3
しゃくり上げる少女をどうにもできず、暫くして落ち着いたところを見計らって母屋へと連れて行った。
居間として使っている部屋は強盗でも入ったのか、引き出しや棚が引っ張り出されてぶちまけられている。その中を妖達がせっせと行き来して何かを探しているようで、誰一人、一匹して片付ける奴はいない。化け猫に至ってはひっくり返って鼾を掻いている次第でその周辺だけが何事もないかのようにキレイだった。
「おい、そこどけ。邪魔」
「んグぉ……ぴー……ふしゅるるる……ンゴゴゴゴ……ふごっ……ブぴー……」
足先で突いても叩いても起きない猫を仕方なく足で寄せて少女をそこに座らせる。足で寄せた拍子に転がって行った猫を拾い上げ膝に乗せたそいつはまだぐずっていて何があったか聞こうにもどうも気まずい。
というか、今まで気にしたことなかったが随分と寝汚え猫だな。
「ないみたいねぇ、湿布。ちょっとそこまで買いに行ってくるわぁ」
冷やしておいてねえ、と穏やかな声が玄関口から聞こえ、こんな状態の小娘を置いて行くのかマジかと内心焦りを憶えたがそんなことはどこ吹く風とババアはぴしゃりと戸を閉めて行った。それが合図のように猫を除く妖達が一斉に散らばった棚の中身を片付け始める。ものの数分で片付いた空間には埃一つ落ちている様子はなく、これには感嘆というよりも呆れが勝る。躾が行き届きすぎてこれではもはや奴隷ではなかろうか。当の妖たちがどう思っているのかなんて知らないし知りたいとも思わないが。
少女のすすり泣く声と化け猫の空気を読めない鼾のせいで混沌とした空間が出来上がった訳だが。自分の頭を抱えるよりも、腫れかかった患部を冷やすのが優先か。
だがこの家には冷蔵庫なんてものは存在しないので冷やすために必要な氷なんてものはない。仕方なく少女の隣にどかりと座って赤く腫れた手を引き出して痕を軽く握る。冷たいモノといったらもうこれしか思いつかなかった。
突然のことに驚いたのか、泣きっぱなしだったそいつは握られた手を不思議そうに見つめる。
「……冷たい」
ぱちぱちと困惑したように瞬きをして俺を見るそいつに「そりゃあ死んでるからな」と素っ気なく返した。
「どうして?」
「どうしてって、死体が温かかったら死体じゃねえだろ」
「死体って、死んで動かないから死体じゃないんですか?」
「俺、ただの死体じゃねえし」
尚困惑したような難しい表情で「どうして?」と訊いてくる少女にどう説明したものかと頭をひねる。どうしても何も、そういう存在だからと言えば簡単だろうが、折角泣き止んだものをまた泣きだされても困るもので、
「死体に、取り憑いてんだよ。身体を妖気と術で無理矢理動かして腐敗を止めてんの」
「……じゃあ、集真さんって……死体の人の名前?それとも妖の方の名前?」
なんでそんなこと気にするんだと思いつつ「ババアがそう呼び出した」というと納得したように「そうなんだ」と呟いた。
「じゃあ、でんちゃんがふかふかなのにひんやりしてるのも集真さんと同じだから……ですか?」
「不本意ながらそう言うこと。俺と化け猫ぐらいしか屍憑きはいねえけど」
「これが普通の妖。基本は単眼だが、稀にいくつか付いてる個体もいる。この間の蜘蛛とかな。身体が別の生き物同士で継ぎ接ぎみたいになって生えてくる。ビャクは猿の身体に猫の耳と尾、それと所々爬虫類系の鱗か」
「……あれ、でもこの子は温かい?」
「
言い終わる前にばっと俺を振り返った猿の表情は驚きと絶望に満ち溢れていた。そういえば普段は人間だと言って与えていたんだったか。抗議するように蛙のような手を振り回してキーキーわめくもんだから、段々鬱陶しくなって「うるせえ、暴れるなら引っ込め」と影を指差す。馬鹿か、人肉なんて食わせられるワケねえだろ。
残念そうに少女が見つめる中、ぶつくさと文句を吐きながら影へと帰って行く猿に、今度は冷凍焼けした鼠の肉で誤魔化そうかと密かに思う。
「妖って、人を食べる凶暴な生き物だと思ってましたけど……皆が皆、そうじゃないんですね」
猿が消えて行った影を見つめて呟く少女に違う、と否定し、膝の上で寝ている猫の首元の毛をかき分ける。紅い線が三本、首輪を捲いたようにくっきりと刻まれていた。
「こいつらが大人しく言う事聞いてられるのは、ババアが言った通りに呪印を刻んでるからだ。制御装置、みたいなもんか。命令に逆らえば焼けるような激痛が襲う仕組みになってる。だから
「呪印……くびわってこと……?呪具を使うって言ってましたけど」
彼は上着のポケットに手を突っ込んでするりと引き抜く。握っていた掌には小さい糸の束がそこに乗っていた。
「糸を首に縛るだけだな。妖仙が気を練って糸状にしたコレが呪糸。疲れるからってあんまり作んねーけど」
「ヨウセン、」
「妖仙。人間じゃねえ、妖とも違う。持ち前の妖気が人間よりも桁違いに多い上に長寿でなかなか死ぬこともない、妖以上の化け物だ。灯野のババアがそれ」
「灯野さんが……じゃあ、もしかして呪術を使える人たちは妖仙?」
鈍くさい性格の割にはカンはいいようだ。「よくわかったな」と若干子馬鹿にしたように呟くと嬉しそうに少女ははにかんだ。皮肉や冗談は通じない質らしい。
「……それで。これ、何?」
もう訊いてもいい頃合だろうかと掴んでいた腕を軽く持ち上げる。それを見つめた少女はさっと顔色を青くし、俯いた。まさか、また泣くんじゃあなかろうか。タイミング誤ったとかそもそも今聞くべきことじゃなかったかと徐々に後悔し始めた。そもそもすぐ泣く女とか子供とか、扱いに困って昔から人に押し付けるくらいには苦手だ。
暫くして俯いていた少女は気まずそうにこちらを見て、何かを言いたげに口を開いては閉じた。言い辛いのなら無理に言わなくてもいのだが。そう言いかけると隣から控えめな声が先に訊いてきた。
「千李さんが、集真さんは人殺しだって……お兄さんを殺したって、本当ですか」
ああ、それでかと合点がいった。どうせ妖を庇うような事でも話したのだろう。泣いていたのは千李の逆鱗に触れたたためで妙に怯えていたのは俺が人殺しだから、だろう。
頭が冷えたからか、少し前まで少女相手に手を焼いていた自分が酷く馬鹿らしく思えた。
「……アイツの言う通りだよ。俺が殺した」
「どうして」
「お前な……学習能力無ぇの?」
そうやって首突っ込むから厄介ごとに巻き込まれて痣なり擦り傷なりつくって泣きを見ることになってんのに。今まで無事だったことが奇跡のようで、たぶんこいつは長生きは出来ないだろうし下手すれば周りを巻き込んで勝手に死にそうな危険人物だ。
「だって、もう無関係じゃないもの」
くっと痣のある手を持ち上げて一丁前に脅しをかける少女にひくりと顔が引きつった。無関係も何も、自分から突っ込んできたのではないのか。どっちにしろとんでもなく面倒くさい小娘だ。
「……勘弁してくれよ。つーか俺よりもお前の今後を考えろよ。千李をキレさせたってことは鈴切に敵視されたんじゃねえのかよ」
少女は暫く考えた後、
「灯野さんに匿ってもらおうかな」
「お前の親は。お前だけの問題じゃねえんだぞ」
「お母さんはいないし、お父さんは仕事であちこち飛び回ってるから帰ってくるのがいつになるのかわからないんです。だから心配ないですよ」
まさか家に住むんじゃなかろうな、と一瞬嫌な予感が頭をかすめたが、それよりも気になる言葉が耳に入った。
どっからどう見ても家事出来そうにないぼーっとした小娘が、今までどうやって一人で生きてきたんだ。桐生のことはよく知らないが、こいつの祖父はもういないはずで……
「家に一人でいたのか」
「いえ、家政婦さんが3人ほど」
心配なんてした俺が馬鹿だったんだ。そもそもコイツん家は名の知れた大家であって当然金持ちで、家政婦とかお手伝い的な存在がいたって不思議じゃなかった。というかこんなとんでもないガキ残してよく遠出出来たもんだなコイツの親父は。
「はぁ……贅沢者め」
「カツカツですよ?お父さんは職に困った人たちを家で養うために、全国を飛び回ってお仕事してるんです。職や家庭問題、その他諸々……困っている人に手を差し伸べる、いわば救世主なんですよ」
「胡散くせえ……偽善ぶってる所がどうしようもねえ」
「集真さんは人間不信か何かですか」
じとっとした目で見てくる少女に呆れた表情で返す。親が親なら子も子だ。それに金と権力を与えてしまうとこんな厄介な性格に育つんだなと鈴切の先例と比べて確信した。金と権力を持った人間はどこか頭のネジが緩いんだ。
むくりと少女の膝で熟睡していた毛玉が顔を上げた。やっと起きたかこの野郎と忌々し気に呟くと眠たげな声音で、
「ナンか、クるゾ」
かしゃん、と玄関の引戸が揺れた。次いで「ごめんください」と聞き憶えがある低い声が聞こえて顔を顰めた。隣の少女はさっと青ざめ、玄関の方向を向いたまま固まっている。
「……千李さん、どうして」
「ごめんください、鈴切ですが……遅くにすみません、……開いてる?」
からからと滑りの悪い引戸の音が聞こえて、ぎしりぎしりと古びた床の音がゆっくりと近づいてくる。
仇が居るのを知って来たのかそれとも桐生のお嬢様の方が目的か。ただ単に
「か、隠れて」
掴んでいた腕を逆に掴まれ、しまい忘れた炬燵へと猫諸共押し込まれる。お前は、と言いかけた所でぎしりと床が近くで鳴った。
「璃子ちゃん……なんでここに。灯野当主は……」
ギリギリで見られることは無かったが、少女だけが間に合わずに千李と対面してしまった。
少女の焦った声が聞こえた。
「お、お買い物です。千李さんこそどうして」
「話をしに来たんだけど……すれ違いになったみたいだね。それで?どうしてここにいるの」
「……何だっていいじゃないですか」
問い詰めるような千李の声に、拗ねるような少女の声音。何でそこで強気になるんだと少女に対して内心で思う。それだとまた相手の逆鱗に触れるだろ、考えなしか。
ヒヤヒヤと事の成り行きを静観していると「怒ってる……よね。ごめん」と短気な千李にしては随分気弱な態度。はあ、と声がでそうになって気合で飲み込む。短期間の内に随分と丸くなったな。
「今日は遅いし、帰った方がいいですよ。私、今日はここにお世話になるので」
「そんなの、ダメに決まってるだろう。ご両親が心配して、」
「連絡したので大丈夫ですから」
少女の棘のある声でなんだか段々と不穏な空気になっているような気がして(屍だから感覚は無いのだが)胃の辺りがキリキリしてくるような気がする。頼む、このまま何事もなく帰ってくれ。あわよくば二人とも。
「それでもダメだ。危険だよ、何されるか分からない」
「危険って、何も知らないくせにそんな事言わないで!!」
馬鹿、と心の中で叫んだ。なんでうまく穏便に事を成せないんだ、お嬢様ならお嬢様らしく大人しくしてろとこんな狭くで蒸し暑い空間を飛び出して怒鳴りたかったがそんなことをすれば一貫の終わりだ。
案の定、短気な少年も怒鳴り返す。
「何も知らないのは君の方だろう!!さあ、帰ろう」
「いたっ、痛い!」
痛がるような声音で叫び始めた少女に、流石に止めに入った方がいいだろうかとも思ったがそんなことをすれば家が半壊じゃあ済まなくなるしだからと言ってこのままこうしているのも人としてどうかと――と思いもしたがそういえば俺、妖だった。
「もうココデるぞ」と空気の読めない猫の呆れた呟きを口ごと手で抑えて思考をフル回転させる。小娘相手にそこまで危険に自ら飛び込まなくともいいだろうし、死の危機に直面している訳でもない。あとでババアと小娘相手にぶつくさ文句を言われ続けるのは面倒だが、流血沙汰よりはマシだ。落ち着け、と自分に言い聞かせる。
俺はもう人間じゃない。妖なんだから。
抑えている猫の耳がぴくりと動いて、遠くから床の軋む音がする。多少の罪悪感はあるものの、このまま厄介事が遠ざかって行くことに安堵し軽く息を吐く。
騒々しい声はまだ近くで聞こえたままで遠くからどんどん何かが近づいてくるようだった。誰か来たのか、耳を澄ます。
二人の喧騒がぴたりと止まると、聞こえてきた声はいつもの聞きなれた、だがどこか芯の通った声だった。
「そこまでになさい。嫌がる女性を無理にお誘いするのは、些か乱暴ではないのかしら?鈴切の坊や」
「……灯野の当主。鈴切の一門を唆してもらっては困るのですが」
「あら、てっきりそちらに乱暴されたからこちらに逃げてきたのだと思ったのだけれど。よほど恐ろしい事があったのか、ひどいアザまで拵えていたものだからこちらで保護しただけよお」
「それは……」
千李の声が淀む。それを気にした風もなく、続けて強い口調で話し続ける。
「私から入門をお誘いしたことは誰一人、一度たりともないわ。それは他の家門もよくよくご存知のことよ。……今日はお帰りなさい。璃子ちゃんはこの灯野 梅が責任を持ってお預かりします」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます