第21話 『昼の街 新宿駅東口』

 秋空は寒くもなく暑くもなく、ちぎれ雲が泳いでいる。新宿駅東口、ビル群の前の細い木々の間には立体映像看板。顎に指を添えたまつげの長い美女が、肩から上までを空中に大きく映され、挑発的な表情を浮かべてゆっくり回転している。美白化粧品のPRらしい。昼間でもくっきり鮮やかに見えた。

「街まで……委員長はよく来るのか?」

「あたしはまあまあよ。生活が夜型になっちゃってるから、昼の街は久々。なんだかちょっと見ないうちにすごいことになってるわね。こんな広告、初めて見るわ」

 黒衣を纏わずに日差しの下を闊歩する委員長の目にも、真新しく映るものらしい。

「ふーん……」

 ショーウィンドーには、秋物の革ジャケットを羽織った男性マネキンが並んでいた。寄せ付けないほど上品で、高級そうだ。よく見ると反射して、自分がいる。スクエア型のサングラスをかけて、黒一色の中折れ帽に、すとんとまっすぐ下に落ちるような丈の長いトレンチコートを、すべてを覆い隠すようにして羽織っている。

「だから、通販が多いわね」

「通販! ?」

 少し大きい声が出た。驚く一琉に驚いたように、委員長も振り向く。ずり落ちてきたサングラスを上げて、一琉は委員長の斜め後ろにつく。

「通販って……通信販売のことか」

「あたしの家はギリギリ、基地の外にあるから」

 昼生まれは、通信販売が当たり前なのか……。夜生まれのように行動が制限されているわけでもないくせに。夜の街での通信販売は「輸入行為」として禁じられていて、見つかったら国から厳しく罰せられる。そもそも夜の街にはショッピングモールやデパートもないのに、何でも店が揃っている昼生まれの間では、一般的な買い物方法の一つとして「通販」が当たり前に存在しているとは。だが夜勤にはどうせ買えるだけの金がない。俺たち夜勤の使う月通貨なんて、円換算したらチリみたいなもんだ。夜勤会じゃないが、これを昼世界の堕落だと言いたい気持ちもわかる。

 そのとき眼前を「運命診断! ? DNA解析で将来が変わります 完全予約制」の立体文字が右から左にサーッと流れていった。気を取られ、つい、目で追ってしまう。

「わっ」

 横で自動車がブレーキ音を轟かせながら急停止した。

「おい! じゃまだろ!」

 突然のことにあっけに取られている一琉の代わりに、委員長が進み出て頭を下げた。

「ごめんなさい」

 二十代ぐらいの金髪の男が、運転席から身を乗り出して、ぺっと唾を吐いた。

「ったく……。緊急停止が作動しちまったじゃねーか……めんどくせえ」

 自分が歩道から半歩はみ出ていたらしいことが一琉もようやくわかった。白シャツを着た相手は、足まで黒ずくめの一琉を物珍しげにじろじろと見てから、

「一度止まっちゃったら、解除しないと動かないんだけど、やってくれる?」

 口ばしをにいっと上げ、嗜虐的な目をいやらしく輝かせた。

「あ、やりかたわかんないか~? その恰好、君、どう見てもさあ……」

 助手席の仲間が、「やめろってオマエ」と、一琉を憐れむような目で見て、笑いを隠すこともなく言った。一琉は、この連中は夜勤を見つけてワザと近づいてきたのだと感づいた。最悪だ。一琉は反射的に暗闇を探した。当たり前のようにすぐ傍に常に存在し、無意識のうちに覆い隠してくれるいつもの夜の暗闇が、ない。

「夜勤は帰って寝てろっつーの!」

 はははは。同乗者の見下したような笑い声が響く。

 心臓がどくんと痛んだ。鼓動が、耳の中で大きく聞こえる。息ができなくなる。何も言葉が出てこない。言い返すことができない。早く、どっか行けよ。クソ野郎……。とそれだけを、胸の中で吐き捨てながら、必死に思考を停止し続けた。そうでないと……。彼らの愉悦、昂奮、我を忘れて醜い本能に身を任せる快楽に共鳴して、自分自身の心の闇にのみこまれて――。

 一琉の脇から、加賀谷が進み出た。細い逆三角が二つ並んだようにシャープな形をしたサングラス越しに、睨みつけているのが長年一緒にいた感覚でわかった。

 加賀谷はおもむろに、毛皮のフードの付いたジャンバーの胸元に、茶色の革手袋を差し入れた。身に沁みついたような流麗な動作。一琉でなくとも、黒衣から何を取り出すのか、直感でわかる動作だった。

「うわああああ!」

「逃げろ! やべえ!」

 相手はハンドルを握りしめて急発進。

 だが目の前でタクシーを拾おうとした親子連れに緊急停止措置が作動してすぐに止まる。

「ちょ、ちょ、早く! ! ああああ撃たれる――! !」

「うわあああああ」

 急いで解除してまた急発進させて、今度は「誤作動防止機能が働きました」などと警報を響かせている。

「ばーん☆」

 有河の追撃。膝ついて機関銃スタイルだ。

「ああああああああ」

「はやくはやくはやく! !! !」

「やってるって! !」

 パニックになりながらもようやく発進に成功したようで、彼らはよろよろとよろけながら次第に超速で消えていった。

「なーんだ。動くじゃねーの」

 加賀谷が胸ポケットから出していた、タバコに、着火する。

「アーリー」

 棟方が、まだ腰を落としてなにやら激しく体を揺らしていた有河に近寄る。もちろんその手には何も持っていなかったが。

「マシンガンはそこまで」

「ばばばばばば☆ あれ? もうおしまい?」

「あの死獣はやっつけた」

「わーい! あーりぃたちの大勝利❤」

「行きましょ」委員長が棟方を引っ張り、先頭切って歩き出す。

「あの……一琉さん」

 まひるがこわごわ呼びかける。「大丈夫……ですか」

 涼やかな秋風が、耳の中の熱さを鎮めていた。

「ああ……」

 だから来たくなかったんだ。こんなところ。そう思うと同時に、一班の連中の強さの中に紛れ込みたいと思った。

「平気だよ」

 どうにかそう絞り出して、前へと歩みを進めた。

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