第1章 家族

第7話 幸せな日々の突然の破綻

…何だよ。クロエ…それどころじゃ無いだ。


ゴトッと、手に持っていた少し大きめの使い慣れたナイフを木の床の上に落とすと、既に両脚は震えていた。

どれだけ現状を理解しようとしても言葉にならない感情と焦燥が、頭の中でぎりぎりと軋みまわる。


最初は、この焦燥感が勘違いじゃなかった事で心臓が激しく波打ち、それからは周囲の音が遠くなり、今は心臓の音と脂汗が吹き出す感覚に支配されていた。とにかく暑い。汗がびったり張り付いてくる。


「クロエ!」


目に映った状況が"事実である"とだけは理解出来たリュカは新たに生まれた、収まるはずの無い焦燥を感じて、


−いや寧ろ確信に近いかも知れない。じゃないと、こんな状態でエルフィー母さんが放置されている訳がない…


焦りからなのか警戒からなのか分からなかったが、とにかく状況を把握しないといけないと感じ、リュカは取り乱しているクロエに対し名前を叫んだ。



クロエは、いやいや!と泣いては叫び、また泣いて手も服も顔も血で真っ赤に染めてエルフィー母さんを抱えている。リュカが叫んでも耳に入っていない。


さっき、屋敷の敷地に入った時点で日が落ちかけていたし、馬を止めてから正体不明の違和感に最大の警戒を払い、少し時間を掛けて屋敷に入ったから、既に部屋の中の視界はかなり奪われ始めている。


「何でエルフィー母さんが死んでんだよ…」


やっとの思いで、遺体を見つけた当初に浮かんだ言葉を口に出せたリュカは辺りを見渡す。事実として受け入れたリュカの心は、依然激しく動揺していたが、目がチカチカする現象も収まり、自分でも不思議な程に頭だけは冷静だった。


−状況を把握しないと…争った形跡が殆んど無い。心臓を正確に一突きして頸動脈を絶ってる…プロの仕業だ…


目から流れ込んで来る情報で更に焦燥が増す。

顔を上げて屋敷の状況を見渡してみると、廊下の奥にある地下室への扉が開かれている。…また激しく胸騒ぎがする。


「地下…見てくる…」


泣き崩れているクロエに伝えると、彼女も泣き声を抑えて、エルフィー母さんを静かに寝かせて、立ち上がり付いて来ようとする。不安なんだろう。

しかし、リュカは右手でクロエを制して止める。


「もし犯人がまだ居たら危ない。クロエはここに居て」


カラッカラに乾いた喉で手短かに伝えてリュカは足音を消して歩き出した。



地下室へ続く階段。やはり何者かが明かりを付けたままだ。

歩を進める毎にさっきも感じた胸騒ぎが大きくなり、同時に胸騒ぎの正体が、この"鉄の様な鼻をつく血の匂い"である事と、その匂いがこの狭い空間に漂っている所為だと気付いた。


「…あああぁぁ」


予感はしていた。していたけれど言葉にならない声が漏れた。父さんを見つけた。


椅子に座らされぐったりと肩と首をもたげ、おびただしい量のどす黒い血が、池みたいに椅子の足元に広がっていた。


−死んでる…


父さんは猿ぐつわを咬まされ、何かで拷問されたように無数の傷跡を残していた。アンモニアの匂いもするから相当な時間いたぶられたのかも知れない。

胃の中が逆流して堪らなく少年は吐瀉した。

それから何度か嘔吐いてフラフラと立ち上がろうとした時…


クロエがまた叫び声をあげた。尋常じゃない声だ。


−"気が狂った様に"とはこんな感じなんだ…


リュカは咄嗟に声の原因を察してしまって、もう望みが無い事を理解してしまった。

全身の力が抜けて崩れそうになるのを何度も堪えて、少年は地下室の階段を登って行く。

走って駆け付けたいけれど身体に力が入らない。


夏の生温かく湿っぽい空気が、鼻に纏わりつく鉄の匂いを助長してリュカは階段で崩れる様に嘔吐いた。吐きそうになるが何も出ない。力の入らない脚で立ち上がりまた階段を登る。


…こんなに階段高かったっけ…


既に思考は止まってしまっていて、頭の中で意味の無い言葉が浮かんでは消える。胸は喪失感で空っぽだったのに突然胸が締め付けられる。走馬灯の様に父さんと母さんの事が回り始めたからだ…


−本当の母さんが死んで母親が居なくなった僕を、父さんの第二夫人だったエルフィーさんが、本当の母さんみたいに接してくれた事。暖かくていつの間にか"エルフィー母さん"って呼んでいた事。ダンジョンに僕が行き出してからは、過剰な程に心配して送り出し、帰ると真っ先に抱き締めてくれた母さん。


いつも頼りになって、色々教えてくれて、魔法が使えない僕に残念がる事もせず、魔法の代わりに剣を教えてくれて、冒険の話をしてくれて、冒険みたいな旅に連れて行ってくれて、大切にしてくれて、誰より優しい父さん…


