3.辻斬り

 その日の夜から、霞のが始まった。

 とは言え、運転技術テクニックでは、既に教える事はほとんど無いと天道は思っていた。

 足りないとすれば、対戦バトルの経験だ。

 二人で走っている時は、対戦バトルを仕掛けれるといつも天道が対応していたからだ。

 無論、後ろからしているだけでも得るものはある。だが、実際に自分で対戦バトルすれば、その何倍も収穫がある。

 なので、霞には積極的に対戦バトルするように指示していた。

 幸い、今は例の最速屋ケレリタスグランプリGP開催のおかげでいつもよりも多くの最速屋ケレリタスが、箱根に集まっている。相手に困る事は無かった。

 対戦バトルでは、霞はほぼ負け無しだった。

 しかし、対戦結果リザルトを精査すると、まだ未熟な部分があると天道は感じていた。

 もっと余裕で勝てた相手にも思わぬ失敗ミスで苦戦したり、辛勝する事が度々あった。

「もっと精度を上げろ」

 天道はそこを指摘した。天道のように千分の数秒単位、千分の数ミリ単位で車を制御コントロールできるなら、小さな失敗ミスぐらいなら、文字通り目にも留まらぬ速さで帳消しリカバリー出来る。

 だが、霞はまだその領域までは達していない。ならば、必然的に失敗ミスそのものを減らすしか無い。あの精密機械アォトマトのように。

 特訓を開始して三日目。

 永峰峠から箱根スカイウェイへ入る辺りで、霞は後ろからパッシングを受けた。

「タカ……君」

 霞の声に、天道はサイドミラーで車種を確認した。

「ゲッ!」

 で、呻いた。

 ルームミラーに映っていたのは、黒いランボルギーニ・アヴェンタドールLP700-4だったからだ。乗っているのは、牛来ごらい紗理奈さりな。天道の師匠だ。

「どうする?」

 天道は霞に聞いた。

「降りても良いけど」

 紗理奈には未だに天道も勝てていない。霞なら瞬殺される可能性もある。

「や……る」

 だが、霞は闘志満々で答えた。

「オーケー」

 天道のゴーサインで、霞はハザードを短く点滅させる。それで対戦バトルがスタートした。

 高速コーナーを高速ドリフトで霞は駆け抜ける。それに対して紗理奈は四輪駆動4WDの特性でグリップ走行でクリアする。コーナリング速度は明らかに458の方が上だったが、それでもアヴェンタドールはテールトゥノーズで追走してくる。立ち上がりが速いのだ。四輪駆動4WDであることを最大限に生かした走法だ。

「ク……ッ!」

 霞は舌を巻いた。

「さすがは、タカ君の師……匠」

 そのまま二台は次々にコーナーをテールトゥノーズでクリアしていく。

「……!」

 後ろから圧力プレッシャーを掛けられ、霞は焦り始めていた。

「……」

 隣に乗る天道もそれに気付いていたが、敢えて口は挟まなかった。お手並み拝見といったところだ。

 箱根芦ノ湖展望公園を抜け、黒岳も抜ける。この先には箱根スカイウェイで最も急なヘアピンが迫っている。

 そこで紗理奈はアヴェンタドールをアウトに持ち出して、ブレーキング競争を仕掛けてきた。

「させな……い!」

 インを保持キープしながら、霞はブレーキを叩き踏んだ。ロック寸前でブレーキを抜きながら、パドルシフトの左側を手前にリズミカルに引いて、シフトダウンする。それからステアリングを勢いよく切る。そして、アクセルペダルを慎重に踏み込んだ。

 458はドリフト状態で、ヘアピンへと入った。

 それに対して紗理奈もまた、ブレーキングドリフトでコーナーへ突入する。

 458のノーズがコーナーの出口へ向く。そのタイミングで霞はアクセルをさらに開ける。

 だが、

「つ……ぅ!」

 その瞬間、458のリアタイヤが僅かに空転ホイルスピンしてテールが滑る。慌ててカウンターを当てて補正するが、おかげで立ち上がりの加速が鈍くなった。

 その隙を見逃さず、紗理奈は四輪にトラクションを掛けて、立ち上がりで並んだ。霞にブロックする間さえ与えない。

 6.5リッター、V型12気筒が唸りを上げて、458を抜き去る。

 それで勝負はついた。

 芦ノ湖スカイウェイに続く湖尻峠の分岐点で、紗理奈はアヴェンタドールをスローダウンさせた。それを見た霞も458をスローダウンさせた。

 二台が路肩に停まる。

 霞と天道が車から降りると、アヴェンタドールの左ドアが跳ね上がり紗理奈も降りた。

「タカも一緒だったのか」

 天道の姿を見た紗理奈は、意外そうに言った。

「エキシージはどうしたんだ?」

 その問いに天道は言葉を濁らした。

「……修理中だ」

「ほーっ」

 紗理奈は目を細めた。

つけたのか?」

「そんなところ」

「相手は、海王ネプチューンか?」

 そして、直ぐに原因を言い当てる。この前の会話を覚えていたのだ。

「……」

 天道は無言で頷いた。せっかく警告してくれてのに、この始末である。申し訳ない気持ちで一杯になった。

「そうか……空子は知ってるのか?」

 しかし、紗理奈は特に気にする様子も無く続けて質問する。

「言ってない」

 いくら相手が悪かったとは言え、を傷つけてしまったのである。反応が怖くて言い出せなかった。

「このことは、姉キには……」

「内緒にしておくよ」

 その気持ちを察して、紗理奈は苦笑いを浮かべた。

「ところで……」

 それから紗理奈は、並んで立つ天道と霞を見た。

「お前ら二人、つき合ってるのか?」

 突然の問いに、天道は言葉を詰まらせた。一瞬、誤魔化そうかという思いが頭を駆け抜ける。

「まぁ、な」

 だが、きっと無駄だろうと判断して、照れながら頷いた。

「そっか」

 それを聞いた紗理奈は嬉しそうに笑った。

「遂に、ウチのにも春が来たか」

 ニマニマする紗理奈に天道は居心地の悪さを感じた。

「そう言えばさ」

 なので、強引に話題を変える事にした。実はこれは完全に失策だったのだが、その時の天道は全く気付かなかった。

「紗理奈姉ぇのところにも来たのか?」

「例の最速屋ケレリタスグランプリGPの招待状か?」

「ああっ」

「来たぞ」

 天道の問いに紗理奈は頷いた。

「出るのか?」

 さらに聞く天道に、紗理奈は肩をすくめた。

「生憎、仕事なんだ」

「そうなのか……」

 天道は残念がった。もし紗理奈が出れば、間違いなく優勝候補だろう。

 そんな天道に、紗理奈は何故か悪戯っぽい笑顔を浮かべて言った。

「仕事が早く終われば出られるかも知れないけど、な」


 それ以降も霞のは続いた。

 より高精度に。より的確に。

 天道の指導リクエストに応えた霞は、見る見るうちに対戦バトルの経験値を積んで、レベルアップしていった。

 その仕上がり具合に、天道は満足していた。

「タカ……君」

 たが、霞はまだまだだと思っていた。

「なんだ?」

「アレ、教えて欲しい……の」

 なので、天道にお願いした。

「アレかぁ……」

 天道は躊躇した。はかなり難度が高い。天道でも完全に成功するのは半々ぐらいで、大抵は、目にも留まらぬ速さで修正リカバリーしているのでそう見えないだけだ。霞に教えても事故る危険性が増えるだけではないかと思えた。

「麗華お従姉ねえちゃんに勝つための奥の手が欲しい……の」

 考え込んでしまった天道に、霞は自分の決意を述べた。

「わかった」

 その熱意に天道は頷いた。


 そして、二週間が過ぎた。

 天道と霞は修理を終えたロータス・エキシージCUP260を受理しに、SolarWindソーラウインドを訪れていた。

「かすみちゃん、またきた!」

 喜ぶ姫子が早速霞の手を引く。

「じゃあ、ちょっと行ってくる……ね」

 天道に断ってから、霞は姫子と自宅の方へと向かった。

「こっちだよ」

 それを見送ってから、天道は拓美の案内でガレージへと向かった。

 そこには、懐かしの我が愛車――ではないのだが――が、以前と同じ姿で待っていた。

 一応、右フロントを確認すると、傷はすっかり元通りになっていた。

「全然、わからないなぁ」

「そうだね」

 天道がポツリと漏らすと、拓美は屈託の無い笑顔を浮かべた。

「フロントボディ、全部、カーボンファイバーCFRPで作り直したからね」

「えっ?」

 一瞬、天道は言葉の意味を理解できなかった。

「それって……えええっ!」

 だが、頭が追いつくと、思わず奇声を上げてしまった。

「あと、左右のドアパネルも、ね」

 それを愉快そうに見ながら、拓美は付け加えた。

「でも、俺、そんな金は……」

 カーボンファイバーCFRPには製法の違いによって二種類ある。

 ドライカーボンとウエットカーボンだ。

 このうち、ウエットカーボンは製法も簡単で比較的安いが、製法時にを使うドライカーボンは、高価なのだ。

 ちなみに競技用車両レーシングカーやスーパーカーに使われているカーボンファイバーCFRPは全てドライカーボンだ。

 当然、競技用車両製造会社レーシング・コンストラクターズであるSolarWindソーラウインドで扱っているのもドライカーボンである。

「大丈夫」

 蒼ざめる天道に、拓美は笑顔を作った。

カーボンファイバーCFRP化は、ウチが勝手にやった事だから、お代は最初に言っていた値段でいいよ」

 それを聞いて天道はホッと胸を撫で下ろした。しかし、疑問は残る。

「でも、どうして……?」

 なので、直接的ストレートに聞いてみた。

「君も出るんだろう?」

 拓美の答えは明確だった。

最速屋ケレリタスグランプリGP

 その問いに天道は頷いた。

「少しでも戦闘力アップに繋がればと思ってね」

 元々軽量なエキシージだが、フロントとドアのカーボンファイバーCFRP化で二十パーセント程度の軽量化がなされている。スーパーカーとしては非力なエキシージにとってはこれは大きい。

「なんでそこまで……?」

「まぁ、こっちにもいろいろあるんだよ」

 なお首を傾げる天道を拓美は笑顔ではぐらかした。

「あざーっす!」

 なので、煙に巻かれたような気分になりながらも、天道は感謝の言葉を述べた。

「あっと、それから……」

 そこで思い出したように、拓美は告げた。

「桜子さんが言ってたけど、エンジンから微かに異音がしてるらしい」

 それは天道も気付いていた。少し前からカンカン、キンキンと異音が混じるようになっていたのだ。

「だいぶエンジンも劣化してるみたいだから、どこかで分解整備オーバーホールした方が良いかもしれないね」

 エンジンの分解整備オーバーホールとなると、かなりの金額になる。なので、普通なら躊躇するところだが、天道にはがあった。

「もし、最速屋ケレリタスグランプリGPに勝てたら、考えるよ」

 優勝賞金は一億円だ。それが手に入れば、姉からエキシージを買い取る事も出来るし、エンジンの分解整備オーバーホールの金も捻出できる。

「もし、とか……優勝候補だって聞いたよ?」

 笑顔を崩さず、拓美は言った。

「買いかぶりすぎだよ」

 天道は頭を掻いて応えた。これは謙遜などでは無い。相手はみな一流の最速屋ケレリタスばかりという話だ。油断は大敵なのだ。

「まぁ、せっかくウチで整備してる車がも出るんだから、期待してるよ」

「あざーっす」

 拓美の激励に、天道は改めて頭を下げた。

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