1.貴婦人《プリンチペッサ》

「これはまた……派手にやったね」

 SolarWindソーラウインドの駐車場に置かれたロータス・エキシージCUP260の右フロントを見て、遠山とうやま拓美たくみは苦笑いをした。

対戦バトル中にやったのかい?」

 拓美の問いに、蓮實はすみ天道たかみちは、顔を顰めた。

「ちょっと相手だったんだ」

「なるほど」

 それで全てを察したのか拓美は、エキシージの周りをグルッと一回りした。

「左のドアも傷ついてるけど、これも直すかい?」

 天道は頷いた。そっちの傷は時にバンパーが当たったもので、たいしたダメージでは無かったが、痕跡はできるだけ消しておきたい。この車の本当の所有者である姉の蓮實はすみ空子くうこにバレないように。

「修理には、そうだな……大体、二週間ぐらいかかるけど、大丈夫?」

「大丈夫」

 二週間も走れにのはちょっと憂鬱だが、これは仕方ない。

「修理費用はだいたい……」

 と、拓美は料金を提示した。

「!?」

 それを聞いた天道は、ゲッとなった。タイヤ交換、半年点検と続いて、この出費である。幸い、いつかエキシージを姉から買い取ろうと思って貯めていた貯金があるので支払いは出来るが、財政的には大打撃だ。

 拓美にイモビライザーを渡して、天道は事務所の方へと向かった。

 そこでは……、

「けん! ぱっ! けん! ぱっ! けん! けん! ぱっ!」

「ケン! パッ! ケン! パッ! ケン! ケン! パ……ッ!」

 司馬しばかすみ遠山とうやま姫子ひめこが、アスファルトに置かれたリングの群れを楽しそうに飛んでいた。

 けんぱ遊びだ。

「あっ、タカ……君」

 近づいて生きた天道に霞は笑顔を零した。

「楽しそうだな」

「うん、楽しい……よ。ねっ?」

「ねぇ!」

 霞と姫子は目を合わせて頷きあった。

「ヒメちゃんは、わたしの知らない遊び、沢山知ってるから楽し……い」

 お嬢様育ちの霞は、一般庶民が子供の頃に体験する遊びの数々をほとんど知らずに育った。なので、姫子が教えてくれる遊びはどれも新鮮で、自分の年齢を忘れてしまうほどに夢中になれた。

「タカ君は、もう終わった……の?」

「ああっ」

 それを聞いた姫子が、シュンとなった。

「かすみちゃん、もうかえっちゃうの?」

「えーっ……と……」

 困った霞は天道を見た。

「もう少しだけなら、待っててもいいぜ」

 その意図を察して、天道は意識して優しそうな笑みを浮かべて言った。

「やたー!」

 姫子は両手を挙げて喜んだ。

「じゃあ、たかくんもいっしょにやろう!」

 それから天道の手を引っ張る。

「俺も?」

 自分に矛先が向くとは思ってなかった天道が、目を見開いた。

「や……ろ」

 と、霞も天道にする。

「しゃーねぇな」

 苦笑いを浮かべながら、天道も遊びに加わった。


 結局、けんぱ遊びは、姫子が疲れて眠くなるまで続いた。

 遠山とうやま桜子さくらこが、スヤスヤと眠むる姫子を抱きかかえて、自宅兼寮であるマンションに帰るのを見送ってから、天道と霞は、フェラーリ・458イタリアへ乗り込んだ。運転は霞が、天道はサイドシートだ。

 SolarWindソーラウインドを出て、横浜町田インターチェンジICから、東名に乗り下りを走る。

 途中、海老名サービスエリアSAで遅い昼食を取ってから、再び御厨インターチェンジICを目指した。

 特に飛ばさず、流れに乗って走っていたのだが……、

「パッシング、されて……る」

 ルームミラーを見た霞が、不意に告げた。

 その言葉に、天道はサイドミラーをのぞき込んだ。

 すると、60年代後半のスポーツプロトタイプを思わせる流れるようなボディラインをした美しい車が目に入った。

「ラ・フェラーリ……?」

 それは紛れもなく、フェラーリの特別仕様車スペチアーレ、フェラーリ・ラ・フェラーリだった。

 色は赤。ナンバーは足立。

「受けて良……い?」

 少し遠慮がちに、霞は天道に尋ねた。

「いいぜ」

 天道は即答した。

 馬力パワー的には458が578馬力psに対して、ラ・フェラーリは、6.2リッターV型12気筒から絞り出す馬力パワーは実に800馬力ps。それにプラスして、搭載された運動エネルギーKE回生システムRSからの163馬力psが加わり、合計で963馬力psを発生する。直線なら、敵わないだろう。

