精密機械《アォトマト》編

プロローグ 精密機械《アォトマト》

 二つの光が闇夜に舞っていた。

 主に左右に、時には上下に、淡く輝く尾を残しながら暗闇の中を自在に踊っていた。

 だが、それはけっして心霊現象でも未確認飛行物体UFOでもない。

 光の正体は、自動車のヘッドライトだ。

 低いボンネットから突き出すリトラクタブル型のヘッドライト、それはマツダRX-7のものだった。

 場所は、芦ノ湖スカイウェイ。

 芦ノ湖の西にある三国山の尾根とその周りに作られた峠道やまみちだ。

”ブォォォォォォォーーーーーッ!”

 チタニウムグレーメタリックのボディが闇を切り裂くように疾走する。

 低くされた車高。インチアップされたホイル。轟くエキゾーストノートから、そのRX-7はかなり改造チューンしてあることがわかった。

 走り屋ストリート・ファイター改造車チューニングカー、だ。

 しかし、本来、この車はここに不似合いなはずだった。なぜならば、ここは最速屋ケレリタス本拠地ホームだからだ。

 にもかかわらず、東山ひがしやま洋志ひろしは、コーナーを攻め続けた。

 半月ほど前、興味本位で入り込んだこの領域エリアで、洋志は最速屋ケレリタス相手に大敗を喫した。それが悔しくて、その後も度々、走り込みをしていたのだ。

 もっとも、ピーク時間を外して最速屋ケレリタスとのを避けるというはちゃんとかけていたのが。

「うん……良い感じだ」

 だが、おかげでコースのレイアウトは完全に把握した。自分なりのベストラインも見出せたし、追い抜き場所パッシングポイントも頭に叩き込めた。

「これなら……」

 そう思いながら、箱根料金所でUターンして再び往路を攻め始めたが……、

「ん?」

 直ぐにルームミラーに光が映った。チカッ、チカッと二、三度点滅する。

 パッシング。対戦バトルの合図。

 ステアリングを握る手に汗がじわっと広がるのがわかった。このまま、道を譲ってしまおうかという考えが頭をよぎる。

「いや……今なら……やれるはずだ」

 余計な思考を振り払うように自分に発破をかけてから、洋志はルームミラーをじっくりと見た。

「……ポルシェ……か?」

 かっての低いボネットの左右にタイヤフェンダーから延長された丸目のヘッドライトというのような個性的な姿は鳴りを潜めたが、左右に輝く楕円のヘッドライトと厚い唇のように伸びたフロントノーズは間違いなくポルシェ・911だった。911シリーズとしては七代目になる991型だ。

 色は赤。ナンバーは練馬。どのモデルかまでは暗くてわからないが、最速屋ケレリタスは乗っているのなら、走り重視ホットモデルのGT3ではないかと予想した。

「上等だっ!」

 自分を奮い立たせるように叫びながら、洋志はアクセルを踏み込んだ。

 最初の115R、ブレーキング、ロック寸前でブレーキを抜きながらヒール&トゥでのシフトダウン、そしてステアリングを右の送ってRX-7をドリフト体勢に持っていく。

 それに対して911は、お手本のようなグリップ走行で同じコーナーを駆け抜ける。

 コーナリング速度は明らかにRX-7の方が上だった。

「なっ!?」

 にもかかわらず、二台の差は確実に詰まっていた。

 続く110Rでさらに差は詰まり、右の30Rヘアピンではとうとう立ち上がりでルームミラーに大写しになるまで接近される。

「なんでだよっ……!?」

 見たところ、ブレーキングはほぼ同じぐらいだと感じた。コーナーはこっちが勝っている。

「負けてるのは、立ち上がり……か?」

 ポルシェ・911はトラクションに優れた車。うろ覚えの知識が頭をよぎる。

 911はスーパーカーでは珍しい、後部リアエンジン、後部リア駆動――俗にRRと呼ばれるレイアウトをとっている。

 この方式の利点は、車体の中で一番重いエンジンをリアに置くことで、リアタイヤに荷重を集中させることが出来るところにある。そうすることでリアタイヤのグリップ力が増し、トラクションを高めることが出来るのだ。

 それはどういうことかというと、加速に優れている事を意味する。

 左の110R、同じく左の65Rと2台はほぼテールトゥノーズでクリアしていく。

 最初にあった差はもうないも同然だった。つまり、911の方が明らかに速いのだ。

「くそっ!」

 その認めたくない事実に悪態をつきながら、それでも闘志を燃やして右の45Rを恐怖に耐えながらギリギリまでブレーキを我慢して、深く突っ込む。そこからのドリフト走行で、一瞬だけ911を引き離す。

 だが、

”ブォォォォォォォォォーーーーーーーーーーーーン!”

 重く濁ったエキゾーストノートで、3.7リッター、水平対向6気筒フラット6エンジンが雄叫びを上げる。

 ラインを塞ぐ暇もなく、911はRX-7の右側に並んだ……と思ったら、あっという間に前に出る。

 その時になって初めて洋志は、911のリアを拝んだ。

 控えめに付けられたリアウイング、その下には筆記体でturboの文字、さらにその横にはSと言う文字が誇らしげに飾られていた。

 洋志が相手にしていたのは、911シリーズの中でももっともハイパワーなポルシェ・911ターボSだったのだ。

本当マジかよ!?」

 驚嘆してる間にも、上りの直線を911ターボは、560馬力psをものともしないトラクションでグイグイと加速していく。それは決してエンジン位置だけの恩恵ではない。

「確か……911ターボって、4WDじゃなかったけ?」

 その記憶通り、991型のターボモデルはすべて四輪駆動4WDだ。状況によって前輪と後輪のトルク配分を自動で制御するトルクスプリット式と呼ばれるもので、高出力ハイパワーのスーパーカーでは今や標準と言ってもいい仕様だ。

 パワーを四輪に分散することで――二輪駆動に比べて、二輪分ことによる恩恵でより強力なトラクションを得ることが出来るのだ。

「まだだっ!」

 それでも洋志の心は折れなかった。走り屋ストリート・ファイターの車にだって速い四輪駆動4WDはある。

 三菱・ランサーエボリューション――走り屋ストリート・ファイターの間ではランエボという略称でおなじみだ――やスバル・インプレッサーがそうだ。

 洋志も何度なとなく対戦バトルしている。なので、四輪駆動4WDの優位性とは理解しているつもりだった。

 じわじわと、そして確実に911ターボとの差が開いていく。だが、直線が終われば挽回のチャンスはあると思った。

 やぎさんコーナーを抜ける。そこから続く右の40R、左の80R、短い直線を挟んでの右の100R、そして左の30Rヘアピンで洋志は後ろから911ターボの動きを観察する。

「思った通りだ……」

 最初、ブレーキングはほぼ同じだと思っていた。しかし、こうやって後ろから観察するとコーナーの半径がきつくなるほど、ブレーキングポイントが浅くなる。

 つまり、一般的な四輪駆動4WDと同様に、911ターボもタイトコーナーを苦手としているのだ。

「だとすると勝負は……」

 ここからしばらくは100R以上のコーナーが続く中速区間だが、そこを過ぎれば後は終盤まで小さなコーナーの連続になる。洋志はそこに賭けることにした。

 中速区間をとにかく必死の思いで食らいつく。ここで差が大きく開いてしまっては、そこで勝負は終わってしまう。だが、それでも性能差は如何ともしがたく、じわじわと、じわじわと差が広がっていく。

 往路最後の100Rを抜ける。続く左の60R、洋志は怖いのを我慢しながら、限界を超えたブレーキングでコーナーに突っ込んだ。そこからのドリフトで911ターボのテールが近づくが、立ち上がりでは案の定、また差が開く。

 だが、それも直ぐに終わった。何故ならば直ぐに次のコーナーが迫っていたからだ。その為、2台はまたブレーキングに入らなくてはならない。

「イケルっ!」

 洋志はそう。追い抜くことは出来ないが、この状態をキープすれば、後ろから圧力プレッシャーをかけることは可能だと思った。

 それは対戦バトルでは重要な要素ファクターだった。

 こうやって背後から圧力プレッシャーをかけることで相手のミスを誘う。そうすることで対戦バトルを有利に導く。一種の駆け引きだ。

 しかし……、

「崩れない……」

 いくつかコーナーをクリアしたが、911ターボは崩れる気配を見せなかった。普通ならば、これだけ圧力プレッシャーを与えればブレーキングやライン取り、アクセルワークになんらかの変化が見られるのだが、それがまったく無いのだ。

 一瞬、ルーミラーを見てないんじゃないかという発想が頭をよぎる。だが、一応、こちらの動きに合わせてラインを塞ぐ動きはしているので、それは無いはずだった。

 その動きさえ、こちらの動きに合わせてくる。こちらがラインを十センチずらせば、相手も十センチずらしてブロックしてくるのだ。

 まるで機械のような動きに、洋志は背中に薄ら寒いものを感じた。

「くそっ……!」

 それに対して、洋志の精神力は既にギリギリまで削られていた。限界を超えたブレーキング、ドリフトに次ぐドリフトの連続で精神的圧迫ストレスはピークに達していた。

 そしてついに、そのが回ってきた。

「ちっ!」

 RX-7のフロントタイヤから僅かに白煙が上がる。ブレーキをロックさせたのだ。直ぐに親指の力を抜いてブレーキを緩めたが、減速が遅れるには充分な時間だった。ヒール&トゥでシフトダウンする時に回転数を高めに合わせてエンジンブレーキに頼るさえない。オーバースピードで突っ込むんだRX-7は、見事にラインを外してコーナーを大回りでドリフトする。

「こん畜生めっ!」

 そのドリフトさえ、アウト側のガードレールに接触しないように速度を落として姿勢を制御コントロールしなければならなかった。

 その為、コーナーを立ち上がった時には911ターボとはかなりの差が出来ていた。

 そこから崩れるのは早かった。

「くっ!」

 遅れを取り戻そうと無理をして、失敗ミスを犯して遅れる。

「ちっ!」

 その遅れを取り戻そうとして、さらに失敗ミスして遅れる。

「クソッタレっ!」

 完全に悪循環に陥った洋志のRX-7と911ターボの差はゆっくりだが確実に広がっていった。

 そして、湖尻峠の分岐点に来る頃には、その差は決定的なまでになっていた。


「……ふーーーーっ…………」

 RX-7を道の左端に付けた洋志は、バケットシートに全体重をかけると深く溜息をついた。

 911ターボは、結局そのまま箱根スカイウェイ方面へと走り去った。まだ追撃することも可能だったが、既にそんな気力は失われていた。

 車の差はある、とは思った。だが、それ以上に最後までような走りを見せつけられて、半月の走り込みで取り戻したはずの自信は粉々に砕け散ってしまった。

「……俺もそろそろ引退かな…………」

 弱気な笑みを浮かべて、洋志はそんなことを呟いた。

 しかし、実は今回の対戦バトルの結果はそこまで悲観するような内容では無かった。

 何故ならば、洋志が相手にしては首都高でも上位トップクラス最速屋ケレリタスだったからだ。

 精密機械アォトマト。彼女はそう呼ばれていた。

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