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何でこんな事になるんだ、と思わず頭を抱えた。
思えば今日は朝から散々だった。
家主のババアにペットが逃げたからと探しに行かされ、途中で鈴切の戦闘員に出くわして追っかけられ、暴れる化け猫をやっとの思いで捕まえたと思ったら面倒な一般人のオマケ付き。派手な色の頭が人目に触れないように目深に被っているフードは化け猫との乱闘の末脱げたままで、服の下でもがいている化け猫のせいで不審者感が一層濃くなった気がする。
いつも通りの流れであれば一般人に見つかった後は大抵通報されるのだが、今日出くわした不運な小娘はへたり込んで動かないから好都合ではある。さっさと目的の化け猫を連れてこの場を後にしたいところなのだが……
「シゥ、これすとぉかー」
「お前が連れて来たんだろうが。自分で何とかしろよ」
「じゃあコイツ、クッてイイよナ」
「いいわけねーだろ」
放り投げられて綺麗に着地した化け猫は小首を傾げてとんでもない事を口にした。それなりに愛嬌はあるんだろうが、額のギョロリとした単眼のせいで別段可愛くもなくむしろ気味悪い。
その詐欺紛いの姿に釣られてやって来た小娘の方はビビって腰でも抜かしたのか、その場でへたり込んで動かない。
暴れる化け猫の首根っこを掴みながら小娘に声をかけると、ビクついて恐る恐るこちらを見てくる。その様子になんだか罪悪感が湧いて(俺は何も悪くないけど)思わず口を濁した。
「あー……早く帰れよ。最近、妖増えてきてるんだからよ。今日はたまたまこんなのでよかったなぁ」
しっしと追い払うように手を振る。
今朝方も確か一人喰われたと家主のババアが嘆いていた気がする。妖術師の大家である鈴切家の宗教団体、同じく坂谷家の対妖の特殊班だかが総動員で探しているはずなのによほど賢しいのかまだ見つかってない。
この小娘も運がいいんだか悪いんだか。野良の妖に会えば一般人なら恰好の獲物だ。この化け猫も
その運がいいのか悪いのかよく分からない小娘は呆然としながらも俺を見て化け猫を指差しながら、
「あの……ペットなら、触ってもいいんですか?」
「……はァ?」
自分の置かれている状況をまるでわかってないようで、興味深そうに小憎たらしい妖怪を指差した。化け猫もノリノリで俺の腕から抜け出して小娘に近寄って行く。
「ユビ、イッポンでユルしてやる」
「ゆ、指はあげられないけど……これでどう?」
焦ったように指を引っ込めた小娘が鞄から出したのは、茶色に乾いた小枝。それをそっと化け猫の鼻先に近付ける。
多分、マタタビだろう。何で学生がそんな物持ち歩いてんだ、勉強しろ。
化け猫も本能には逆らえなかったようで、ひくひくと臭いを嗅いだ後にでろりと涎を垂らしてニヤけはじめる。
ヤツはキマっていた。
いくら妖とはいえ所詮は猫だった。
「触っていいかな?」
「チョットダァケよぉん、でゅふふぅ」
一つ目を細めて涎を流しながら、枝を抱えて転がるバケモノの腹を嬉しそうに撫でくり回す小娘。あんな気持ち悪い物体をよく可愛がれるなと関心を軽く通り越して呆れた。
あんな状態になった化け猫を連れ出すのもなんだか億劫に思えて、仕方なくその場にずるずると座る。
気が抜けて疲れが一気に出た。
「私、桐生 璃子っていうの。きみのお名前は?」
「はァアぁぁ……ステキなキブン……」
「えっと……」
困った様に俺を見てくる小娘、もとい桐生 璃子。
「でん」
「……へ?」
「そいつの名前」
間の抜けた声を出したと思ったらすぐにでんちゃんと何度も嬉しそうに呼んで捏ねくり回していた。
それ、普通の猫じゃないんだがいいのだろうか。
「でんちゃんはどこから来たの?」
「トーノの、クソババんとこぉー」
「トーノ……おばあちゃんがいるんだ。それで、その怪我はどうしたの?」
「スズキリのぉ、クソガキどもからぁ……ハァ……」
にやけながらくたりと動かなくなった物体をつまみ上げて大仰にため息をついた。これでやっと帰れる。
無理矢理連れ帰る手間が省けて扱いやすくなったのは少しばかり助かったのかもしれない。
