第2話:ありふれた朝食と熱狂美少女




 いつも通り、一睡もできないまま朝を迎えた。

 身体はくたくたに疲れ切っているのに、どうしても眠れない。


 かくかくしかじかで睡眠薬は没収されている。

 だから毎晩、ベッドの上をごろごろしたり、ベランダから星を数えたりするだけ。

 明け方ようやく入眠するも昼前には目が覚める。

 この現象、どうにかならないだろうか。

 生活リズムも体内時計も狂いっぱなしだ。


 午前七時前。

 夏の日差しが閉め切ったカーテンの隙間から差し込んでいる。


 室内は空調で快適な温度に保たれているが、どうにも居心地が悪かった。

 そろそろ勝手にまぶたが落ちる頃だ。

 三時間くらいは眠りたいなぁ。眠れたらいいなぁ。

 祈りながらベッドの上で寝返りを打ち、目を閉じて――


「おっはよー! ソール君!」

「ふーん、意外と小奇麗にしてるのね」

「お腹空いたんだけど!」

「ほら、起きなさい」


 頬をそれなりの力で叩かれた。


「痛い……っていうかどこから入ってきたの」


 ごろん、と再び寝返りを打つ。


「隣の部屋から飛んできたの。なっちゃんの法力でね」


 頭上には、僕を見下ろして笑う不法侵入者二名の姿。


「ドアから入ろうよぉ……あーもー」


 この国の国民は、二度洗礼を受けると不思議な力を開花させる。

 法力ほうりきと呼ばれるそれは、神王から与えられた神聖な魔法の欠片だ。


 アナスタシアは、空間を飛び越える“瞬間移動”の法力を宿しているのだと言っていた。予想通りだったが、稀有な力の悪用はいただけない。


「起きるからさぁ」


 頭を掻きながら身体を起こす。

 同時に軽く頭痛がした。


「うわ、冷蔵庫何も入ってない」


 後頭部を摩っていると、キッチンでアンネリースが冷蔵庫を物色し始める。

 あまり物のないワンルームのマンションなので見晴らしは良好だ。


「あっちゃん勝手に開けないでよー」

「前もって食材を買っておかないとかありえないんだけど。昨日契約したばかりなのにもう破棄するつもり? さっさと着替えて朝ごはん作って」

「破棄しませんから」

「じゃあ、この空っぽの冷蔵庫はなに?」

「はいはい。お望みの献立はありますか、お嬢様方」


 のろのろと立ち上がると、アナスタシアがカーテンを開けた。

 眩い日光が、容赦なくベッドへ突き刺さる。


「普通の朝ごはん」

「また難題を出してくださいますね、あっちゃん」


 どの水準に沿った普通なのだろう。


「あなたが子供の頃に食べていた朝食が食べたいのよ。私も、あっちゃんも」


 後光が指して見えるアナスタシアは、冷ややかに言い放つ。


「えー、僕が子供の頃に食べてたもの? うーん……」


 子供の頃何を食べていたっけ。うまく思い出せない。

 過去を振り返ろうとすると頭痛が増す。

 黒いもやが思考を停止させて、記憶が壊れていくのだ。


「今から作れる、特別な仕込みのいらないもの、かなぁ」


 おまけに年頃の女の子の口に合う朝食。


「……よし」


 朧げに浮かんだ献立に対して必要な食材を逆算する。


「この辺りにマーケットってあるっけ?」

「一区画先で朝市やってるよ。結構な規模のね」

「じゃあそこ行ってくるよ。完成したら呼ぶからあっちで待ってて」

「えーやだ。ソール君の部屋、テレビもベッドも大きいからここで待ってたい」

「君らがいると僕は着替えすらままならないんですー。頼むからさぁ」

「ソール君の裸くらい平気だけど? ねぇ、なっちゃん」

「そうね。どうせ貧相でしょうし」


 見てもいないくせによく言うよ。

 しかしよれよれの半袖と半ズボンでは外出できまい。

 既に着替え終えている二人とは違うのだ。


 アンネリースはタンクトップにショートパンツ、太ももの中頃までの黒い靴下を身に着けている。

 対してアナスタシアは半袖のブラウスにスカート姿。

 対照的だけれど、どちらも子供らしくて可愛い恰好だった。


「僕が困るの!」


 語気を強めると二人は不服そうに「はぁーい」と返事をして手を繋ぎ、一瞬で消えた。



「便利だなぁ」


 これで心置きなく動ける。

 さあ、ウン年ぶりの料理だ。衰えていないことを祈ろう。



 *****



 朝市は随分な賑わいようだった。

 いくつものカラフルなテントが並び、人々が行き交う。

 皆、じっくり品定めしたり店員と会話を楽しんだりと様々だ。

 僕は可能な限り息を殺して、その音の暴力に混ざった。


