1.それからの二人

 帰りのショートホームルームが終わったばかりの教室は騒然としていた。

 これから部活に向かう者。帰りにどこへ寄るかを相談する者。掃除当番に当たって、仕方なく準備を始める者。そして、とっとと帰るために教科書をカバンに詰める者。

 それらの話し声や机や椅子を動かす音が騒がしく教室内に響き渡っていた。

 蓮實はすみ天道たかみちもその中の一人だった。机の中に無造作に突っ込んであった筆記用具やらノートやらをカバンに入れて帰る準備をしていた。

 と、そこへ女子生徒がちょこちょこっと足早に寄ってくる。

「帰るのかぁ?」

 それに気づいた天道は、いつもの鋭い目付きで女子生徒――司馬しばかすみを見た。

 それに対して霞は、特に怯える様子も見せずにコクッと頷くと、ちょこちょこっと足早に去って行った。

 そんな後ろ姿をほんの少しだけ見送ってから、再び帰り支度に戻ると、

「一緒に帰らないのかよ?」

 今度は後ろから声をかけられた。視線だけで振り向くと、そこには銀矢かねや澄生すみおが、ちょっと困ったような顔をしながら立っていた。

「今日はバイトだからな」

 その表情の意味を察して、天道はめんどくさそうな仕草で簡潔に答えた。

「今日だけじゃ無いだろう?」

 だが、それで納得する澄生では無かった。

「おまえら、付き合い始めてどれぐらいだよ?」

「……一ヶ月ぐらい?」

 澄生の問いに天道はまるで他人事のように曖昧に答えた。

「その間、一緒に帰ってるところ、ほとんど見たこと無いぞ?」

 思わず、数えてたのかよ、とツッコミたくなったが、そこまで言われては、このままやり過ごすのはちょっとシャクだった。

「今日、アイツ……」

 なので、天道はちゃんと答えることにした。

「友達とカラオケに行くんだよ」

 それを聞いた澄生は神妙そうな顔をした。

「……それって、肆輪……だよな?」

 肆輪よつわ由布子ゆうこは、天道や澄生と同じ中学の出身の女子生徒だ。

「なんか、凄ーく、下心を感じるんだけど?」

「奇遇だな、俺もだ」

 ただそれだけではなく、中学の頃から澄生を好きだと公言し、幾度となく交際を迫っていた。こうやって、天道の彼女に接近するのも、恐らくはその親友である澄生に対する好感度稼ぎが大きいことは容易に想像がついた。

「いい加減、付き合っちまえば良いのに」

 この優等生系女誑しは、大抵の女子ならば歓迎ウェルカムのクセに、由布子の誘いだけは頑として受けようとはしなかった。

「それは出来ないって言ってるだろう?」

 それを聞いた澄生は、露骨に顔をしかめた。既に何度となくこの話をしている天道は、当然、その理由も知っている。なので、この言い方は嫌がらせに近い。いつも小言を言われている意趣返しだ。

「まぁ、肆輪に下心があっても……」

 とは言え、この話を続けると本気で喧嘩になりかねないので、天道は話を元に戻した。

「霞を仲間に加えてくれるのは、ありがたいこったよ」

 それは一ヶ月前になら考えられないことだった。以前は周りを受け入れず孤立していた霞がこうしてクラスの女子と一緒に遊びに行くまでになったのだ。

 もちろん、霞自身が、例の彼女宣言以降、変わろうとしていることが一番の要因ファクターなのだが、クラスでも女子の中心である由布子が積極的に霞を受け入れたことも大きい。

 例えそれに、どんな打算があったにしても。

 だから、

「せっかくクラスに馴染み始めてるのに、俺が放課後を独占するのはよくねぇーだろう?」

 それが霞と一緒に帰ろうとしない理由だった。

「へぇー」

 天道の言葉を聞いた澄生が感心したように腕を組んだ。

「おまえも、いろいろ考えてるんだなぁ」

「どーいう意味だよ?」

「感心してるんだよ」

 だが、天道にはそんな風に聞こえなかった。それでは、普段はなにも考えてないみたいだ。

「偉い偉い」

 それに拍車をかけるように、澄生は天道の低い頭をなでるような仕草をする。

「テメェーッ!」

 眉をつり上げた天道はすかさず手で払いのける。

「ガキ扱いしてんじゃねぇーよっ!」

「はははは…………でもさぁ」

 それを笑顔でから、澄生は少し真面目な顔になって聞いた。

「おまえら、普段はどこで合ってるんだよ?」

「そんなの決まってるだろう?」

 すると天道は、さも当然とばかりに言った。

エリアだよ」


 二つのエキゾーストノートが絡み合うように深夜の芦ノ湖スカイウェイの響き渡っていた。

 一つは、4.5リッター、V型8気筒、F136FBのフェラーリ排気音サウンド。もう一つは、過給器スーパーチャージャー付き、1.8リッター、直列4気筒、2ZZ―GEのトヨタ排気音サウンド

