1.東へ《GO EAST》

整備メンテに出した事が無い?」

 Tシャツを着ながら、蓮實はすみ天道たかみちは驚きの声を上げた。

「う……ん」

 その反応リアクションに、司馬しばかすみはブラを留めるため背中に回した手を止めて頷いた。

 夏休みもあと僅かになった八月の下旬のことだ。

 場所は蓮實邸の天道の部屋。

 夏休み中、昼間はズッとバイトのシフト入れていた天道は、夕方に霞が家を訪れ、夜、エリアに向かうのが日課になっていた。

「それはマズイな……」

「そうな……の?」

 神妙な顔になった天道に、霞は不安げに聞いた。何か大変な事をしてしまった。そう思ったのだ。

「スーパーカーは精密機械だからな。普通は整備無しメンテナスフリーでは動かないのさ」

 乗用車の場合は、整備メンテを何年もしない人を見かけるが、スーパーカーはそうはいかない。天道も半年に一度は必ず整備メンテに出している。

「直ぐに整備メンテに出した方が良い」

 天道は力説した。

「でも……どこに出したらいい……の?」

 しかし、霞は戸惑った。まだ、日が浅いので、このへんの知識には疎いのだ。

「普通はディーラーだけど……」

 腕を組んで天道は思案した。

「俺が整備メンテしてもらってるガレージに頼んでみるか?」

 霞はコクッと頷いた。

 早速、天道は机の上に放り出してあった携帯電話ガラケーを持つと、開いて電話帳から目的の人物を選ぶ。

「出るかな?」

 数回、コールして電話は繋がった。

『タカか? どうした?』

 声の主は牛来ごらい紗理奈さりなだった。

「紗理奈姉ぇ、今、大丈夫?」

『ちょうど撮影の待ち時間だから、大丈夫だぞ』

 その答えに天道はホッとした。相手は売れっ子グラビアアイドルだから、本来ならば捕まえるのも難しいのだ。

蒼ざめた馬ペイルホース、覚えてる?」

 なので時間も限られる。天道は直ちに本題に入った。

『あの458のドライバーか。覚えているぞ。この前の伊豆にもいたな』

 因みに、霞と恋人同士になったことは、紗理奈にも話していない。経由で空子の耳に入る事を恐れたからだ。

「その458なんだけど、一度も整備メンテに出した事が無いみたいなんだ」

『なんだって?』

 電話先越しでも紗理奈が驚愕しているのがわかった。

「それで、遠山さんのところに頼めないか聞いて欲しいんだけど」

『なるほど……事情はわかった。こっちから連絡してみるよ』

 天道のお願いに、紗理奈は即答した。

『じゃあ、一端切るぞ』

「おうっ」

 それで通話は終わった。

「なんでSarinaサリナに頼む……の?」

 いつもの赤いジャージを着終えた霞が首を傾げる。

「ちょっと変わったガレージでね。紗理奈姉ぇのコネが無いと見てもらえないんだ」

 天道は説明したが、霞はわからないような顔をした。

 それから、待つ事数分。

”ブォーン!”

 携帯電話ガラケーがランボルギーニV12のエキゾーストノートを轟かせた。着信相手は紗理奈だった。

「紗理奈姉ぇ?」

『タカか。遠山さんからOK貰ったぞ』

「ありがとう! 紗理奈姉ぇ!!」

『ただし!』

 喜びの声を上げた天道に、紗理奈は釘を刺した。

整備していないノーメンテのフェラーリなら、数日預かりになるとのことだ』

「数日預かりになるらしいけど、大丈夫か?」

 電話を中断して、天道は霞に聞いた。

「大丈……夫」

 その問いに霞はコクッと頷く。

「大丈夫だって」

『なら、詳しい日程は直接電話して打ち合わせてくれ』

「了解」

 それで通話は終わった。

「さて、どうするか」

 再び腕を組んで、天道は思案した。

「俺がエキシージで付き添って、458を預けた後、カスミを乗せて帰るか……」

「そのガレージって、どこにある……の?」

 天道の独り言に近い呟きに霞は聞いた。

「横浜」

「それなら、行きたいところがある……の」

「行きたいところ?」

 その言葉に、天道は首を傾げた。

「どこ?」

「東京の青山霊園」

 霞は少し遠慮がちに応える。

「お母さんの命日が近いから、お墓参りがした……い」

 天道は、ああっという顔をした。霞も幼い頃に母を亡くしているという話を以前、本人から聞いていたからだ。

「なら、ついでに東京まで足を伸ばすか」

 横浜から東京ならそれほど距離も無い。問題ないだろう。

「じゃあ、車の整備メンテが終わるまで、一緒にホテルに泊まろ……う?」

「えっ?」

 だが、次の提案にはさすがに天道も躊躇した。

「ホテル代なら、出す……よ?」

 それが意外だった霞は、とりあえず一番心配するだろうと思われる事を言った。

「いや……それはどうでもいいんだけど……」

 本当は良くないのだが、今はそれより気になる事があった。

「実家に帰らなくていいのか?」

「い……い」

 霞は首を横に振った。

「あそこにはもう、わたしの居場所はないか……ら」

「そっか……」

 そんな霞が少し寂しげに見えて、天道もしんみりとなった。しかし、直ぐに気を取り直すと、

「いいぜ。一度、首都高を攻めてみたいと思ってたんだ」

 と言った。

「うん……ありがとう、タカ……君」

 霞は嬉しそうに笑った。

(そうなると、あとは……)

