2.首都高の最速屋《ケレリタス》達

「タイヤの皮むきもしたいから、少し遠回りするか」

 SolarソーラーWindウインドを出た天道は、国道246号を抜けて、国道16号へと入った。

 本来ならここからもう一度東名に入って、東京に向かうのが近道だが、直線ばかりのコースでは、皮むきも時間が掛かる。

 なので、天道はそのまま保土ヶ谷バイパスを経由して横浜新道を抜け、首都高三ツ沢線K2に入るルートを選んだ。

「少し当たりが出てきたかな」

 ステアリングを左右に揺らしながら、天道は言った。それに合わせてエキシージがまるで左右に動くように機敏に蛇行する。

 速度はあまり出していない。一般車両もいる夕方の首都高だ。流れに乗って走っていた。

 なのだが……、

「パッシング?」

 ちょうど金港ジャンクションJCTを抜けて横羽線K1に入ったところで、サイドミラーが光ったのを見て、天道は目を凝らした。

 そこに写っていたのは、赤いポルシェ・911ターボS。ナンバーは練馬。ドライバーは、

精密機械アォトマト?」

 馬淵まぶち清海きよみだった。隣には妹の馬淵まぶち絵奈えなも乗っている。

 絵奈はサイドシートで腕を振り上げて、姉を煽っていた。

「少し飛ばすぞ」

 それを見た天道は、視線は正面に移した。

「う……ん」

 霞はコクッと頷いた。

 ハザードを短く出す。続いてシフトダウンした天道は、アクセルペダルをグッと踏み込んだ。

 エキシージが一気に加速する。遅れまいと911ターボもついて行く。

 直ぐに一般車両が目の前に迫る。天道はクイックなハンドリングで的確にパスしていく。

「上手いな」

 エキシージを追いかけながら、清海は感嘆した。

「なに褒めてるの!? 置いてかれちゃうよ!!」

 絵奈が檄を飛ばす。

「わかっている」

 熱くなった妹に冷静に応えながら、清海も左右にステアリングを操作して、次々に一般車両をパスしていく。

 すると、生麦ジャンクションJCTを過ぎた辺りから、一般車両が少なくなっていった。

 進路がクリアになり、清海はアクセルを一気に踏み込む。

 リアに積まれた水平対向6気筒ストレート6が爆発的に稼働し、911ターボを一気に加速させる。

 先行していたエキシージとの差がグイグイと縮まっていく。もう少しでテールトゥノーズになろうかという時、清海はアクセルを緩めてブレーキペダルを踏んだ。

 コーナーが迫っていたからだ。

 だが、エキシージは僅かにアクセルを戻し加重を前に乗せ、コーナーへと侵入していく。フロントをアウトに流しながらリアもアウトに流して車体ボディをコーナーの出口へと向ける。

 ドリフト走行だ。

 さらにその先の左コーナーでもエキシージはほとんど減速せずに、ドリフトで駆け抜けていく。

「路面の悪い首都高で、ドリフトを決めるとは」

 わかってはいたが、清海は唸った。こんな芸当ができるのは清海の記憶でも一人しかいない。

 天道は千分の数秒単位で変わるコースの状況を千分の数ミリ単位で察知して、ステアリングをアクセルと制御コントロールしていた。

「タカ君、凄……い」

 初めて天道の全開の走りを目の当たりにした霞は、驚きの声を発した。

 サイドシートに乗っていても、路面が悪い事はわかる。それを全く感じさせないように天道はドリフトをいとも簡単に決めているのだ。

「そうかい?」

 しかし、当の本人は特に気にする事も無く、次々に迫る高速コーナーをドリフトでクリアしていく。まるでそれが当たり前のように。

 一方、911ターボはセオリー通り、グリップ走行でコーナーを回っているため、徐々に遅れだしていた。直線では馬力パワーに任せて、差を詰めるがコーナーでは逆に差が開いてしまう。

