番外 秘書サイド
【視点:秘書】
皇帝の秘書は名前をキリエという。
秘書の役割はたった一つ。
事務仕事でも雑用でもなく、『皇帝に反逆するものを排除する』ことだ。
いわゆる不穏分子や異端分子を帝国からとり除くことが使命ともいえる。
今しているのはそのどれでもない。
コウセイという勇者の提案を受けて皇帝を探すために軍隊を国内で動かしていた。
だが、結局さんざん探しまわっても皇帝は見つからなかった。
そんな時だった。
メイドを傍に置いて城門前の事務所である連絡を受けた。
『……というわけで、アルカリス王国の魔王による進軍は話し合いでけりがついたので安心してくれ』
どうやら話し合いの末に魔王軍と停戦協定が結ばれたらしいのだ。
秘書は驚くメイドを横目に見ながら、コウセイに対する評価を上方修正した。
「これは予想以上に、彼の行動がよい結果をもたらしたようです」
そこに城の中から一人の衛兵が報告に訪れた。
「失礼します」
「何用ですか? 今忙しいのですが」
「先ほど貴族院の会議が終わりました。そこでの新たな決定をお伝えします」
「貴族院が?」
秘書は、いぶかしげに衛兵を見つめた。
このタイミングで貴族院が横やりを入れることとは何か?
想像がつくから嫌になるのだ。
皇帝が不在の間は、軍事行動の指揮権は臨時権を持つ秘書から正式に貴族院へと移るのだ。
「現在、失踪した皇帝の捜索を行っているとのことですが、それを直ちに中止するよう決定が下りました。すぐにでも捜索をやめるようにと……。それから、失踪した皇帝フィオナ様についてですが、1カ月の間は皇帝の位はフィオナ様のままとなります。見つかればそのまま皇帝権を継続。もし、期間内に死亡が確認された場合、新たな皇帝を貴族院が擁立するとのことです」
「わかりました。下がってください」
秘書はため息を一つついて衛兵を下がらせた。
その報告に首をかしげたのはメイドだ。
「いまのはどういう意味なのでしょうか?」
秘書はもう一度ため息をついた。
貴族院の裏の意図がわかっていないのだ。
「簡単に申し上げれば、見つかる前に殺してしまえということでしょう」
そう言った瞬間、メイドは顔面を蒼白にした。
「そ、そそそそ、そんな!」
「まあ、私個人としてはフィオナ様が死のうが生きようがどうでもいいです……」
その辛らつな言葉を聞いて、メイドは秘書に非難がましい目を向けた。
そこで秘書は言葉をつづけた。
「とはいえ、私は皇帝の秘書ですから役目は果たしますのでご安心を」
秘書は一冊の古い本を手にした。
それを見てこの『魔法の書』を継承した時のことを思い出す。
まだ秘書に任命されたばかりで日が浅いのがこのキリエだった。
ついこの間までは母が秘書をしていた。
それが皇帝とともにマルファーリスに殺害されてしまった。
おそらく皇帝の秘書(母)がこの国で一番厄介だとわかっていたのだろう。
いきなり秘書に任命された時は驚いたが、仕事は仕事だと割り切れた。
キリエはそういう人間だと自分でも自覚していたのだ。
母を殺した人間の下について、何事もなかったかのように仕事を遂行することができた。
メイドは秘書の微妙な表情の変化を読み取って、聞き辛そうにつぶやいた。
「……それは?」
「知らないのですか? 『魔法の書』ですよ」
表紙には『Poena autem peccati』と書かれている。
「これがあの……。ではこの表紙にあるのが、その魔法の?」
「そうです。この秘書の使命を果たせる唯一無二の魔法が収められています」
秘書は、手に持つ『魔法の書』へと手をかざした。
そこからつかみ取るように、何かを握り込んで持ち上げた。
それは一つの木槌だった。
細い木製の柄(え)に先端が人の頭くらいの大きさはあるだろうか。
風船見たいに膨らんで、飛び出す絵本のような仕掛けにも見えた。
「で、でもでも、聞いた話だと『魔法の書』はたった一度の使用で一国の民を全て犠牲にしないと使えないんじゃ?」
「それは問題ありません。使用条件と制限はとても魔法とは思えない極端なものばかりなので……」
「……そうなんですか。その制限って……」
「試したほうが早いでしょうね」
秘書は試しにと、その木槌をおどおどするメイドへと振り下ろしたのだ。
「え、そんな、うそ、やめて~~~」
無意識に頭を押さえて床にうずくまったメイドは、叩かれた痛みがないことに気づいて秘書を見上げた。
「どうですか?」
「あれ……痛くない? それよりもこの木槌、すり抜けてませんか?」
