第5話 悪魔と金貨と少年の神様

–私、クロエ・シュヴァルツヴァイトは10歳になっていた。5歳で両親を亡くした私は丁度6歳になった頃、生まれ育ったストラスブールのリーデンハルト家の屋敷を離れ、グランツァーレ市に住む叔父のシュヴァルツヴァイト家の養子となった。

私の新しい家族はヨハンさん、エルフィーさん、1つ年上のリュカ、2つ年下のシャル、そして私を入れて5人家族になった。


–とても暖かく優しい人達。


初めて連れて来られた時、新しい家の"幸せそうな光景"が余りに眩しくて、私は馴染めずにいた。

だって私が居ると"ここの人達"まで不幸になりそうで怖かったから。だから私は毎日夜になると自分が嫌になって、この世から消えたくて泣いていた。


あの時の私は凄く弱かった。


"あの日"突然リュカが不思議な術"錬金術"を見せてくれた。夜に私が泣いていた事がバレていたらしい。

綺麗で不思議な術を使うリュカが羨ましくて、私は自分の運命を狂わせた神様もそのブレスも嫌いだったし、自暴自棄になり自嘲気味に自分の身の上の話をした。


しばらく黙って聞いていた彼は、私が知らなかった錬金術や魔術、神様や悪魔の話をしてくれて、"自棄になるのは違う"って必死に話してくれた。

リュカの最初の印象は"何不自由なく大切に育てられた子"だったけれど、冒険に憧れたリュカの不遇と努力を知ってからのイメージは"努力家・頼れる人"に変わった。リュカなら何があっても真っ直ぐ歩けるとそんな風に感じた。


11歳になった彼は家族に内緒で森に行ったり、近くの迷宮に行ってるみたいだ。最近では迷宮の地下8階?位まで降りているみたい。"近いうちに大迷宮を攻略する"って意気揚々と話すリュカは、見ていて微笑ましい。

リュカは錬金術もかなり上達しているし、長剣・短剣を使った近接戦闘の訓練には、私も一緒に参加しているけれど、全く敵わないくらいに強い。見ていると男の子って凄いなぁって思うし、負けたくない!って最近思う様になってきた。



–だから戦闘術訓練の合間に、思い切ってリュカに錬金術を教えてって頼んでみたんだ。


「どうなんだろ。クロエはクロエにしか出来ない力の伸ばし方があるんじゃないかなぁ。もちろんクロエがその力を好きじゃない事は知ってるけれど、もし可能なら、クロエが貰ったブレスに向きあってみたらどうかなぁ?」


–あぁ、見抜かれてる。やっぱりリュカは強い人だ…


頭を金槌で叩かれた様な衝撃を受けて、もう昔の事は吹っ切れて強くなったと思っていた私は、心の底で未だ自分が受けたブレスに怯えて、避けている事に気付かされた。


「もしね、クロエが自分と向き合う決心が出来るならさ、君に渡したい本があるんだ。きっと錬金術を学ぶより多くの事を、クロエに与えてくれるんじゃないかなぁ…って僕は考えてる」


「…私に使えるかな?んーん、私は強くなりたい。もう守られてばかりは嫌」


「そっか!そういう事なら僕は喜んで力を貸すよ。最初は怖いかも知れないけど、僕が側に付いてるからさ。今晩にでも、ニコラスの"秘密の部屋"に案内するよ。あそこなら多少の事なら誰にも迷惑が掛からないし」


–私だけの私の力か…今迄考えた事も無かった。本当の意味で強くなるって難しいな。


「それじゃあ、近接戦闘術の訓練の続きを再開しようか。もう、クロエも構えとグリップの握り方、ステップまでは大丈夫だよね?次は斬り込みの基本を…」


しばらく休憩した私達は訓練を再開する。


–基本スタイルは、ナイフを両手で持ちスタンダードグリップで、利き手を動かしやすい位置に取り、逆の手をやや前方に構える"オクス"と呼ばれる雄牛の構え。

私は基本的には長剣を使うけれど、近接戦闘の時のガードやステップ、急所への狙い方はリュカの戦闘術が凄く勉強になる。

特に私は力が弱いから、力の強い魔物と戦うなら急所への攻撃方法、敵の攻撃を回避しカウンターを狙う方法をしっかり身に付けないと、力では押し負けてしまう。


「じゃあまずは…」と、リュカが斬り込みの基本動作を教えてくれた。


–斬り技は6種類で、"スラッシュダウンとスラッシュアップ"、"バックスラッシュとバックスラッシュアップ"、"ホライズンテイル、ホライズンゲイン"。

それと一撃で生物系モンスターを屠る"スローターとバックスローター"。


それぞれ、利き手側の上から袈裟斬りに、"斬り下ろしと斬り上げる"やり方と、利き手逆側からの"斬り下ろしと斬り上げ"、利き手側からの"水平斬りと逆側からの斬り戻し"方法で、スローター系は生物の頸動脈への一撃の入れ方だった。


