第8話 『夜勤、わに公園にて』中下

 夜風がすうっと肌をかすめる。影絵のような木々が揺さぶられて、心をざわつかせるような音を立てた。身を凍らせる冬の北風にはまだ少し遠いけれど、その到来を予感させるような芯を持った風。季節が変わる。一輪の鈴蘭のような街灯が、付近だけを丸く照らしていて、すべり台の上に仁王立ちした委員長の黒いスカートの影が、さらさらとはためいていた。もうすぐまた夜が長くなる。

 一琉たち一班は、住宅地の中の公園に身を潜めていた。すべり台、ブランコ、シーソー、回転ジャングルジム。あと、鎮座する動物の形をした遊具。中でもわにが特徴的だ。穴が開いていて、園児なら口の中を通り抜けられる。この遊具にちなんで「わに公園」と呼ばれるようになり、公園名も正式にそう決定したらしい。でも、この動物たちはなんだか闇にはおどろおどろしい。

「まーた昨日みたいなの出るんじゃねえの?」

 すべり台の下、八九式小銃を構えて隠れる加賀谷のかすかなぼやき声に、一琉は呆れ混じりに草むらから頷いた。

「……ああ当然、予測できることのはずだよな」

「なー!」

 しっ、と、頭上から委員長にたしなめられる。静寂が再び流れた。

(だが本当に……、司令部はなにやってんだよ……。明らかに新宿区に出るはずのない死獣が現れているんだぞ)

 あまり当てにならないインカムを、耳に挿しなおす。新宿区夜勤軍本部、司令部からのアナウンスが聞こえてくる。

――「二〇二〇、第一死獣出現。Ⅰ型。淀橋台にて。八班、全班員で対処に当たれ」

 始まったな、今日も。

 発見された死獣の規模と、被害を受けた死傷者数の報告がいっていないはずはない。あんなデカい敵、未成年の新兵ばかりのここの地域じゃ太刀打ちできない。強力な兵器もない。向こうのシーソーの脇から構える、有河のマシンガンがせいぜいなのだ。

 それなのになぜ、昨日と変わらぬ出撃要請なのか。

 同じ班の兵士が死んでも、それで休みにはならないことは、何度かの経験で承知している。今日狩れなかった敵はそのまま明日に繰り越されていく。きっちり倒していかないと、自分たちに未来はない。それは理解している。

(でも……)

 ここまで無策じゃ、な。

「出た。死獣発見」

 棟方の細いがよく通る緊張味を帯びたその声に、すぐさま隣のブランコへと視線を向ける。同時に、銃口とライトも。一瞬まぶしさに目がくらむが、どうやらその影の大きさはそこまでではないらしい。耳から情報が流れ込んでくる。二〇三五、第二死獣出現。一班遭遇。Ⅰ型。中落合、わに公園にて。全班員で対処に当たれ。――今日は一人足りませんけど。

 ブランコの向こう側、ぬらっと闇から現れていたのは、大型犬のような死獣だった。頭部と思しき部分は、犬のような見た目をしていたが、半身は小さい馬。筋肉質でたくましい体躯をしていた。

「棟方、これより敵を焼殺する」

 光線銃を構えた棟方の声に、その死獣は、ぐわっ、と歯肉をむき出しにして口を開く。顔がぱかっと割れたかと思うほど大きく。こんな犬はいない。これは動物ではない。危険な死獣だ。

「法子を援護!」

 中腰で素早くすべり台を滑り降りた委員長から指示が飛ぶ。一琉と加賀谷は一足先にブランコ周辺へ駆けつける。太陽光線銃で照射する棟方に迫ろうとする死獣の口。涎の糸も切れるほど大きく開くそこに、二人で銃弾をたたき込む。先に立射で撃ち始めていた加賀谷の弾が切れる。膝射していた一琉の方もものの数秒で三〇発を撃ちきった。一琉は立ち上がり、加賀谷の弾倉交換が終わるまで拳銃で援護する。とにかく敵を寄せ付けないことだ。棟方は微動だにせず、敵に太陽光線銃を向け続けている。死獣は口を閉じ、肩を盾にするような姿勢で距離を詰めようとする。後から有河のマシンガンも加わった。委員長は棟方に並んで光線銃を照射。死獣が被弾していく。だが、やつらは黒っぽい血を流しながら、ゾンビのように向かってくるのだ。

