4 遭遇

 空子を湯河原駅で降ろして、天道は今来た路順ルートを引き返した。

 湯河原パークロードから県道へ、そこから走り慣れた自分の領域ホームへと入る。

 微かに朝靄の掛かる早朝の芦ノ湖スカイウェイには、昼間や夜中と違い静寂が漂っていた。

 しかし、無人の料金所を抜けた天道はすぐ、遠くに響くエキゾーストノートに気が付いた。

「こんな時間から、走ってる奴がいるのかよ」

 自分の事を棚に上げて呆れながらも、天道は内心、ワクワクしていた。対戦バトルもここ二日ばかりご無沙汰だったからだ。

 既に全開で走っていたのでこれ以上ペースは上げられないが、もし追いつくようなら問答無用でぶち抜くつもりだった。

 そのまま、芦ノ湖スカイウェイを駆け抜けて湖尻峠の分岐点まで来る。エキゾーストノートが徐々に近づいてくるのがわかった。

「近い……」

 そこから箱根スカイウェイに入り、いくつかのコーナーを抜けて最初のヘアピンへとドリフトでアプローチする。

「あれは……」

 フロントノーズがコーナーの出口を向いた時、天道は、一つ先のゆるやかな左コーナーへと消えようとするエキゾーストノートの主を視界に捕らえた。

 左右一つずつ配置された上面が露出した砲弾型のテールランプ。その間には、銀色に輝く跳ね馬のエンブレム。

 その後ろ姿は、まぎれもなく数日前に雑誌で見たフェラーリ・458イタリアのものだった。

 ナンバーは足立。そして、色は蒼。

蒼ざめた馬ペイルホース!!」

 天道の全身の血が一気に沸騰する。

「遭えたな……」

 ニンマリと笑みを浮かべた天道は、まるで獲物を狙う野獣のように舌なめずりした。

 ヘアピンを立ち上がったエキシージは追撃態勢に入る。相手はまだエキシージの存在には気付いていないようだった。ここまでのペースを考えれば流している公算が高い。気付かれる前に出来るだけ差を詰めておきたかった。

 左、右と緩やかに続くS時コーナーを抜ける。と、ちょうど458が少しきつめの左コーナーにアプローチするところだった。速度はかなり乗っている。にもかかわらず、まだブレーキングする気配はない。

「やるな……」

 天道は目を見張った。普通ならばとっくにブレーキを踏んでいてもおかしくないタイミングだったからだ。突っ込みには自信のある天道でもギリギリに近い。

 突然、458のテールランプが激しく点灯した。同時に車体が前に沈み込み、四輪から白煙が上がりそうになるが、その前にアンチ・ロック・ブレーキABSがタイヤのロックを感知して細かくブレーキのオンオフを繰り返す。

”キィィッ!”

 その状態のままで、458は強引にフロントタイヤを左へと切った。

 荷重の載ったフロントタイヤは、アンチ・ロック・ブレーキABSの恩恵を受けて辛うじて回転運動ヨーを発生させる。僅かに残った横方向へのグリツプで、フロントをアウトへと流しながらもノーズがのっそりと左へと向き始める。

 しかし、荷重の抜けたりリアタイヤはそれを受けられず、たちまちブレイクしてリアが一気に右へと流れ始める。

 急速に横向きになろうとする車体を押さえ込むように大きくカウンターを当てる。そのまま458はコーナーの奥へと消えていく。

「ブレーキング……ドリフト……なのか?」

 それを天道は、アンチ・ロック・ブレーキABSの特性を生かしたブレーキングドリフトだと思った。

 追いかけるようにエキシージもいつもの調子でコーナーへと進入アプローチする。

「!?」

そこで天道は驚嘆した。

 ドリフト状態でコーナーを回り、出口が見えたところで458が横になって止まっていたからだ。

「スピンしやがったのか!」

 天道は毒突きながらも回避方法を考える。道をほぼ塞ぐように止まっているので避けて通るのは不可能だ。となると選択肢は二つ。ブレーキを踏むか、ドリフトアングルを深くして速度を落とするか。

 千分の数秒後、天道は後者を選択した。若干の速度ダウンを狙って、そのままの姿勢でさらにシフトダウン、同時にステアリングを僅かに左へと切り込み、繊細にアクセルを踏む。

 リアを大きく流したエキシージは、ほぼ横向きでコーナー出口へと躍り出る。それでも458へと距離はどんどん縮まっていく。

「ちっ!」 

 天道は舌打ちをした。やはりブレーキを踏んでスピンしてしまおうかと考えた時、

”ブォォォォォォォォォォォォッ!”

