5.アクシデント発生

 伊豆滞在四日目。

 バイト三日目、今日も天候が悪く客足は鈍かった。昨日のようなが無ければさほど忙しい思いをしなくてもこなせそうな仕事量だった。

「焼きそば一つにラーメン一つですね」

「かき氷三つですね」

 澄生と由布子はいつも通り接客をこなしていた。

「焼きそば一つに、カレー一つ、かき氷二つです……ね」

 霞も、少し接客に慣れ、愛想笑いも浮かべられるようになっていた。

「……」

 そんな霞を、天道はミートターナーでそばをひっくり返しながら温かい目で見守っていた。

「彼女の事、ずっと視線で追ってるね」

 と、美香子がまたもや背中から抱きついてきた。

「そりゃあ……彼女だから」

 ここでとまたややこしい事になると思った天道は照れながらもキッパリと言った。

「ここにこんな良い物があるのに」

 それに対して美香子は胸を背中に押しつけながら、またもや誘惑する。

 だが、その行為は火に油を注ぐ結果にしかならなかった。

「だから!」

 天道は美香子を振りほどくと怒りの声で言った。

「仕事しろよ!」

「ハイハイ」

 しかし、美香子はそんな天道の怒鳴り声にもどこ吹く風で、仕事に戻っていった。

「…………」

 その様子を店の端から見ていた霞は、心がモヤモヤするのを感じていた。


 バイトも終わり、海水浴の時間になった。

「今日は少し泳ぐか」

 準備体操しながら澄生が言った。

「いいぜ」

 これまた身体をほぐしながら天道が答える。

「じゃあ、沖のブイまで競争な」

「負けたら、かき氷おごりな」

 やる気満々の澄生に対して、天道も意気軒昂だ。

「よし! じゃあ、スタート!」

 澄生の掛け声で二人は海へと駆けていった。

「あたし達はどうする?」

 それを後ろから見ていた由布子が霞に聞いた。

「泳ご……う」

「じゃあ、あたし達も沖のブイまで競争ね」

 霞の答えに由布子は肩を回した。

「う……ん」

 水泳はの一つとして習得しているので自信はある。霞は力強く頷いた。

「じゃあ、スタート!」

 男子に遅れて霞と由布子もスタートする。

 天道はクロールで水を後ろに掻き出しながら快調に飛ばしていた。しかし、一応、運動部の澄生も負けていない。半身リードしてブイを目指している。

(ちっ……やるな)

 天道は少し焦っていた。このままでは負けてしまう。それはシャクだったので、ペースアップしようとした時、

「っ!」

 足に激痛が走った。天道は、思わず足に手を伸ばした。泳ぎが停まり、身体が海の沈んでいく。

 澄生は泳ぐのに夢中で気付いていない。

「くっ……! ボコッ……ボコッ……」

 足の苦痛と息ができない苦痛で、天道は悶えた。その間にも身体はどんどん沈んでいく。

「タカ……君!!」

 最初に異常に気付いたのは後ろを泳いでいた霞だった。

「タカ!?」

「蓮實!?」

 その悲鳴に近い声で澄生と由布子も異常に気付いた。

 霞は直ぐに水の中に潜った。

 沈んでいく天道を発見すると、急いで近づく。

 薄れる意識の中で、天道は助けに来てくれた霞の姿を見た。

「タカ……君!!」

「タカ!」

 霞は後から来てくれた澄生にも手伝ってもらって、天道を海面へと引っ張り上げた。そのまま海岸まで運ぶ。

「蓮實君!?」

 それに気付いた美香子はライフセイバーを呼びに駆けだした。

 浜辺に天道を寝かすと、霞は胸に耳を当てて心音を確認した。

「息、してな……い」

 直ぐに、これもの一つと習った心臓マッサージを実行する。

 肘をまっすぐに伸ばして手の付け根の部分に体重をかけ、胸を強く圧迫する。一分間に百回の速いテンポで、三十回圧迫を続ける。

「ゲホッ……」

 すると天道は海水を吐き、息を吹き返した。

「タカ!!」

「蓮實!!」

 澄生と由布子が声をかけるが反応が無い。

「ま……だ」

 息が弱い。霞は片手を額に当て、もう一方の手の人差指と中指の2本をあご先に当てて、頭を後ろにのけぞらせ、あご先をあげた。

 そして、額に当ててた手で鼻をつまむと、半開きになった天道の唇に自分の唇を重ねる。フッと息を吹き込む。それを二回繰り返した。

「うっ……」

 それで天道は息を吹き返した。

(!?)