次に溢れて来た父さんの思い出は、視界に飛び込んで来た、シャルの変わり果てた姿によって遮られた。


「…シャ…シャルっ!」


2階から聞こえるクロエの泣き声の後を追って、シャルロッテの部屋に辿り着いた時に見た光景は、やっぱりさっき胸騒ぎがして予想した通りだった。

シャルの可愛いかった笑顔を思い出したら、一気に涙腺が崩壊してしまった。

気を張らないと歩く事さえ出来なかったからガマンしてたのに…堰を切ったように一気に涙が溢れ出す。


「ぅあああぁぁぁぁぁぁ…」


我慢の限界に達した少年の声は止まらなくなった。辿々しくシャルの遺体に近づくと呻き、名前を呼んで泣きながらシャルを抱えた。

もう何もかも失った様な、どうしようもない喪失感を埋める様に声を張り上げて泣いた。


「…やっぱり私のせいだ。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。私が居たからだ…」


大声を上げて泣くリュカを見て「ごめんなさい、ごめんなさい」と何度も謝り、戦闘用の動き易いズボンの上に重ね着した、黒のショート丈の少しフリルの入ったスカートを、震える手で真白になる程握り締めクロエが謝り始めた。


−違う…そうじゃない…


「クロエのせいじゃ無い!そうじゃない!」


リュカは冷たくなったシャルを静かに寝かせると、

血の気が引いて真っ青になり、震えて謝るクロエを抱き寄せた。クロエの身体が温かく何故だか安堵感を覚えて、また大声を上げて泣いた。


「クロエが居てくれるから僕は1人じゃないんだ」



それから暫くの時間、互いを抱き締め合ったまま泣き続け、日付けが変わる頃に泣き疲れて眠りに落ちたクロエを、リュカが部屋まで抱えて運びベッドに寝かせた。リュカはそのまま部屋の椅子に座り、眠るクロエを見ながら、朝まで今後の事を考えていた。



翌日リュカはようやくバラバラの場所で殺された家族を居間に集め、葬儀屋を呼び葬儀を執り行った。

父の仕事関係者には、翌日父の仕事の手伝いをしていてくれていた方に会いに行き、連絡をして貰う事が出来た。

更に翌日、父が経営していた会社の責任、父の執事達を屋敷へ呼び寄せて、封土されている土地、領主権、会社、資産などシュヴァルツヴァイト伯爵家を相続する意思を示し、手続きを行わせた。

また、各手続きの指示を出した後、マグノリア王国の王都ヴェルムまで出向き、父の殺害による死と領地と領主権の引き継ぎを行なった。

そうして、一旦の雑務に関してはシュヴァルツヴァイト家の家臣団に任せる形で2人は屋敷へと引き返して来た。



屋敷へと戻るとシュヴァルツヴァイト家の屋敷は、何事も無かったかの様に綺麗に清掃補修され、温かみが無くなり変わり切った屋敷が新しい主人を迎えた。ようやく落ち着いたリュカとクロエは、事件の因果関係を探る為に"知識の悪魔ダンタリオス"を召喚する。


「…」


「…来て、ソロモンの書序列71位 あらゆる過去・現在・未来を知り、知識を有する悪魔 ダンタリオス!私はシュヴァルツヴァイトの家族が殺された因果関係を知りたいの!」


クロエがダンタリオスを召喚し要件を伝えると、少女の前に"空間が焼けながら現われる様に"1枚の羊皮紙が出現する。"ダンタリオスの黙示書"と呼ばれるものだ。ダンタリオスの能力は召喚者の質問に対し文字を以って"黙示する"事。

また、一度行なった質問の黙示書は、召喚を解除すると召喚者の前から消え失せるが、消えた黙示書は"ダンタリオスの書架"に保存されており、召喚者はいつでも引き出す事が出来る。


『"kingdom" "Magic" "Monotheism"』


「…」


「王国、魔法、一神教…父さんは王国の宮廷魔術師団の魔術師長だったから、"王国"と"魔法"は分かるけど…」


「じゅぅ…」と、音を立てダンタリオスの黙示書に焼き付けられる様に現われた黙示を読み上げ、関連性を探るリュカ。それにクロエが知識を重ねる。その時、壁に掛けてある絵画が音を立てた。急に音がした方をさっと振り返るが何も無い。訝しみながらクロエが話を続ける。