 その笑みに癒やされながらも、天道は三度みたび思案した。


「またぁ?」

 天道のバイト先であるファミレスの店長室で、日之出ひのでゆうひは、いつものほんわか笑顔を曇らせた。

 天道がバイトを数日休みたいと申し出たからだ。

「七月の終わりにも一週間、休んだわよね?」

「その後は毎日シフト入れてたし、お盆も休み無しだったんだから、これぐらい勘弁してくれよ」

 ジト目で見るゆうひに、天道は手を広げて抗議した。

「そういう事言ってると、就職の内定、取り消しちゃうぞ」

 天道は、来年高校を卒業したら、そのままバイトから正社員として採用されることがかなり以前から決まっていた。だが、ゆうひはそれを反故にすると言っているのだ。口調こそお茶目だが、目は本気だった。

「そうなったら困るのは店長の方だろう?」

 しかし、天道も負けていなかった。逆に脅しを掛ける。

「そうなんだけどね」

 右手を頬に当ててゆうひは本気で困ったような顔をした。

「彼女ができると変わっちゃうのね」

 天道自身は彼女ができた事をバイト先では言っていない。しかし、以前、霞がファミレスに来た頃から雰囲気が変わったと噂になっていた。

「あんなに勤労だったのに」

 それはほとんど嫌みに近かったが、確実に図星を突いていた。なので天道は、誤魔化し笑いするしかないか無かった。

「わかったわ」

 その反応リアクションに満足したゆうひはほんわか笑顔で言った。

「最近、頑張ってくれてたから、お休みしてもいいわよ」

「ありがとうございます!」

 ホッとした天道は、声を張り上げて頭を下げた。


 そして、整備メンテに出発する日。

 天道と霞、二人分の荷物をエキシージの狭いトランクルームにも入るようにコンパクトにまとめて詰め込んだ。

 それから、天道はエキシージに、霞は458に乗り込んで出発した。

 東名御厨インターチェンジICから、二台は東京方面に乗る。

 今日は特に飛ばさない。エキシージを先頭にゆったりとしたペースで走る。

 途中、海老名サービスエリアSAで昼食をとり、それでも道が空いていて一時間半で横浜町田インターチェンジICに着く。

 そこから国道16号を抜けて、国道246号へと入る。長津田付近で脇道に入ると直ぐに目的に到着した。

 【SolarソーラーWindウインド】と書かれた門を通り、天道と霞は愛車を駐車場に停めると中から出た。

「ここが……」

 物珍しさから霞は周りをキョロキョロと見回した。

 門の中はかなり広く、工場ガレージが二つと工房ワークショップらしい建屋が二つ。それに二階建ての事務所オフィスに、小さなマンションのような建屋があった。

「とりあえず、事務所オフィスかな」

 歩き出した天道を見て、霞もついて行く。

「……!?」

 その途中、シャッターの開いた工場ガレージの中を見て霞は驚いた。

競技用車レーシング……カー?」

 そこにはF-4が数台、置いてあったからだ。

「ここは本来は競技用車両製造会社レーシング・コンストラクターズなんだ」

 興味深そうに中を気にする霞に、天道は解説した。

 SolarソーラーWindウインドは主にF-4を製造する競技用車両製造会社レーシング・コンストラクターズだ。

 九年前に設立され、車両規定レギュレーションが変わるまではF-3にもマシンを提供していた。剛性の高いカーボンファイバー製CFRPシャシーと空力に優れたボディで一時期はダラーラと勢力を二分していた。

