エピローグ 彼女
6月1日。公式に制服の衣替えが行われる日。
長袖のワイシャツにズボン姿の夏服で、天道は自分の机で欠伸をかみ殺していた。
かなり早い時間に登校したので、朝の教室はまだ人もまばらだ。いつもよりも静かな環境で、天道は頬杖をつきながら、半分、船を漕いでいた。
「よっ! 早いな!」
「!?」
と背中から、やたらと威勢の良い声で呼びかけられて、意識を取り戻した。
澄生だ。
「…………」
安眠を邪魔された天道は鋭い視線で澄生を睨みつけ、無言で抗議した。
「どうだった、今朝の
しかし、澄生はそれを
「……」
一瞬、こっちも無視してやろうかと思ったが、それも大人げなかったので天道は簡潔に説明して、もう一度寝ようと思った。
その時、
「誰、あの
「あんな可愛い
「どこのクラスの
教室の外が急に騒がしくなったのに気がついた。
「なんだ?」
それは澄生も同じで廊下側の窓を気にする。すると、教室の後ろの扉が開いて、一人の女子生徒が入ってきた。
良くブラッシングされたさらさら髪は背中まで伸び、前髪はカチューシャで上げている。ほっそりとした輪郭。パッチリとした黒目がちな目。小さくふっくらとした唇をした美少女だ。キチンとアイロンがかかったブラウスの首元のリボンはきれいに整えられ、スカートは膝上まで短く上げられていた。
「誰だよ、あの可愛い
その姿を見た瞬間、澄生は興奮気味に声を上げた。ここに入ってきたということはクラスメイトなのだろうが、まったく記憶が無い。それは他の生徒も同じで、突然、見知らぬ生徒が入ってきて、みんな戸惑っていた。
ただ一人を除いては。
「し……司馬…………」
「…………えっ?」
絶句するように呟いた天道の言葉でそこにいるすべての生徒が絶叫した。
「えーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!」
教室中の視線を一心に浴びた霞はうつむいたままで、天道の前まで来た。
「おは……よ」
それから、緊張した面持ちで朝の挨拶をする。
「おはよう……てか、どーしたんだよ、その格好は?」
完全に面を喰らった天道は、とりあえず一番気になることを聞いてみた。
「そのぉ……」
すると霞はもじもじと恥ずかしそうに言った。
「彼女がみすぼらしい格好していたら、蓮實君に迷惑掛かるかな……って」
「はっ?」
目が点になった。何を言ってるんだ?
「おまえら、付き合い始めたのかよっ!」
しかし、天道がそう聞く前に澄生が声を上げる。いつの間にか集まってきた周りの生徒達も驚きの目で天道と霞を見ている。
その視線の痛ささえ心地良いように、霞はさらに体をくねらせて唇に嬉しそうな笑みを浮かべた。
「今朝……蓮實君が、俺の為に生きろ……って」
「いやぁー!」
「すごーい!」
「情熱的!」
途端、女子生徒から黄色い悲鳴が上がる。
その時になって天道は、自分がどんな
「いや……あれはそーいう意味じゃなくってだなぁ……」
マズイと思い、直ぐに発言の修正を試みる。
「えっ……?」
だが、それを聞いた霞の顔が一気に曇る。
「違う……の?」
「違うっていうか……」
しろどろもどろになった天道に、霞は顔を真っ赤にして恥ずかしそうに尋ねた。
「じゃあ、やっぱり……性奴…隷?」
「いやぁ-!」
「蓮實、さいてぇー!」
「変態!」
途端、女子生徒から今度は非難の声が上がる。
「ちげぇーよ!」
さすがにこれは即否定した。
「じゃあ……?」
不安そうな目で自分を見詰める霞を見て、天道は言葉に詰まった。
つまり、だ。あそこで霞が自分の言うことを聞いたのは勘違いからだったのだ。それはようするに、ここで本当の事を話せば事態は振り出しに戻りかねないということを意味する。
想定外の展開に天道は次の行動が起こせなくなった。
有り体に言えば、詰んだ。
「ちょっと借りるよ」
その時、天道の首にガシッと澄生の腕が絡んだ。
「なっ!?」
不意打ちに驚く天道を無視して、とりあえず澄生は人の輪から離れて黒板の前まで連行する。
「まぁ……なんか、だいたい察しはついたけどさ……」
それから天道の耳元で呆れたように言った。
「付き合っちまえばいいじゃんね?」
そして、軽い口調で提案する。
「テメェじゃないんだから、そんな簡単にいくかよ!」
だが、天道はそれを拒否した。これはそんな風に決めていい話ではない。それは経験上、わかっていた。
「固いねぇ」
「テメェの倫理観がおかしいんだよっ!」
肩をすくめる澄生を天道はおもいっきり睨みつけた。
「遅かったのか、彼女?」
「いや……速かった」
それは認めよう。自分は及ばないが、霞は
「それに、言っちゃったんだろう?」
「それは……テメェが余計なこと言うからだろう?」
その件について決して自分だけが悪いとは思えなかった。だが、あの場でそれ以上の良策があるようにも思えなかった。
「でも、言っちまったんだから、責任はとらないとな」
「責任って……」
それでもなお、天道は躊躇した。この状態で霞を受け入れるのは、何か違う気がした。
「おまえなぁ……」
そんな親友の姿に澄生は小さく溜息をついた。
「じゃあ、俺がもらおうかなぁ」
それから、シラッととんでもない事を口にする。
「はっ?」
天道の目がスーッと鋭くなった。
「そんなの駄目に決まってんだろう」
「それが答えじゃないか?」
「うっ……」
だが、そんな
(俺は司馬のことを……どう思ってるんだ?)
好き……ではないと思っていた。だが、今、女子の中では一番気になる存在であることも事実だ。それより近いはずの
だとすれば、自ずと答えは決まってくる。
黒板の前で顔をくっつけ合ってコソコソと内緒話をする天道と澄生に、一部の女子生徒は悲鳴に近い歓声をあげていたが、霞は不安げな瞳で二人の背中を見ていた。
「蓮實君……?」
「タカ、だ」
澄生の腕を振りほどいた天道は、唐突に言った。
「親しい連中はみんなそう呼んでる」
それから体だけで霞のほうを向く。顔は明後日のほうを向いている。
「彼女なら、他人行儀な呼び方はやめてくれ」
よく見ると微かに頬も赤い。
「カスミ」
「うん……タカ……君」
その呼びかけに霞は嬉しそうに頷いた。
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