 フェラーリ・458イタリアとロータス・エキシージCUP260のエキゾーストノートだ。

 二台は、458が前、エキシージが後ろという体勢で芦ノ湖スカイウェイの中速区間を疾走していた。

 とはいえ、対戦バトルしているという感じでは無かった。458の霞はともかくエキシージの天道は、かなり余裕があった。後ろから霞の走りをじっくり見ている、そんな感じだった。

 こうやって夜に連なって走るのが、二人の日課になっていた。

 元々、バイトが終わると天道は毎日のよう芦ノ湖スカイウェイここを攻めていたし、霞も、時間が違うがやはり毎日、走っていた。

 なので、付き合い始めて直ぐに、霞の提案で同じ時間に走ることになったのだ。

 霞の祖母には、一緒に走りたい人がいる、と霞が告げるとにっこり笑って送り出してくれた。

 大抵の場合は二台で走っているが、希に後ろから対戦バトルを仕掛けられ時もある。その場合は霞が道を譲り、天道と相手の対戦バトルを後ろから見学することとなる。

 そもそも、こうやって一緒に走るのは霞の練習という意味合いが強い。事実、走り終わった後は、天道からビシバシと悪いところを指摘されたりもする。

 二人の腕の差を考えれば当然なのかもしれないが、天道の遠慮無い物言いは、時には傷つき、時にはムカつくこともある。

 だから、今日はなんとか天道を驚かしてやろうと霞は策を練っていた。

 コースはこれから、箱根料金所から湖尻峠までの往路の低速区間に入る。ちょうど三国山の山頂の下を囲うようにレイアウトされた三国峠と呼ばれる区間だ。

 そこには、展望台もある。

(この……先)

 45Rを抜ける。そこで霞は458を左へと振った。車体が道路から外れて展望台の駐車スペースに思いっきりはみ出る。

 それはこの間の対戦バトルで天道が使った戦法だった。

「あっ、馬鹿っ!」

 霞の動きを見て、天道は思わず声を上げた。

 このラインはなにも追い越しパッシングの為のだけのものでは無い。よりコーナーを速く回れるのだから、通常の走行でも有効ではある。にもかかわらず、このラインを使うものは天道以外はいなかった。それは……、

”キィィィィィッ!”

 いつもより深い位置で全開フルブレーキングする。続けて左のパドルレバーを手間に叩いてシフトダウン、そして、ステリングを勢いよく右へ送る。同時にアクセルをじんわりと開けて車をドリフト状態に持って行く。

 その刹那、ズルッと音が聞こえるんじゃないかと思うぐらいの勢いで、フロントタイヤがアウトに滑った。

「!?」

 慌てて、アクセルペダルを踏んでリアを流し、立て直そうとする。だが、今度はリアタイヤが、やはり音がするぐらいの勢いで大きく滑った。

「くっ……!」

 ほとんど反射的にカウンターを当てる。大きく姿勢を崩した458は、ほとんどハーフスピン状態でリアをフェインスギリギリに掠めながら、道路へと戻った。その横をエキシージが涼しげにドリフトしていく。

「ふ……っ~…………」

 予想外の動きに一瞬、焦ったが、なんとか立て直せて霞はホッと胸をなで下ろした。


「馬鹿か、オメェは!?」

 しかし、天道はたいそうお冠だった。

 湖尻峠まで来てエキシージを止めた天道は、霞が458を降りるなりおもいっきり怒鳴りつけた。

「オマエみたいな初心者シロウトが、あのラインで走れるわけ無いだろう!」

「……!」

 その有無も言わさない態度度に、霞はあからさまにムッとした。だが、この場合は天道の言うことが正しかった。

 あのラインのは、道路と駐車スペースを分ける排水溝のフタにある。そこに乗り上げた瞬間に路面の摩擦係数μが大きく変わるのだ。もちろん、普通に走る分には特に問題は無いが、コーナへの進入アプローチ中、特にドリフト中には、車の挙動に大きな影響を与える。

 対処方法は、摩擦係数μが変わった瞬間を狙って、ステアリングとアクセルを適切に制御コントロールすることだが、普通のドライバーでは、察知した瞬間には既に手遅れになっている。

