7 翼

 ――トラクションコントロールTCS横滑り防止装置ESCを入れたままにしておいて、走らせるようにしてみな。

 天道の指示を霞は簡単だと思った。

「今のコーナーの立ち上がり、トラクションコントロールTCSが効いてたぞ」

 しかし、直ぐにそれが過ちだと気づいた。

「アクセルワークが雑すぎる」

 少しでも強くアクセルを踏めば直ぐにトラクションコントロールTCSが動作してしまう。

横滑り防止装置ESCも動いた」

 リアタイヤも流れ、それを関知した横滑り防止装置ESCが458の姿勢を勝手に修正してしまう。

「もっと親指の付け根に神経を集中させろ」

 言われるままに次のコーナーの立ち上がりで、右足の親指に全神経を注ぎながらアクセルをじんわりと踏んでいく。

「また効いてる」

 しかし、それでも横滑り防止装置ESCこそ動作しなかったが、わずかに回転計タコメーターの表示がアクセルと相反する動きをする。

 天道から冷たい叱責が飛ぶが、今は甘んじて受け入れるしかなかった。

「ステアリングの操作ももっと丁寧にやれ」

 正直、容赦ない物言いには霞はそのたびにムッなった。

「ステアリングを素早く切りすぎると、簡単にリアタイヤがブレイクするぞ」

 だが、アドバイスそのものは的確で、確かにその通りやれば改善されるので文句も言えない。

 悔しい気持ちを心の奥に押し込んで、霞は運転ドライビングに集中した。

 そうして箱根の料金所と湖尻峠の分岐点を何往復していくうちに、徐々に霞もコツを掴んで458をスムーズに走らせることが出来るようになってきた。

 元々、幼い頃よりテニスや乗馬、ゴルフなどを習い事としてこなしていたので、運動はそれなりに得意なのだ。

「コーナーはなるべく真っ直ぐに走れ」

 それに合わせて天道の助言アドバイスも徐々に変化していった。

「重要なのはライン取りだ」

 車を手足のように走らせる方法から速く走らせる方法に。

「基本はアウトインアウトだ」

 しかし、すべてを吸収することに夢中だった霞はその事には気づかなかった。

「コーナーは直線の入り口なんだよ」

 天道にしてみればそれは余計なお世話どころの話ではなく、まさに敵に塩を送る行為に等しかったが、それでも助言アドバイスせずにはいられなかった。

「いかに速く立ち上がるかで直線の速度も変わってくる」

 霞があまりにが良かったからだ。

 その成長ぶりは天道でも目を見張るものがあった。


 既に東の空はうっすらと明るくなり始めていた。そろそろ一般車両が走り出す時間だ。

 学校もあるので個人授業はここまでとなったが、喉が渇いたという天道の言葉に、二人は帰る前にヤギさんコーナーの駐車場で休憩することにした。

「ミルクティーでよかったか?」

 自販機で飲み物を買っていた天道は突然そんなことを言ってから霞に缶を放り投げた。

「あっ……」

 慌ててそれを受け取った霞だったが、その熱さに思わずお手玉してしまう。

「悪りぃ」

 それを見た天道はおかしそうに薄笑い浮かべながら謝罪の言葉を述べる。そのとても悪いと思ってるようには見えない態度に霞はあからさまにムッとする。

「お……金」

 それでも天道が自分の為にしてくれたということまで忘れていなかった。ジャージのポケットをまさぐる。

「いいよ、奢る」

 だが、天道はちょっとだけ意外そうな顔をしてからぞんざいに言うと、自分の分のコーヒーを開けて口にする。

「……ありがと……う」

 口の中で呟いてから霞もミルクティのプルタブを引っ張る。本当は敵である相手に奢られるのもお礼を言うのもおかしいのだが、今はなぜかこの流れに素直に乗ることが出来た。

「綺麗だな……まるで宝石の乙女だぜ」

 と不意に天道がそんな口にする。

「えっ……?」

 一瞬、自分の事を言われたのかと思い、霞はドキッとした。しかし、直ぐに天道の視線が458に向いていることに気づく。

「車、好きな……の」

 無邪気な瞳で458を見つめる天道を見て、霞は尋ねた。すると天道は少しだけ考えてから、

「うん……好きだぜ」

 と答える。

 その間が霞には気になった。屋上で車は自殺の道具ではないと一喝した天道なら間髪を入れず答えるような気がしたからだ。

「あなたにとって車って、な……に?」

 だから自然とそんな疑問が口に出てしまった。

「翼だな」

 今度は即答だった。

「……?」

 だが、それは霞をますます混乱させる結果にしかならなかった。

「俺の両親は曲芸飛行アクロバットのパイロットだったんだよ」

 それを見た天道は、語り始めた。自分の両親の事、今はない曲芸飛行アクロバットチームの事、そして事故のこと。今まで親しい人にしか話したことはなかったが、今は話すべきだろうと思った。なにしろ自分は先に霞の過去を知ってしまったのだから。