半透明のようになった木槌は、メイドの身体をすり抜けて地面を叩いていたのだ。
「これが制限の一つですね。あなたは皇帝に対する異分子とは認められませんでした。ですから、一切傷を負いません。痛みもありません」
「お、驚きましたけど、なんか不思議な魔法ですね」
「あと二つ制限があります。この帝国内でしか使えないこと。そして、最後が家系の制限です。血の契約によって『血印魔法』の制限方式と組み合わせることで、私のような魔法に疎い人間でも『魔法の書』を使うことが可能なのです」
「あ、あの、制限方式というのは?」
「制限方式というのは、制限によって魔法の威力や範囲を下げることを覚悟で使える魔法のことです。魔法だけではなくて、人知を超えた能力全般にも言えることですが、ある能力Aを使う際に制限がかかっていると、犠牲による代償なしにその能力や魔法を使えるというものです」
「そんな方法が……。だったら、この帝国でももう犠牲を出さずに……」
「いえ、それは違います。魔法の威力や性能が高いほど制限も強く働きます。犠牲なしでは前代皇帝が使っていたような戦闘魔法は天地がひっくりかえっても使えないでしょう。マルファーリスは逆に、この両方を組み合わせて戦略兵器並みの強力な魔法を個人で扱っていたようです」
「そ、そうなんですか……」
残念そうに自分の肩を抱き寄せたをメイドはなにを思ったのか、一つ思い出したように質問をした。
「確か……『魔法の書』は古代魔法の一つでしたよね?」
「そうなりますね。竜種や魔王はこの魔法が唯一使える存在なので、人間が使えること自体が奇跡に近いと言われています。ところで、なぜ帝国に竜種が攻めてこないか分かりますか?」
「それは……人間を蟻くらいにしか思っていないからでは?」
メイドはその理由をよくは知らなかった。
確かに竜種が侵略戦争を好むのに、帝国にはその間の手が及ばなかった。
「それもありますが、連合小国の中には竜種に攻め落とされた国もあります。それでも帝国に侵入してこない理由は一つ。この『魔法の書』があるからです」
「それほどの魔法なんですね……」
「予測では、この国内に一歩でも踏み込んでくれれば、殺せはしなくても竜王と互角にだって戦うことができるはずです。けれど向こうもそれを分かっているから来ないのでしょう。……ではいきましょうか?」
そこで、秘書は立ち上がると、メイドについて来るように告げた。
「え? 行くってどこに?」
「そんなことは決まっています。貴族院の中には秘書の家系がどうして強いのか、その真実を知りません。祖母や母が秘書として強い魔法を使えると思っている程度でしょう。いまはその母もいない。となれば、頭の弱い貴族の方の中から必ずおかしなことをする者が出てきます。今回の決定はまさにそれでしょう。たぶん議長はそれを知っていてそんな決定をしたのでしょうが……」
メイドはある一つの答えに行きついた。
「もしかして貴族院の誰かがフィオナ様を……殺そうとしているのですか?」
「可能性は高いです。以前の様子からも誰かくらいは見当がつきますが……」
以前から、派手に議論を交わしていたアイゼルベン公爵ならやりかねないとすぐに秘書は思い至った。
とりあえず暗殺者はすぐにでも潰すつもりだった。
二人は城門から外にでると、秘書は『魔法の書』を開いて中の文字を唱える。
そして、本の中に手を突っ込んだと思ったら、家くらいはありそうな巨大な木槌が目の前に出現した。
あまりにも巨大すぎて、先端が全く見えない。
秘書のすぐ横にいたメイドも、木槌の中にめり込んでいた。身体に何の不可もかからない不思議な感覚。
まるで半透明な映像を見ているようだった。
木槌は掴むのではなく、手先の数センチ前に接着剤でくっついているかのように固定されていた。
メイドは疑問を口にした。
「それでどうやって暗殺者を?」
その答えはすぐわかった。
「【帝国に仇なす者に罪と罰を!】」
秘書はそう呟くと、『魔法の書』が淡い光に包まれた。
国内であればこの異分子の索敵魔法から逃げることはできない。
秘書には敵がどこにいるのか位置が判明した。
直後、林の中に鋭い視線を送った。
手の動きに合わせて木槌もゆっくり後を追うように動く。
勢いよく巨大な木槌が叩いたのは、すぐそばにある林の中の一角だった。
土煙が辺りに漂うと同時に男の悲鳴が聞こえた。
「ぐあっ!!!!!」
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