 現在は、F-4へのマシン提供の他、スーパーGTのGT300クラスのマシンの製作プロダクション整備メンテを行っている。

「基本的には一般車両は整備メンテしてないんだけど、顔なじみの車だけ見てくれてるんだ」

 だから、紗理奈の紹介が必要だったのだ。

「そうなん……だ」

 そのまま事務所オフィスへと入る。

「ちわーっす」

 天道が意識して大きな声で挨拶すると、直ぐに二階への階段から長身の男性が降りてきた。

 年の頃なら三十歳ぐらい。黒髪を長髪にして、ほっそりとした輪郭に眼鏡を掛けた学者風の男性だった。

「やあ、来たね」

 男性は屈託の無い笑顔で、二人を出迎えた。

 「SolarWindの代表の遠山とうやま拓美たくみさんだ」

「司馬霞で……す」

 天道の紹介に、霞は頭を下げた。

「じゃあ、早速見させてもらうよ」

 天道がイモビライザーを拓美に渡したので、霞も慌ててキーホルダーからイモビライザー付きのイグニッションキーを外して渡した。

「応接室で待っていて」

 拓美の言葉に、天道は事務所オフィスの奥にあるパーティションで区切られたスペースへと向かう。

「タカ君の車も見るん……だ?」

「タイヤ交換を頼んだんだ」

 霞の疑問に天道はソファーに座りながら答えた。

「これでまた、バイト代が飛んでいくよ……来月は点検もあるのに」

「お金、出してあげようか?」

 ブルーになった天道に、霞は割と真剣な顔で言った。

「それやったら、俺、完全にヒモだから」

 魅惑的な提案だったが、丁重にお断りして天道はソファーの背もたれに体重を預けた。

「ん……ん?」

 フッと隣を見た霞は、小さな女の子が立っている事に気付いた。

 亜麻色の髪をツインテールして、ポッチャリ頬と大きな目をした美幼女だ。

「おねえさんは、おきゃくさまなの?」

「そうだ……よ」

 幼女の問いに、霞は優しげに答えた。

「そーらういんどへようこそ」

 すると幼女は、大人びた仕草で頭を下げた。

「どういたしまし……て」

 背伸びした姿が愛らしくて、霞は微笑んだ。

「お嬢ちゃん、名前……は?」

「とうやまひめこだよ」

「遠山さんの娘さんだよ」

 天道がそれをフォローする。

「おねえちゃんは?」

「司馬霞だ……よ」

「かすみちゃんだ!」

 そこで、事務所オフィスに女性が入ってきた。

 亜麻色の髪をショートボムにして、スレンダーな顔つきと、大きな目が印象的な美女だった。

 応接室に首を出した女性は、姫子を見ると顔を顰めた。

「また勝手に事務所に入って」

 怒る女性に、姫子は思わずソファーの陰に隠れた。

「ったく……」

 それに苦笑いしてから、女性は霞に聞いた。

「あなたが、458のオーナー?」

「は……い」

 女性の問いに霞はコクッと頷いた。

「あたしは、ここでチーフメカニックをしている遠山とうやま桜子さくらこ。よろしくね」

「司馬霞で……す」

 桜子が自己紹介したので霞もペコッと頭を下げる。

「遠……山……?」

 それから頭にクエスチョンマークを浮かべた。

「遠山さんの奥さんで、姫子ちゃんのお母さんだよ」

 その様子を見て天道が教える。

「整備手帳、見せてもらったけど、ちゃんと定期点検、受けてるみたいだね」

「え……っ?」

 桜子の言葉に、霞は首を傾げた。自分で点検に出した事など一度も無かったらだ。

「もしかして、あの執事じゃね?」

 そんな霞に天道は自分の予想を言った。

「晶さ……ん?」

 それで霞もああっ、となった。

「これなら、一年点検だけだから、二、三日で終わると思うわ」

 霞に告げてから、桜子は天道を見た。

「タイヤ交換は今、やってるからもう少し待っててね」

 それから今度は姫子を見る。

「あと、ヒメは家に戻りなさい」

「いやっ!」

 しかし、姫子は首を横に振ってソファーの後ろから出てこようとしない。

 桜子は困った顔で頭を掻いた。

「タイヤ交換が終わるまでなら、遊んであげてもいいです……よ」

 と、霞が助け船を出す。

「でも……悪いから」

「全然、大丈夫で……す」

 躊躇する桜子に霞は笑顔で応えた。

「お姉ちゃんと一緒に遊……ぶ?」

 そして、首を後ろに向けると姫子に聞く。

「あそぶっ!」

 姫子は大喜びでソファーの後ろから出てきた。

「じゃあ、少しだけお願いできるかな?」

 娘の現金さに冷や汗笑いしながらも、桜子は霞に言った。

「は……い」

 それを聞いた桜子は、姫子に、お姉ちゃんの言う事聞くのよ、と言い聞かせてから事務所オフィスを出て行った。

 霞はソファーから立ち上がると、姫子の前に立って膝を折って屈んだ。目の高さを合わせたのだ。

「なにして遊ぼうか?」

「おちゃらかほい!」

 霞の問いに姫子は元気いっぱいに答えた。

「お姉ちゃん、それ、知らな……い」

 だが、霞は困り顔をした。

「ひめがおしえてあげる!」

 姫子は得意げに霞にレクチャーし始めた。

 そんな二人の様子を天道はほっこりと見守った。


 待つ事一時間半ちょっと、エキシージのタイヤ交換は滞りなく終わった。

 天道と霞は帰る事になったのだが……、

「いやーーーっ!」

 すっかり霞に懐いた姫子は、寂しくて泣きながら首を激しく横に振った。

「こら、ヒメ! わがまま言うんじゃありません!」

 姫子を抱っこしてた桜子が言い聞かせる。それでも泣き止もうとはしなかった。

「また、遊びに来るか……ら」

 そんな姫子に、霞は優しく声をかけた。

「ほんと?」

「う……ん」

 霞はコクッと頷いた。

「だから、少しだけバイバ……イ」

 手を振る霞に、姫子は泣くのをやめて手を振り返した。

「ばいばい、かすみちゃん」

 それを見た霞はニッコリと微笑んでから、エキシージのサイドシートに乗り込んだ。

 そして、天道と霞は、拓美と桜子、姫子に見送られながら、SolarソーラーWindウインドを後にした。

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