 目を開けると霞の顔が直ぐ近くにあり、天道は驚いた。

「タカ……君!!」

 天道が意識を取り戻して、霞はギュッと抱きついた。目には涙が浮かんでいる。

「ふーっ……」

「蓮實……」

 それを見て、澄生と由布子もホッと胸をなで下ろした。

「そうか……俺……足がつって…………」

 だが、当の天道はまだ記憶が混乱している様子だった。

「蓮實君!!」

 そこへライフセイバーを連れた美香子が戻ってくる。

「大丈夫ですか!?」

 ライフセイバーのお姉さんの問いかけに、天道はぎこちなく頷いた。まだ意識が朦朧としていて、お姉さんの簡単な問診にもハッキリ答えられない。

「念のため、救護室に連れて行きましょう」

 ライフセイバーのお姉さんは言った。

「誰か付き添いを」

「は……い!」

 直ぐに霞が手を上げた。

 心配そうな澄生、由布子、美香子を残して、天道と霞は救護室へと向かった。

「カスミが助けてくれたのか?」

 救護室のベットで横になった天道は、横に座る霞に聞いた。

 霞はコクッと頷いた。

 それから天道は、さっき顔を近づけてたのは、と聞こうとしてやめた。もし、だったら恥ずかしいからだ。

「ん……ん?」

 なにか言いたそうにしてる天道に、霞は首を傾げた。

「ありがとう、カスミ」

 それに気付いて、天道は誤魔化すようにお礼を言った。

「う……ん」

 霞はコクッと頷いた。


 結局、夕方まで救護室に寝かされてから、天道と霞は旅館に戻った。

「タカ!」

「蓮實!」

「蓮實君!」

 それを澄生と由布子、それに美香子が出迎えた。

「心配したぜ」

「スマン……」

 本当に心配そうにする三人に天道は頭を下げた。

「こちらこそ、バイトを頼んだ者として申し訳ない」

 それに対して美香子が腰を折って謝罪の言葉を述べる。

「いや……バイトが終わった後の事だし」

 大きく頭を下げられ天道は困惑した。

「店長が気にすることじゃねぇよ」

「そう言ってもらえると、助かるよ」

 天道の言葉に美香子は心底ホッとしたような顔をした。


 夕飯を終え、温泉にも浸かって、天道と澄生は部屋でのんびりしていた。

 部屋には霞と由布子が遊びに来ている。霞が天道と離れたがらなかったからだ。

 と、そこへ美香子がやってくる。

「走りに行くけど、一緒にどうだい?」

「いいぜ」

 天道は即答した。

「タカ君、駄……目」

 だが、それを霞が止めた。

「昼間、あんなことがあったんだから、今日は休んだ方がい……い」

 霞にしては珍しく強い口調で力説した。

「そうだな」

 その事を理由にされると弱い。

「今日はやめておくか」

 天道は美香子の誘いを断る事にした。

「そうかい。じゃあ、今日は一人で行ってくるよ」

 美香子的にもそれを理由にされると弱いので、いつものように強くは押さず、退散した。

 霞はいろいろな意味でホッとした。

「じゃあ、せっかく夜に四人揃ったから、トランプでもしようよ」

「おっ、いいね。やるか」

 由布子の提案に澄生が乗った。自分の旅行カバンの中をひっくり返して、トランプを取り出してくる。

「なにやる?」

「ババ抜きでいいんじゃね?」

 澄生の問いに天道が答える。霞もコクッと頷いた。

 澄生がカードを切って、全員に配る。揃ったカードを場に捨ててから、ゲームがスタートした。

 順番は、澄生、天道、霞、由布子となった。

 由布子が霞のカードを選ぶ。

「……!」

 由布子がカードを取る仕草をすると、霞はビクッとなった。

「……」

 別のカードを取る仕草をすると、ホッとしたような顔をする。

(カスミのヤツ、ババ持ってるな)

 それを見ていた天道は、一瞬で察した。

 由布子も同じで、ビクッとなったカードを取る。

 露骨にがっかりする霞に、他の三人は心の中で冷や汗笑いするしかなかった。

 そんな調子だから、結局、霞は最後まで残り、天道との勝負になった。

 霞の残りカードは二枚。それに対して天道の残りカードは一枚だった。

 天道の番で、霞が並べたカードの右に手を伸ばす。

「……!」

 霞はビクッとなった。

 左の方へ手を伸ばす。

「……」

 逆にホッとしたような顔をする。

 天道は、考えた。しかし、直ぐに、

(しゃーねぇーな)

 と、左のカードを引く。案の定、それはババだった。霞は心底、ホッとしたような顔をした。

 引いたカードをそのまま左側に置いて、わかりやすく並べる。

 それがワザとであるとは気付かずに、霞は右のカードを引いた。

「あがっ……た!」

 揃ったカードを場に捨てて、霞は万歳した。

「最下位にならくてよかっ……た」

 負けたのは悔しかったが、喜ぶ霞を見てたまには良いか、と思う天道だった。

「じゃあ、次は何やる?」

 場に捨てられたカードを集めながら澄生が聞いた。

「ババ抜きはもうやめよう」

「うん。それがいいよ」

 天道の言葉に由布子が頷いた。

「えっ? なん……で?」

 それに対して霞がわからない顔をする。

「じゃあ、オーソドックスに七並べにするか?」

「そうだな」

「かすみん、ルール知ってる?」

「う……ん」

 それじゃあ、とばかりに澄生はカードを配り始めた。

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