「それが、あなたが失ったも……の?」

 それを聞いた霞は、初めてちゃんと話をしたあの夜、エキシージの隣で聞いた天道の言葉を思い出していた。

「それだけじゃない」

 天道は頭を振った。それから既に朝焼けに染まった空に遠い目で見る。

「俺も将来は、パイロットになりたかったんだ」

 その瞳はどこか寂しげで、霞は胸の奥がチクリとするのを感じた。

「その為に小さい頃からTA-4Jスカイホークに乗って訓練もしてきたんだ」

(……えっ?)

 霞は、一瞬、戸惑ったが、直ぐにアメリカの法律では飛行教官が同乗すれば年齢に関係なく飛行機の操縦が出来るのだということを思い出した。

 実際、霞も小学生の頃、グァムに行った時に父から飛行操縦の体験ツアーを勧められたことがある。

 その推測は正しく、天道の両親は子供をパイロットにすべく幼い頃より英才教育をしていたのだ。チーム所有の機体の前部座席を子供サイズに改造するという親馬鹿ぶりまで発揮した。

 だが……、

「親父とお袋が死んで日本に来た時にじーちゃんに約束させられたんだ」

 二度と飛ばない、と。

 それは息子と嫁を同時に失い、悲しみに伏せた祖父の切実なる願いだった。

「あの時は荒れたなぁ」

 だから天道はそれを受け入れたが、頭ではわかっていても心は納得していなかった。日々積もるイライラを周囲にぶつけて発散していた。あの頃、喧嘩ばかりしていたのは、単に好奇な目で見らたことだけが原因ではなかったのだ。

「そんな時だよ、紗理奈ぇと出会ったのは」

「さりなねぇ?」

 聞いたことのない名前に霞は首を傾げた。

「俺の走りの師匠だよ。今日、アンタに教えたことも実はみんな、紗理奈ぇの受け売りさ」

「そうなん……だ」

 それを聞いた霞は少しホッとした。天道は練習などしなくても最初から運転がうまかったような気がしたからだ。

 実はその推測は半分当たりだった。天道が紗理奈からレクチャーを受けたのはまだ免許を取る前の話だ。だから、天道は初めて自分でステアリングを握った時から速かったのだが、今の霞には知るよしもなかった。

「初めて紗理奈ぇの隣に乗った時に思ったんだ」

 それは中二の夏、モデルの仕事を始めた姉の紹介で知り合った紗理奈の隣に乗って初めて芦ノ湖スカイウェイを走った時、天道は強い衝撃インパクトと深い既視感デジャヴュに襲われた。

「翼を取り戻した、ってね」

 自分でステアリングを握ってたわけではない。ただ隣に座っていただけだ。それでも天道はその時、自分が覚えている最古の記憶、幼い自分がコクピツトの前部座席に座り後部座席の母の操縦で無限に広がる空を飛び回った感覚と峠道やまみちを高速で走る感覚を重ねていた。

「…………」

 飛行経験のない霞には、正直、天道が何を言っているのかまったくわからなかった。しかし、感慨深げに赤みがかった大空のさらに奥を眺める天道を見て、なぜだかわからないが天道のことが羨ましくなった。

 ちょうどその時、営業車らしいワンボックスがヤギさんコーナーを走り抜けていった。

「そろそろ帰るか」

 それを見た天道は空になった缶をゴミ箱に捨てると458に向かって歩き出そうとする。

「……」

 しかし、霞はミルクティーを持ったままその場を動こうとしない。

「どうした?」

 その気配に気づいて振り返った天道に、霞は意を決したような表情で言った。

「最後に見せて欲しい……の」

 その真剣さに内心圧倒されながらも天道は次の言葉を待った。

「蟹さんみたいな走り……方」

「カニ?」

 突拍子もない単語に天道は思わずズッコケそうになる。だが、直ぐにそれがドリフト走行を指していることに気づいた。

 天道は躊躇した。ドリフトを見たいということは当然、マネをするつもりなんだろう。しかし、それはまだ早いように思えた。ここで自分の本来の走りを見せれば、今さっきまでやっていたこと ――霞に危険な走りをさせないように車の制御コントロールの仕方を教える ――が徒労になりかねない。

