第42話 『戦うということ』上
返事を待つ間、一琉は自分一人でも現状を打開できる方法を模索した。なにせ時間は限られている。まひるが生きているうちに、自分が生きているうちに……なんとか、しなければ。軍服のまま、鬼怒屋ののれんをくぐる。
「いらっしゃいませー! ごめんなさい今はまだ……あら?」
入って目が合ったのは、可愛らしいエプロン姿にはもう違和感しか感じない――蔵力時江元中尉技官殿の姿だ。
「あの……」
一琉はコホン、と咳をする。
「時差ボケです。泊めてください」
少し緊張しながら、一琉が合言葉を告げると、彼女は――にっこり笑って奥に手を向けた。「どうぞ。どうしたの? 佐伯さんなら、交渉に失敗したみたいでそこらへん駆け回ってるわよー」
「あ……いや、時江さんの力を借りたくて……相談させてください」
「私……? とりあえず、中入る?」
「ありがとうございます。すみません。ご無理言って」
「いいわよー。特別ね?」
彼女について地下へと降りていくと、先日とはまた違う景色が広がって――思わず立ち尽くした。BARとは別の意味で夜の街にそぐわない物が並んでいた。怪しげに光を放つ中型の液晶ディスプレイはどう見ても昼物の一級品で、だがそこに映されているのはテレビドラマなどではなく、無機質な真っ黒画面に、白文字だ。シンプルにそれだけ。隣に並べられたもう一回り小型の液晶ディスプレイも同様。だが脇には分解されたDVDデッキのような廃材や、グリーン色の基盤が剥き出しに突き刺さっていて、積み上げられた諸々の機材を配線するコードはまるで蔦を這わせる雑草のように、床や壁を覆い尽くしていた。
驚いて動けない一琉の後ろから、時江が困ったように顔を出す。
「ごめんなさいね。隣のBARと、あと通路が狭いのは、こっちをどんどん建て増ししたからなの……。ここは私の部屋。んー昼の街を相手にしようと思うと、どうしてもマシンもそれなりにしないといけないしー……かといって一般人が手に入れられる部品って限られているから、せめて理論上は追いつけるように無理やり組み合わせたりして……フフ、不恰好よねえ」
そう言って時江は、何か大がかりな機械に微笑みかけるのだ。ママ友たちと公園でベビーカーを押しながら、不出来な息子を可愛がるように。
「こーんなに大きくなったけど、でもね。昼の国家技術には、実は全然及ばないの。さすがにハードを近づけるのには限界がある。でも、ソフトを動かせられれば、あとは問題ないわ」
「やっぱり、あのリストとか、映像は、時江さんが……?」
「そうよー。役に立つでしょう」
「はい。ありがとうございます」
「うん。よしよし。興味持って聞いてくれるの、うれしーな。うちにはホラ、若い子にしか興味ないオジサンと、電卓すら使えるのか怪しいオヤジしかいないから」
「電卓ぐらい使える! 暗算の方が速いだけだ」
ぬっと、そこに貝原が顔を出した。おい、何やってる? と軽く小突かれる。一琉はぺこっと頭を下げ、だが興味を抑えられず聞いてみた。
「でも、昼の技術相手に対等に渡り歩くって……どうやっているんですか」
「ん? ああ……そうだな~、目的はやっぱり、クラッキングを成功させることだから、意外と対等でも何でもないのかもしれないな?」
一琉は首をかしげる。時江は一人、うんうんと頷いて、続ける。
「ほら、この国はパソコンなんて、夜はまだしも昼民だって勝手に持てないように規制されているでしょ? それだけじゃなく、通信までだいぶ制限されているのよ。国にとって情報は命だからね。でもねー、情報が漏れることを過度に怖がって、手段を奪うことでそれを解決しようなんてのは、ちょっと短絡的で野蛮よね。少なくとも、私のハッカー倫理には抵触するわよー?」
悪ガキを叱るような口調で、ふうっとため息をつき腕を組む。一琉がぽかんとしていると、
「盾ってどうしてできたかわかる?」
「え……と?」
「矛があったから。逆に言えば、矛がなければ、誰も盾なんて作ろうとしない。セキュリティーも同じよ。誰もクラッキングしないなら、セキュリティーなんて無意味な処理、誰もしないし、その技術だって進歩しない。上の連中、ほんっと迂闊なのよ。技官だった頃から私、不満だったもの。あったまきちゃうわ~」
そして、ピンが折れて動作不良を起こしていたカードの脚の――他の廃材から削り取ってその傷を克服したはんだの跡に、愛しい恋人の内臓に触れるがごとく、そっと、指を這わす。
「だから私は、このツギハギ自作PCでも戦える。この矛であけられるのは小さな小さな穴だけど、そこからすぐに瓦解するわ。だって彼らは、盾の作り方を忘れてしまってるどころか、もしかしたら盾という概念すら失ってしまっている可能性があるから。彼らは保持し向上させていくべき技術を、自らロストテクノロジーにしてしまったのよ。バカね~」
時江は、一琉と会話しているというよりも、古今東西から集積された技術そのものに語りかけているのかもしれない。
「全部の通信を遮断するわけにもいかないし、例外的に許可されている場所があるの。でも、通信が可能ってことはそれだけ無防備だから、あえて、低レベルなマシンを置いてあったりするのよ。低レベルなマシンだから攻撃受けても何も問題ないって考えね。その分、セキュリティーレベルも低い。でーも! そんなマシンだって、こんなジャンク品の寄せ集めからみたら、十分高等な物なの。だから、そこを踏み台にして、もっとハイスペックなマシンを、どんどん狙ってったってわけ」
一琉は頷いて「あの……時江さん、それって」と口をさしはさむ。
「なに?」
ここに足を運んだ理由。質問を投げかけるチャンスだ。
「海の外の様子とかも、見られるんですか?」
日本の外はもう人が生きられる状態ではなくなっている。だけど、放置されたロストテクノロジーが眠っていたり、それを使って生き延びている民族だっていないとは限らない。閉鎖されたこの日本を脱出して、外で生き延びている民族に倣って、生きていくという選択はどうだろう。一琉がそこまで言ってみた時だった。
「あー……それは……無理、だと思うわ」
済まなそうに……どこか、言いづらそうに、時江は首を横に振った。
「……そう、なんですか」
まあ、そううまくはいかないらしい。時江はあれだけのことができるのだから、なんとかなることなのでは、と思ったのだが。
駄目か。生命線が一つ消える。
「もしよければ、理由を教えてもらっても、いいですか? 専門的な説明になると、自分が理解できるかどうか、怪しいですが……」
「いや、なんていうか、その……日本の外の世界を見せることくらいなら、できちゃうんだけどね」
つまり、希望も何もない外なんかを見たって仕方がないということか。
肩を落としそう尋ねる一琉に、時江は何かを言いかけて――一琉の背後に視線を合わせた。
「なぜなら海外は栄えたまま、平和そのものだからね」
「……え……」
一琉がぞっとしたのは、それが佐伯の声だったからだ。振り返れば彼は、怪しく笑っていた。「俺が戻りましたよーっと」
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