 458が甲高い排気音を呻らせて、急発進した。

 おかげで458へと突っ込むという事態は回避できたが、天道は憮然としていた。

「…………なんだ、ありゃ?」

 最初は、単にブレーキをミスったのかとも思った。だが、次のRの緩やかな右ヘアピンでも458は無謀な突っ込みから強引なブレーキ、そして、やはりリアを大きく流しながらコーナーを進入し、出口で止まる。

 その繰り返し。つまりコーナーを回るたびにスピンしているのだ。

 それで天道は確信した。これが蒼ざめた馬ペイルホースの走り方なのだ。

「……それで、死を運ぶ馬か」

 紗里奈の言葉を思いだして、天道はげんなりした。

 対戦バトルするつもりで迫った相手が目の前でいきなりスピンすれば大抵は混乱状態パニツクになる。それを避けようとしてみんな自爆クラッシュしてしまっていたのだ。

「……凄いって、そーいう意味かよぉ」

 澄生の言葉を思いだして、天道はぼやいた。確かに凄い走りではあるが、意味が違う。この手の話に尾ひれが付くのは当たり前だが、これは完全に付きすぎだ。

 なぜ、そこまで話が大きくなったかというと、蒼ざめた馬ペイルホースと対戦したとある最速屋ケレリタスが出口でスピンした458を避けきれず自爆クラツシユしたことの端を発する。

 本来、対戦バトル中は常に相手がスピンすることも念頭に置かなければならないのだが、その最速屋ケレリタスはそれを怠って自爆クラツシユしてしまったのだ。それは最速屋ケレリタスとしては恥ずべき事だった。なので、その最速屋ケレリタスは嘘をついた。

 ――蒼ざめた馬ペイルホースが速すぎて付いていけなかった、と。

 それをきっかけに同じように自爆クラツシユした連中が同じような言い訳をし始めた結果、真実とは真逆の噂が蔓延してしまったのだが、今の天道には知るよしもなかった。

「さて……どうする?」

 天道は自問した。紗里奈の警告通り、こんなのと対戦バトルするのは危険すぎる。だが、このまま引くのもシャクだった。

 となれば、答えは一つ。

「やるか……」

 うんざりそうに呟いてから、天道は458の追撃態勢に入った。

 そのまま、いくつかのコーナーを抜けていく。その間、天道は458の走りを観察していた。

「ちっ……」

 そして、また舌打ちする。

 ブレーキングはほぼ互角なのでそこでは抜けない。

 コーナリング中は、道幅全体を塞ぐように横になっているのでそこでも抜けない。

 残るは立ち上がりなのだが、これも道幅全体を塞ぐように横になって止まっている上に、再スタートすると4.5リッター、V型8気筒から生み出される578馬力psというハイパワーで一気に加速する為、同じ位置、同じ速度からのよーいドンでは260馬力psしかないエキシージではついて行けない。

「走るシケインかよ」

 前に紗里奈から聞いた、世界初のターボ付きF1マシンの話を思いだして天道はめんどくさそうに吐き捨てた。

 こうなると、あとは458が再スタートして加速する瞬間を狙うしかない。だが、これも相手から妨害ブロツクされればアウトだ。

 しかし、不思議なことに見る限り、458はエキシージを意識しているようには見えなかった。

 走りにブレがないのだ。

 普通、対戦バトル状態なれば多少になりとも抜かれまいとして、ライン取りやブレーキング位置に変化が出たりする。しかし、458にはそれがまったくみられない。

 まるでエキシージが目に入っていないように。

 その事に天道は奇妙な既視感デジャヴュを覚えた。同時に、毎回するスピンするこの走りに対してもなにやら引っかかるモノを感じていた。

 それは単にヘタクソだったり、ドリフトの練習中だったりとかではけっしてないと思えた。まるで、チキンレースで迫る埠頭にビビリ、思わずブレーキを踏んでしまうのと似てるような……、

(おっと、イケねぇ)

 そこまで考えて天道は雑念を追い出すように頭を左右に振った。

 とにかく、458は妨害ブロツクはしてこないと天道は踏んだ。ならばあとは自分次第だ。

「次で、いくか」

 アクセルを緩めて、一端、458との間合いを取る。

 130Rほどの右コーナー。そこへ458がアプローチしていく。

 三拍ほど遅れて、エキシージもそれに続く。そこまで、458のコーナリング速度に合わせてワザとグリップ走行で遅く回っていたコーナーを、いつも通りドリフト走行で一気に駆け抜ける。

