第3話:ヴァイオリン・ソナタと隻脚美少女




 現在は休職中で、ほぼ無職状態。


 前職も神官ではなかった。従って、コンサートに神官服は不適切である。

 しかし半袖のシャツとスラックスというわけにもいかない。

 二人が自室で身支度している間、僕はクローゼットからスーツを引っ張り出した。

 夏真っ盛りには少々暑苦しいが、我慢しよう。これまたクローゼットの肥やしと化していた革靴も磨き、準備万端となった頃、部屋のチャイムが鳴る。

 ドアを開けると、校則通りに制服を着こなした二人が立っていた。


「うわ、ソール君気持ち悪い」

「見事にスーツに着られてるわね」

「知ってますー」


 僕をまじまじと見つめて二人は盛大に笑いだす。

 自分でも理解しているが、僕はどうもこの手の服装が似合わない。

 対して二人は制服をばっちり着こなしている。

 水色のブラウスと、同系色のチェック柄が鮮やかな巻きスカート。スカートには両サイドにプリーツが入っていて、動くたびにひらひら揺れる。

 出会った日との違いは、しっかり首元にネクタイが絞められている点だ。あの日、ファミレスで向かい合った彼女たちはブラウスのボタンを二つは開けていた。


 今回はコンサート会場まで距離がある。

 距離的にアナスタシアの法力で飛ぶには無理があった。肉体への負荷を考慮して、僕たちは電車での移動をとる。アナスタシアも万全のコンディションでコンサートに臨みたいだろうしね。



 *****



 席は前から四列目の左端。

 大聖堂はコンサートホールとしても使えるよう、設計されている。平日に行くと、神官様のありがたいお話が聞けたりもする場所だ。大抵、大規模な会議や催し物に使用される場所だけれど。


 大聖堂内部は、潰えた時代の設備が再現され、華やかな装飾が施されている。これでもかというほどの彫刻と壁画、ステンドグラスの数々はいつ見ても神々しい。


 そのどれもに描かれているのが、神王による世界再編の歴史だ。

 争いにより終焉を迎えようとしていた星と、淀み腐った大地に降り立つ神の姿。

 純白の翼を持つ神様により、世界は創り変えられ、淀みは消え去った。

 人々は神の到来にむせび泣き、彼を崇め讃えて生きるようになる。


 描かれている神王は金髪碧眼の美青年だ。

 今の神王様は二代目なので姿かたちは異なる。

 しかし、二代目の彼もまた魔法を操り、不老不死の肉体を持つ神そのもの。

 神の呪いに囚われたかの人は、世界の終りまで独り、生き続ける。


「あ! ソール君ソール君、始まるよ!」


 アンネリースに袖を引かれて、我に返った。

 わあ、っと拍手が沸き上がり、ステージ上ではオーケストラの団員が次々と着席していく。ほどなくしてチューニングが始まった。


 粛々とした空気の中、コンサートは幕を開ける。


 僕は音楽に明るくない。

 それでも最高水準の演奏は十分楽しめるものだ。

 隣の二人も、食い入るようにステージを見つめていた。

 幽玄で揺蕩う花びらを連想させる楽曲から、道化がおどけたような、軽快な三拍子へ。狂いなく重なった音の群れは観客を虜にする。あくびが出てしまいそうなくらいに、心地よかった。


 そして、三曲目はヴァイオリンのソリストとして一人の女性がステージに立つ。

 妖艶で成熟した佇まいの女性は、シャノワーヌ家が輩出したヴァイオリニストだ。リンラン様の目線から言えば義理の姉にあたる。


 深紅のドレスの彼女が奏でるのは、身を切るような冬の朝を想起させる、寂寞な旋律。

 しっとりと、滑らかに。どこか悍ましく、たおやかに。

 観衆を引きずり込むその実力は確かなものだった。


 額に汗が滲む深紅の演奏が終われば、お待ちかねのリンラン・シャノワーヌの出番だ。

 ソリストである深紅のヴァイオリニストを残し、オーケストラは撤収。

 その後、中央に置かれたグランドピアノが、もう一人のシャノワーヌを迎える。


 拍手の中、颯爽と現れたのは、深紅とは対照的な鮮やかな瑠璃色の女性だった。


 柔らかな笑みをたたえる、美しき才媛。リンラン・シャノワーヌ当人だ。

 浮世離れした青と才能を兼ね備えた彼女には、絶えなまい拍手が送られる。


 一度かき上げたウェーブのかかるロングヘアは、目の覚めるような青色をしていた。色褪せないその青は、まるで深海のような静けさを孕んでいる。

 豊かに膨らんだ胸元を強調した瑠璃色のドレスも、いかにも艶っぽい。

 だが決して下品ではないのだ。


 ちらりと横目でアナスタシアを見やると、口を両手で押さえ必死に悲鳴をこらえていた。生まれたての小鹿のようにわなわなと震え、目には涙までためて必死に。

 相当感銘を受けているみたいだ。



 視線をステージに戻すと、拍手が止む。

 赤と青は一度微笑みあってから、目を伏せた。


 潰えた時代に名を馳せた作曲家の、ヴァイオリン・ソナタ。

 グランドピアノとヴァイオリンのデュエットは、たった一音で会場を魅了する。

 せせらぎを連想させる滑らかなピアノの旋律と、気高くも清らなヴァイオリンの奏で。調和する二つの調べは、まさに二人の心を表現しているようだった。



 一時間でも十時間でも百時間でも、永遠に聞いていられる。心からそう思える演奏は、余韻を残し淑やかに閉じられた。

 観客から沸き上がった大喝采と共に、僕も二人に拍手を贈る。虜になったアンネリースもアナスタシアも千切れんばかりの拍手で赤と青を讃える。

 アナスタシアなんてぼろぼろ涙を流し、手首から上がもげそうなくらい手を叩いていた。


 終わらない拍手の中、退場するリンラン様は僕を見つけると、目を見開く。

 ほんの数秒、余所行きでない笑顔になり、するりと袖へ消えていった。


「あっちゃん、今私リンラン様と目が合ったかも!」

「えー? たまたまじゃない?」

「絶対合った! あぁ、身に余る幸せ……!」

「まぁた始まった」



 どうやら二人を連れてきて正解だったみたいだ。

 大聖堂を出て、駅に向かう道中もガールズトークは終わらない。


「リンラン様が初めて弾いたピアノは、電気屋さんの電子ピアノだったの! そこでお父様に子供向けの曲を教えてもらって一生懸命練習してね」

「はいはい。それもう千回は聞かされたから。雑誌の特集記事に書いてあったんでしょ」


 地下鉄へ続く階段を下りながら、アナスタシアが大きく首を縦に振る。


「上手に弾けたら、お父様が大好きな紅茶と焼きたてのスコーンをくれるんだって!」

「はいはい」


 三人で改札をくぐり、構内へ。

 二区に帰るには途中まで地下鉄を利用し、一度別の線に乗り換える。

 夕刻の駅は相当の賑わいようだった。


「ねぇ、ソール。帰りにリンラン様が好きな紅茶、買ってちょうだい」

「かしこまりました。二区にも支店があるし、聖区を出てからでもよろしいですか?」

「よろしい」


 ご満悦な笑顔が眩しい。

 あまりに眩しくて目を逸らすと、視界の先で“それ”が見えた。


「あっちゃん、なっちゃん、ちょっとこっち来て」

「は?」

「どしたの?」


 まずい。巻き込まれる。

 せめて物陰に移動しなければ。と、二人を柱の近くへ誘う。


 だが、一足遅かった。

 唸り声に似た産声を上げ、化け物は放たれる。


「早く!」


 二人の肩を掴むと同時に、電車を待っていた人々が遠くから順に宙へ浮き上がった。


「え?」

「うそ」


 舞い上がった人々は弾丸の如く吹き飛ばされ、壁や柱に叩きつけられていく。

 間もなくして、立っていられないほどの暴風が地下に吹き荒れた。


「くうぁ……!」

「うぅ、何なのっ」


 二人は僕にしがみつく。

 髪も服も滅茶苦茶に煽られ、目を開けるのも立っているのもやっとの状態だ。


「こっち! 隠れよう!」


 このままでは僕たちも飛ばされる。

 ちりちりと肌に痛みすら感じる突風の中、アンネリースとアナスタシアを誘導した。


「もしかして――!?」


 アンネリースの唇が僕に訴える。

 周囲でも数人が吹き飛ばされた。

 多くの人が床や柱にへばりついて嵐の終りを待っている。

 誰かが法力を暴走させてしまったのだ。風操作系の法力を持つ誰かが。


「あーもーついてないなぁ!」


 誘導しようにもアンネリースとアナスタシアは風圧に押されて動けない。

 むしろ、細身の彼女たちが飛ばされない方が不思議なくらいだ。

 男の僕ですら片足を地面から離したら飛んでしまいそうなくらいの風圧である。


「ねぇ、なっちゃん!」

「なに!」


 止めなければ。風操作系は、ただ風を操るだけの法力ではない。


「僕を――」


 ひゅん、と鋭利なものが頬を掠めた。

 遅れて、焼けるような痛みが伝わる。

 確かめなくともわかる。左の頬が切れ、出血しているのだ。


 間違いなく風の刃が発生している。

 乳白色を帯びた刃が目視できたのはそのすぐ後だった。

 中程度から高位の風操作系の代名詞がこの風の刃なのだ。

 小さなものは皮膚を切り裂くだけだが、威力が強まれば人の身体をばらばらに切り刻むのも容易い。


 恐れていたものが現実になってしまった。

 おびただしい数の刃が、一斉にこちらへ襲い掛かってくる。


「伏せて!」


 叫んだが、時既に遅し。

 刃の一つがアンネリースの左太ももを切断した。


「やあぁぁぁ!」


 黒い靴下から下が、暗い線路上へ消えていく。

 片足を失くしたアンネリースはバランスを崩し、そのまま吹き飛ばされた。


「あっちゃん!」


 アナスタシアと共に手を伸ばしたが、腕は掴めない。


「がっ」


 後方の柱に華奢な身体が打ち付けられ、地に落ちた。

 隻脚のアンネリースはそのまま動かなくなる。


「やだ! あっちゃん!」


 視界が暗転する。

 アナスタシアが法力を使ったのだと理解した頃には、僕の足元にアンネリースが倒れていた。


「あっちゃん! しっかりして!」


 長い髪を乱したアナスタシアがアンネリースを抱き起す。

 だが、いくら体を揺すってもアンネリースは目を閉じたままだった。


 一刻も早く手を打たねば死者が出る。

 まだ息のあるアンネリースだって、いつ手遅れになってもおかしくない。


「どうしようソール。あっちゃんが……」

「なっちゃん、今から言う座標軸に僕を飛ばして」

「え? 飛ばす? どうして」

「どうしても。お願いだから」


 彼女は聡い子だ。取り乱していても、座標軸指定を誤ったりしないに違いない。

 信じて問うと、アナスタシアは首を縦に振った。


「ありがと」


 僕は笑い、アナスタシアの耳元で数列を囁いた。

 しなやかな腕が伸び、僕の脇腹に添えられる。

 暗転に合わせて一度瞬きをし、赤子の泣き声を感じながら目を開ける。


「よし、ばっちり」


 すぐに膝を折り、姿勢を低くした。こうすれば飛ばされにくくなる。

 アナスタシアに飛ばしてもらった座標軸からおよそ四十センチ先。

 そこに、暴走の元凶がうつ伏せで気を失っていた。


 二十代前半くらいの、おしゃれに着飾った年若い女性だ。

 触れてしまえば全てが終わる、と僕は女性の手首を優しく握った。


 僕は数万人に一人のアンフィニ体質だ。

 触れた人物の法力を任意で無効化できる。

 瞬間移動ほど珍しいものではないが、今ここで暴走を止められるのは僕しかいない。もし、他に同じ体質の人間がいたとしても、アナスタシアと組まなければここまでたどり着く事すら叶わないからだ。



 びょう、と唸る声が左耳を裂く。

 その一声が断末魔となった。瞬く間に風は止み、構内は静まり返る。

 まるで最初から何もなかったかのような静けさに、ほっと胸を撫で下ろした。

 しかし、多くの人々が負傷し、構内には微かな呻き声が木霊している。


 成人が暴走を起こすのは極めて稀な事例だ。

 一体どうして、と考え込みそうになりはっとした。



 僕が、アンネリースを助けなければならない。


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