「よっ、にーちゃん。見てってくれよ! うちのは一級品だからな! ほらほら!」

「……そ、そうですか?」


 エプロン姿の巨漢とうっかり目を合わせてしまい、渋々立ち止まる。

 売られているのはベーコンやハムなどの加工肉。

 値段も手ごろで質も良さそうに見えた。


「にーちゃん。今ならこのハム、安くしとくぜ? どうだ?」

「じゃあ、いただきます。一番少ない量で」


 会話を終わらせたい一心で僕はハムを購入するに至る。

 まあ、材料の一つでもあったので結果オーライだ。

 その後も同じような勧誘で同じように品物を買い、そっと朝市を後にした。

 途中見つけたパン屋でクロワッサンも手に入れ、マンションに生還する。


「あれ、意外と早かったね」

「ご苦労様」

「うん、って、いつの間に!?」


 部屋には消えたはずの二人の姿があった。

 ベッドに腰かけるアンネリースに隣で寝転がるアナスタシア。

 随分寛いでいらっしゃる。


「だってもう服着てるじゃない」

「着てるけどさぁ……いきなりはやめて……」

「ソール君、私お腹減ったー」

「私も。ここで見ていてあげるからさっさと作りなさい?」


 いつの間にやらテレビのリモコンがアンネリースの手中に収まっている。

 その上、部屋にはすでに知らない芸能人の話し声が響いていた。

 参ったなぁ。

 でも、強くは出られないんだよなぁ。


「わかりました。すぐに作ります」


 仕方ない。従おう。

 お嬢様方の監視の元、僕の久しぶりの調理は始まった。



 卵を割れば殻が混入。

 野菜と共に指を切り刻み。

 調味料の分量も頭からすっぽり抜け落ちているのでいちいち調べては手間取る。


 我ながら不甲斐ない工程と段取りに気分が沈んだ。

 半熟のハムエッグに野菜たっぷりのコンソメスープ、サラダ、温めたクロワッサン。

 たったこれだけの献立なのに、昔はぱぱっと作っていたのに。

 なのに、この有様は一体全体どうしたんだろう。


「ソール君、できた?」

「お皿足りないでしょう? 持ってきたわ」

「……ありがとうございます、うう」


 僕が肩を落としている間に、二人は皿やイスを自室から持ち込み、準備は万端。

 間もなく、部屋の隅に追いやられていた小さなテーブルに、二人分の朝食が並んだ。


「ふぅん、見た目は普通ね」

「おー、いけそうな感じ」

「毒は入れてませんよー」


 二人は同時にイスにかけ、ハムエッグを凝視する。

 僕はそんな彼女たちをベッドから見ていた。


「料理の過程で毒が生成されている場合もあるもの」

「あはは、その時はごめんとしか言えないです」


 もしかしたらアナスタシアの読みが当たってしまうかもしれない。

 当たってほしくはないけど、自信がなかった。


「うわ、一気に怪しくなった」

「とりあえず食べましょう、話はそれからよ」

「だね」


 戦場に向かう戦士のごとく頷き合った二人は、フォークとスプーンに手を伸ばす。

 まずはアンネリースがハムエッグを切り、口へ運んだ。

 後を追うようにアナスタシアはスープを一匙喉に流し込む。


「……どう?」


 しばらくの沈黙を経て、まん丸に見開かれた紫色と青色が僕を捕らえた。


「ゲテモノじゃない……」

「思ったよりもちゃんとしてるじゃない……」

「あ、ありがとうございます?」


 短い感想を残し、アンネリースもアナスタシアも再び行儀よく食事を続行した。

 素直に喜べない。でも多分、褒められてるのだと思う。


 喜べないのに、嬉しいとは程遠いのに。

 なのに、女の子たちが僕の作った朝ごはんを食べる光景はどこか滑稽で、温かかった。


「あのー、あっちゃん、なっちゃん。質問があるんだけどいいかな」

「いいよー」


 食事の進行具合を見計らいつつ声をかけると、クロワッサンを頬張りながらアンネリースが答えてくれる。


「十四歳ってことは中等学校当たりの学生だよね。今って学校ないの?」


 僕たちの暮らす国には、様々な教育制度が混在している。

 だが、一般的な十四歳なら恐らくそのあたりに在籍しているはずだ。


「今は新学年前の長期休み中。まだしばらくは休める感じだから、こうしてゆったりご飯を食べてるわけ」

「へぇ」

「ちなみに、私もあっちゃんも飛び級で高校一年よ」

「十四で高校一年……結構すごい。優秀だね、お二人とも」


 想像以上だったので、顔に出さないように驚く。

 出したら怒られそうだから。


