4.姉、襲来
伊豆滞在三日目。
バイトも二日目になると多少は慣れてくる。天道がミートターナーを両手に持ち、そばをひっくり返す作業も、手際が良くなってきた。澄生と由布子も同じで昨日と比べると
唯一、霞だけはまだ慣れないようでぎこちなさはあるが、それでも前日に比べればかなり
今日は天気が悪い事もあって、昨日に比べれば客足は少ない。これ幸いと思いながらそばをひっくり返していると……、
「なんだ?」
天道は店の外がやけに騒がしい事に気付いた。
すると、数名の客が海の家に入ってきた。
「いらっしゃ……」
と、言いかけて天道は言葉を止めた。入ってきた客の顔に見覚えがあったからだ。
否、知っていたからだ。
それは
水着の上に白いパーカーを羽織った空子と紗理奈は撮影スタッフらしい人たち共に店に入ってきた。
調理場に立つ天道を見つけると、空子はニッコリ微笑んで軽く手を振った。今は周りに人がいるので、完全に外面モードだ。
「どこから沸いて出たんだよ」
天道はぼやいた。すると、背中から美香子が抱きついてくる。
「あれって、
当然のように胸を背中に押しつけながら美香子は聞いた。
「こっちに手を振ってたけど、知り合い?」
「姉キだ!」
それを振り払いながら、天道は一蹴する。
「……」
そんな二人の様子を、空子はジッと見ていた。
「お久しぶりです。空子先輩、紗理奈さん」
空子達が席に着くと、澄生は率先して接客に出た。
「銀矢君、久しぶり」
「久しぶりだな、銀矢少年」
空子に続いて、紗理奈は気さくに挨拶する。
「ご注文は、何にしますか?」
そう言う澄生の鼻の下は伸びきっていて、完全にデレデレしている。いつもは女子に対しても爽やかイケメンを保っている澄生にしては珍しい事だ。
「ちょっと!」
それを見ていた由布子は感情を露わにした。
「あれはどういうこと!?」
「さ……ぁ?」
その問いに霞は首を傾げた。
そうしてる間に、客がどんどん入り始めた。みんな、KwoとSarinaを目的にしてるのだ。
「焼きそば二つにかき氷二つですね」
澄生と紗理奈の事は気になったが、接客が忙しくなり由布子はそこまで気が回らなくなった。
「ラーメン一つに、カレーが一つです……ね」
それは霞も同じで、急に店が混み始めててんてこ舞いしている。
「はい、ご注文の焼きそば二つとカレーとラーメンです」
唯一、澄生だけがマイペースで紗理奈と雑談していた。
「今日はどうしたんですか?」
「撮影だ」
「こんな
澄生は首を傾げた。この海水浴場は水は綺麗だが、規模は小さくとても撮影に向いてるとは思えない。
「一昨日、急に決まったんだ」
そう言ってから、紗理奈は空子を見た。
「空子のお願いで、な」
「そうだったけ?」
当の空子は素知らぬ顔で明後日の方を向く。
(これは絶対、タカに会いに来たんだな……)
澄生は心の中で冷や汗笑いした。
「いつまで油売ってるの!」
そこで、とうとう我慢できなくなった由布子が、澄生を怒鳴りつけた。
「へいへい」
しかし、澄生は気にもしない素振りで
「それではごゆっくり」
と、紗理奈に愛想を降ってテーブルを離れた。
結局、店が忙しいのは、空子と紗理奈が帰るまで続いた。
「疲れたぁ~」
ようやく客足が一段落付いて、由布子はまたもやテーブルにぐったりしていた。
「さすがにしんどい……」
それは天道や澄生、霞の同じでそれぞれテーブルの上に潰れていた。
「今日の売り上げは過去最高だよ!」
ただ、一人、美香子だけがレジの売り上げ実績を見て喜んでいた。
「今日は海で遊ぶ?」
あまり食欲はなかったが、とりあえず賄いを流し込んでから由布子は聞いた。
「疲れたんでパス」
早々に天道がリタイヤを宣言する。
「タカ君がパスな……ら」
と、霞もリタイヤを宣言。
「じゃあ、今日はこのまま旅館に帰るか……」
澄生の提案に他の三人が頷いた。
だが、その時、
「おはようございます」
「おはよう」
空子と紗理奈が再びやってきた。今度はスタッフを引き連れず、二人だけで。
「なにしに来たんだよ? 姉キ」
疲労から来るイライラで天道は刺々しく聞いた。
「撮影が早く終わって、自由時間でできたから、遊びに来たの」
「紗理奈姉ぇも?」
「そうだ。たまにはいいだろう?」
それを聞いた澄生が、それまでぐったりしていた態度を一変させて、俄然やる気を出した。
「遊びましょう!」
その手のひら返しに、天道と霞、由布子がえーっ、となった。
「疲れてるなら、休んでていいぜ」
「行くっ!」
澄生の言葉に、由布子は元気を振り絞って手を上げた。
「ん? あんたは?」
見知らぬ顔がいて、紗理奈は首を傾げた。
「銀矢の
席を立った由布子は自己紹介した。
「あっ、そっか、紗理奈、肆輪さんとは初めてだっけ?」
「うん」
空子の問いに紗理奈は頷いた。
「ところで……」
それを聞いてから、空子は調理場に立つ美香子を指さした。
「そちらの方はどなたかしら?」
「この店の店長で、あたしの従姉妹の美香子さんです」
空子と由布子のやりとりに、紗理奈は美香子を見た。すると、
「
と、聞いた。
既に
「久しぶりだな、
「首都高で見かけなくなったと思ったら、こんなところにいたのか」
紗理奈も懐かしそうな目で美香子を見た。
「今は伊豆スカイウェイを
それに答えてから、美香子は天道達に声をかけた。
「あたしはまだ店があるから、みんなで遊んでおいで」
「行きましょう!」
澄生は紗理奈の手を取ると、海の方へ引っ張っていった。
「待って!」
慌てて由布子が付いていく。
とりあえず店の外に出た天道は、ヤレヤレと思いながら砂浜の上に腰を下ろした。
と、ナチュラルに空子が隣に座る。
一緒に店を出た霞は行き場を失って戸惑った。
それを見た天道は、澄生達のところへ行くよう顎で指示した。
霞は不満そうな顔をしたが、再び天道が指示したので仕方なく海の方へ歩いて行った。
「タカ君?」
それを確認してから空子は低い声で言った。
「さっき、バイトで一緒だった
「ただのバイト先の店長だよ」
そんな姉に天道は面倒くさそうに答える。
「それにしては、仲が良さそうだったけど?」
だが、その返答では納得してくれず、空子はさらに問い詰めた。
「単にスキンシップが激しいだけだよ」
本当は思いっきり誘惑されているのだが、それを言うと
「姉キだって、アレぐらい普通だろう?」
「わたしはお姉ちゃんだからいいの!」
怒る空子に、天道はヤレヤレと思った。
「ねぇ? あれKwoじゃないの?」
「隣にいるのは彼氏?」
「いや、あんなちんちくりんなのが彼氏の訳ないだろう」
「じゃあ、弟とか?」
そうこうしているうちに、周りに人が集まってきた。
それを気にした天道は立ち上がった。
それから二人は、海辺で遊ぶ紗理奈達の方へ駆けていった。
その日の夜。
天道と澄生は温泉に入り、昼間の疲れを癒やしていた。
「ったく……姉キのヤツ、どこで聞きつけたんだ」
ぼやく天道に澄生が応えた。
「あっ、なんか肆輪が今回の件、クラスメイトに話しちまったらしい」
「ファンクラブ経由か……」
天道は顔を顰めた。御厨高校には
(あれ? でもそれなら……)
霞との事が筒抜けになっていてもおかしくない。だが、姉の反応を見る限りでは今のところそんな様子は見られなかった。
「空子先輩の
澄生は他人事のように言った。
その言い方がシャクに触って、天道は少し意地悪したくなった。
「よかったのかよ?」
「なにが?」
「肆輪の事だよ」
「ハッ?」
天道の問いに、澄生は本気でわからないという顔をした。
「肆輪の前で紗理姉ぇにデレデレしたてたろう?」
それが気に入らなくて、天道は言葉の端々に棘を入れて聞いた。
「別にいいんじゃね」
だが、澄生はそれを気にする様子もなく軽く答える。
「あれじゃあ、バレバレじゃん」
呆れたように天道が言った。
澄生の本命が紗理奈である事は、かなり前から知っていた。だから、由布子の気持ちには応えられないという事も。しかし、由布子はまだその事を知らなかったのだが、今日の件で察してしまった可能性が高い。
「それでもいいんだよ」
「まぁ、オマエがいいって言うなら、いいけどさ」
投げやり気味に答えた澄生に、天道は天の星を眺めながら言った。
一方、女湯では、
「なによ! 銀矢のヤツ、あんな女にデレデレして!」
由布子が大変ご立腹だった。
「あたしには、冷たいのに!」
「……」
怒り心頭の由布子の話を霞はシュンとなって聞いていた。
「かすみん、聞いてる!?」
「……」
「かすみん?」
「え……っ?」
霞が静かなのに気付いて、由布子はようやく怒りを収めた。心配そうに問いかける。
「どうしたの? なにかあった?」
その言葉に霞は少し迷ったが、ゆっくりと理由を話し始めた。
「タカ君が、お姉さんに彼女だった紹介してくれな……い」
「そんなの、空子先輩にバレたら大変だよ!」
それを聞いた由布子は驚愕した。
「そうな……の!?」
と、霞も驚いたような顔をする。感情を
「もしバレたら、決闘申し込まれるよ」
由布子は自分の事のように身震いした。もし、あの
「そうなん……だ」
それを聞いた霞はホッと胸をなで下ろした。自分を姉に紹介できないのは、ちゃんと理由があったのだ。
(でも、いつか……は)
そう思う霞だった。
「今夜も、また走らないかい?」
温泉から上がり、部屋へ戻る途中、霞と由布子は美香子が天道を誘う場面に出会した。天道もちょうど風呂上がりだったらしく浴衣を着ている。
「あっ、カスミ」
霞に気付いた天道は、これ幸いとばかりに声をかけた。
「一緒に走らないか?」
チラッと美香子を見る。ニンマリと余裕の笑顔を浮かべていた。
「う……ん!」
なので霞は力強く頷いた。
直ぐに部屋に戻り、着替えを済ませて駐車場へと向かう。
既に天道は来ていて、始業前点検をしていた。霞もそれに習い458の周りを回って異常が無いかを確かめる。
そうしているうちに美香子がR8RWSに乗って駐車場に出てきた。
「行くか」
「う……ん」
天道と霞はそれぞれの愛車に乗り込むと、エンジンをスタートさせた。そのままR8RWSを先頭に三台は駐車場を出た。
暖機運転はしない。暖めなければならないのはエンジンだけではないからだ。その代わり、伊豆スカイウェイまで向かう県道を
天城高原
「ついて行け……る」
昨日は遅れを取った美香子にも今日はちゃんと追走できていた。
コースも頭に入ってきて、霞は思い通り458を走らせられるようになってきていたからだ。高速コーナーでは天道譲りの高速ドリフトを駆使して、R8RWSに肉薄する場面も出てきた。
「これな……ら…………」
そう思う霞だった。
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