 だが、今はちょうど大井松田インターチェンジICを過ぎたところだ。ここから先は高速コーナーが続く。これならば、勝負になると天道はのだ。

 霞は短くハザードを点灯させた。そして、アクセルペダルをグイッと踏み込む。458が一気に加速を始める。

 それに合わすようにラ・フェラーリも加速を開始した。

 緩やかに曲がる高速コーナーをアクセルオフだけで荷重移動を誘って、霞は458をドリフト状態に持っていった。

 それに対してラ・フェラーリは、グリップ走行でコーナーを駆け抜ける。

(やはりこの速度だとか)

 その様子をサイドミラー越しに見て、天道は思った。

 速度が上がれば、それだけ、滑り出してから限界を超えるまでの時間も短くなる。千分の数秒、千分の数ミリで車の状態を把握できる天道なら別だが、普通の人にはこの速度で滑らすのはかなり勇気がいるのだ。

 だが、霞はそれをやってのけている。以前、首都高速で天道が指摘したとおり、霞もまた一秒の感覚が長いのだ。

 458の性能もそれを助けている。コーナリングマシンと呼ばれたフェラーリ・458イタリアの足回りは、霞に直接的ダイレクトに車の状態を伝え、ハンドルさばきに応えているのだ。

 曲がりくねった高速コーナーを、霞は高速ドリフトで次々にクリアしていく。

 ラ・フェラーリもそれに続くが、コーナリング速度の差は歴然としていて徐々に差が開いていく。

 たまに現れる短い直線で挽回するも、直ぐにコーナーで離されてしまう。

 そのまま足柄サービスエリアSA手前まで来る。ここから御厨インターチェンジICまでは、ほぼ直線だ。

 ラ・フェラーリはここぞとばかりにV12気筒が唸りを上げて、一気に差を詰める。

 それをルームミラーで確認した霞は、進路を妨害ブロックしようとハンドルを操作する。

 だが、それに合わせるようにラ・フェラーリも進路を変える。

 蛇行しながら二台は、直線を駆け抜ける。

「ク……ッ」

 だが、それも限界だった。馬力差でラ・フェラーリが右へと並ぶ。

「女……?」

 天道が右を向くと、ラ・フェラーリのドライバーがチラッと見えた。それも一瞬で、そのまま963馬力psに物を言わせて、ラ・フェラーリは458を抜き去る。

「負けちゃっ……た」

 既に御厨インターチェンジICが近かったので、霞はそれ以上対戦バトルしようとはしなかった。

「車の性能が違いすぎるから、しゃーない」

「でも、タカ君なら負けなかったでし……ょ?」

 天道は慰めたが、逆に霞から聞き返されてしまう。

「どうだろうな……」

 腕を組んで天道は考え込んだ。コーナーでは引き離せても、結局、直線では負けてしまうかも知れない。さすがにコースとの相性が悪すぎる。

 そうしているうちに、御厨インターチェンジICに到着した。

 霞はウインカーを左にとして、出口を降りる。

「ん……?」

 すると、先ほどのラ・フェラーリが、ハザードを出して路肩に停まっていた。

「待って……た?」

「みたいだな」

 霞の問いに天道は頷いた。それで霞は、ハザードを出すとラ・フェラーリの後ろに停まる。

 天道と霞は、458を降りた。すると、ラ・フェラーリの左ドアが跳ね上がった。中からドライバーが出てくる。

 ウェーブ掛かった背中まである髪を明るい茶色に染めて、パッチリとした黒目がちの瞳。ほっそりとした輪郭にプックリとした唇の美女だった。

 その顔を見た途端、霞は目を大きく見開いた。

「麗華お従姉ねえちゃ……ん!!」

「久しぶりね、霞」

 驚く霞に、司馬しば麗華れいかは薄笑いを浮かべた。

「知り合いか?」

 天道が聞くと、霞は強張った顔で答えた。

「従姉……妹」

(ってことは、コイツが……)