「このままじゃ、負けちゃうよ!」

 絵奈が発破を掛ける。

「わかっている」

 のだが、清海は既に打つ手を無くしていた。

 大師ジャンクションJCTを抜け、右の高速コーナーをエキシージは高速ドリフトで駆け抜ける。

「やはり速い」

 そんなエキシージの姿に清海は溜息をついた。

 多摩川橋の直線では差を詰めるが、その先の左、右と続く高速コーナーではまた差を広げられる。

 首都高羽田線高速1号へと入る。

 一般車両がいないのを良い事に、天道は右の高速コーナーを道幅一杯に使ってドリフトでクリアする。

「タカ君、首都高走った事ある……の?」

 あまりに的確にベストラインに乗せてる事に、霞は疑問に思った。

「いや、自分で走るのは今日が初めて」

 続く直線で911ターボが差を詰めている事をサイドミラーで確認しながら天道は平然と言った。

「紗理奈姉ぇの隣に乗ってなら、何回か走った事あるけど」

 迫るやや急な左コーナーも、適切なブレーキングとステアリングワークでドリフトに持ち込みながら、しっかりと最速のラインに乗せた。

 海上保安庁羽田特殊救難基地に駐まるボンバル300MA725を横目で見ながら、コーナーを立ち上がる。

 そのまま緩やかに左に曲がる海底トンネルを滑らせながら潜る。

 昭和島ジャンクションJCTを抜ければ、は目の前だ。

 その前に長い直線があるが、オービスがあるので飛ばす事ができない。事実、天道はカメラの手前で急ブレーキを掛けて減速した。清海も倣って減速する。

 結局、平和島の料金所まで911ターボがエキシージに追いつく事は無かった。

 料金所を出た天道は、そのまま平和島パーキングエリアPAへと入った。清海もそれに続く。

 二台は並んで駐車場に止まると、天道と霞、清海と絵奈はそれぞれ愛車から降りた。

「久しぶりだな」

「おうっ」

 清海の挨拶に天道は応えた。

「霞も乗ってたんだ」

 絵奈は少し驚いたように言った。リアウインドウの無いエキシージでは、後ろからは車内ドライビングルームを確認できないのだ。

「絵奈ちゃん、ちゃんとお姉さんの隣に乗せてもらってるんだね」

「うん、姉さんの隣、最高サイコー!」

 霞の問いに絵奈はご満悦だった。

「でも、悔しいなぁ」

 しかし、直ぐに顔を曇らせる。

「このところ連戦連勝だったのに」

「そうだな……連勝記録もストップしてしまった」

「相手が悪い」

 清海の言葉に天道は胸を張った。

「自分で言うな!」

 すかさず絵奈が突っ込む。

 場がドッと沸いた。

ずっと負け無しだったのか?」

 天道の疑問に清海は首を横に振った。

「いや。八月の上旬に一度だけ負けてる」

「どんなヤツだ?」

「マクラーレン・セナだ」

 その単語ことばに天道は驚愕した。

「そんな化け物モンスターまで、いるのか」

 それから、ニヤリと笑った。

「これは夜が楽しくなりそうだ」

「もしかして、しばらく東京こっちにいるつもりか?」

「用事次第だけど、二、三日はいるつもりだ」

 その答えに清海は目を見張った。

「なら、注意した方が良い」

 そして、忠告する。

「首都高にはエキシージをつけ狙う連中が沢山いるからな」

「え……っ?」

 理由がわからず、霞は首を傾げた。

コーナーの魔法使いウィザードの名は、首都高まで轟いているということだ」

 それで霞はようやく合点がいった顔をする。

(それに、そのエキシージは……)