 だからこそ、天道以外は使おうとしないのだ。

「走り込んで感覚をで覚えることはできんだろうけど……」

 そこまで説明してから、天道は霞に人差し指を突きつけて言い聞かせるように言った。

「いきなりやろうったて無理だからな! わかったか!?」

「……う……ん」

 最初こそ必要以上の天道の剣幕に不満げだった霞だったが、ちゃんと理由を聞かされた今は、自分がどれだけ大それた事をしようとしていたか自覚していた。

「……ったく……あのまま崖下に真っ逆さまだったらどーするつもりだったんだよ」

 それに、最後の独り言のような言葉を聞くまでも無く、天道が自分を心配してくれてるんだとわかったしまったから、素直に頷くことが出来た。

「さて……そろそろ撤収するか」

 ズボンのポケットから携帯電話ガラケーを取り出した天道は時間を確認した。

 いくら祖母の許可を得ているからと言っても限度はある。なので一応、午前一時までには霞を家に帰すことになっていた。帰り道の時間を考えれば、そろそろ制限時間タイミリミットだ。

「もうそんな時……間?」

 でも、霞はまだ帰りたくなかった。物足りないというか、もっと天道と走っていたかったし、おしゃべりもしていたかった。だが、門限を決めたのは霞自身なので仕方ない。

「続きは明日だな」

 天道と一緒にいるのは楽しい。時々、今みたいに怒られたりもするけど、それでも、そういうことも含めて楽しいと思う。ただ……、

「う……ん」

 ――タカ君はどう思ってるんだろう?

 それは最近、霞がよく思うことだった。


 その翌日。

 厨房内は午後八時を回り落ち着きを取り戻しつつあった。しかし、週末の金曜日とあって状況はまだ予断を許さないなかった。厨房スタッフもそれを承知しているから、集中力を切らさないようにテキパキと調理に勤しんでいた。

 天道もその中の一人だった。既に頭に叩き込まれたマニュアル通りに次から次へと料理を作っていく。ファミレスここでのバイトも既に三年目だ。考えなくても体が動くぐらいまで、仕事は身に染みこんでいた。

「蓮實く~ん」

 と、突然、聞いてる方が脱力するぐらい間延びした声が厨房に響き渡った。

 店長の日之出ひのでゆうひだ。

「ちょっといいかなぁ~」

「なんっすか?」

 いつも通りのほんわか笑顔で天道を呼ぶゆうひに、天道は炒め物の手を止めずに答える。

 天道は、この店長が苦手だった。雰囲気こそ優しげでぽやぽやのふわふわだが、おっとり口調で平気で無茶を言う。そこが姉と重なるからだ。

 なので、今も天道は最大限の警戒をしていた。

「お客様に蓮實くんのお友達が来ているみたいなのぉ~。ちょっと、顔を出してあげてくれる~?」

「はっ……い?」

 予想の斜め上の展開に、天道は思わず変な声を出しそうになった。だが、直ぐに心当たりが浮かんでかろうじて自制する。

 今日はバイトの後、霞と合流してそのままエリアに行く約束になっていた。その為、いつもなら学校が終わったらバイト先に直行するのだが、今日は一端、家に戻ってエキシージで来ていた。

 約束の時間まではまだ間があるが、早めに来たのだろう天道は予想した。炒め物を皿に盛り付けてから、厨房越しにフロアの方を覗き込む。

「ゲッ……」

 今度こそ、天道は思わず変な声をあげてしまった。窓際の席には霞の他に、固そうな毛質の髪をショートポニーにした目鼻立ちがはっきりした活発そうな印象を受ける少女が座っていたからだ。

「肆輪……」

 由布子の姿を発見した天道の頭に警告音アラートが鳴り響く。ここで出て行くのは危険だ、と。

「今、仕事で手が離せないっすから」

 なので、霞には悪いが天道はきっぱり断ろうとも思った。

「あら~? そぉ~?」

 その台詞ことばにゆうひは頬に手を当てて、少し困ったような顔をした。だが、仕事を理由にすれば、さすがの店長とて、否、店長だからこそ無理維持は出来ないはずだった。

「蓮實君、まだ休憩取ってないだろう?」

 しかし、思わぬところから横槍が入った。

「こっちは大丈夫だから、休憩がてら行っておいでよ」

 バイト仲間の高原たかはらだ。天道よりも年上の大学一年生だが、バイト歴は1年余りで形の上では後輩になる。基本的に良い人なのだが、ちょっとだけ空気が読めないところがあり、今がまさにそれだった。