「確か、隣のブルボン聖王国が一神教の国だったわね。確か名前はユダヤ教だったかしら。この国にも信者は沢山居るけれど」


「…ぁぁ」


「あぁ、そうだね。聖典の中では他の信仰の神の存在を認めながら、自身の神しか崇めてはならないっていう教えだったかな?」


「ちょっと待って、リュカ。何か聞こえる」


先程から確かに何か聞こえている。風も吹いていない室内で絵画が音を立てるのもおかしい。

クロエは人差し指を可愛らしい唇に当てて沈黙を促し、気配を探っている。


「…ぁぁぁぁ」


「聞こえる。女の子の泣き声…シャル?」


「僕には聞こえないよ?」


リュカは不思議そうな顔でクロエを見ているが、当のクロエの顔は真剣そのものだった。その緊張した表情を見てリュカも"何かある"と察する。


「…ぁぁぁあ」


ややあって、「付いてきて」とクロエがゆっくりと音が聞こえる方に歩いて行く。リュカの少し先を歩く少女の手が小刻みに震えている。

リュカはその白く細い手を握り、軽く力を込めて少女の勇気を支える。クロエはその手を握り返し、振り向かず「ありがとう」と呟いた。


クロエは辺りを注意深く見渡しながら2階へと続く階段を登り始める。辺りは静まり返って真っ暗だ

足音で音が消えてしまわない様に、慎重にゆっくり歩を進めて行く。


「…ぁぁぁぁ」


「間違い無いわ。シャルの声」


少女にとって聞き慣れた間違えるはずも無い声。この屋敷へ来て自己紹介したあの日から、楽しい時に聞こえていた笑い声、冗談を言う戯けた声、リュカを心配して怒る声、そして失敗して落ち込んで泣いている声…ハッキリと聞こえ始めた声は少年の耳にも届き始める。

自然とリュカの握り締める手に力が入る。


「…ぁあああぁぁ」


「シャルの声だ…」


やがて屋敷の階段を上り切る頃には、それが2人の妹の声だと断定出来る程になっていた。

女の子のすすり泣く声は哀しそうで呻くように漂っていて、リュカは初めてニコラスの声を聞いた時の事を思い出した。

耳からきこえている感覚では無い、直接頭に響いて来るような声だ。


−似ている…


2階の通路を進んでいた2人の足はシャルロッテの部屋の前で止まった。一度クロエがリュカを振り返り、頷き意思を示し合わせると、扉に備え付けられた金属のドアノブに手を掛けてゆっくりと扉を開ける。


「…ああああああぁ」


−シャルっ!


部屋に備え付けられたシャルロッテのベッドの脇に座り込み泣いているシャルロッテの姿があった。

血で塗れた服や髪はあの日のままで身体が青白く透けるように見える。言われなくても伝わる程に辛そうだ。


俯いて泣いている。


「シャル…」


リュカがクロエと繋いだ手を離し、シャルロッテに一歩近付き声を掛けると、女の子は顔を上げながらスッと消えてしまった。


「シャル?居るの?返事出来る?」


クロエが誰も居ない部屋の中を、ゆっくりと見渡しながら声を掛けるが返事は無かった。

2人は暫く部屋に留まりシャルロッテを探したが現れず、一度居間に引き出す事にした。



居間に戻りソファーに座ると、2人は真剣な表情で顔を見合わせ、暫く黙り込んだ後さっき起こった現象について状況を推測する。


「まさか…こんな事があるなんて」


「言って無かったかしら?私はこの家に来る前死んだはずの母と父を何度も見たわよ」



リュカは目を見開いて「聞いてないし」と首を振りボヤいて話を続ける。


「まだ何とも言い切れないけどさ、あの場所で声を聞いて僕達がシャルを見たって事は、まだシャルがあの部屋に居るって事なのかな?」


「…どうかしら?一概には言えないけれど、もし今後も何回も見えるようなら、そういう判断も出来るかもしれないわね」


「そっかぁ…」とリュカは何か思い出す様に考え込み、クロエの目を真剣な表情で見つめてこう言った。


「もし…シャルがあの部屋にまだ存在して、いやシャルの"魂"があの部屋に存在しているとしてだよ、例えば僕がシャルの"魂"を救いたいって言ったら、君は僕に力を貸してくれるかな?」


「話が見えないわ。どういう事?」


「うん、さっき思い付いた…と言うか思い出したんだけど、シャルの魂を妖精に転生出来ないかなって」


「えっ!?」と、クロエは心底驚いた表情をして「そんな事可能なの?」と声を大きくした。


「ちょっと長くなるんだけどね、ニコラスの手記で研究の一環として見た事があるんだ。ブリタニアの伝承なんだけどね、妖精は子供の魂から生まれ変わるって言い伝えがあるんだ。確実な事はもちろん言えないけれど、可能か不可能かなんて議論は僕にとっては意味が無い。神や悪魔、精霊や魔法使い、僕みたいな錬金術師が居る世界で、転生だけが不可能だと割り切るなんてナンセンスだよ」


「ええ、確かにそうね」


「それに…これは僕の押し付けでエゴだとは思うけど、あの部屋で泣いてるシャルを僕は放っては置けない。何としてでも見つけるつもりだよ。まずは、シャルを妖精女王ティターニアの前に連れて行けば何か分かるかも知れない」


「あなた、とんでもない事言うわね。どうやってシャルを連れて行くの」


至極まっとうな質問をクロエが投げかけると、

「これだよ」と右手の薬指に嵌めた赤い指輪を外しクロエに見せた。


「ニコラスにはクロエも会っただろ?ニコラスは自分の魂をこの指輪に定着させる事に成功してる。簡単じゃ無いけど、成功の前例も資料もあるんだ。不可能だとは僕は思わないな」





−こうして、この日を境にリュカとクロエは"石の製造方法"と"魂の定着方法"を求めて、地下の"ニコラスの秘密の部屋"に入り浸る事になった。

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