 ノーズがコーナーの出口を向くと、ちょうど458が再スタートしようとしているところだった。

 458の動きをと見る。

 458は、イン側に向けたノーズをガードレールに擦らんばかりに接近させながら転回させてコーナーの出口の先へと向けようとしていた。

 その間もアクセルはいつも通り踏み続ける。エキシージがグイグイと458へと迫る。

 道の右へとフラフラと蛇行していくの見て、天道はステアリングを左へと切った。エキシージは、まるで横移動するように458の左側へと滑り込む。

 そのままフルスロツトルで一気に並ぶ。同時に458も加速するが、勢いはエキシージのほうが上だった。

 抜く瞬間、天道は首を右に向けて458を見た。こんな無茶苦茶な走りをしている奴の顔を拝んでおこうと思ったからだ。

「えっ……?」

 そして、絶句した。

 458を運転していたのは、少女だった。

 年の頃なら、天道と同じぐらい。髪はクシを全然入れていないかのように寝癖だらけで、背中に掛かるぐらいの後ろ髪は無造作に輪ゴムで二つに結んでいた。前髪はヘアバンド――洗顔などで使うタオル地のだ――で無造作に後ろに上げられ、おでこを全開にしている。

 ほっそりとした輪郭にパッチリとした黒目がちな目と小さくふっくらとした唇をした美少女だ。

 しかし、天道が驚いたのはそこではなかった。

 少女はジャージ姿だった。チャックのないタイプで着古してクタクタになっている。平らな胸元にはどこかの学校の校章。色は赤。

「嘘……だろう」

 それを着ていた人物を天道は知っていた。

 少女もまた、天道の方を見て大きく目を見開いて驚いていた。

 エキシージが458を完全に抜き去る。すぐ次のコーナーが迫っていた。

 ブレーキングからターンインしてドリフト状態に持ち込む。理想的なドリフトアングルでコーナーを抜けて立ち上がる。一歩遅れて、458がテールからコーナー出口に姿を見せる。

 そのまま止まってしまった458を尻目に、エキシージは一気に加速して突き放す。

 それで勝負が決した。

「今のは……」

 だが、天道にとって、既にそんなことはどうでもよかった。

「確かに…………」


 朝の教室に天道が入ったのは、予鈴が鳴る寸前だった。

 とは言え、間に合うのはわかっていたのでそれほど焦ることもなく後ろの扉から中へと足を踏み入れと、まず、一番前の席を見た。

 そこには、霞がいつものようにぽつりと座っていた。

「遅かったな、タカ」

 悪友が来たのを発見してすかさず澄生が声を掛ける。

「ちょっと、な」

 それに生返事で応えながら、なおも天道は霞を凝視した。いつも通りうなだれたように俯いて机の上をジッと見詰めているように見えたが、自分が澄生に返事をした瞬間、肩が微かに震えるのを天道は見逃さなかった。

 それで天道は確信した。

 あの赤いジャージは二日前に霞が着ていたのと同じ物、つまり霞が蒼ざめた馬ペイルホースなのだ。

本当マジかよ……)

 授業中、霞の背中を眺めながら天道は愕然とした。だが、同時に納得もしていた。蒼ざめた馬ペイルホース対戦バトルしている時に感じたあの既視感デジヤヴ。あれは458の走りに霞の姿を無意識に重ね合わせていたからだと思いついたからだ。

 そして、霞の反応からエキシージのドライバーが自分であることも気付いている。

(となると、あとは……)

 、霞と接触するだけだ。

 授業の合間の休み時間や昼休み、天道は霞を目で追いながらその機会をうかがった。

 が、気にしてみて初めて気が付いたが、霞はほとんど自分の席から動かない。

 何気にクラスメイトに確認したが、天道と澄生が屋上に昼飯を食べに行ってる時に一度、席を立ったぐらいだという。

 天道は思案した。

 教室で声を掛けるのは、澄生や他のクラスメイト達に変に勘ぐられそうなので得策ではない。手紙で呼び出すという手も考えたが、豪快に無視スルーされそうなのでやめた。

 となると、あとは帰り際を狙うしかない。

 帰りのショートホームルームがを終わり、霞がフラフラと教室を出て行くのを確認してから、天道は席を立った。

 御厨高校名物の長い廊下を霞から少し距離を置いて歩く。まるでストーカーのようだが、既に他のクラスも帰りのショートホームルームが終わっていて、廊下は行き交う生徒で溢れかえっているため、霞と天道に注目している者はほとんどいなかった。

