一章 少年少女、それから妖

 まだ肌寒い春。雪が解けて間もなく街の節々に暖かい風が吹き始めた時季。


 真新しい制服を風に煽られながら桐生 璃子は肩を落とし、そう遠くない帰路を重い足取りで歩んでいた。


(どうして私、普通でいられないんだろう)


 中学生になれば現状が何かしら変わると思っていた。いや、そう思いたかっただけかもしれない。

 遠巻きに璃子を見ながらひそひそと話し合う人達。丁寧にお辞儀をし始める親子。わざわざ立ち止まり拝み始めるご老人。わざと肩をぶつけて歩く年配の男性。街で出会うほぼ全ての人が敬うか蔑むかの両極端な態度。親しい人は家族以外、生まれてこの方出来た例がない。


 嫌われるのは少々特殊な家柄のせいか、拝まれるのはご先祖様の数々の偉業のせいか。どちらにせよ、この居心地の悪い日常はいつまで続くのだろう。


 通りすがりに舌打ちをされて、深くため息をついた。せめて、ご先祖様のように妖術とかいう不可思議なものが使えればいいのに。それさえ出来れば、理不尽に嫌われずに済む。羨望の眼差しを受けても、何も出来ない自分に対してこんなに歯痒い思いはしないのかもしれない。もしかしたら家だって継げるのかもしれないのに。そんな資格も権利も全く無い私には、こんなことを思ってもただ虚しいだけなのだけれど。


 遠くでサイレンの音がけたたましく鳴っている。白い制服を着た大人たちが慌てて音の発生源に向かって走り過ぎて行った。妖術師――妖退治の専門家の人達。

 いつものように妖が湧いたのだろう。妖術の素質さえあれば、自分もあの中に入っていたかもしれないのに。溜まった鬱屈を吹き飛ばすように再び深く息を吐いた。


 コロコロと足下にあった小石を転がしながら不貞腐れていると、ちりんと鈴のなる音がした。白い塊が足下をとことこと通り過ぎて行く。


「猫だ……」


 不機嫌だった顔が自然と緩む。薄汚れてはいるものの、此処らではあまり見ることのない長毛の猫のようだった。よく見ると後ろ脚を引き摺るように駆けている。

 怪我でもしてるのか所々毛が抜け、皮膚が赤黒く膿んでいる様で、あまりの酷さに緩んだ顔が引きつっていくのが自分でも分かった。虐待……されたのだろうか。

 人々の足下を器用に避けながら、やがて人通りのないような薄暗い路地裏に姿を消した。

 

 あれだけの状態を放って置ける訳もなく、気付いたら足が猫を追って暗い道を進んでいた。


 陽の光がほとんど入らない薄暗い空間にぼんやりと妖しく浮かぶ白い体毛を頼りに追っていく。どんどん憶えのない薄暗い道に進んで、とうとう自分が今どこにいるのかすらわからなくなるくらいに走り続けて不安を憶えはじめる。それでも今更追いかけるのを止める訳にはいかない。むしろムキになって足を速めた。狭い道に打ち捨てられた機材を飛び越え、時々足をとられながらも追いかけた。

 

 暫くの間追いかけ拓けた所に出ると、猫の姿は忽然と消えてしまった。物陰に隠れたのか、それとも抜け道でもあったのか。

 再びがっくりと肩を落として深い溜息をつく。あわよくば家に連れ帰って飼おうかとも思っていたものだから。


「……猫にまで、避けられた」

「ネコ、じゃネェ、ョ!!」


 悲壮にくれていると、少し離れた所――打ち捨てられたコンテナのようなものの陰から嫌に高い声がした。「おいバカ、喋んな」と焦り気味な低い声も聞こえてくる。人がいるようだ。しかも、二人。


「だ、誰……?」


 返事はない。


 静かに近づいて、そっとコンテナの影から覗いて見るとその人はいた。


 自分よりもいくらか歳上の少年に見える。髪がなんだか変に不揃いで脱色しているのか灰色、と言うよりもほとんど白っぽい。顔色もなんだか血が通っていないように青白い色をしている。具合が悪いのだろうか。


 着ているパーカーの下で蠢く何かを隠すように、ミミズ腫れだらけの両腕で押さえこんでいる。前裾の部分からは白くてふさふさした尻尾がひょっこり生えていて、バタバタと不機嫌そうに揺れているのを鬱陶しそうに押し込めていた。


 これは、まさか……


「虐待、誘拐!!」

「人聞きの悪いこと言うんじゃねえよ、俺ん家の逃げたペットだ」


 声に気がついたその人は鬱陶しそうな顔をこちらに向けて面倒くさそうに答えた。


 もごもごとした動きがいっそう激しくなり、しゃがれたようなぐぐもった声が彼の服の下から聞こえてきた。それを無理矢理押さえこむようにして自身に押し込める相手に冷ややかな視線を送る。


「やっぱり虐待じゃないですか。放してあげてください、酷過ぎます」

「おい、何すんだお前っ!?」


 彼の腕を掴んで引き離そうと思いっきり引っ張る。猫の抵抗もあってか思ったより時間はかからなかった。服の下から白いふかふかの体毛を引っ張り出し、抱きかかえる。と、すぐ下から先ほど聞こえた高い声が聞こえた。

 

「ぅわア、ヤメろすとーかァ!!」

「え……?」


 確かに、自分の腕の中から聞こえた鳴き声。というよりもどこか歪でどことなく人の言葉に近い。まさかと思い抱えた猫を見て、固まった。


 顔の中心に大きく見開かれた不気味な単眼が、璃子をじっと睨みつけていた。


 威嚇のために開いた口は異様に赤黒く、牙も口の端から下顎に届くまで伸びている。

 猫だと思っていたそれは猫ではなかった。猫の風体をした--

 

 「ひっ、ば、ばけもの!!」


 思わず抱えていたものを手放し、へたり込む。遠くで鳴っていたサイレンの元凶が、きっとこの妖だ。

 呆然としている璃子のそのすぐ傍で、彼が何かを諦めたように頭を押さえて項垂れた。



 

 

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