 自分の愛車の隣で佇む白い車体ボディを感慨深げに見ながら、清海は思った。


 平和島パーキングエリアPAを出た二台は、さっきまでが嘘のように一般車両で溢れかえった首都高を、流れに乗って浜崎橋ジャンクションJCTまで来る。

 そこで清海と別れ、天道は都心環状線C1へと入る。そして、谷町ジャンクションJCTから渋谷線高速3号に抜けた。

 高樹町の出口で首都高を降り、一般道へ出る。

「こっちでいいのか?」

 サイドシートで携帯電話スマホとにらめっこしている霞に、天道は聞いた。

「うん、そのまま真っ直……ぐ」

 しばらく走っていると、車と人で溢れかえった場所へと近づいた。

 渋谷駅だ。

 そのまま駅前通りを通り過ぎる。

「あっ、そ……こ」

「えっ?」

 霞が指さした方を見て、天道は一瞬、目を疑った。いかにも高級そうなホテルがそびえ立っていたからだ。

 建物には【カイガシ渋谷ホテル】と看板が掲げてあった。

「本当にここでいいのか?」

「う……ん」

 若干びびり気味の天道に霞はコクッと頷いた。

 それでも少し遠慮気味にホテルの地下駐車場へと入る。

「どこに停めてもいいのか?」

「う……ん」

 またもやコクッと頷いた霞に、天道は空いているスペースにエキシージを停める。

 外に出た天道と霞は、トランクから荷物を取り出すと、エレベーターホールに向かった。

「俺、こんな格好で大丈夫か?」

 その途中で、Tシャツにジーパン姿の天道は、身なりを気にした。

「平気。わたしも普段着だか……ら」

 そう言う霞は白の半袖ブラウスにベージュにチェック柄の肩ロゴ入りジャンパースカートを着ていた。右腕には蒼のリストバンドをしている。

 エレベーターで一階へと上がる。

 霞は迷わずフロントへと向かった。天道はついては行かず、遠巻きに手続きをする霞を眺めていた。

 すると、

「タカ……君」

 振り返った霞が天道を呼んだ。

「駐車券、持って……る?」

「あるぞ」

 ジーンズのポケットから財布を取り出すと中から駐車券を引き抜き、霞に渡す。

 霞はそれをフロントの従業員に手渡した。従業員が何やら処理をする。

「部屋のキーカードと連動するんだっ……て」

 疑問が顔に出ていたのか、霞がソッと教えてくれた。

「そうすると、キーカードで駐車場に二十四時間自由に出入りできるんだっ……て」

「それは便利そうだな」

 元々、夜は走りに行くつもりだったので、このシステムはありがたい。

 フロントでの手続きが終わり、従業員ベルアテンダントが荷物を預かろうとする。霞はそれを断って、部屋への案内だけを頼んだ。

 再び、エレベーターに乗る。

(おい、おい)

 エレベーターはどんどん上昇して行くのを見て天道は内心焦った。

(まさか……)

 その予感は的中して、エレベーターは最上階の一つ下の階で止まった。

 エレベーターを降りて、部屋へと向かう。

 そこは、スィートルームだった。

 従業員ベルアテンダントが下がり、霞は平然と部屋に入った。

(高校生が泊まっていい部屋じゃねぇよ……)

 しかし、天道は恐る恐る部屋に入る。

「こんな高そうな部屋……いいのか?」

 天道の問いに、霞はコクッと頷いた。

「わたしがタカ君と過ごしたかったか……ら」

 それから潤んだ瞳で天道を見詰める。

「駄……目?」

「駄目じゃ無い」

 天道は霞を抱きしめた。霞がソッと唇を突き出し目を閉じる。そこに天道の唇が重なろうとした時、

”ぎゅる~~るっ”