 霞の代わりに司馬ホールディングスの次期代表取締役CEOに指名された奴か思う。

「どうして、麗華お従姉ねえちゃんが、スーパーカー……に?」

 震える声で霞は言った。

「わたしも最速屋ケレリタスになったのよ」

 それはほとんど独り言に近かったが、麗華はきちんと応えた。

最速屋ケレリタスの間では、貴婦人プリンチペッサと呼ばれてるわ」

 それで天道は紗理奈から聞いた話を思い出した。最近、首都高を中心にラ・フェラーリがいる事を。

「そんなことより……」

 まだ困惑している霞を無視して、麗華は本題を切り出した。

「今日は、霞を迎えに来たのよ」

「迎え……に?」

 ますます困惑しながら、霞は首を傾げた。

「ホールディングスに戻って、わたしの片腕になりなさい」

 そんな霞に麗華は、断言するような口調で言った。

「え……っ?」

 突然の言葉に、霞の困惑は極限に達した。話の流れに頭がついていかない。そんな感じだった。

「もちろん、その彼とは別れて、ね」

 それを無視して麗華は話を続けた。

「相手なら、わたしが相応しい男性ひとを宛がってあげるから」

 そこでようやく霞は理解が追いついた。

「今更、勝手な事……を!」

 怒りを露わにした霞は、麗華を睨みつけた。

「ホールディングスに戻るつもりはないし、タカ君と別れるつもりも無……い!」

 そして、キッパリと言い切る。

「幸恵叔母様との約束を守れるのよ?」

 だが、そんな霞の態度にはお構いなしで麗華は誘惑してくる。

「それ……は……」

 霞は一瞬、言葉に詰まった。瞳が揺れる。

「それでも、やっぱり戻らな……い!」

 迷いを振り切るように、霞は強い言葉を発した。

「そう……」

 そんな霞の態度に麗華は落胆したような表情をした。

「でも、わたしも簡単には諦められないわ」

 肩をすくめて霞を見詰める。

「ならば、最速屋ケレリタス同士、対戦バトルで勝負しましょう」

 それから麗華は、提案した。

「わたしが勝ったら、ホールディングスに戻る、負けたら諦める、というのはどう?」

「いい……よ」

 霞は即答した。

「おいっ!」

 だが、それまで黙って見守っていた天道が慌てた。458とラ・フェラーリでは性能の差がありすぎると思ったからだ。主戦場ホームの芦ノ湖スカイウェイなら恐らく負けないだろう。しかし、首都高ならラ・フェラーリの方に分がある。

「なんなら、そっちの彼でもいいわよ?」

 麗華は余裕に笑みを浮かべた。

「そうしたいけど、今、俺の車は修理中だ」

「知ってるわ」

 天道の言葉に、麗華は当然と言わんばかりに応えた。

「別に今すぐとは言わないわ」

 言いながら、麗華はポケットから二通の封筒を取り出した。

「それ相応の舞台を用意するから」

 そして、封筒を天道と霞に投げ渡した。

 封筒に、最速屋ケレリタスグランプリGP招待状と書かれていた。

最速屋ケレリタスグランプリGP?」

 怪訝そうな天道に対して、霞は黙って封を切った。

 中には、招待状とコース図、それにICカードが入っていた。

「コースは……」

 続いて封を切った天道はまず、コース図を確認した。

 コースは、御厨バイパスをスタートして、早乙女峠、永峰峠を抜けて、箱根スカイウェイに入り、芦ノ湖スカイウェイから県道を通り、伊豆スカイウェイでゴールする、となっていた。

(これなら……)

 エキシージでも充分勝負なる、と天道は

 それから招待状を見た。

 主催は司馬ホールディングスと堂々と書かれていて、開催日は、十一月半ばの土曜日。スタートは深夜零時と記されていた。

「賞金も出るのか……ん!?」

 何気に書かれた賞金額を見て、天道は目を疑った。

「優勝者には、一億……!?」

「たいした額じゃ無いわ」

 驚く天道に、麗華はサラッと言ってのけた。

 だが、よくよく考えてみれば、最速屋ケレリタスは皆、一台数千万円もするスーパーカーを愛車にしている上流階級セレブなのだ。これぐらいは、麗華の言うとおりたいした金額では無いのかも知れない。

「そこで、決着をつけましょう」

 麗華は余裕の笑みを浮かべながら言った。

「おうっ!」

「わかっ……た」

 その言葉に、天道と霞は麗華を睨みながら頷いた。

「じゃあ、わたしは練習走行があるんで失礼するわね」

 そう言い残して、麗華はラ・フェラーリに乗り込んだ。そして、豪快なパワーターンを決めると、箱根方面へと走り去った。

(とんでもないことになったな……)

 それを見送ってから、天道はどうしたものかと思案した。

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