第4話:クリスマスケーキと幸福美少女
アンネリースは一命を取り留めた。
というより、大きな外傷はなく、負ったのは軽い打撲と掠り傷のみ。
彼女の左足は、元々なかったのだ。
左の靴下で覆われた部分はいわゆる義足だった。念動力系の法力で操っていたらしい。僕も気が付かなかった。
暴走事件終息後、現場は一時騒然となり、負傷者は次々と救急車で運ばれていく。
アンネリースもまた、聖区内の病院へと搬送された。
アナスタシアは友人として、僕はたまたま居合わせた知人として。二人揃って病院へ向かったが、明らかに怪訝な眼差しを向けられた。
十も歳が離れた成人男性が少女たちと行動を共にしている。
これだけでも普通ではない。
僕が怪しまれた理由は、他にもある。
いくら尋ねても、アナスタシアが頑なに保護者の連絡先を教えてくれなかったからだ。
そのせいで、何か悪いことをしようとしていたのではないかと思われたのだろう。
例えば売春、とか。
残念ながら僕はナイスバディで成熟した女性が好みである。
十四歳の子供は守備範囲外だ。
だがアナスタシアが連絡先を言わないままでは、こちらの容疑が晴れない。
仕方なく、僕は久しぶりに自らの法力を使った。
そしてこの時。
初めて二人の真実を知ったのだ。
*****
アンネリース・リッターとアナスタシア・チャイカ。
両者の保護者である児童養護施設チャイカ園園長が病院へ駆けつけたのは、完全に陽が沈み、夜が訪れた頃だった。
その頃になるとアンネリースの意識も回復し、三人で少し話をしていた。ちょうどその時、ドアが勢いよく開かれたのだ。
「あっちゃん! なっちゃん! 無事なの!?」
息を切らして病室へ飛び込んできたのは六十代半ばの女性。
白髪交じりのボブヘアを乱して、玉のような汗をかいている。
「はぁーい。この通り、ぴんぴんしてまーす」
「右に同じく」
ベッド上のアンネリースと椅子に座るアナスタシアは、園長先生をおどけて迎えた。
「あぁもぉーう! 電話がかかってきた時、先生心臓が止まるかと思ったんだからぁ」
園長先生は、ふくよかな胸に手を当てて呼吸を整える。胸に置かれた手もまた、ふくふくと柔らかそうでマシュマロみたいだった。
「どうぞ、座ってください」
僕は席を譲ろうと、個室備え付けのパイプ椅子から立ち上る。
「あら、もしかしてずっと付き添ってくださっていた“知人”の方かしら」
「ソールと言います。二人の隣の部屋に住んでいた縁で知り合ったんです」
「ソール君の嘘つき」
小声でアンネリースに突っ込まれたが無視する。
「まぁまぁそうだったのね。この子たち気が強いから大変でしたでしょう?」
「先生、それヒドイ」
口を尖らせたアンネリースに、園長先生は顔をくしゃくしゃにして笑った。
「あら、ごめんなさいねぇ」
ぺろりと舌を出す。明るく朗らかな雰囲気にこちらも自然と癒された。
彼女たちの扱いを熟知した人物のジョークだ。
「今夜は大事をとって一晩入院になるそうですよ。主治医の先生は明日の昼頃には退院できると仰ってました」
「ふふふ、よかったわねぇあっちゃん。もうどこも痛くない?」
「うん。でも左足壊れちゃった」
アンネリースは薄い掛布団の上から、左太ももがあるはずの場所を叩いた。
右側は膨らんでいるが、左側は太ももの付け根辺りから何もなくなっている。
「あらぁ、スペアはあったわよねぇ」
「あるけど最悪ぅー。あれ高いのに完全に持ってかれたんだもん!」
「命が助かったんだから安いものじゃない。義足ならいくらでも作り直せるわ」
「でーもー」
ぶすっとむくれたアンネリースは片膝を抱いて顔を伏せた。
「先生。あっちゃんの付き添いは私とこの人がするからもう帰って? 仕事まだいっぱい残ってるでしょう?」
この人、とは僕のことだろう。勿論朝まで付き添うつもりだが、果たして園長先生が許してくれるだろうか。見ず知らずの男に任せてもらえるとは到底思えない。
「園長先生、ちょっとよろしいですか」
「ええ、どうしました?」
多忙な園長先生の手を煩わせるわけにはいかない。
「内緒の話です」
園長先生を誘って、二人で病室を出た。
「ちょっと、変なこと吹き込まないでよ」