「……いいぜ」

 それでも天道は、霞にドリフトを見せることにした。遅かれ早かれ霞は気づくはずだ。グリップ走行だけでは自分にかなわないことに。ならば、やはりドリフトの仕方も見せておいたほうがいいだろう。

「よかっ……た」

 天道の答えにホッとしたように表情を緩めた霞は、空き缶を捨てると早足で天道を追い越して自分の愛車へと向かうとそのままサイドシートへと滑り込んだ。

 その素早さに苦笑いしながらも続けて天道もドライバーズシートにつく。

 まずマネッティーノのモードをCSTオフにする。そして、少し迷ってからシフトのAUTOも解除する。

 フェラーリ・458イタリアにクラッチペダルは存在しない。俗にセミ・オートマチックと呼ばれる方式でクラッチワークはシフトワークに合わせて機械的に自動で行われる。最近のスーパーカーでは既に標準と言ってもいい仕様だ。

 一般的な乗用車のようなシフトレバーも存在しない。代わりにステアリングホイールの裏にT字型のレバーが左右それぞれに付いていて、それを手前に引くことでシフトチェインジを行うのだ。

 F1のフェラーリ・639で初めて実用化されたこのパドルシフトの最大の利点は、コーナリング中でもステアリングから手を離さずにシフトチェインジ出来るところにある。コーナーの立ち上がり時などで、強烈な横Gと路面からのキックバックに耐えながら片手でシフトを操作しつつ、もう片方の手でステアリングを繊細に操るのはかなり難しいのだ。当然、失敗ミスもしやすくなる。それを軽減するのがパドルシフトなのだ。

 うる覚えの知識で左右のパドルを同時に叩いて、天道はギアをニュートラルした。パドルシフトそのものは紗理奈のアヴェンタドールで体験済みだったが、やはり愛車エキシージとは勝手が違う。

 それから、ステアリングの右下の赤いボタンを押してエンジンをスタートさせた。

”ブォーーーン!”

 背中からV8排気音サウンドが響き渡る。

 回転数が落ち着くのを待ちながら天道は横目で霞を見ると、

「これからやることは今まで教えてきたのとは完全に真逆だから、簡単に真似出来るとは思うなよ」

 と強い口調で念を押した。

「う……ん」

 その真剣さに応えるように霞もやや緊張した面持ちで頷く。

 それを確認した天道はパーキングブレーキを解除すると、アクセルとグッと踏み込んで勢いよく458を発進させた。

「……!?」

 突然の急発進に霞は一瞬、戸惑ったが、それ以上に車体が少しも乱れていないことに愕然となった。

(……これが車を手足のように操るということな……の?)

 下りの直線を猛スピードで加速していく458。その先には40Rの左コーナが迫る。二週間ほど前にフェラーリF50をぶち抜いた場所だ。

 すべてを頭と身体で記憶しようと霞は真剣な目付きで前方を見つめた。

(えっ……?)

だが、さっきまでの往復で感覚が覚えたブレーキングポイントを過ぎても天道はブレーキを踏もうとしない。

(ブレーキ、忘れて……る?)

 そんなあり得ない思考が頭をよぎった時、天道がブレーキを叩き踏んだ。

「!?」

 急な減速Gよりもペダルを踏んだ音に霞がびっくりしているうちに、天道は左のパドルレバーを手間に叩いてシフトダウンを済ますと、ステアリングの頂点を持って思いっきり左へと引いた。同時にアクセルペダルも丁寧に踏み込み、458をドリフト体勢へと持って行く。

 横向きになった458は弧を描きながらコーナーを駆け抜けていく。

「…………」

 フロントウィンドウ越しに風景がもの凄い勢いで横へと流れていくのを、霞は不思議な気持ちで見つめていた。

 いつもとはまるで違う風景。まるで飛んでいるみたいな感覚。

(翼……)