「ぐへへへぇ……ふゥ……」
「ばててやんの。もういいだろ」
名残惜しそうに見つめてくる小娘を横目に踵を返す。通報される前にとっととここを去らなければ。
歩き出そうと足を進めると後ろから遠慮がちな声がかかる。
「あの、スズキリって……あなた鈴切の人?」
「あんな横暴で無茶苦茶なクソガキ一派と一緒にすんな。俺は灯野派の深山家一族」
灯野や深山なんて言っても分からないだろうが、鈴切と一緒にされるのだけはなんだか癪でわざわざ振り返って答えてやる。
「とおの……もしかして、灯野 梅さん?」
「よく知ってんな。廃れて干乾びてるババアの事なんか、世間から忘れ去られて久しいと思ってたんだけど」
キャリア組警察官十数名と飼い馴らした妖を百数程擁する坂谷家、およそ三百の妖術師と信者を擁する鈴切家と比べれば灯野家は相当貧弱で、ババア一人と
憶えのある名前が出た事に安心したのか、明るい声音で話し始めた。
「よく知ってますよ。小さい頃からお世話になってるんです」
「あ、じゃあオマエ、おれのヒゲひッこヌいてアソんでたアカんぼか!? オノれよくモ、ヒゲカエセ!!」
何を思い当たったか、くったりしていたはずの化け猫が勢いを取り戻してオラオラと小娘に詰め寄る。
「わあ、じゃあ会ったことあるんだね。久しぶり、でんちゃん」
見覚えはないが桐生、は聞いた名だった。
化け猫が覚えているようだが、生憎桐生家に縁は無かった。確か、先々代が傑物で大層慕われていたとか。
今は鈴切を凌ぐ程の信者を抱えるだけの一族……だったはずだ。先代辺りからぱたりと噂は途絶えた。唯一伝わってきた話は一族全員、妖術が使えなくなったとか言う怪しい話だけ。
「……あの曰く付きの一家か。お前に覚えはねえけど」
「オマエも、ちんちくりんダッタからナ」
「俺っていうか……つーかお前、そんないい生まれなのに妖なんかと戯れてていいのかよ」
呆れながら問う。
妖を飼うのは物好きな坂谷と灯野くらいで他は絶対悪として、時には飼われた妖でさえも狩る。
それに、信者が相当数いるって事はお布施も相当入っているはずだ。つまり暮らしに困るどころか金があり過ぎて困っているくらいに贅沢しているはずだし、実際小娘の着ている制服はここらで有名な名門私立の中高大一貫校。
そんなお嬢様は俯いてぼそりと一言。
「妖術も使えない一家なのに、いい生まれなはずないです」
「大量の信者抱えて布施貰ってるクセに随分とまあ贅沢なことを仰るんだな。さすが大家の桐生家は言う事が違う」
術が使えないだけで恵まれないとでも言いたいのか。そんなもの使えた所でさらに邪険にされるだけなのに。そんな意味を含めて言うとむっとしたように見上げてきた。
「何も出来ないのに崇められたり、貶されたりする人の気持ちが分かりますか? お祖父様は立派な術師だったのに、その血を引いていても普通の人に生まれた私は妖を退治することもできないんです。よくしてくれる人たちの期待に応えられないなんて、こんなにもどかしいのに……」
「ばばあのゲボクはクチがワルいんダ。ワルいナ」
「うるせえ、下僕はお前だろうが。棒切れ一本でなびいてんじゃねえよクソ猫が」
「……でんちゃんはいい子だもん」
不貞腐れた様子ででんを抱える。そいつの腕の中でふふんと勝ち誇ったような面をした猫を空に向かって思いっきりブン投げたい。一人と一匹相手に抵抗されるのが面倒なんでやらないけども。
それより小娘の言葉に引っかかりを覚えた。術師の血筋なのに術が使えない?
「なあ、何でお前、」
言いかけて、止まった。
ガガガ、と下から削るような音がして小娘を突き飛ばしてその場から飛び退った。足下のコンクリートを突き破って生えた金属の槍に、次いで小娘の悲鳴。そしてうんざりするくらい聞いてきた鈴切の一族の、少年の声。
「ようやく見つけた……
名門の学生服に似合わないごつい太刀を携えたその少年は怒りを顕にこちらを睨みつけていた。
次々と地面から生えるそれを目で追い避けながら、本日一番の深い深い溜息をついた。
今日は最高に厄日だ。
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