「俺も焼く――っ!」

 弾を込めた加賀谷が再び小銃を構えるのを見て、一琉はそろそろ光線銃に持ち替えようとした。拳銃と共に取り出していた新しい弾倉だけ、取り替えて――

 そこへ、

「やだっ、……死獣発見!」左から有河の悲鳴じみた声。

「はっ!?」

 思わず弾倉を落とし、慌ててポーチからもうひとつ取り出す。

「死獣二体目を確認! どうしよう」

「なんですって!」

 委員長が光線銃を照射しながらちらりと有河を振り返る気配。最初に現れたⅠ型が、身じろぐように突進してくる。手早く古い弾倉をスライドさせて新しいものに取り替え、持った弾倉の底で叩いて遊底を前進させて薬室に弾を送り込む。「やるッ!」一琉が撃ち返す。左前足に命中。キャウンと犬のようなうめき声をあげて、Ⅰ型は一琉たちから再び距離を取った。危ない……。あまり敵から目を離せないのでここは委員長に任せておく。

「あっちはⅡ型はあるわね……」

「まじかよ」

 小銃を連射していた加賀谷が振り返った。

 委員長は一瞬考え込むと、

「あたしは二体目を照射するわ! 加賀谷くんとアーリーはあたしの援護に来て!」

「「了解!」」

 ま、このⅠ型相手なら自分と棟方だけで対応しきれるだろう。さっさと始末して二体目の撃退に加わろう。委員長たちが外れて広くなった空間を利用し、間合いを取り直す。死獣に太陽光を当て続ける棟方。焼かれながらも飛びかかろうとする死獣。それを物理的に打ち返しし留めようとする一琉。焼かれても被弾しても狂っている敵は恐怖心皆無で向かってくるが、次第に力は弱まっていく。

「あと少しだ棟方」

 隣でこくりと頷く棟方。敵は動きが止まりかけている。天に召されるように、目が閉じられて――

「第二死獣、死滅確認」

 一琉はインカムを切ると、

「委員長の援護に回る!」

 叫んで銃口を下げた。光線銃のまぶしさからの暗闇への急激な変化に目がチカチカする。さて、もうひと踏ん張り、と後ろを振り返ったとき。

「なん……っ!」

 おいおいおいおい。

 今、視界の端になにか映りましたけど。

 振り切った視線を、半分まで戻す。

 公園の入り口の向こう。遊びにやってくる園児の帽子の色みてーななにか。

 街灯に薄明るく照らされているのは、なんだか人工的な黄色い塊。

 ……見たくないものを見てしまった。

「さん……たい……め、発見!」

 一琉がのどから声を絞り出すようにして報告すると同時に耳に連絡が入る。

 ――「一班に告ぐ。第三死獣、わに公園に接近中。Ⅱ型。落合第二小周辺、対処に当たっていた十班から逃亡途中、放置してあった小型ブルドーザーと融合。危険度、高。他の班は至急応援を!」

 また、新しい死獣だ。ブルドーザーと融合! ? まじかよ……、放置しておくなよそんなもん。あと十班、ちゃんと仕留めやがれ。湧き立つ殺意を今はこらえる。敵に目を凝らすと、少し遠いが結構デカいことがわかる。サイみたいなデカさとガタイ。額にはツノ? 肩から、なんだあれ? ……排土板?

「おい委員長、三体目だ! Ⅱ型! 俺が射撃開始する」

「ええ。こっちが終わり次第すぐに向かう!」

「随分固そうだからな、有河いけるか?」

 一琉は狙いを合わせて射撃しながら、隙を見て振り返る。

「わかったあ! いいよねっ、いいんちょ! ?」

「ええ! こっちは加賀谷くんと二人でなんとかするわ! 法子はこっちきて!」

 十キロはあるチェコ式軽機関銃を担いで、有河が足早に駆けてきてくれるのが見えた。――詰めすぎた買い物袋をよいしょと両手で抱え持つ主婦みたいに――。同時に二体まではないこともないが、三体同時は初めての事態だ。僅かな時差がありがたい。しばらくして、ダダダダダダ、と有河のマシンガンが背後から重い銃弾を放つ。正面に近づいた敵は、たしかに歪な形をしていた。半分は生き物なのに、半分は機械。変形し、融合している。恐ろしいことに、左肩から前に飛び出たブルドーザーの排土板が、血が通った腕のように動いている。全身に被弾した敵は石のような皮膚をヒビ割れさせながら狂ったようにこっちに突進しようとしてくる。一琉は足を狙って転ばせた。象のような四肢だが、足は足だ。もとよりバランスが悪かったのか、簡単に転んだ。

「今だ! 光線銃で焼くぞ」

 だっ、と近寄る。一琉は恐れを振り払って、適切な距離を保ち、片手で光線銃を――

 ガアアアアアア! ギギイ――死獣が吠えた。頭蓋骨に響くようなその咆哮に、どきっとしてひるむ。転んで丸まっていた敵が地面を揺らしながら、体勢をゆっくりと立て直す。

 ああ、ただ見ている場合じゃないぞ――光線銃を撃つか、小銃でまた転倒させるか、逃げるかしないと――。

 と、衝撃。一琉の左腿に、流れ弾が当った。

「あっ! ごめんちるちる!」

 だが制服の下に着込んだ硬化スーツのおかげで無傷だ。よろけた体勢を立て直す。

「平気だ。ケガはない」

 普段は水着のようなやわらかくつるりとした生地なのに、強い衝撃を受けた時だけ鋼の鎧のように硬化する素材。無傷どころか、おかげではっと目が覚めた。一琉は光線銃を構えた。一歩踏み込む。適正距離。

(焼き殺してやる)

 覚悟を決める。有河、しっかり援護頼むぜ。

 だが。

――「第五死獣出現。Ⅰ~Ⅱ型。わに公園中央」

 またしても連絡アナウンスが耳に届く。

「アーリー、四体目出現よ……もどってきてマシンガンでなんとか抑えて!」

 公園の中からも、絶望的な知らせ。

 どうなってんだ。

「えーっ! 四体目! ? だ、だめ! こっちもまだ倒せてないよ!」

 異常事態。昨日みたいなⅢ型こそ出ないが、死獣の数がおかしすぎる。集中しすぎだ。

 一琉は光線銃を撃ちながら振り向き、声を張り上げた。

「委員長! とりあえずこいつ死滅させてから――」

 その目に映ったのは、

「女の子がいるのよ! !」

 ……。

 公園の、すべり台の向こうのブランコのさらに向こう、南の入口付近の回転ジャングルジムの脇の草陰。

 そこに、白い妖精のような少女がうずくまっていた。

 陽の光の色によく似た髪。おろおろとした感じ。

 白いワンピースからは素足がのぞく。どう見ても無武装で。

「あ……いつ……!」

 たしか名前は、野々原まひる。

「なに……やってんだ……!」

「ちるちる! 危ない!」

 有河の声に、一琉は正面に向き合う。敵の猛烈な突進が間際。一琉は光線銃を脇にはさみ、小銃で応戦した。致命的なダメージは与えられないが、光線銃では時間がかかって間に合わない。四体目に向かわないといけなくなったのだ。しかも、

(あの大馬鹿昼生まれがこんなところに――)