 さっきの天道の言葉を思い出し、霞はその意味を少しだけ理解できたような気がした。


 天道がドリフト走行を見せたのはその1回だけだった。そのまま、箱根の料金所まで戻ってくると、天道はさっさと458を降りてエキシージへと戻った。

「アンタの挑戦、楽しみにしてるぜ」

 本音とも皮肉ともつかない台詞ことばを残して走り去ったエキシージを見送ってから、霞はあらためてさっきのドリフトを思い返した。

 天道のアドバイスで今日一日だけでも自分はかなり成長できたと思っていた。もしかしたら、今、対戦バトルしてもそこそこいい勝負が出来るのではないかとさえ思っていた。

 だが、あのドリフトを見てそれがかなり甘い考えだったと思い知ってしまった。

(あれが出来ないと……勝てな……い)

 しかし、教えてくれる人がいない。さすがに天道にはもう頼めないし、頼んで断られるのは容易に想像が付いた。独学で学べないことはないかもしれないが、それでは本当に雪が降ってしまうかもしれない。

 今のままでは天道と同じ舞台に立つことさえ出来ない。それは霞にとって、とても悔しく、とても残念なことだった。

 なので、霞は決意した。

「晶さ……ん」

 霞がその名前を口にすると、直ぐに背中で気配がした。

「お呼びですか、お嬢様」

 声の主には振り返ろうとはせずに、霞は簡潔に用件だけを告げた。

「運転を教え……て」


 一週間後。

「もう5月も終わりだな」

「そうだな……」

 昼休み、天道はいつものように澄生とともに屋上で昼食を食べていた。

「今日も暑いな」

「そうだな……」

 都心に比べれば標高が高い分、涼しいはずの御厨市だが、ここ数日は強い日差しに後押しされて日中の気温もうなぎ登りだった。

「そういやぁ、明日から衣替えだな」

「そうだな……」

 明日からは6月。暦の上では衣替えだが、気の早い生徒は既に上着を脱いで登校している者もいる。天道と澄生も今は上着を脱いでいた。

「昔なら、それだけでテンション上がってたんだけどなぁ」

「そうだな……」

 パンをかじりながら澄生は溜息をついた。

「今は上にキャミ着ちゃってるばっかだからなぁ」

「そうだな……」

「……おまえ、俺の話、ちゃんと聞いてないだろう?」

 そこまで言って澄生は、とうとう耐えられなくなり不満の声を漏らした。

「それって、ちゃんと聞かなきゃいけない話かぁ?」

 だが、天道は横目で睨む澄生をうんざりそうな表情で睨み返した。

 いつもなら天道の言うとおりだった。

 普段はいろいろな意味で常識を逸している友人をたしなめることの多い澄生だが、こと女性に関してだけは例外だった。

 女誑しで可愛いを口説くのは礼儀と言い切り、相手の心だけでなく身体への興味も隠そうとしないエロ魔神。普通なら女子からは敬遠されるタイプなのだが、軽快な下ネタ話エロトークさえモテる要素のひとつらしい。前に天道が女子から聞いた話では、エロイけどガツガツしてないからなのだそうだ。

 なので、普段からそんな会話につきあわされている天道は、自然と聞き流すスルースキルが出来ているのだが、

「ほーっ……」

 天道の文句に澄生は目を細めた。

「そーいうことを言うんだ……?」

 それから顎で屋上入り口の方を指した。

「だったら、なんとかしろよ」

 釣られて天道がそっちの方を見ると、ぼさぼさのおさげとよれよれのスカートの裾がサッと影に隠れるところだった。

 霞、だ。

「今朝からずっとだぞ?」

 それは天道も気づいていた。朝、教室に来た時から霞が自分と接触する機会チヤンスを伺っていることを。だが、何を躊躇しているのか、お昼休みの今になって話しかけてこようとしない。結果、霞は追跡者ストーカーと化し、おかげで天道と一緒にいる澄生は居心地の悪い思いをするハメになった。それを少しでも紛らわすための試みだった訳だが、当事者である天道につれなくされては、立つ瀬がない。