リュカはこの6種類の基本的な斬り込み動作に「スタブ系」と呼ぶ4種類の刺突技を状況に応じて使い分け、10種の動作から型に嵌めた連撃のスキル、一瞬で首を刈る取る「リッパー系」のスキルを使い分けているらしい。



–リュカって、いつもぼんやり優しいイメージなのに戦闘訓練の時は異常に厳しいのね。けれど、そうでもしなければダンジョンでは生き残れないんでしょうね。


それから2時間程、基本的な動作の訓練をしたり、錬金術を組み合わせた攻撃を回避する訓練をして、私達は屋敷に戻っていった。今晩起こる事への一抹の不安を抱えながら…



日付けが変わった頃、少し声を潜めた真剣な面持ちのリュカが部屋に呼びに来てくれた。


「起きてる?準備が出来てたら行こうか」

「ええ、大丈夫」

「じゃあ行こう。…途中暗くなるから足元に気を付けて。僕が前を歩くから後ろに付いて来て」


足音を潜めながら歩いていると、梟の鳴き声や虫の声が聞こえ、時折強く吹く風に窓ガラスがカタカタ鳴った。胸の辺りで両手を握って歩く私をリュカがふいに振り向くと声をかけてくれた。


「大丈夫?怖かったら手を握ってようか?」

「…………ん。」


ややあって、私達は地下の"ニコラスの秘密の部屋"に辿り着いた。そこは何千年も外気を取り入れいないような、埃っぽく湿っぽい、カビ臭い部屋だった。


–屋敷の地下にこんな場所があったなんて…


「クロエ、渡したかったのはこの本だよ。この部屋の持ち主である"ニコラス"から預かってたんだ。本の名前は"ソロモンの書"って言うんだ。」


「ソロモンの書?」


「うん、この"ソロモンの書"は魔導書にあたる本なんだけど、魔導書と契約した者に力を与えて、魔導書に書かれたと悪魔達と契約する事が出来るんだ。僕は前に言った通り、魔力が殆ど無いから契約も出来ないし、契約した悪魔を召喚する魔力も無いから使えないんだけれどね」


「悪魔…ね。だいたい分かったけれど、正直なところ怖いものは怖いわね」


「うん、最後にどうするかはクロエに任せるよ。必要なら僕は君に力を貸す準備は出来てる」


「ありが…」


「やあやあやあ!久しぶりじゃないかクロエ!」



暗がりから突然現れた気配にリュカが、「誰だっ!」と、瞬時に戦闘態勢を取った。私も一瞬遅れて後に倣う。


ごく自然に、当たり前の様に何も無いはずの闇の中から現れたのは少年の姿をしていた。

年齢は私達と同じくらいで10歳最前後。顔の造形は完璧なまでに整っているが、髪と瞳はべったり真黒で艶が無く、肌は異常に白く浮き上がっている。服装は貴族の子供の様な、仕立ての良い生地で誂えた黒いコートに同じく黒い膝までのブリーチズ、白く長いストッキングと茶色いブーツを履き、右手に背丈より少しだけ高い古めかしい杖を持っている。


「酷いじゃないか。そんな物騒なモノ仕舞ってくれよ。僕の事を忘れた訳じゃ無いよね?ねぇクロエ」


「…あなたはっ!」

–間違いない…神ハデス様!


戯けた様な口振りで神ハデスが言葉を続ける。


「いやぁ、覚えてくれていて僕は本当に嬉しいよ。君と会うのは何年振りかな?確か君が2歳だったから…8年。そうだ、8年振りだねぇ。あれから僕は君を見ていたんだけれどさぁ、色々面白い事になってたよねぇ」


ケラケラと可笑しそうに笑う神ハデスに、事情を知るリュカが激情する。


「くっ…黙れ!ずっとクロエは…」


「おい、黙るのは君だよ。人間の少年、誰に向かって口を利いてるんだい。僕は君に話して良いって許可したつもりは無いんだけれどねぇ。そんなに君は命が要らないのかい?僕はクロエに話しに来たんだ、君じゃない。次は無いと思ってくれたまえよ」