 階段まで来る。そこはちょうど一週間前、天道が霞を助けた場所だった。

「おい」

 周りに顔見知りの奴はいないことを確認してから天道は霞に声を掛けた。

「……!?」

 ビクッと肩を振るわせて立ち止まった霞は、のっそりと振り返った。

「話があるんだ。屋上まで付き合ってくれよ」

 天道の言葉に霞はコクッと頷いた。


”ギィッ……”

 錆びた音と共に天道は鉄製の重い扉を開けた。

 名目上は生徒は立ち入り禁止になっている場所だが、普段からここで昼食を取っている天道はなんの躊躇もなく足を踏み入れた。その後をおぼつかない足取りで霞が続く。

 人気のない屋上はひっそりとしていて、遠くから部活に精を出す生徒達の声が聞こえてくる程度だった。

「今朝の、アンタだろう?」

 金網フェンスの辺りまで歩いてから霞の方を振り返った天道は、いきなり本題を切り出した。

「……」

 天道の問いに霞は無言でコクっと頷いた。

 特に驚きは無かった。今朝の対戦バトルで、相手の車の中に天道の姿を見た時からこうなるかもしれないとは思っていたからだ。

 だが、何故、自分をわざわざこんなところにまで呼び出したかまではわからなかった。もしかしたら、それをネタに脅されて凌辱の限りを尽くされるのかも知れない。

 自分が壊れるまで。

「なんだ、あの運転は?」

 けれども、霞の淡い期待とは裏腹に天道は全然違うことを言ってきた。

「ヘタクソ過ぎだ」

 呆れたような表情を浮かべた天道は、蔑むよう目で霞を見た。

「突っ込みまではオッと思ったが、そこから先がメタメタだ」

 口調にも驚きと非難と嘲笑が混じっている。

「あんな無茶苦茶な走り、見ているこっちが恥ずかしくなってくるぜ」

 それは明らかな侮辱、言葉の暴力だった。

「せっかくのフェラーリも宝の持ち腐れだぜ」

 しかし、霞はそんな天道の言葉を淡々と聞いていた。

「車の性能を全然生かし切ってない」

 ――彼は何を言ってるんだろう?

 そう思った。

「あれじゃあ、蒼ざめた馬ペイルホースの名が泣くぜ」

 ――彼は勘違いをしている。

 あの夜のように。

最速屋ケレリタスのクセに遅すぎる」

 ――ちゃんと教えてあげないといけない。

 だから、霞は天道の言葉におもむろに反論した。

「違う……よ」

「なにが違うんだよ?」

 イラッと片眉を跳ね上げた天道に霞は静かに言った。

「わたしは最速屋ケレリタスなんかじゃない……よ」

「はぁ?」

 その答えに天道はますます顔を険しくしてさらに問い糾す。

「じゃあ、なんであんな所、走ってるんだよ」

「自分を無に帰す……為」

「!?」

 その途端、天道の目がカッと見開かれる。

「車は死ぬ為の道具じゃねぇぞ!!」

 それから両眉を釣り上げると鋭い目付きで霞を睨みつけて、ありったけの大声で怒鳴った。

 普段耳にしているエキゾーストノートフェラーリサウンドをも上回るような轟音に、霞は思わず目をつぶって肩を竦めた。

「ふざけるのも大概にしろっ!!」

 それでもお構いなしで、天道はなおも捲し立てた。怒りのあまり目は血走り額には青筋が浮かんでいる。

「そんなつもりで走ってるなら、二度と車なんか乗るんじゃねぇ!!」

 それを聞いた霞は、俯いて拳を強く握りしめた。体温が一気に上がり、身体がワナワナと震える。それを押さえ込むように唇をギュッと噛んだ。

 ――何故、そんなことを彼に言われなければならないの?