「だって私たち頑張ってるもの。努力に対する当然の結果よ」

「頑張る以外に道がないしねー。自分の未来は自分で切り開かなきゃ」


 羨ましい。

 僕の学生時代は……ああ、やめておこう。


「なっちゃんと一緒に、割と有名な私立高校に合格したんだよー。しかも学費を免除してもらえる特待生! すごくない?」


 アンネリースはフォークに突き刺したトマトを振り上げて勝気に笑う。


「すごいです。素直にすごいです」

「寮がないのは欠点だけれどね」

「うんうん。元々暮らしてたとこからじゃ遠すぎてさぁ。だからこうして部屋を借りて共同生活してるの」

「家賃も学校持ち?」

「正解。あなた、意外と賢いのね」

「うん、よく意外って言われる……」


 これは貶されてる。さっきは持ち上げてくれたくせに、一瞬で下げてきたこの子。

 末恐ろしい。


「よし、ソール君。ごちそうさまー」

「ごちそうさま。普通に美味しかったわよ」


 落ち込む僕をよそに二人は朝食を綺麗に平らげた。

 本当に綺麗に何も残ることなく食べきってくれた。

 その事実にちょっとだけ嬉しくなる。


「じゃ、後片付けはよろしく」

「頼んだわよ」

「ですよねぇ……了解しました」


 まだ任務が残っていた。嬉しさは若干マイナスだ。

 僕がシンクに向かうと、ほぼ入れ替わりでベッドが二人に占領される。


 皿洗いの最中、テレビを見ながら談笑する音が僕の背中に届いていた。

 最近人気の俳優がどうとか、クラス替えはどうなるかとか、実に女の子らしい話題だ。口を挟むのは無粋だろうと黙っていたが、微笑ましさにひっそりにやにやしていた。


 可愛いなぁ。

 棘はあるけど、まだまだ十四歳の女の子真っ盛りって感じが。

 会話をせずに聞いているだけなら、こんなにも和むなんて。

 二人のお蔭で皿洗いも苦にならず、すぐに終わってしまった。



「きゃあああぁぁぁ!! リンラン様ぁぁぁ!!」

「うひっ!?」


 何か飲み物でも出してあげようかな、なんて考えていた時。

 突然、大音量でアナスタシアが黄色い悲鳴を上げる。


「びっくりしたぁ」

「ソール君、いつもの発作だから気にしないで」


 振り向いたアンネリースは苦笑いだ。

 こうして言葉を交わしている間にもアナスタシアは「ああ!」や「麗しい……」などの歓声を上げ続ける。

 冷静な子に見えていたのに、恍惚の表情にはその欠片すらない。


「そっとしておくべき?」

「うん。邪魔すると烈火のごとく怒り狂うから」

「怒るんだ……」


 邪魔はやめておこう。

 アナスタシアの悲鳴の元凶は、鑑賞中のニュース番組だ。

 聖都の区長や政府要人、名家の人々が一堂に会した晩餐会の様子が映されている。


 黄色い悲鳴を一身に浴びるのは、三区区長であり、三大名家に嫁いだ才媛、リンラン・シャノワーヌだった。


 ひと際目を引く瑠璃色の髪を結い上げ、肩を露出した黒いイブニングドレス姿の女性。少々つり目気味の目元も、深い瑠璃色と合わさるとある種の妖艶さを醸し出す。

 もう三十も手前だというのに誰もが羨む美貌は衰えを知らない。

 付け加えると、小柄ながらスタイルは抜群だ。


「ああぁ、リンラン様ぁ……」


 ニュース自体は数分で終わり、すぐに別の話題へと切り替わる。


「これで明日も生きていける……はぁぁ、リンラン様……」


 未だ恍惚状態のアナスタシアは祈るように手を組み天を仰ぐ。


「なっちゃんは、ね……リンラン様が好きなの?」


 何気なく尋ねてみる。

 すると首がぐりん、と回り紫色が僕を捉えた。


「大好きよ! むしろ愛してる!!」


 血走った紫は怖いくらい見開かれていた。


「知ってる!? 聖都三区区長リンラン・シャノワーヌ様! 旧姓はローゼンクランツ! 一般家庭の生まれながら超名門キルスティ学園にぶっちぎりの一番で入学! そして首席で卒業! 在学中も各方面にその名を轟かせた天才の中の天才よ! 趣味は読書で潰えた言語にも精通している上に、ピアノも嗜むの! しかもしかも学生時代に三大名家のシュタインフェルト家の血を継いでいることが判明してね! それが後押しとなってシャノワーヌ家の嫡男と結ばれたの! びっくりでしょう!? 旦那様も目を疑うくらい男前でお似合いなのよ! いつも和気藹々とした姿が見られるからきっと今でも愛し合っているに違いないわ! 一男一女にも恵まれてもう最高の家族ね! でねでね、神官としての実績も目覚ましくて、若くして三区区長に抜擢されたの! リンラン様が打ち立てた功績は星の数ほどあるわ! 治安の改善に、奨学金制度の拡充に、医薬品の開発研究協力に、あぁもう! 挙げていくときりがないわね! お蔭で住みたい区ランキング第一位はここ数年ずっと三区! 一時期リンラン様を真似て髪を青く染めるのが流行ったでしょう!? あ、でもリンラン様のは染めていない地の色! 生まれつき髪色が青だなんて、リンラン様くらいないんじゃないかしら! 学生時代のお写真も拝見したけれど、可憐で可愛らしかったわ……! もちろん大人になってからも麗しくて色香の漂う方でもう……最高! この世のものとは思えない完ぺきな人なの! 文武両道、才色兼備とはまさにリンラン様のためにある言葉だと思わない!?」

