番外 秘書サイド2
悲鳴のあった場所まで秘書はメイドと歩いていくと、地面には折れた木の枝と落ち葉、そして何かの赤黒い塊と血があった。
おそらくこれが暗殺者の死体の塊だろう。
「間違いありませんね。これが暗殺者でしょう」
「え? これが?」
「ええ、この木槌が効いたのが何よりの証拠です。この木槌で殺せるのは皇帝に仇なす異分子だけ……」
そこでメイドが叫んだ。
「危ない!!」
秘書を庇うような形でメイドが地面へと倒れ込んだ。
メイドの背中には短剣が3本刺さっていた。
秘書は思った。実戦経験の少なさが、この致命的な遅れにつながった。
普段なら気づけたはずなのにだ。
秘書は起き上がると、地面に倒れるメイドをゆすって声をかけた。
「ちょっと、返事をしなさい!」
その時突然、男の笑い声が聞こえてくる。
そこにいたのは長い髪の黒服の男、フクロウだった。
「ふふふふ、なるほど。これが噂の『帝国の秘書』の力ですか。聞いていたのとは少し違いますね。……ん?」
暗殺者フクロウの会話を止めたのは、背中に短剣を差したまま立ち上がったメイドだった。
「いたたたたた……痛いですよ、も~! これ完全に刺さっちゃってます。抜いてもらえませんか?」
こんなときでも空気の読めないメイドだった。
秘書に短剣を抜くように頼んでいた。
「あなたは……、その大丈夫なのですか?」
「は、はい……痛いですけど、けっこう大丈夫ですよ。あ~、メイド服は破れちゃいましたね……」
そんなやり取りをしてから、秘書はメイドから短剣を引き抜いて地面へと投げ捨てた。
フクロウはその様子を驚きの表情で見ていた。
「驚きました……。猛毒が塗ってあったのですよ?」
秘書だって驚いてはいるが、メイドが無事だった安堵感の方が勝った。
メイドの命が……というよりも、使命を全(まっと)うできずに、明らかに自分よりも弱い者に庇われたことが心理的にも大きかった。
秘書はつい思ったことを口にしていた。
「あなたはもしかしてただのメイドではないのですか?」
「……そういえば秘書さんは新参だから『私たち』のことは知らないんでしたね」
「私……たち? それはどういう意味?」
「フィオナ様も……という意味です。私たち二人はただの人間……ではありません。いえ、正確には私は人間ですらない……ですね。言ってしまえば、人工的に作られた魔法生物なんです。初めてあった日、フィオナ様から与えられた名前はルルミーでした。人生の中で一番うれしかった出来事かもしれません」
そういって、メイドはスカートをまくって、太ももやお尻を秘書に見せた。
より正確にはそこに刻まれた魔法陣をだ。
「これが全て『外付け』の魔法陣?」
『外付け』の魔法陣というのはいわゆる人体実験の産物だ。
後発的に魔法を使えるようにしたり、より強い魔法を使えるようにするのが主な目的で生みだされたものだ。
それがフィオナ様にも魔法陣が植え付けられて……と思い至ったところで、なぜ彼女に魔法陣が刻まれたのか理解に至った。
フィオナ様が無能と言われている理由がまさにそれだからだ。
あの子は皇帝家に生まれたのに『魔法』が使えなかった。
犠牲を積み上げて無限に性能を上げられるのは、魔法だけだ。
魔法が使えないなら、後付けで使えるようにしたかったのかもしれない。
「私が生み出されるずっと前からフィオナ様は実験体でした……。死ぬよりも辛いあの地獄の実験の日々を生まれてから先代皇帝が死ぬまでずっとです。だからフィオナ様は本当はすごい方なんです。魔法が使えないだけで、ものすごく立派な女の子……なんです」
メイドのルルミーが浮かべるのは真剣な表情だった。
まさか、娘を実験台にするとは誰も思わない。
だから、外部に知らされていないのは、明らかに皇帝と秘書であった母の思惑によるものだ。
だとするとおそらく貴族連中も知らないことだろうと秘書のキリエは当たりをつけた。。
そして、あの一見ダラダラした何の取り柄もないフィオナ。
無能でしかないと思っていたが、自分の想像をはるかに越えた経験を経ていたことに気づかされた。
それでも冷静な思考で暗殺者フクロウに対しての交戦を開始することにした。
手にした『魔法の書』から引きずり出したのは、両手を広げるくらいの長さと人の頭くらいの大きさの先端をした大きな木槌だ。
さっき出したものより少しスケールを小さくて振りまわしやすくした。
「あなたは暗殺者でよろしいですか?」
秘書の問いかけに、にやりと笑みを浮かべる暗殺者の男。
「それは言えませんね。一応これでも大事な仕事中でね」
「それだけで結構です。私が決めるのではなく、この『魔法の書』と木槌があなたの罪を罰しますから」
「そうかい。でも……」
秘書は正面から木槌を振り下ろすと、男はそれをスラリとかわす。
フクロウは言葉をつづけた。
「……当たらなければ何の意味もありませんよね?」
さっきの巨大な木槌も攻撃の動作に気づいて避けたらしい。
