第17話 『夜勤会』
食事の後、一琉は空いている客室間に案内された。「この部屋、好きに使って」などと委員長は簡単に言うが、一琉が普段暮らしているアパートの一室より広い。風呂の場所も案内されかけたが、適当に日が落ちたら出ていくと断った。
しかしまだけっこうな時間がある。日が短くなっているとはいえ、安全な時間帯まではまだ長い。それまでどうする。寝て過ごすか。それくらいしか時間を潰す方法が思いつかない。護身用に今持っている銃の手入れをしようにも、分解する器具もないし。まあ、委員長に借りればあるだろうが。それは自宅に帰ったあとでいい。
(やっぱ、寝るしかないか)
電気を消し、ごろん、とベッドに横になる。糊のきいた白いシーツがすうっと冷たい。
やれやれ一体どうしてこんなことになっているんだ、と一琉は不思議な気持ちになった。
野々原まひるに偶然会って、かくまってくれと言われてここまで連れてきたものの、なんで自分まで……。
(しかし、今後まひるはどうなるんだ……?)
親のいない昼生まれの子供は多く存在する。夜生まれの間に昼生まれが産まれたら、一旦は施設に引き取られ、その後昼生まれ家庭に引き取られていく。まひるもその流れに乗ることになるのだろうが、でも、本人に記憶がなく、しかも誰かに追われているときた。夜勤軍本部すらも頼れないなどという。
(研究所にだけは帰りたくない……とか言っていたな)
どうやら、「研究所にいた」という記憶はあるわけだ。どこまで覚えていて、どこまで記憶がないのか……。もう少し詳しく話を聞く必要がある。
(もしかしたら俺が騙されているなんてことだってまだありえるんだからな……)
そう警戒しつつ、なんとなくだがそれはないんじゃないかと思う自分もいた。
「ん……」
目が覚めた。気が付いたら寝ていたようだった。
(何時だ……?)
部屋は真っ暗だが、窓はないので、今外がどうなっているのかはわからない。
体内時計的には、けっこう寝たような気がした。夕方にはかかっているだろう。起き上って電気を付けると、壁に時計がかかっていた。ああそろそろ行こう。今日も仕事がある。
一琉は荷物――といっても携行銃ぐらいだが――を持って、がちゃり、とドアを開けた。廊下はホテルのように明るく、広々として長かった。
右も左もわからずに彷徨う。こういうとき、佐伯の言っていた携帯電話があれば便利なんだろう……。大声出して寝ているところを起こすのも悪い。というか、委員長が寝ている場合どうすればいいんだ? 勝手に帰ればいいのか? 起きるまで待つ? そもそも、寝ているところに入っていくわけにもいかないだろ!
一琉はそろりそろりと廊下を行く。たのむ、わかりやすいところにいてくれ……委員長。
しばらく真っ直ぐに進んだ時だった。
(ん?)
突き当りの壁は左右に長く続いていて、前と後ろに入り口が二か所。その周辺にはソファと小さな机があり、ロビーのようになっている。大きな広間があるようだ。
中からなにか声が聞こえる。この声は委員長……っぽい気がする。こんな時間に一体なにをしゃべっているんだ? 電話か? でも物音から、他にも人の気配を感じた。それも、けっこうな人数だ。十人ほどか。もっといるかもしれない。
映画館のように両開きの扉になっているドアの片方を、一琉はそっと引いた。とても静かに開いた。中をのぞく――
(……これは!)
そこでは、人が集まってなにかをしていた。均等に木の椅子が並び、ざっと十数人。起立して、頭を下げている。年齢層はバラバラ。一琉と同じくらいの若者もいれば、六十過ぎているようなじいさんもいる。
正面、和風の祭壇のような一段高いところに立つ後ろ姿は――
「掛けまくも
見慣れない黒赤色の巫女装束のようなものを着て、妙な抑揚で、
「
聞き慣れぬ言葉を発している、見覚えのある少女。
「――
白衣の上には真っ黒のちはやを羽織り、下は緋袴。袖は赤い紐飾りで縁取られ、ちはやには、鮮やかな赤の彼岸花の柄が、黒生地の上に美しく映えていた。頭には、黒座布団のような帽子をゆったりと冠している。遠目から見たら色のついたてるてる坊主のようだ。
(……なにしてんだ……? 委員長)
そんな恰好をした、委員長。が、神棚に向かって深々と礼をした後、向きを変え、集まった人を前に、白い紙のついた棒を振ってなにやらお祓いめいたことをやっている。
「皆の者、お頭をお上げなさい」
委員長はその神具を、筒のようなものに挿して置いて、そう命じる。皆は一斉に従い、頭を上げた。そこへ、
「続いて」
静かだが凛とよく通る、これまた聞いたことのある声が左からかかる。
「神棚
その声の主の方へ目を向けると、棟方法子がいた。なぜ棟方までここに……。棟方も白衣に緋袴という、巫女装束を纏っていた。黒ちはやや房の付いた帽子は身に着けておらず委員長と比べるとシンプルだが、十分不思議な光景だ。
呑まれていて一琉は気付くのに遅れたが、棟方の無音の海底のような瞳は、まっすぐ自分に向けられていた。
「そこにいるのは滝本くんね」
「!」
名指しにドキッとして視線を戻すと、黒巫女装束に身を包んだ委員長まで、もうこっちを向いていた。
「おはよう。あなたもそこに立って」
「……いや……、ああ……」
覗いていたのがバレて逃げるのも体裁が悪い。ここは委員長の言う通りにしようと、一琉は一番後ろ端の席の前に立った。
(まあ帰るにしてもどのみち委員長に一言声かけるつもりだったしな。何している最中なのかは知らんが、ここで待とう)
委員長の呼吸を合図に、一琉から視線を外した棟方が仕切り直し、神棚拝詞の儀とやらが執り行われていく。
「
委員長は切るようにして間を空ける。するとそこにいる全員が委員長に息を合わせて、
「「月は鏡なりて此れを照らし出せ、と」」
声を出して揃える。
「「月夜見尊の教へ
本当に一体なにしているというのだ、こんな夕刻から。
「「
最後部座席で一琉が静かに頭を垂れていると、前にいた棟方が音もなく近づいてきてすっと冊子を手渡してきた。表紙には、「夜勤会」の文字。
「「月夜見尊の
夜勤会。
その名前くらいは、こういう方面にまったく興味がない一琉でもたしかに聞いたことがあった。
昔からこの国にある宗教の一つである。どうやら委員長はここらあたりの地域の信者を集めて、その司祭として祭壇に立っているようだ。
委員長は、両手で広げていた蛇腹の紙を畳んで懐へと収め、神棚に向かって何度かお辞儀をし、一旦壇の脇へと下がる。
「皆の衆、大義でした。お頭をお上げなさい」
そうしてまだ頭を垂れ続けている信徒にそう命令する委員長は、一班の班長を務める姿よりはいくらか様になっていた。
棟方が司会を進めていく。ここからは席に座らせてもらえるようだ。一琉はほっとして着席する。
起きしなからとんだことに巻き込まれたな。
「冊子の十二ページをお開けなさい」
あまり浮かないよう、一琉も言われた通りにする。
「ここの神棚にお祀りしている
委員長の合図で、棟方が手元のスイッチを操作し壁に映し出したのは、昼の世界の映像だった。授業中に居眠りをしている学生に始まり、新型携帯電話をイチ早く入手するためだけに会社を休んで宿泊施設を押さえ、朝一番に猛ダッシュする大人、高額のエステやサロン、美容整形に命をかける女性、運動不足による肥満の引き起こす生活習慣病に悩む中年、消費社会の中で行き場を失ったゴミの環境問題――
「これらはすべて、昼生まれの堕落した生活を映したものです」
委員長は静かに、しかし熱を感じさせる調子で、集まっている人たちを導く。
「私たちが、死獣と戦うという苦役を背負わされているのは、昼の生活がここまで堕落してしまったことに起因しているのです」
彼女の説法に、集まった人々は熱心に耳を傾けている。
「和美様、私は昼生まれが許せません」
「私もです和美様。どう気持ちにケリをつければいいのかわかりません」
手を挙げて助けを求める信徒に、
「その気持ちはもっともなこと。いずれ、この世界は死獣で埋め尽くされるでしょう。でも、その時あなたたちは、月の輝きとなって、暗闇を照らし出さねばなりません。その時初めて、昼生まれは私たち夜勤に感謝し、この夜勤会が素晴らしいものであることを知るでしょう」
委員長が両の手を広げて語りあげる。尊大に振舞うのもごく自然なものとして受け入れられ、年長者でも当たり前のように委員長のことを「和美様」と呼んでいた。
委員長は昼生まれであるから、夜勤会の司祭として歓迎されないのではないかという気もしたが、そこは隠すことなく「だからあたしは、昼生まれにして夜勤になったのです。堕落した昼の世界から脱却し、少しでも試練に共に向き合うために」という結びに持っていくらしい。
(こんなこともやってんだな……委員長は)
委員長はそれから、信徒からの質疑応答のようなもののために祭壇に残り、その脇で棟方が冊子や書類を片付けていた。真理子も出てきて、手伝っている。
ようやく最後の一人が深々と頭を下げて帰っていく。
「おまたせしたわ」
丸い黒座布団のような帽子をぴょこぴょこ揺らして、委員長は一琉の前に進み出る。帽子の左右からぶらぶらと二本垂れている、数珠なんかについている赤い房のようなものが頬を撫でる。委員長はくすぐったがるように首を振ると、両手で帽子を下ろした。
「ごめんね、この恰好のままだけど」
「いやまあ、それはいいんだが」気にならないかと言われれば気になるがまあいい。
「そろそろ帰ろうと思ってな。集まりの邪魔して悪かったな」
立ち上がりつつ一琉は言った。
「そんなことないわ。滝本くんに、あたしの講義を少しでも聴いてもらえてラッキーよ」
「たしかに、悪いがあまり興味のある話じゃなかったからな」
でもま、いい体験にはなったさ、と付け加える。
「よかったらあなたもここに通わない? 歓迎するわ」
「いや、そこまでは遠慮しとく。似合わないだろ」
「そんなことないわ。似合うとか似合わないとか」
「俺の勝手だ」
「そうね。でも言うわ」真っ直ぐな目を向けられる。「心が楽になるわよ」
これが司祭者か。なるほど、やはり委員長にはお似合いだ。
「じゃ、まあ……帰るよ。ありがとな」
会話を聞いていたのだろう、真理子がにっこりとほほ笑んで大扉を開けてくれる。委員長も見送ってくれるらしい。真理子の後に、委員長と二人で続く。
「また後で会った時にでも、まひるちゃんのこと相談していいかしら」
「ああ、もちろん」一琉は頷いて、寝る前に考えていたことを述べた。「記憶がないと言っていた。きちんと思い出せたら、あいつの帰りたいと思う場所も見つかる気がするんだが」
「そうね、思い当たる場所に連れていって、探してみるつもりよ」
「まあ、一応俺も協力するが……委員長は昼生まれだし、動ける範囲も多い。助かるな」
「いいのよ。それに法子も手伝ってくれるって言ってくれたわ」
「そうか。ありがたい。それでもだめならもう……本部に連れていくしかない。ここに置いておけるのも、委員長の保護者の人が帰ってくるまで、だしな」
戻されるのが嫌なら名乗らなければいいだけだしな。その先は昼の児童養護施設に行くことになるだろう。年齢的に、まだギリギリ預かってもらえるはずだ。「家族」が珍しいこの世の中、血のつながりのない家に子どもが引き取られていくケースなんてのはいっぱいある。
「できる限り、なんとかしてあげたいけど」
「まあ、……そうだな」
まひるに義理があるわけではないが、一琉もどうも委員長のペースに乗せられてしまう。こんなことは厄介事でしかないはずなのに。
だが、もし本当に帰りたい場所があって、待っている親がいるのなら、ちゃんと帰れよとも思う。こんな世の中だからこそ。
「じゃあ、あたしはまひるちゃんの様子を見に行くから。ここで」
「ああ。世話になった」
真理子に案内されて玄関を出ると、夕日が沈み切るかといったころだった。あたりは薄赤暗く、夜が開始されるようないつもの空気があった。
「これなら大丈夫です」
「そうですか、それではお気をつけて」
手を振る真理子に頭を下げ、一琉は一人、自宅に向かった。やっと終わったか。帰ったら急いでシャワーを浴びて、銃の手入れをしなくては。委員長は委員長でいろいろと用事を抱えているみたいだったが……あの集会は、毎日やっているんだろうか。一琉は歩きながら、まひるの言っていた「研究所」というキーワードを思い出した。どうして、研究所……にいたんだ? なんの研究をしているところなのだろう。
謎の少女……野々原まひる、か。
死獣も異常に現れるようになってきてしまって大変な時だというのに、こんな事件? のようなものに巻き込まれるなんてつくづくついていない。いや、もう委員長に任せたのだから、と一琉は彼女のことを頭から振り払った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます