二章 少年少女と不可視な呪い



 連れられてやって来た古民家で久し振りに会った灯野当主は、以前あった時と全く変わらない笑顔で快く迎えてくれた。

 最後に会ったのは十年も前。以前と何一つ変わらない、和風の内装や木造の建物の匂いに朧気だった記憶も鮮明に蘇る。背が伸びたからか、視点が高くなって全てのものが小さくなったようにも思えてなんだか不思議な気分にもなった。


「本当に大きくなって……こんなに小さかった頃を思うと、なんだか感慨深いわねぇ」


 灯野当主の手が腹部あたりの高さで撫でるように宙を彷徨う。


「おれがミたトキはもっとちびだったゾ。ニクニクしくてウマそうな」

「本当に食べようとしていたのだもの、目が離せなかったわぁ」


 単眼の猫は手当てを受けている璃子の傷を、涎を垂らしながら瞬き一つせずに凝視している。お預けをくらっているお利口な猫の様で微笑ましく思うが、そのご褒美が自らの血肉であると思うと素直にかわいいと思うのは憚られた。


「やっぱり、妖なんですね……」

「小物に見言えるでしょうけど、これでも結構なきかん坊なのよぉ」


 呆れたように溜息を吐く当主に、猫はそれを特に気にする風でもなく貼られた絆創膏を残念そうに見つめていた。

 なんだか悪いことをしたような気になって白い体毛をそっと抱き上げると、傷を隠されてどうでもよくなったのか、されるがままの状態になっていた。


「よくよく言い聞かせてはあるから大丈夫とは思うのだけれど、あまり気を許し過ぎないようにね。首輪で縛っていても、紛れもなく人喰いの妖なのだから」

「くびわ……?」


 白い体毛の、首元に視線を落としてもそれらしきものは見当たらない。怪訝に思っていると、そっと皺が刻まれた手が伸びてきて首元の毛をかき分ける。その豊富な毛の根本に、地肌とは明らかに違う赤黒い色が現れた。細い三本の線がぐるりと首の周りに刻まれていた。


「これも術、ですか?」

「術ほど複雑ではないわねぇ。呪具を使っただけの、術師でなくてもできるもの……おまじないみたいなものかしら?」


 護符と同じ様なものだと言われて、蜘蛛に襲われた時に使ったあの紙か、と思い出した。


「それなら、妖術が使えない私でも呪具なら使えるんですね」


 嬉しそうに言う璃子にそうね、と呟いた当主は暫くして不思議そうに首を傾げた。


 その一連をいらいらと黙って訊いていた集真の我慢は限界に達した。


「いい加減、本題入れよ。桐生の件、なんか知ってんだろ。とっとと話せクソババア」


 不機嫌全開な彼に連れてきてもらって、放置してしまったのは反省しなければいけない事だけれど、流石にその態度は戴けないのではないだろうか。手当てしてもらった膝の擦り傷を包帯の上から摩りながら、呆れたように彼を見る。


「ご年配の方に向かって、その聞き方はあんまりです」

「本当よねえ。まず人に物を聞く態度でもないしねぇ」

「人じゃねえだろ、妖怪ババア」

「仕方のない子ねぇ。どうしたらその態度を改められるのかしら」


 悪辣な暴言を気にする風でもなくおっとりと答えた灯野さんは、優雅な動作で湯呑みをそれぞれの前に差し出す。上品な煎茶の芳ばしい香りがふわりと室内に漂い、肩の力も抜けて落ち着いてくる。

 そんな空気を台無しにするかのように隣からお茶を乱暴に啜る音が聞こえて、訝し気に隣を見るとじろりと睨み返された。早く言え、ということだろうか。


「灯野さん、私の家のことで何か知っている事があれば教えて欲しいんです。自分の家のことなのに、誰も教えてもらえなくて……それが解決できれば、もしかしたら私も妖術を使えるかもしれない……」


 そうなれば家を継いで、当主になれたとしてもきっと嫌な思いはしないだろう。街で暴れる妖だって退治できて、嫌味を言ってくる人も肩をわざと当ててきたあの人ともきっと分かり合えるだろうに。

 そんな切なる願いを知ってか知らずか。灯野当主はさらりと平坦な口調で答える。


「あら。術なんて使えても、いいことなんか何もないわよ?」

「でも……!!」

「ヘタすりゃ、バケモノ扱いされるだけだしな」


 隅で不貞腐れていた彼が嘲笑うようにぼそりと呟いた。


「そんな事……!!お祖父様方は立派な人だったって、だから皆から感謝されてるんじゃないですか。それに、その理屈なら坂谷家と鈴切家だってそう言われてる事になりますよね?」

「言われてんだよ。もちろんこの婆さんもな。ババアなんて他と比べて別格だから、尚更だ。やめとけ、やめとけ」


 適当にあしらおうとする態度に流石にふつふつと怒りが湧いてくる。灯野さんも集真さんも、どうして分かってくれないのか。


「それでも、嫌なんです。何にも出来ないのに……何もしてないのに感謝されて時には迫害されたり。ただの人間の私に、出来る事なんて何も無いのに」

「つってもなぁ。使えなくったって生活に困るわけでもねえだろ。お前んとこならそのご立派な爺さんのおかげで信者やらパトロンからお布施たんまりだろうし。いや、でも鈴切のとこは反則だよな。土から金属創れるって、無理に支援者集めなくとも儲けがあるからなぁ」

「もう、真面目に答えてください!!」


 誤解を生む発言をした上に話を逸らそうとする彼に、溜まっていたイラつきが爆発した。この人はどうしてこうも人を粗末に扱うのだろう。頭に血が上って顔が赤くなっているのが自分でもわかった。

 そんな璃子の怒声に気にした風もなく彼は面倒くさそうに溜息をついて視線だけを璃子に向ける。


「じゃあ言うけど。そこの化け猫みたくお前に尻尾が生えてるとする。それをどうやって動かす?猫は爪を出し入れ出来るが、どうやってやるか想像つくか?」


 視線を追って見るといつの間にか丸まって寝ていたその猫は名前を呼ばれたことでふらりと豊かな飾り毛を揺らして答えた。

 当然のことながら人間には尻尾なんて生えてはいないし爪だって猫のそれとは創りが異なる。


「……そんなの、猫じゃないと分かりません」

「そういうことだろ。元から無いものを教えろって言われても無理なんだよ。術師は生まれた時から術師。最初っからただの人間に生まれれば、それはただの人間。無理なものは無理」


 きっぱりと言われて言葉に詰まる。

 亡くなった祖父は妖術に関しては右に出る者はいないほどの強者だったと謂われている。今はどこにいるのかわからない母親でさえ、そんな祖父をよく助けて妖退治に貢献したというのに。そんな人たちが血縁にいて、どうして私だけがただの人間なのか。


「…私は、術師の家系なのに」

「それなのよねえ。術師の家系であれば、大なり小なりその素質はあるはずなのよね。それが感じられないとすると……もしかすると、呪術の類かしら?」

「呪術……?呪いってことですか?」

「簡単に言ってしまうとそう言うことねぇ。自身が持ってる妖気と呪う相手に対する強い怨嗟の念を練り込んで、相手を死ぬまで苦しめ続ける術ね」

「妖気……?」

「妖気も知らないで術がどうこうって騒いでたのかよ」


 困惑している璃子に呆れたように彼は呟く。

 一般人からしてみれば妖術師は魔法使いか手品師みたいなもので、その内情を知る術はない。術師であるはずの母親が行方不明の今、術師に関して分かることは一般人とそう変わりはなかった。

 妖術師の大家の生まれなのにそんなことも知らないのかと言われたようで羞恥で顔が上がらない。


「……教えてもらえなかったんです」


 ぽつりと項垂れて呟くと、その様子を見ていた彼が無表情で口を開いた。


「……妖気ってのは、術師の素質がある人間が生まれつき持ってる……妖術の源、みたいなものだ。当然、妖気がなければ術は使えない。妖気があっても術式を組み立てられなきゃ妖術にはならねえけど」

「術式、って?」

「……E=mgp=1/2mv²。v=√2gh。それとt=……」

「へ……?え、えっと……あの?」


 彼の口から呟かれる謎の単語に頭を混乱させていると、見かねた灯野さんが言葉を遮るように話す。


「意地の悪い子ねぇ。術式なんて無くても術は使えるわ。要は自分が生まれ持った妖気の性質とその力量を理解出来ればいいのよぉ。使い方なんて、感覚で覚えるのが手っ取り早いわ」

「それが普通は出来ねえから術式で制御しようとしてんだよ。やり方は個々家々で違うけどな。妖気があっても、それを扱える頭がなけりゃ使うことすら無理」


 手品のように簡単に考えていた自分が馬鹿みたいに思えて俯く。集真さんも千李さんも、他の術師の人たちもまるで魔法のように水や金属の槍なんかを出していたものだから。頭の中でそんな複雑な計算を自分の妖気に組み立てて、そうして術が形になって現れるのだ。自分の無知さに自分で呆れた。


「妖術って、勉強しないと正しく使えないんですね。妖気と、怨嗟を合わせて呪術に?」

「簡単に言えば、な。相当な恨み辛みを糧にして、それを妖気と織り混ぜる。妖術は術式で制御し、呪術は主に感情で制御する。知識で制御するか感情で制御するかの違いだな」

「強い感情を基にするから呪術は制御し難く暴走しやすいのね。その分妖術よりかなり強力になるから制御は命懸け。ある程度呪術の形が定まったら、最後は術師の命が尽きて術は完成する。主を失った呪術は対象に纏わりついて、子へ孫へと血が途切れるまで受け継がれていくのねぇ」

「そんな、恐ろしいものが……?」


 自分に纏わりついているのだろか。強い呪いの感情が身の回りを漂っているような気がしてぞっと寒気がした。


「つっても、一族全員呪うだけの妖気を持ち合わせてるヤツなんざ限られる。そいつらが死んだって話は聞こえてこねえから、呪術の可能性はほぼない」

「その、限られてるひとたち、とは?」

「まず、そこのババア。それからババアのドラ息子と孫二人。坂谷のジジイに無名の性悪女……ぐらいだな」

「……その口が悪いの、何とかなりませんか」

「私のことはともかく、全員桐生家とはあまり関わりがないわねぇ。あるとすれば坂谷の狸爺なのだけれど、残念ながら存命なのよね」


 ふう、と憂鬱そうに頬に手を当て息を吐く灯野さんすら悪態をついてしまう。坂谷さんは一体灯野さんとなにがあったんだろうか。

 そんなことよりも、誰も呪術を使っていないのなら一体桐生家はどうして術が使えなくなったんだろう。


「呪術ではないのなら……いったい何が原因なんでしょうか……?」

「……お前、さては養子なんじゃねえの?それか親が浮気したとか」

「そんなわけないです、実子です!! お父さんもお母さんも、そんな不誠実な人じゃありませんから!!」

「そうよねぇ。それに、その理屈なら桐生一族全員が妖術使用不能になったという事実はどう説明するのかしら?」


 突拍子のないことを言い出す彼にすかさず反論する。そんなことは信じたくもないし信じられない。記憶の中にあるお母さんはお父さん一筋だったし、お父さんだってそうだ。お母さんが行方不明になってからしばらくたった今でも、ずっと探し続けているのだから。

 たとえ璃子が養子だったとしても、灯野当主が言うようにそれで一族全員、術が使えなくなる原因には到底思えない。

 

「なら、全員不誠実だったんだろ」

「いくらなんでも無理があるでしょう、馬鹿にしてるんですか!?」


 いったい桐生家を何だと思っているのだろう。どこまで失礼なのか、面倒くさそうに答える彼のいい加減な態度にとうとう灯野さんも顔が渋くなる。


「全く、そんなに陰湿だから女の子に嫌われるのよぉ」

「失礼極まりないし口汚いしいい加減だし、動物虐待するし約束破るし!!」


灯野さんに続いてここぞとばかりに溜まった鬱憤を晴らすかのように捲し立てる。それはちゃんと耳に届いたようで顔を顰めるのを確認できて少しだけ胸がすっとした。


「まあ、さすが集くん。最低だわあ」

「最低です」

「騒ぐなようるっせぇな。……調べりゃいいんだろ、めんどくせえ」


 深々と溜息をついて立ち上がる。流石に傷付いたのか、障子に手を掛けるその時にも溜息をつく。少し、言い過ぎただろうか。その様子にちょっとだけ罪悪感が湧いて、


「……調べものなら私もお手伝いを、」

「灯野の術書だからお前は無理」


 即断られる。灯野当主の術書となれば他所者が簡単に拝見できるものではないのは何となく思ってはいたのだけれど。


「あら、璃子ちゃんならいいわよぉ。私は一向に構わないわ。役に立つものがあればいいわねぇ」


 どうしようもなく座っていた璃子に、灯野は穏やかに微笑んだ。



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