを歩いているとアンネリースが立ち止まった。
「んー?」
「ソール君、退院祝いにあそこでボディクリーム買ってよ」
あそこ、と指さされたのはガラス張りのとある店舗。
『グルナード』の看板を掲げた……雑貨屋、だろうか?
「いいけど、あそこ何の店なの?」
「えっ? ソール君知らないの?」
「うそ……」
「いや、そんなに驚かれることなの?」
なんで二人揃ってうわぁ、この人大丈夫? みたいな顔をするのさ。
「ヒキコモリって流行も知らないのね」
「有名なのに……こわっ」
僕の知らないうちに世界は変化していたらしい。
「申し訳ございませんが、僕にも理解できるように教えていただけますか……」
知らないなら聞くしかない。
低姿勢な僕に対して、仕方ないなぁ、といった具合でアンネリースが話し始めた。
「グルナードはね、二年位前から流行ってるスキンケアなんかを専門にしたお店。ハンドクリームから始まって、ボディーソープや洗顔料や化粧品や、最近は香水とか洗濯用洗剤まで幅広く取り扱ってるの。赤ちゃんからお年寄りまで老若男女問わず使える商品がウリ」
「ほうほう」
「それでね、クリーム系の匂いが最高なの。すっごくすっごくいい匂いなの。他社のどんな香水にも勝るの。テレビでもたくさん取り上げられていて、有名人にも愛用者が多くてね。聖都で使ってない人なんて、ほとんどいないんじゃない?」
「へぇー」
僕は多分使ってないや。
「値段も手ごろなものから高級ラインまで色々。で、これからソール君が買うのは高いやつ」
「やっぱり」
ボディクリームなら装飾品のような値段はしないはず。
大丈夫大丈夫、いけるいける。
「ソール、私もリップ欲しい。高いやつ」
「もう僕にかまわず好きなの選んで……」
ダメとは言いません。おもちゃは従いますからご自由にお選びください。
僕だけでなら一生入らなかっただろう店に行けるだけでもうお腹いっぱいです。
赤地に生成色のロゴが入った看板に、ガラス面に描かれたレース模様。
ガラス越しに見える紅色の店内。どれもが、おしゃれでハイセンスなものを売っています! と主張しっぱなしだ。
僕一人では到底近づけない。二人になら似合うけれど、僕はダメだ。
「やった。スーパーでも取り扱ってるんだけど、店舗の方が品数多いんだよねー。どれにしよっかなぁ」
店内は若い女性客で賑わっている。
タイトスカートの店員が笑顔で客に話しかけ、クリームのテスターらしき物を手渡していた。
また訝しまれそうだ。などと考えながら二人の後をついていく。
「ほら、おもちゃ、開けて」
「はーい」
ガラスのドアの前で、先頭のアンネリースが催促する。
僕は苦笑いで両開きの扉に手をかけた。
「……あ」
ああ、あの人も、同じだ。
あの赤い茨は一体。
「伏せて!」
笑顔の店員が急に眼球を上転させたのを見て、僕は二人に覆い被さった。
背後でガラスが震え、間髪置かずにグルナードのガラスというガラスが轟音と共に砕け散る。
背中に破片が当たるのを感じ、これはスーツがダメになったなぁと少し落ち込む。
まあ、二人に怪我がなければスーツくらい安いものだ。
「ソール君……?」
腕の中で華奢な身体が怯えていた。
店内外から女性の悲痛な叫びが聞こえる。
野次馬の気配も続々と集まってきた。
「いたたぁ……あっちゃんもなっちゃんも怪我はない?」
腕を解き、二人と視線が交わる。
「やだ、ソール君」
目が合うなり、二人の顔が引きつった。
こめかみを伝う温かい液体を感じて、指先で拭う。
「うわ」
指の腹に、べったりと赤色がこびり付いていた。顔を引きつらせた元凶はこれか。
「あぁー、大丈夫大丈夫。このくらい大したことないよ」
笑ってはみたものの、結構痛い。じわじわ痛い。
「うわ、また暴走?」
「最近多いよね」
「こわい……」
「ひっ、あの人血まみれ……」
野次馬が騒いでいる間、二人はずっとハンカチで傷口を押さえてくれていた。
*****
かくして僕はミイラ男よろしく包帯まみれになったわけである。
病院に強制連行され、あれやこれや処置され、夕陽の時刻にやっとマンションに帰り着いた。何針か縫われたが一応普通に動けはする。
じっとしていると余計に傷が痛むので「夕飯何が食べたい?」と気軽にお嬢様たちに聞いてみた。
結果、散々心配されて休めと諭されるに至る。が、休んだところで傷が早く癒えるわけでもない。協議の後、三人で一緒に料理をする、という着地点に落ち着いた。
パジャマ姿の二人が再び訪ねてきたのは、夜の十時を過ぎた頃。
にやにやしながら「看病してあげようか?」なんて言われたが何てことはない。ただ単に僕の部屋のテレビが自分たちの物より大きいから来ただけだ。
昼間はあれだけ
こっちはまだ包帯ぐるぐる男なのに。痛いのに。なのに、僕を放置して早々にベッドにうつ伏せになりテレビのリモコンを独占している。
選択したのは夜のワイドショーだ。
どうも出演者の中にアンネリースお気に入りの芸能人がいるらしい。
この手の情報番組へ超個人的な恨みがあるので、僕は夜食づくりに専念することにした。
あらかじめ冷蔵庫で冷やしていたプリンを出して、クリームと果物を盛り付ける。プリンはゼラチンで固めるタイプのものだ。
果物はコンポートにしてこれまた冷やしておいた。
昔みたいに手癖で作ろとしたものの、上手くいかない。
分量も工程もすっかり頭から抜け落ちていて、これにはさすがに愕然とした。
あれだけ教えてもらって作り続けていたのに、忘れていたのだ。
やはり僕は大切なピースがごっそり抜けている。抜け落ちまくっている。
失ってはいけないピースは、いつか見つけられるだろうか。
「おーい。お夜食できたよー」
「持ってきてー」
「てー」
キッチンスペースから声をかけると、ぱたぱたと足を揺らしながら命令される。
「はーい」
トレーに透明なガラス皿を乗せ、ベッドのサイドデスクまで運ぶ。
テレビ画面に目を向けると、二十代前半の彫りの深い青年が映っていた。
灰銀の長髪に緑の瞳が印象的で、笑顔も眩しい。
目も髪も赤茶の僕とは大違いだ。
こんなきりっとした男前な顔、一度はなってみたいなぁ。
自分の顔貌にこれといった不満はないのだけれど。
「どうぞー。食べながら楽しんでくださいな」
「またぁ、この時間には背徳感たっぷりのものを作ってくれちゃって」
にやりと不敵に笑ったアンネリースは、身体を起こして皿に手を伸ばす。
「お気に召しませんでしたか?」
「大好物」
「褒めて遣わすわ、おもちゃ」
「これはこれは。身に余る光栄ですー」
ベッド上に座った二人はテレビを見ながらプリンを頬張り始めた。
僕は距離をとって枕側に腰かけ、テレビを眺める。
例の彫りの深い芸能人、背丈は恐らく僕と同じくらいだ。
まじまじと見ていると笑い方が小動物っぽくって愛嬌がある。
『では、次のニュースです。また、聖都で暴走事件が発生しました』
話題が移り、青年は愛嬌のある笑顔から一転、真剣な表情へと変わる。
報道内容はここ半年の間に頻発している法力暴走事件についてだ。
『本日午前七時頃。聖区キルスティ学園近くの住宅街で暴走を原因とした火災が発生し、消防隊が出動しました』
画面には、高級住宅地のど真ん中で轟轟と火の手が上がる様子が映し出される。
『火は一時間程度で消し止められ、出火元の住宅は全焼。暴走を起こした十九歳の女性は無事救出され、軽症とのことです。皆さんもご存じのとおり、今年の年明け頃から聖都で原因不明の暴走事件が多発しています。法力の暴走を起こしやすい十歳以下の子供や、先天性法力素制御不全症候群、異端症候群患者に該当しない成人男女。とりわけ、十代、二十代の若い男女による暴走が目立ちます。それでは、モニターを使って解説しましょう』
一連の事件について図解した画像が映される。
「私たちのあれは報道してくれないんだ」
「そっちの方がいいじゃない。テレビで悪目立ちしたくないもの」
「ま、そうだね」
プリンは着々と無くなりつある。
テレビが伝える暴走事件を要約すれば、こうだ。
まずは法力発動のメカニズムから。
法力発動の要となる法力素は常に一定量、細胞から分泌されている。
それが過剰に分泌されると、法力の制御が利かなくなり暴走が発生する。
十歳を境に法力素分泌に関する複数のホルモン値が安定するため、以降滅多に暴走は起こらない。成人での暴走など本来あり得ないのだ。
先天性法力素制御不全症候群と、異端症候群と呼ばれる疾患の患者のみが例外ではあるけれど。
しかし、今回は成人し、この疾患を持たない人々が次々と暴走を起こしている。
診断名は、急性法力素制御不全症候群。
一時的にホルモン値と法力素の値が異常に上昇し、法力の制御を失う病だ。
では何故、分泌に異常が出ているのか。
医療研究機関等が解明に乗り出しているものの、未だ原因は不明。
ゲストに招かれた大先生も苦笑いしながら、わからないを連呼するばかり。
「死人が出てるってのに、エライヒトはのん気だねぇ」
「明日は我が身なのにね」
「ねー」
アンネリースがプリンを食べ終わった。
皿についたクリームを器用にすくってスプーンを咥えている。
「ねぇ、ソール君」
皿をきれいにした後、アンネリースは振り返った。
「んー?」
「ソール君さ、もしかして暴走事件が増えてたことも知らなかったり? ヒキコモリだし」
「あはは……ご想像にお任せします」
「はっきり言いなさいよ」
遅れて皿を空にしたアナスタシアから辛辣な突込みが入る。
「……うん、まぁ、そうだねぇ。く、詳しくは知らなかったかなぁ……。テレビあんまり見てなかったし」
見ても頭に入らなかったし。
「こんな立派なテレビがありながら……」
「いらないなら私たちに譲ってくれないかしら」
「もうほんっとうに許して……」
心が痛いよ、あっちゃん、なっちゃん。連日責められすぎて挫けそうだよ。
「でも、これからは毎日私となっちゃんが見てあげるから、宝の持ち腐れは解消ね。喜べおもちゃ」
「ありがたき光栄にございますぅ……」
ぽす、っと僕は顔面からベッドに突っ伏す。
すると小さな手のひらが背中や頭を撫で始めた。
「プリン美味しかったぞーおもちゃのソール君」
「明日もよろしく頼むわよ」
「ご所望とあらば、どんなものでも作りますよ……」
温かくて心地良い。
時々、髪の毛をくるくる指に巻き付けて遊んでいるのはどちらだろう。
包帯を巻かれた頭をゆっくり撫でられる感覚が、癖になりそうだった。
『では、今夜の特集コーナーです。本日は聖都で今、最も輝かしく活躍しているあの若き起業家の登場です!』
重苦しい声色から一転、バラエティのような弾んだキャスターの声が耳に届く。
『では、ご紹介しましょう! テレビの前の皆さんも、一度はこのブランドの商品を使ったことがあるのではないでしょうか? 本日のゲストは、赤ちゃんも安心して使える無添加石鹸から化粧品や香水までを手掛けていらっしゃる、グルナードグループ代表! ルーファス・レアードさんです!』
「げっ」
ルーファス・レアード。
その名に反射的に頭を持ち上げて、ぞっとした。
案の定、笑顔を張り付けて現れたのは、暗いブロンドを撫でつけた僕と同年代の男。
「僕ちょっとトイレ」
「お腹痛いの?」
「まあそんな感じ」
「手は洗いなさいよ」
「はーい」
急に立ち上がったため、どうも誤解されているが、この際どうでもいい。
二人が見つめる画面には白い歯を見せて笑うルーファス・レアードがいる。眉目端正なスーツの男は溌溂と出演者と話し始めた。
眉をひそめた僕はそそくさとトイレに駆け込む。
鍵を閉めて、一度大きく息を吐いた。
知らないうちに、世の中は変化していたらしい。
二十四にもなれば、当たり前なのだろうけれど。
「あーもう……最悪」
今日もし眠れたとしたら、きっと、うなされるに違いない。
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