「なっちゃん、ちょっと怖い」


 ものすごい早口で一人の女性の情報がまくしたてられた。

 リンラン様にかける熱意は痛いくらい伝わったが、熱すぎてこちらが消し炭になりそうだ。


「リンラン様は素晴らしい方なのよ……」


 アナスタシアは、また独り自分の世界に没入する。


「なっちゃんね、イケメンの芸能人には全く興味なくて、小さい時からずっとリンラン様一筋なの」

「一体何がなっちゃんの琴線に触れたのかな?」

「さあ? しいて言えばリンラン・シャノワーヌの存在全て、かな」

「ふ、ふぅーん」


 彼女のシンデレラストーリーに惹かれたか、天真爛漫な人柄に惹かれたか。

 恐らくどちらもだろう。

 美人だから、才能に恵まれているからなど無関係な次元で、リンラン・シャノワーヌの周りには人が集まる。

 人を惹きつける才能は天性のものだ。


「あ、そうだった」

「んー、どしたの?」


 思い出した。あれを、貰っていたんだった。

 僕はベッドのサイドデスク上で充電していた携帯端末を手にする。

 平べったい長方形は充電満タン。

 新着メッセージは……後で読もう。


「見せて」

「やーだー」


 覗き込もうとしてくるアンネリースから逃れ、画面上へ指を滑らせる。


「ねぇ、なっちゃん」


 目的の画像を開いてからアナスタシアの肩を優しく叩いた。


「あぁ、リンラン様……」


 ダメだ。反応がない。仕方ないので話を続ける。


「リンラン様大好きななっちゃんのことだから、情報は掴んでいると思うんだけどさ。今日の午後からシャノワーヌ家主催のコンサートがあるの、知ってる?」


 再び、ぐりん、と首が回る。


「三時から聖区の大聖堂! ゲストとしてシャノワーヌ家の方やリンラン様も演奏されるの!」


 しめしめ、見事に食らいついた。


「ここにそのコンサートチケットが三枚あります。どうする?」


 チケット画面を表示したまま携帯端末を手渡す。

 画面を見た瞬間、アナスタシアは目を皿にした。


「え? だって粘っても取れなかったのに……えっ!? どうして!?」

「行く?」

「行く! 絶対絶対絶対絶対行く!!」


 紫の瞳がアメシストのように輝いている。

 この手のチケットは競争率が非常に高い。

 正攻法で取れないのも無理はなかった。


「あっちゃんも付き合ってくれるかしら?」

「いいよ」


 アンネリースは即答する。


「よーし、じゃあお昼ごはん食べて一時過ぎには出発ね。服装は、そうだなぁ、制服かちょっとかしこまったものが合うかなぁ」


 一般枠はあるが、基本的に上流階級の人々が多く集まる場所だ。

 今のカジュアルな服装はまずい。


「か、かしこまったもの……? なっちゃん持ってる?」


 アナスタシアが首を横に振る。


「持ってない。一緒に制服着ていきましょうよ」

「やっぱりそうなるよね」

「あぁ……」


 嬉しすぎて動悸がするのか、胸を押さえるアナスタシア。

 好きなものに対する熱量が大きすぎる子らしい。


「で? お昼ごはんは期待してもいいわけ?」


 外食するのもありだと思ったが、どうも彼女たちは僕の料理をお望みのようだ。


「また僕が子供の頃に食べていた献立で構いませんか、お嬢様方」

「よっろしくー」

「お願い」


 二人分の了承をいただいてしまった。

 味を占められたのかもしれないが、僕は彼女たちのおもちゃである。

 拒否権はない。


「承知いたしました」


 さっきマーケットに行ったばかりだけど、もう一度行かなくては。

 今度は買いだめしておこう。

 多分、夕食も明日の食事も僕が作るのだろうから。

 勘が戻るまでには、しばらく時間がかかりそうだけれど。


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