ドアを閉める際、ぐっさり釘を刺されたが、おもちゃの件は隠すつもりではある。
廊下は人通りが少なく、しんとしていた。時々、病衣のおばあさんや病院スタッフが通り過ぎるくらいだ。これなら心置きなく話せる。
「突然で驚かれましたよね」
「寿命が縮まるかと思ったわぁ。いいえ、もう縮まったかも」
「すみません。彼女たちに怪我を負わせる結果になってしまって。しかもこんな若造が一緒にいるとますます心配になりますよね」
「まぁ、そうねぇ。ちょっと不安、かしら」
苦笑いに、やはり信用されていないのだと悟る。まあ、当たり前だけれど。
「申し遅れました。実は僕、園長先生とお会いするのは初めてではないんですよ」
「あらまぁそうなの? ごめんなさい、私ったら心当たりが……」
「十二月の、潰えた時代のクリスマスの頃。園に手作りのケーキを持ってくる子供がいませんでしたか?」
「ケーキ?」
「ほら、不愛想なのが毎年」
「……ええ、ええっ! 数年前まで毎年、クールな男の子が!」
先生は、嬉しそうに手を合わせて笑った。
「でも、あなたがどうして知っているの?」
「その子供、僕なんです。すっかりご無沙汰になっちゃいました」
園長先生は一瞬、ぽかんと口を開け、すぐに生気を取り戻す。
「あらあらあらあらあらあらあらあらぁ! あの坊ちゃんがこんなに立派に!? ぱったり姿を見せなくなったから、もしかして悪い病気になったんじゃないかって心配してたのよ?」
「いえ、社会人になってからなかなか時間が作れなくて……すみません」
社会の荒波に揉まれまくってケーキを作る余裕も余力もなかった。
学生最後の年までずっと手作りして持って行っていたのに、申し訳ない。
「謝らないで? あなたのケーキね、子供たちみーんな大好きだったのよ。もちろん、あっちゃんもなっちゃんも。ふふふ、こんな偶然ってあるのねぇ。奇跡みたいだわぁ」
「二人には秘密にしてくださいね、恥ずかしいので」
「あらそう? じゃあ私とあなただけの秘密ね」
園長先生は口元に手を添えて、ふふふ、と声を出して笑う。
白髪は増えたが性格も笑い方も変わらない。
「今夜は僕があっちゃんを看ますから、任せていただけませんか? 僕、一応こういう者なので」
ズボンのポケットを探り、カードケースを取り出す。収まっていたあるカードを園長先生に見せた。
「まぁ……」
園長先生は両手を頬に当てて、目を丸くする。
見せたのは、本名や卒業校、生年月日などの個人情報が記載されているカードだ。
驚くようなものではないが、これでこちらの身元や経歴もばっちり伝わったわけである。
「立派になったのねぇ……。あなたになら安心して任せられそうだわぁ」
目尻に皺を寄せて園長先生は微笑む。
その眼差しは成長した愛し子に向けられるものだった。
ああ、誰かに信頼されるのなんて、本当に本当に、久しぶりだ。
*****
「あぁーあ、こんなに早くバレるとはなぁ」
再び三人になった病室で、アンネリースが左脚の付け根を触りながら呟く。
「僕としては二人の命に別条がなくて万々歳なんだけどねー」
「こっちは足が壊れてんの! そういうふわふわした受け答えしないでくれる?」
「ごめんなさい」
ふわふわしているつもりはないが、気に障ったらしい。
大分沸点が下がってるみたいだ。
「で? はぐらかされるのはもう飽きたわ。いい加減、どうしてチャイカ園の連絡先を知っていたのか、吐いてくれないかしら」
「いやぁ、別に種も仕掛けもないし、言いたくないなぁー」
「ふぅーん、あなた、バラバラの肉塊にされたいの?」
おお、おっかない。
「すみません、話します」
ドスの効いた低音はさすがに怖かった。
アナスタシアの法力であれば、四肢を別々の場所へ転送するだけで、簡単にバラバラ死体が作れる。
「ええと、僕、精神感応系なんだよね。だからちょっとだけ二人の心を覗かせてもらいました」
僕の視界には人の心の扉が映るのだ。
重厚なつくりの扉は、人それぞれ形が違い、同じ物は一つとない。
そして、僕は錠と鎖で閉ざされた扉のマスターキーを手にしている。手元の鍵を使って解錠してしまえば人の心は見放題、知り放題。考え事も過去の体験も筒抜け。
知りたくもないことや知るべきではなかったことすら見えてしまう不自由な力だ。
「うわ、変態」
「このド変態」
「わぁー、ヒドイ」
紫色と青色が鋭く光る。人を殺せそうな目をしないでほしい。
「私たちの連絡先が分かる程度には、深層まで見たのねぇ」
「はい、それなりには……」
「どう落とし前つけてくれるつもりなのかしら?」
「だからごめんって」
「は? 謝って済むとでも思ってんの?」
「何でもしますから勘弁してくださいぃ……」
だから言いたくなかったんだ。怖いよあっちゃん。
「ソール君さ、もしかして会った時にはもう見てたんじゃないの? 私たちが園の子供だって知ってて今まで聞かなかったんでしょ」
「いや、今日初めて見たからそれまでは知らなかったよ……?」
「うそつき。可哀想な子供だとか、惨めな子供だとか思ってたんでしょ」
「思ってないよ」
「うそだ。絶対思ってるもん」
眼光に憎悪と嫉妬が混ざる。
その手の言葉を浴びせられて育ってきたのだろう。
僕は憐れむ側の人間ではない。
だから、二人の境遇を知ったからと言って特別な感情は持たない。
持ったとしても、へぇ、そうなんだ、程度だ。
「今までだってずーっとそう! 親に捨てられてカワイソウ、カワイソウってそればっかり。あんな奴らこっちから捨ててやったようなものなのにさ! どいつもこいつも親が揃っていれば幸せで、いなければ不幸せって決めつけるの。言われる度に吐き気がする!」
人の幸せは他人のものさしでは測れない。
幸福なんてものは自分で作り上げなければならない城のようなものだ。脆く危うい砂の城を護れるのは、王である自分だけ。
僕はその城を維持できず、現実から飛び降りた。
ぐちゃぐちゃにされた城に絶望した。自らの腕は使い物にならず、再生もままならない。誰かに手伝ってもらおうとしたが、腕は伸ばせず喉は潰れいていた。
僕は誰にも必要とされていない。僕なんかいない方がいい。
どす黒く塗りつぶされた思考は、死を選択した。
今だってまだ死を望んでいる。
二人に邪魔されなければ、今頃僕は土の下にいたはずだった。
「なら聞くけど、二人は今、不幸なの?」
予想外の言葉だったらしい。
きょとんとして、アンネリースとアナスタシアは顔を見合わせる。
僕と同じように、いや僕よりもずっと深く自らの境遇を嘆いた経験がきっとある。
しかし、だから不幸であるに違いない、とは決めつけられない。
「うーん」
アンネリースは長く唸って、またこちらをしっかり見据えた。
「わかんない。でも、自分は不幸だー、カワイソウな子供だー、とは思わないよ」
「そうね。現状に不満はないわ。自分を憐れむなんて、阿呆らしい」
「なら良いじゃん。いちいち相手してたら疲れるよ? 口喧しい赤の他人なんて気にしてたら死にたくなるしさ。ほら、どこかの誰かさんみたいに」
どこかの誰かさんが至らなかった、恐ろしく難解な理想論。
絵空事の中の絵空事だけれど、言い聞かせなければ死以外の選択肢を失う。一秒でも考えないでいると、自分が壊れてしまう理想のようなものだ。
「うるさい死に損ない」
「おもちゃのくせに口だけは大きいのね」
「ごめんって。とにかく僕は今もこれからも二人のことを可哀想とは思わないし、惨めだとも思いません。おとなしくおもちゃとして従いますから、っていう話だから」
二人に親がいなかろうが、親に捨てられていようが、そんなの些細な事実でしかない。複雑な家庭環境の子供なんてごまんと見てきた。僕自身も褒められるような環境で育っていない。
愛を渇望し、愛に飢え、愛を偽りながら生きてきた。
おもちゃに拒否権はなく、彼女たちを拒む理由もない。
僕にはしたいことも叶えたいこともないのだ。もうしばらく二人に付き合おう。
「ならそこの自販機でレモネード買ってきて、今すぐに」
「私、ミルクティー」
「はいはいかしこまりました」
美しく気高く、脆いお嬢様方を見放すことはない。
何故なら、それこそがあの日為せなかった、彼女への贖罪だから。
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