「おまえに用があるんじゃないのか?」

「多分……な」

 正直、心当たりはありまくりだった。この時期タイミングに霞が天道に話しかける内容と言ったら一つしかない。しかし、その一方で、こんなにも早くという思いもあった。

「しゃーねぇな」

 二人が顔をそらしたのを見て、再び屋上出入り口の影から再び霞が顔を出したのを横目で確認してから、天道はめんどくさそうに立ち上がった。

 それを見て霞は、慌てておさげとスカートの裾を翻しながらその場を立ち去ろうとする。

「待てよ、蒼ざめた馬ペイルホース

 その背中に天道は少し威圧的に声をかけた。

「……!」

 霞の肩がビクッと震えて、足が止まる。

「俺に、なんか用があるんだろう?」

 ゆっくりした足取りで近づきながら、天道は続けた。

 その気配を感じて霞は、観念したように恐る恐る振り返った。

「…………」

 天道と対峙した霞だったが、前髪で隠された瞳には明らかな怯えが見られた。言おうか言うまいか迷っている、そんな様子だった。

 前髪越しにチラッと天道の顔を伺う。霞を眺める天道は、涼しげな表情で口元に微かな笑みを浮かべていた。

 余裕の顔だ。

 それがとてつもなくムカついたので、霞は決心がついた。

「わたしともう一度……対戦バトルし……て」

「練習はもういいのかよ?」

 予想通りの言葉だったが、それでも天道は聞き返さずにはいられなかった。早すぎる。

「う……ん」

 しかし、コクッとうなずく霞にはもう迷いは見られなかった。それで天道はこの申し出が本気ガチだと悟った。

「フッ……」

 内心の焦りを隠すように天道は息を吐くように笑みを漏らした。

「俺も舐められたもんだな」

 人を見下したように言い方に霞はムッとなった。

「わたしも……雪が降るまで待たせる気はな……い」

 それから皮肉めいた口調で反撃する。

「別にかまわんが……」

 だが、霞の攻撃的な態度は逆に天道を安心させた。

「オマエ、死ぬのはやめたのかよ?」

 なので、なにげを装って一番気になることを聞いてみた。

「やめてない……よ」

 しかし、目を伏せた霞の答えは期待とは反していた。

(そんなに都合良くはいかないか……)

 天道は心の中で溜息をついた。が……、

「でも、凄く悔しい……の」

 霞の言葉には続きがあった。

「悔しくて……悔しくて……このままじゃ死ねな……い」

 まるで歌うように語る霞の言葉には、強い感情がこもっていた。

「だから……、あなたに勝って、すっきり死にた……い」 

 そう言った霞は、真っ直ぐ視線で天道を見つめた。

「いいぜ」

 その態度が、既に死を望んでいる者に見えなくて苦笑いしながらも、天道は対戦バトルを了承した。

「おいおい、そんな簡単に受けちゃ駄目だろう?」

 だが、それに澄生が異議を唱えた。

「はっ?」

 怪訝そうな目で見る天道に澄生は真剣な目で訴えかけた。

「そこは、勝負に勝ったらなんでも言うことを聞いてもらうって条件を付けなきゃあ」

 ますます顔を険しくする天道を無視して澄生は続けた。

「それでもって、勝ったらあんなことやこんなことを……痛っ!」

 みなまで聞かず天道は光の速さで澄生の頭を殴った。もちろんグーで。

「いてててて……」

「いきなり何言い出すんだよ、てめぇは!」

 頭を抱えてしゃがみ込む悪友に天道は声を張り上げて抗議した。だが、悶絶する澄生は既に反論したくても出来るような状態ではなかった。

「そーいう冗談ジョークは時と場合を……!」

「いい……よ」

「えっ?」

 なおもまくし立てようとする天道だったが、霞の一言で口が止まった。

「あなたが勝ったら……何でも言うこと聞く……よ」

 その口調は完全に本気だった。

「性奴隷でも……肉人形でも……好きにし……て」

「しねぇーよっ!」

 だからこそ質が悪かった。

「女子がそんな単語、口にしてんじゃねぇーよっ!」

 思わず赤面しそうになるのを怒りで誤魔化しながら、天道はツッコミを入れた。おかげでいつも以上に強い口調になってしまう。

「その代わ……り……わたしが勝ったら……」

 だが、それでも霞は怯むことなく言葉を続けた。

「あなたがわたしを殺し……て」

 前髪越しに揺るぎない瞳で天道を見つめて。

「いいぜ」

「おいっ!」

 即答した天道に、澄生は本気で慌てた。

「そんな約束……」

「いいんだよ」

 しかし、それを天道は右手で制した。

「どーせ、勝てっこねぇ」

 それから、挑発的な笑みを浮かべて言い放った。

「!?」

 それを聞いた霞は体中に力を込めるように背筋をぴーんっと伸ばして、眉をつり上げた。

「明日の朝4時に、箱根側の入り口で待って……る……!」

 それから早口かつ乱暴に言うと、クルッと背中を向けて走り出した。

「やれやれ……」

 そんな姿を天道は、肩をすくめて見送った。

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