 天道のお腹が鳴った。

「先に飯にするか?」

 気まずそうに天道が提案する。

「そうだ……ね」

 霞は笑みを浮かべて、それに応えた。


 レストランは最上階にあった。

 これも嫌な予感がしたのだが、夕食ディナーはコースだった。

 天道は幼い頃に両親に叩き込まれたテーブルマーナーを思い出しながらも、ぎこちなく食事する。

 それに対して霞は、慣れた仕草で次々に出される料理を食した。

 改めて、霞の育ちの良さを天道は感じた。

 夕食ディナーを終えて、部屋に戻るとシャワーを浴びる。それから二人は、ベットでと過ごした。

 そうしているうちに時計は夜の十時を回っていた。

 ベットを降りた天道は、服を着て走りに行く準備をする。

「一緒に行くか?」

 まだベットの上にいた霞に聞く。

「う……ん」

 霞はコクッと頷くと、ベットを降りて服を着始めた。

 準備を整えた二人は部屋を出ると、エレベーターで地下駐車場まで降りる。

 エキシージに乗り込んだ天道と霞は、地下駐車場を出ると一般道から高樹町の入り口を目指した。

 そこから首都高渋谷線高速3号に乗ると、谷町ジャンクションJCTから都心環状線C1外回りへと入る。

 深夜にはまだ早い時間なので、一般車両もそれなりに走っていた。それを次々にパスしながら天道はエキシージを飛ばした。

「……ん?」

 すると、千代田トンネルを過ぎた辺りでサイドミラーが光ったの感じた。

 ミラーに目を凝らすと、フォード・GTがパッシングしているのが見えた。

 フォード・GT40を模した初代モデルで、色はスカイブルー車体ボディのセンターにオレンジの線――ガルフ・オイルカラー。ナンバーは足立。

「上等!」

 直ぐに天道はハザードを短く出すと、対戦バトルを受ける意思を示す。

 二台は、一般車両をかわしながら、千代田トンネルを爆音を轟かせて走る。

 トンネル出口手前の中速コーナーでエキシージはドリフトを決める。

 それに対してGTはグリップ走行でクリアしたため、遅れをとる。

 北の丸トンネルを抜け、竹橋ジャンクションJCTの高速コーナーを高速ドリフトで駆け抜けるエキシージ。そのコーナリング速度について行けないGTとの差がさらに広がる。

 その辺りから、一般車両が少なくなってきた。

「なんだ……?」

 それを不審に思いながらも、天道はここぞばかりにコース幅を目一杯使ってドリフトを炸裂させる。

 コーナーをクリアするごとに、GTとの差がじわじわと広がっていく。

都心環状線外回りここも、今日が初め……て?」

 目まぐるしく変わる景色を見ながら、霞は聞いた。

「自分で走るのは、な」

 江戸橋ジャンクションJCTのヘアピンで、エキシージをドリフトに持ち込みながら、天道は答えた。

「よく、数回で覚えられる……ね」

「死にたくなければ地形は一発で覚えろって、親父に叩き込まれたからな」

 それはまだ天道がだった時の事だが、幼い頃の教えは今も生きているのだ。

 とは言え、天道もコースを正確に覚えている訳では無い。頭の中に蓄積された今まで走ってきたコースと照らし合わせ、似たコースを選んで当てはめ走っているのだ。

 コースを走り込んで覚える、というのは、実は日本的考え方なのだ。

 モータースポーツの世界、特にヨーロッパでは1シリーズに数多くのサーキットを転戦する。一年に一回しか走らないサーキットも多い。それを数時間走っただけでベストラインを見つけ出さなければならない。

 そのために必要な能力が、コースを当てはめるという技術スキルなのだ。

 江戸橋ジャンクションJCTを過ぎ、下りの直線に入る。そこでGTは558馬力psを生かして、差を詰めてくる。

「追いつけるかよ!」

 しかし、京橋ジャンクションJCT先の連続する高速コーナーでまたもや差が広がった。

 汐留ジャンクションJCT中速コーナーで差はさらに広がり、浜崎橋ジャンクションJCTの直角コーナーで、とうとうGTは見えなくなった。

「こんなもんだろう」

 唇に笑みを浮かべた天道は、アクセルを緩めた。首都高二戦目、都心環状線C1デビュー戦としては上出来だろう。

「今晩は、これで帰るか」

「う……ん」

 満足げな天道に、霞はコクッと頷いた。

 谷町ジャンクションJCTから渋谷線高速3号に戻る。

「ん?」

 すると、天道はサイドミラーにGTの姿を見つけた。

 高樹町の出口で首都高を降りるのに合わせて、GTもウインカーを出す。

 それを見た天道は、スロープを降りるとエキシージを路肩に停めた。直ぐ後ろにGTも停まる。

 GTの左ドアが開いて、中からドライバーが出てきた。

 年の頃なら三十代半ば、黒髪を角刈りにして、ゴツい顔つきに鋭い目つきをした強面でガッチリとした体格の巨漢だった。

 天道と霞もエキシージから降りる。

 近づいてきたGTのドライバーは、堅苦しい口調で挨拶した。

「自分は保戸ほと健太郎けんたろう最速屋ケレリタスの間では警備員ガーディアンと呼ばれている」

 それから、天道に尋ねる。

「君が、コーナーの魔法使いウィザードだね?」

「そうだ」

 天道は頷いた。

「噂通りだな。まさに白翼の天使ホワイトエンジェルの再来だ」

 健太郎は褒め称えたが、天道はその単語ことばに顔を顰めた。隣の霞はわからないような顔をしている。

「こっちにはどうして?」

 そんな天道を気にする様子も無く健太郎は続けた。

「いろいろ用事があってね」

「しばらくいるのか?」

「二、三日はいるつもりだ」

 と、天道は夕方、清海に答えたの同じ返事をする。

「だったら、再戦の機会もあるかもしれない」

 健太郎は瞳に闘志を燃やして宣言した。

「その時は、今夜の借りは返させてもらうぞ」

「おうっ!」

 天道も威勢良く応える。

 そして、健太郎はGTに戻ると、その場から走り去った。

「俺たちも帰るか」

「う……ん」

 天道と霞もエキシージの乗り込み、ホテルへと向かう。

「タカ……君」

「ん?」

 その途中で霞は、聞いた。

白翼の天使ホワイトエンジェルって……誰?」

 その問いに天道は再び顔を顰めた。

「その話は……あまりしたくないな」

 それから口を濁す。

「そ……う……」

 なので、霞はそれ以上は聞けなかった。

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