「あらぁ~、それがいいわぁ~」

 天道は内心、舌打ちをした。強引に断ろうかとも思ったが、それもやりずらい流れが既に出来上がっていた。

「へいっす。休憩、入りまーす」

 仕方なく、本人に気づかれないように高原を睨んでから、天道は棒読みで厨房内に宣言した。

 そのまま重い足取りでフロアに出た。厨房スタッフ制服のままだったので、他の客から好奇の目で天道を見る。その視線に耐えながら、窓際の席まで来た。

「当店の料理になにか不都合がありましたか?」

 脱帽した天道は、真面目な表情と声で霞と由布子に話しかけた。

「プッ……」

 しかし、返ってきたのは由布子の失笑だった。

「なに、真面目くさってのぉ、蓮實?」

 ケラケラと笑う由布子に、天道は自分の先制攻撃が失敗したことを悟った。

「って? なんでオマエがいるんだよ?」

 仕方なく普段通りの口調で文句を言う。チラッと霞を見ると視線で、ごめんね、と謝っていた。

「今日は、かすみんとドライブだったんだよぉ」

 その話は昼休みに霞から聞いていた。車を持ってると口を滑らせたら、ドライブしたいとせがまれたとかなんとか。

「凄いよぉ、かすみんの車、フェラーリっだよ、フェラーリ!」

 窓の外に見える458を見ながら、由布子は興奮気味に言った。車に興味の無い女子高生JKでも、フェラーリの価値はわかるらしい。

「かすみんって、お金持ちだったんだねぇ」

「……実家が……ね」

 褒める由布子に霞はかしこまって答える。その表情には微かに影が感じ取れた。

「でっ? その帰りって訳か?」

 なので、天道はとっとと話を進めることにした。

「そう! 蓮實とこのあとデートって聞いたから、冷やかしに来た」

「デートって……」

 確かに一緒に連んで走るのもデート言えばデートなのだろうが、あからさまにその単語を使われるのは違和感があった。

「隣の白い車が蓮實の車?」

 しかし、そんな天道の呆れ声も豪快に無視スルーして、由布子はおしゃべりを続ける。

「あれもたっかそうだねぇ。ローンで買ったの?」

「まぁ、そんなところだ」

 本当は、エキシージは姉である蓮實空子の所有車だ。しかも現金一括で買ったのでローンも残っていない。しかし、今ここでそれを説明すると話が長くなりそうだったので、適当に相槌を打った。

「だから、いつもバイトばっかりしてるんだぁ」

 その推測は半分は正解だった。最初は自分の車を買うために始めたバイトだった。しかしエキシージを棚ぼた的に手に入れた今は、ガソリン代やメンテ代といった維持費の捻出が主目的になっている。スーパーカーは普通の車よりも維持するのにお金が掛かるのだ。

「でも……ってことは、蓮實も免許、持ってるんだ?」

「まぁ、な」

「蓮實は四月生まれだからわかるけど……かすみんはいつ取ったの?」

 由布子の何気ない一言に、食後のミルクティをすすっていた霞が凍り付いた。

「……」

 それは天道も同様だった。霞はまだ、自分が何故、御厨市に来たかを天道には話していない。つまり自分がまだ言えてないのだ。天道もまた、霞の事情をあらかた聞いてしまったことを話せていなかった。

「ん?」

 二人の様子に由布子も首を傾げた。

「そんなことどうだっていいだろう?」

 それを素早く悟った天道はわざとらしく不機嫌そうな声を出した。

「用がないなら、仕事に戻るぜ」

 と、その時、由布子のブラウスの左胸が振動した。ポケットに入っている携帯電話iphoneに着信があったのだ。

「ちょっとごめんね」

 そう霞に断ってから携帯電話iphoneを取った由布子は、画面を見て面倒くさそうな顔をしてから画面をスライドして応答操作をした。

「もしもし、お母さん? なに? ……えっ? もう門限過ぎてるって? 今日は遅くなるって、メールしたよぉ……」

 どうやら電話の相手は由布子の母親らしい。それからしばらく電話越しでの言い争いが続いたが、

「わかったよぉ、帰れば良いんでしょ、帰れば……ハイ……ハイ……じゃあねっ!」

 最後はブチッと音がするんじゃ無いかと思えるぐらいの勢いで電話を切って通話は終わった。

「ごめん、帰らなきゃいけなくなったぁ」

「うん……いい……よ」

 顔の前で手を合わせた由布子に霞は首を横に振った。

「じゃあ、あとはごゆっくり」

 席を立った由布子は伝票を軽快に取ると――ドライブのお礼に由布子が奢ることになっていた――――二人にニンマリと笑いかける。それから足早にレジへと向かった。

「ヤレヤレ、だぜ」

 そんな由布子を肩をすくめて見送ってから、天道は改めて霞を見た。

「ごめんね……タカ……君」

 すると霞は済まなそうな顔で天道に謝った来た。

「いいって。どーせ、肆輪が強引にやったんだろう? 慣れっこだ」

 ちょっと眉をつり上げながらも、天道はそこまで怒っている様子では無かった。それが霞には二人の距離の近さを感じさせて、少しだけ胸がチクッとした。

「仕事、もうちっと掛かるから、ゆっくり待っててくれ」

 だが、天道はそんな霞の微かな陰りには気づかず、厨房へと戻っていった。

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