 昼生まれは死獣を引き寄せやすい。たとえ、シェルターの中に避難していても、死獣は昼のエネルギーを嗅ぎ付けて、シェルターを壊してでも捕食しようとするのだ。闇からぬらりと生まれ出でるときのように、その場にある物と融合して取り込んで武器にし、こじ開けてみせる。委員長とまひる、生身の昼生まれが二人も集まっているせいで、こんなことになったのか。

「有河、いったん委員長のところへ! 作戦を立て直すぞ」

「おっけー!」

 一琉と有河は銃を構えて後ずさりしながら、公園の中へと戻っていく。一瞬の動きが命取り。銃弾をばらまくのが精いっぱいで、ピンを切って手榴弾を投げるほどの隙はなかった。三体目も銃弾を受けながら、すでに一つの戦場と化している公園内へと入りゆく。

「あの可愛い子は誰なんだよー? おまえの知り合いか?」

 委員長と共に、シーソーや回転ジャングルジムの方面の敵を同時に相手していた加賀谷が一琉に気付いて、背中合わせの状態で野次を飛ばしてくる。

「知るか、あんなやつ……!」

 口調が荒くなりすぎたらしい。おっ? と加賀谷に目を開かれる。

「みんな聞いて! こうなったら考えがあるわ!」

 委員長が公園中央のわにの遊具に乗りながら何か言い出した。

「あたしが死獣を引きつける! 光線銃でなんとかして!」

 そして、しゃりり、と抜刀する。

「そりゃ、委員長おまえ……食われちまうぜ? !」

 委員長は驚く加賀谷を一瞥。鈴蘭型の街灯のほの暗い明かりをはねかえすように、刀身が一瞬きらめいた。

「食われるが先か、食うのが先かよ」

 昼生まれの委員長がこの数の敵を引きつけて時間を稼いでいる間に、一斉照射で全部焼き殺す。耳を澄ませても、司令部からの制止は特にかからない。

 だが、一琉はきっぱりと首を横に振った。

「だめだ、聞け。あいつも昼生まれなんだ」

「えっ! ?」

 委員長の顔に逡巡の色が広がる。

「だから委員長の方ばかりには集まらない。その作戦はうまくいかない」

 一琉の言葉に突然自信を無くしたように、「そう……」と小さくつぶやいた。委員長は、それきり黙る。

「それなら」

 凛とした声。そうして暗闇から進み出るのは――一琉は振り返ってはっとした。

「棟方っ! ……その怪我」

 小さな体躯を張って屹立するその隊員は、棟方法子だ。かぶっていたはずの官帽がない。頭を切ったのか、ショートヘアの間からどくどくと流血している。血をかき分けて見開かれた瞳が、精悍にまぶしい。

「それなら委員長があの子を守りながら敵を引きつければいい」

 その鮮血にのまれて、委員長は声をなくしている。頭が切り替わらないらしい。

「できるのか?」

「わか……らないわ。そこまで責任……とれない」

 目をそらされる。委員長、さっきまでの威勢はどこ行ったんだ。

 そうこう話している間にも、死獣は委員長とまひるに引き寄せられるようにして集まりゆく。

 応援は、まだか?

「でも結局、あたしとあの子に寄ってきちゃうなら、僅かな可能性に賭けるしかないわ……」

 棟方の真っ直ぐな視線を、かろうじて受け切るように、委員長は顔を上げた。もう一度だけちらりと棟方を見て、そして一琉の目に視線を移す。

「これ、預けるわ」

 握られていたのは光線銃。死獣を完全に死滅させることのできる唯一の道具だ。

「刀を振りながらは、撃てないから」

 昨日は棟方、今日は委員長か。

 自分の光線銃を胸にしまって受け取る。

「守るから死ぬなよ」

「ええ」

 誰でも、何丁でも、貸せ貸せ。俺は与えられた仕事をするだけだ。

 委員長はまひるのほうへ走る。まひるは草陰からこちらをじっと見ていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る