秘書の身体的な速度とそこまで差がないことからも、身のこなしが暗殺者のプロであることは間違いなかった。
「私は今日、多くの勘違いを正されました。フィオナ様やメイドのこともそうですが、なによりもこの『魔法の書』があれば竜種にも対抗できると考えてしまったことです。あなたのような暗殺者さえ殺しきれない。全ては私の奢(おご)りでした」
繰り返し振り下ろされる木槌を軽やかに避ける暗殺者の姿を見て、メイドのルルミーはその動きを拘束しようと走り出す。
「私だってやれば出来――きゃっ」
と暗殺者に後数歩で届くと言うところで、メイドは顔面から思いっきりズっこけた。
緊張感の無さは相変わらずだった。
フクロウは首をかしげる。
「う~ん? 人工的に作られた魔法生物……という割には、戦闘が素人同然ではないですか?」
メイドは起き上がりながら、理由を告げた。
「いたたた……。私はその……戦闘のためにはつくられていないので、家事やお掃除以外は全くダメで……。でも身体は頑丈なのであなたを捕まえるくらいはしてみせます!」
メイドは勢いよく飛びかかるが、フクロウはひらりと突進をかわした。
秘書の数段遅い動きでは触れることもできない。
「捕まえる? それは無理な相談です」
その交差の間に短剣を投げてメイドの額へと命中させた。
その勢いに押されて地面へと後頭部からメイドは倒れた。
メイドは慌てて額から短剣を抜き、顔から血をたらしたまま暗殺者フクロウへと向き合う。
手にした短剣を男の方へと向けて叫んだ。
「地獄のような実験の日々に比べれば、こんな痛み何ともありません! だから、フィオナ様を殺させるようなことは絶対にしません……」
暗殺者はメイドの折れない心と真っすぐな瞳を見て、本能的に危険を感じた。
身体が動く限り仕事を邪魔するのは確定的だ。
ならば、メイドも秘書もまとめて排除するべきだと。
そこでようやくフクロウは魔法を使うことにした。
フクロウが戦闘態勢を解いて一言いう。
「残念です……。そちらが引いてくれないのであれば、こちらも相応のリスクを払って、あなた方を殺しましょう」
彼が腕をナイフで切ってその血を地面へと落とす。
すると、そこを中心に水の波紋が広がるようにして魔法陣が展開された。
魔法陣の上の草花が次々と赤黒く枯れていく。
「これはまずいです。避けなさい!」
秘書はメイドに叫んだ。
魔法陣は半径15メートルくらいだ。その上の植物が毒で腐ったようになって、枯れ果てた。
さらにフクロウは自分の血をたらし続ける。
その量が増えれば増えるほど、魔法陣の円は半径を伸ばして大きくなっていく。
「こ、ここ、これは……毒?」
メイドのルルミーはそれを見て呟いた。
秘書はさっさと暗殺者を殺せないことを後悔した。
この魔法は、血をたらしその場所を中心点としている。そして、永遠に半径を広げ続けていた。
つまり、手が遅れれば遅れるほどこちらが不利になる。
近づけない上に、向こうの死の円の半径は広がっていく。
だが、メイドだけは意外な行動を取った。
毒の魔法陣の中を突っ込んでいって、暗殺者フクロウを両腕で拘束したのだ。
不意をつかれたフクロウは両腕で捕縛される。
必死にもがくが、魔法生物の腕力は人間の比ではない。
まず抜け出すことは不可能だった。
「クソっ! 離しなさい!!」
「いや、です……。さあ、秘書さん。攻撃するなら今です!!」
メイドは秘書に叫んだ。
攻撃するなら今しかないと。
「あなたの覚悟を無駄にはしません……」
秘書は『魔法の書』から改めて一回り大きい木槌を取り出す。
この距離からでも男にぎりぎり届くくらいの長さがあった。
それをゆっくりと空へと持ち上げて、思いっきり振り下ろした。
「罪には罰を!!!」
何か肉がひしゃげる音がして、メイドが抱え込んでいた男の身体が赤黒い肉塊へと変わった。
その瞬間、毒を発生させていた魔法も消失した。
その場にずるずると倒れ込んだのはメイドのルルミーだった。
いくら魔法生物でも魔法による特殊な毒の攻撃を耐えられるはずはなかった。
顔面が紫色になっていて、両手足はすでに真っ黒に変色していた。
「お願い……します。フィオナ様が見つかったら、どうか一言だけでもいいので私の言葉を伝えてください」
「何を伝えればいいですか?」
もうすぐ一つの生命が死を迎えようとしているのに、それでも秘書のキリエは表情を変えなかった。
だが、そのお願いは聞こうと固く決意した。
「『フィオナ様ならきっと素敵な王子様が見つかります。だから……』」
目がうつろになったメイドは最後にこう言い残した。
「『……もう一発ギャグは練習しなくても大丈夫ですよ。いえ、もうしないでください』と」
それを聞き届けた秘書は、初めてそのメイドの名前をきちんと呼んであげた。
「ルルミーでしたね……。あなたはまぎれもなく人間です。ゆっくりおやすみなさい」
それを聞いてメイドはゆっくりと目を閉じた。
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