 そんな思いが心の奥底からフツフツと沸いてくる。

「あなたには関係……ない」

 気付いた時にはそう呟いていた。

「はぁ? 本気で言ってのかぁ!?」

 だが、天道は信じられないという顔でさらに感情を高ぶらせて言った。

「俺が巻き込まれる可能性だってあったんだぞ!!」

 それは正論だったが、正論故に霞には受け入れられなかった。

 だが、言い返すことも出来ない。

 間違ったこと言ってるという負い目。言い返されるかも知れないという恐怖。それらが霞に反論を躊躇させた。

 何も言えない悔しさから頭の芯が焼けるように熱くなる。

「…………」

 あからさまに頬を膨らませた霞は、前髪越しに上目遣いで天道を睨みつけた。それしか出来ないという事実がさらに悔しさに拍車を掛ける。

「なんだよぉ……!」

 その視線に気付いた天道は気に入らなそうに霞を睨み返す。

「文句があるなら、対戦バトルで俺を倒してみろよ!」

 それから、不意にそんなことを言った。

「そしたら、もうオマエには二度と干渉しねぇよ」

「本当……に?」

 冷静に考えればかなり唐突な提案だったが、頭に血が上っていた霞は思わず反応してしまった。

「ああ、約束するぜ」

「わかっ……た」

「もっとも、今のアンタの腕じゃ、絶対無理だろうけどな」

 冷ややかな口調で天道は嘲笑したが、その時には霞は既に背中を向けて歩き出していた。

 ――絶対、勝つ。

 心の中でそう何度も呟きながら。


「ふーーーーっ…………」

 霞が屋上から出て行くのを見送ってから、天道は長い溜息をついた。

 それから、ゆっくりと屋上入り口へと歩き、扉を開けて校舎の中に入った。

「司馬が蒼ざめた馬ペイルホースって本当マジかよ?」

 そこで横から声を掛けられた。

「盗み聞きとは悪趣味だぜ」

 足を止めた天道が横目で見ると、戸惑いの表情を浮かべた澄生が壁に背中を預けていた。

「って、なんでこんなところにいるんだよ」

「おまえが朝から司馬を気にしてたから、何かあると思ってこっそりつけてきたんだよ」

 驚く天道に澄生はシレッと言った。

「ちっ……!」

 関わられるといろいろ面倒なことになりそうなので画策していたのだが、徒労に終わったと知って天道は舌打ちをした。それから澄生を無視するように階段を降り始める。

「なんで、わかったんだ?」

 置いてきぼりを喰らいそうになり慌てて天道の隣に並んでから、澄生は聞いた。

「今朝、対戦バトルした」

 それから天道は事の成り行きを掻い摘んで説明した。

「……けど、一つだけわからないことがある」

「なんだよ?」

 少し考え込むような仕草をした天道に、澄生は再び聞いた。

蒼ざめた馬ペイルホースの噂が広まり始めたのは去年の夏……正確には六月ぐらいからなんだよ」

 それは、学校に来る前に紗里奈に電話して確認した情報だったが、その事は黙っていた。澄生がに食らいついてくるのがわかっていたからだ。

「それだと、年齢的に辻褄が合わなくなる」

 無免許で運転していたという可能性も考えたが、御厨市のような田舎ならともかく都内でそんなことを続けられるとは思えなかった。

「ああっ……その事か…………」

 が、澄生は特に驚きもせずにまるでそれが当然のような反応をする。

「なんか、知ってるのか?」

「いや……まぁ……」

 鋭い目付きで自分を見た天道に、澄生は少し口籠もった。

「司馬は……」

 しかし、すぐに諦めたような顔をすると真実を告げた。

「前の学校で留年してるんだよ」

「留年!?」

 さすがに天道も驚かざるを得なかった。

「って、アイツ、俺達よりも年上だったのかよ!」

 思わず、澄生に食って掛かる。

「まぁ……そーなるな」

 それは霞の事を聞き出した時に一緒に教えてもらった情報だった。一応、霞が自ら言うまでは絶対内緒にするよう約束させられていたのだが、こうなっては仕方ない。

「なるほどね……」

 謎は解けたがそれでもなお天道は複雑な表情をしていた。

(それが司馬が失ったモノ、なのか……?)

 そんな考えが頭をよぎったがすぐに違うだろうと思った。恐らく留年はその結果に付随してきただけなのだろう。

「それより……さっきのは危険球ビンボールじゃないか?」

 そのまま思考が深みに入りそうになったが、澄生の怪訝そうな声で天道は現実に引き戻された。

「いいんだよ、アレで」

 天道は前を向いたまま声だけで返事をした。澄生がどんな顔をしているかは見なくても想像が付いたからだ。

「言い訳無いだろう……おまえ、俺がこの前に言ったこともう忘れたのかよ?」

「忘れてねぇよ」

 呆れる澄生に天道は嘯いた。

 忘れてはいなかったというのは本当だ。だから、初めは慎重にやるつもりだった。しかし、霞の一言で、あの時引っかかっていたものの正体に気づいてしまい、つい本気で怒ってしまった。正直、あれは自分でも失敗だったと思っていた。

「でも、司馬は対戦バトルすると言った」

 当初の目的は達せられた。

 だから、天道は足を止めると澄生の方を向くと口元に微かな笑みを浮かべた。

「結果オーライだよ」

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