「…神ハデス、リュカの非礼はお詫びします。どうかご容赦を…」


「あぁ、クロエ。そんなに硬くならなくてもいいよ。丁度ここで楽しそうな話をしていたからさぁ、久しぶりに様子を見に来たんだ。その手にある本の事はもう聞いたよねぇ?」


「はい、ソロモンの書。72体の悪魔達と契約する為の本と。それ以上はまだ…」


「そうかいそうかい。そこまで分かっているなら後は魔導書と契約するだけなんだ。魔導書との契約はね、本の装丁にある紋章に少し血を落として、こう唱えるんだ。"偉大なる力、英知を集めし魔導書"ソロモンの書" 、冥府の王ハデスの加護を受けしクロエ・シュヴァルツヴァイトの名を刻み給え"簡単だろ?」


「何故私にその様な事を…」


「あははっ!そう思うのも無理も無いね。実はその本は僕が作ったモノなんだ。見てたら他の神達は色々なアビリティを与えているじゃないか。あれはあれで良いと思うんだけれどね。ただ僕は面倒くさがりでね、沢山の人間達の面倒を見るのは嫌だったんだ。だから本にして僕の眷属達の力を貸す事にしたんだ。良いアイデアだろう?」


神ハデスは相変わらず血の気の無い真白な顔を少し歪ませて、コロコロと無邪気な子供の様に笑っている。


「ところでさ、悪魔との契約の仕方は分かってるのかなぁ?おい、人間の少年。君は悪魔との契約を知っているのかい?"あの男"からは聞いているのかい?何と言ったかなぁ。僕達神々の存在から隠れて暮らしていた奴が居ただろう」


「…"隠者ニコラス"ですか。魔導書を使って悪魔達を呼ぶとだけ…」


「あぁ、思い出した。確かそんな名前だったね。おかしな奴だった。…おいおい、全然ダメじゃないか!悪魔と契約するには"金貨"だよ。金貨が必要なんだ」


「「金貨!?」」


「あははっ!ちょっと俗世的で驚いたかい?君達は面白いねぇ。じゃあさ、悪魔達は何を求めているか分かるかい?それは、念だよ念。様々な人間達の想い…主に大罪と呼ばれる"原初の欲望や感情"だよ。あれ程に強い念は無い。」


少年の姿をした神ハデスは"音も無く"2人に歩み寄りながら話を続ける。


「金貨つまりはお金ってモノの本質、価値に纏わる念が必要なんだよ。例えばほら、君達は奴隷に落ちた人間を見た事があるかい?金貨何枚かで人間の命や人生が売られ買われているんだ。他にもお金の為に同族を殺めたり、時には肉親同士で殺しあったりさ。君達子供が考えている以上に"金貨"には真黒な念が込められているんだ」


クロエの前に立った神ハデスは少女が持つ魔導書に手を触れ懐かしむ様にそれを撫でている。

リュカとクロエは警戒しながらも、蛇に睨まれた蛙の様に微動だに出来ずに立ち尽くしている。リュカに至っては全身からポタポタと冷や汗を流している。尋常では無い無言の重圧にさらされている。


大仰な台詞を戯けた口調、少年らしい少し高めの声で語る神ハデスは、リュカを嘲るように一瞥し、クロエを見て続けた。


「今日は久々にクロエに会いに来たからさ、魔導書と契約してくれたら、僕からプレゼントを用意してあるんだ。どうする?…そんなに怖がらないでくれたまえよ。これでも僕は神なんだ、君を導きに来た。なに、今すぐにとは言わない。どうか僕の魔導書を受け取ってくれ。今日のところは僕は消えるからさ


即答しかねる私を見て、少し悲しそうな表情をした神ハデスは踵を返すとすぐ目の前の虚空の闇の中に消えていった。




「ぷはぁ…はぁ…はぁ…」


–神ハデスにずっと重々しい圧力を与えられていたリュカが息を吹き返した。

彼の白い前髪は滝の様な汗でべったり濡れ、服もぐっしょりする程脂汗が吹き出ている。大きく肩で息をしながら気丈にもリュカは私に笑みを浮かべてくれた。


「クロエは…その、大丈夫?つらくない?」


「ええ、私は大丈夫。それよりあなたは…」


「うん、ちょっと驚いたけど、もう大丈夫。初めて会ったけど神様って凄いね。ほら、まだ膝が笑ってるよ」


私の言葉を右手で制し遮ったリュカは少し無理に戯けた声音で気を紛らわせてくれている。

ややあって、リュカが話題を戻した。


「魔導書の契約と悪魔の契約に必要なモノは分かったし、これで大丈夫そうだね。クロエが大丈夫ならこのまま契約までしてしまおうか。神ハデスが見守っている以上変な事にはならないだろうし」


「それもそうね、今引き返す訳にはいなかいもの」



–そして私はリュカに見守られながら、ナイフで右手の人差し指を傷付け、魔導書の紋章に血を落とした。

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