2.調停者《バランサー》

 その日の夜。

 天道と霞は、早速順路ルートの下見に出かけた。

 車は458で昼間と同じく霞が運転し、天道がサイドシートに座っている。

 とは、言え、指定された順路ルートはいつも芦ノ湖スカイウェイに行く時に使っている走り慣れた道だ。道順コースレイアウトもしっかり頭に入っている。

 今更確認する事など無いはずだったが……、

「ここで、対戦バトルするのか……」

 御厨バイパスから早乙女峠を抜けて永峰峠へと入る。ここは道幅が狭く、二台並ぶのがやっとという感じだった。

 さらに厄介な事にこの季節だとコースの左右に落ち葉が散乱しているところが随所にある。なので、そこでは実質的にラインは一つしか無いと言う有様だ。

 霞もその事はわかっているようで、落ち葉を避けながらコーナーを回っていた。いつもならまだ暖機運転アイドリング中の区間だが、今日は本番を意識して全開で攻めている。

 すると、

「パッシング、されて……る」

 霞の言葉に、天道はサイドミラーで後ろを確認した。

 そこには、ポルシェ・911が写っていた。

 色は白。ナンバーは品川。

調停者バランサーか」

 見覚えのあるナンバーに、天道は呟いた。

「相手は、ポルシェ・911GT3RSだ」

 そして、霞に教える。

対戦バトル、受けても良……い?」

「もちろん」

 頷いた天道を見て、霞はハザードを短く点灯させた。

 二台の対戦バトルが始まった。

 458と911GT3RSはテールトゥノーズで、右コーナーへ突入する。

 コーナーの手前、ここぞという場所で霞はブレーキペダルを音が鳴るぐらい叩き踏んだ。

 加重が掛かったフロントサスが僅かに軋む。

 ロック寸前でブレーキを抜きつつ、パドルシフトの左側を手前に1回押す。それからステアリングを勢いよく右へと切る。

 オーバースピード気味にコーナーに突っ込んだ458は上手く旋回ターンインせずに、フロントがアウトに流れる。

 そのタイミングで霞はアクセルペダルをほんの少し開ける。

 加重の抜けたリアタイヤが空転ホイルスピンして、リアが一気にアウトに流れる。

 結果、458は車体を横向きにしながら、コーナーを回っていく。

 ドリフト走行、だ。

 そのまま、フロントノーズがコーナーの出口を向くのを待って、霞はトラクションを意識しながらアクセルペダルを踏み込んだ。

 そのまま458は一気にコーナーを脱出する。

 後方では、911GT3RSが、やはりドリフトでコーナーを駆け抜けていた。

 二台の差が僅かに開く。

 458の方がコーナリング速度が高かったからだ。

 コーナーを一つ、クリアするたびに458と911GT3RSの差はジリジリに開いていった。

 左右に落ち葉が散乱する区間へと突入する。

 霞はライトで照らされた路面を慎重に確認しながら、ドリフトでコーナーに突入する。

 だが、

「!?」

 突然、リアが予想以上に流れて霞は慌てた。リアタイヤが落ち葉を踏んでしまったのだ。

 とっさにカウンターを当てて、リアの流れを止めようとする。しかし、落ち葉のに突っ込んでしまった458は完全にバランスを崩し、アウトへと横滑りしていく。

「止まっ……て!」

 霞は祈った。それが通じたのか、458はガードレールギリギリで横スライドを止めた。

 その横をベストラインで回った911GT3RSが走り抜けていく。

「つ……ぅ~」

 霞にしてみれば痛恨のミスだった。恐る恐る隣に座る天道を横目で伺う。

 案の定、天道は顔を顰めていた。

単純な失敗イージーだな」

 視線に気付いた天道は、鋭い目つきで霞を見た。

「落ち葉を踏む事も計算に入れないと」

「う……ん」

 前ならば、こんな事を言われればカッとなっていたかも知れない。けれども今はわかる。これが天道なりの優しさなんだと。

 それに勝負はまだついていない。

 霞は己に活を入れて、911GT3RSを追走し始めた。

 コーナリング速度の違いから、直ぐにテールトゥノーズに持って行けた。しかし、抜く事は出来ない。ブレーキング競争が出来るほど、ブレーキングポイントに差が無かったからだ。

 それでも、霞は諦めていなかった。

 この先に、道幅が少し広くなるコーナーがあるのを知ってたからだ。

 のコーナーが迫る。

 インを守る911GT3RSに対して、霞はアウトへと458を持ち出した。

 二台がブレーキングに入る。ロック寸前でブレーキを抜いて、911GT3RSは急減速した。

 しかし、458は四輪をロックさせてそのままガードレールへと直進していく。

 アンチロックブレーキが仕事をして、加重の乗ったフロントタイヤが先にグリップ取り戻す。

 そのタイミングで霞はステアリングを思いっきり切った。

 まだロックしたままで、さらに加重の抜けたリアタイヤが慣性に従って急速に流れる。

 カウンターを当てて制御コントロールしながら、ノーズがコーナーの出口に向くのを待って、アクセルペダルを慎重に踏む。

 霞の得意技、慣性ドリフトだ。

 結果、まだドリフト中の911GT3RSよりも先に458はコーナーを脱出した。

 それで勝負はついた。

 箱根スカイウェイの入り口でスローダウンする911GT3をルームミラーで見て、霞もアクセルを緩めた。

 二台が路肩に停まる。霞と天道が458から降りると、911GT3RSからもドライバーが降りてきた。

 黒に近い茶髪をセミロングにした爽やか美男子イケメンだった。

「蓮實君も一緒だったのか」

 美男子イケメンは爽やかな笑顔で気さくに話し掛けてきた。

「久しぶりだな、調停者バランサー

「その二つ名はやめてくれ、って、言ってるだろう」

 同じく親しげな天道に、調停者バランサーは困ったような笑みを浮かべた。

「君が、蒼ざめた馬ペイルホース?」

 調停者バランサーの問いに霞はコクッと頷いた。

「僕の名前は、但馬たじま真一しんいち、ご覧の通り最速屋ケレリタスさ」

 そんな霞に真一は笑顔を絶やさず自己紹介をした。

「あと、二つ名で呼ぶのは、やめて欲しいかな」

「わかりまし……た」

 多分、年上だろうと思い、霞は敬語を使った。

「君たちにも紹介状が来たかい?」

「オマエの所にも?」

 それに頷いてから、天道は聞き返した。

「先週、執事バトラーからね」

 そして、来ていたジャケットの内ポケットから、招待状を取り出してみせる。

「箱根を主戦場ホームにしている最速屋ケレリタスでも、トップランナークラスには配られたらしい」

 ホーッと天道は目を細めた。

「話によると、首都高を主戦場ホームしてる最速屋ケレリタスにも、やはりトップランナークラスに限って配られたらしいよ」

本当マジかよ」

 これは自分達と麗華の問題だと思っていた天道は、予想以上に話が大きくなってて驚きの声を上げた。

「エントリー数は、僕が聞いた話だと二十五台らしい」

「そんな……に……」

 霞もまた話の規模の大きき差に目を見開いていた。

「ところで……」

 そこで真一は話題を変えてきた。

「優勝候補の蓮實君は、なんで車じゃないんだい?」

 その問いに、天道は露骨に顔を顰めた。

「今は、修理中だ」

つけたのかい!?」

 天道の答えに真一は真顔で驚いた。天道とは何回も対戦バトルしているが、そんなをするような腕では無いと知っていたからだ。

「ちょっと厄介なヤツと対戦バトルしてね」

「厄介?」

 投げやり気味に言う天道に、真一は首を傾げた。

海王ネプチューンって、知ってるか?」

 その名前に、真一はああっ、となった。

「でも、あの人は、最速屋ケレリタスとはやらないはずじゃ……」

「ちょっといろいろあって、対戦バトルすることになったんだ」

 首を傾げた真一に、天道は言葉を濁しながら言った。

「修理、間に合うのかい?」

「それなら、問題ない」

 修理期間は二週間だ。ギリギリだが、間に合うはずだった。

「それなら、よかった」

 真一はホッとした笑みを浮かべてから、ウインクした。

「優勝候補が出ないんじゃ、興ざめだからね」


 翌日の昼休み。

 天道はいつもの通り、屋上で銀矢かねや澄生すみおと昼食を取っていた。

「司馬の従姉と、司馬を賭けて勝負する事になった!?」

 天道の話に澄生は声を上げた。

「ああっ」

 だが、驚く澄生とは対照的に天道は平然と応えた。

「しかも、最速屋ケレリタスがいっぱい出るイベントだと!?」

「そうだ」

 それにも天道は平常心フラットに頷く。

「……勝てるのかよ?」

 そんな天道に、澄生は疑心暗鬼で聞いた。天道が速いのは知っている。しかし、それは一対一でのことだ。非力な車に乗っている天道が馬力で勝る強敵達を多数相手に出来るのか不安だった。

「勝つさ」

 天道は言い切った。それは決意と言うより、自分を奮い立たせているような印象だった。

「でも、タカの車は今、修理中なんだろう?」

 それでも澄生は不安だった。

「練習できないんじゃ無いのか?」

 こんなことで天道と霞が別れるのは、嫌だったからだ。

「大丈夫」

 その点についてはちゃんと考えてあった。

「直るまでは、霞の隣に乗るから」

 自分で運転しなくても感覚は養える。それはまだ免許を取る前、師匠の隣に乗せてもらって実感したことだった。

「霞の特訓も兼ねてな」

 そう付け加えた天道は自信ありげにニヤリと笑った。


 同時刻、三年七組の教室。

「かすみんか蓮實が負けたら、従姉に取られちゃうの!?」

 霞から話を聞いた肆輪よつわ由布子ゆうこは、驚きの声を上げた。

「う……ん」

 お弁当を箸でつつきなから、霞はコクッと頷いた。霞の弁当は手作りで、いつか天道の為に、と最近、練習しているのだ。

 今のところは、料理の腕は天道の方が上なのだが。

「そんなの嫌だよぉ」

 由布子は哀願するように言った。もし、霞が敗れて麗華の元に行くとなれば、当然、学校も転校になる。せっかく仲良くなれたのに、そんな事で別れるのは悲しかった。

「大丈……夫」

 そんな由布子の不安そうな顔を見て、霞は力強く言った。

「負けないか……ら」

「でも……」

 不安を拭えない由布子は、携帯電話iPhoneで。何やら検索を始めた。

「かすみんの車ってなんだっけ?」

「フェラーリ・458イタリ……ア」

 画面をトットッとタップする。

「従姉の車は?」

「フェラーリ・ラ・フェラー……リ」

 検索結果を見た由布子は目を丸くした。

「馬力が倍近くあるよ!」

 車の事はよくわからない由布子だったが、馬力差が対戦バトルに大きな影響を与える事だけは、天道や霞と事が多くなってから知った。

「大丈……夫」

 それでも霞は、不安げな由布子に言い聞かせるように告げた。

運転技術テクニックでは負けないから」

 麗華は最速屋ケレリタスになって、まだ日が浅いはずだった。運転は恐らく、昨日の真一の話から執事バトラーこと、御楯みたてあきらから教わったのだろう。

 その点は最初の霞と同じだ。

 だが、今の霞は毎日のように天道と走っている。そして、盗める技術モノは盗めるだけ盗んでいる。今や霞の運転技術テクニックは天道譲りと言っても良い。

 まだまだ未熟だが、それでも天道のように馬力差が大きな相手でも勝負できるようになってきていると自負していた。

「だから、大丈……夫」

 霞は繰り返した。

「本当?」

「本……当」

 席を立った霞は身体を前に出して、いつの間にか目に涙を浮かべていた由布子を抱きしめながら優しく言った。

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