アヤカシ記者、蒸気都市ヲ行ク。

黄鱗きいろ

アヤカシ記者、蒸気都市ヲ行ク。

第一話「妖猫ノ足音ヲ追フノ事」

第一話「妖猫ノ足音ヲ追フノ事」/其の一

 大正二十五年、五月三日。

 午後二時ごろ。

 昨夜まで降っていた雨も朝には上がり、街はいつも通り、そこかしこの煙突から黒煙を立ち上らせています。

 私は水たまりを軽やかに踏みつけながら、事務所への道を駆けていきます。泥水が少し跳ねますが、ブーツを履いているので気になりません。雨上がりの少し冷たい風がセーラー服のスカートを巻き上げます。

 目的地の事務所は五階建てのビルヂングの三階にあります。カン、カン、とブーツの底が階段を蹴っていくと、お世辞にも見栄えがいいとは言えないドアへと辿りつきました。


「遅くなりました、裏島先生!」


「おー待ってないぞ。帰れー」


 勢いよくドアを開けると、やる気のない声が事務所の奥から飛んできました。三十代後半から四十代に見えるその男性が、売れないフリーの新聞記者、裏島正雄(うらしままさお)先生です。


 私の名前は薮内あおいといいます。一応、私立の女学校に通っているのですが、諸事情あってただいま休学中です。そしてその代わりにこの裏島先生のもとで記者見習いのアルバイトをしているのです。


「俺はアルバイトを取ったつもりはないんだけどな」


「なんてこと言うんですか。こんなに毎日お手伝いに来ている人に向かって」


「お前が勝手に来てるだけじゃねぇか」


 まあそうですね、と笑いかけると、ハァー、と長く息を吐いて、先生は天を仰ぎました。


「物好きだよなあ。こんなオジサンの助手になるこたぁないだろうに」


「趣味が悪いことには定評があるんです」


「いやそれもどうなんだよ」


 頭痛をこらえるように目頭を揉む先生の後ろの窓からは、ぽぽぽと煙を吐きながら通り過ぎていく蒸気自動車たちを一望することができます。


 江戸の幕府が滅びてからおおよそ七十年。日本という国はこの東京を中心に飛躍的な発展を遂げてきました。

 その技術の中心にあったのが蒸気機関です。

 機関車、エレベーター、義肢、飛行船、階差機関、スチームロイド、エトセトラ、エトセトラ。

 電気が蒸気機関に取って代わるという言説もあるにはありましたが、その研究は途中で頓挫したと聞きます。かくして、私たちの生活は蒸気機関なしでは立ち行かないほどまでになったのです。


「家が貧乏で学費を稼いでるんだっけ? それならどうして、こんなところ選んだのかねえ」


「それは一言じゃ言い表せない深遠な理由があるんですよ」


「なんだそりゃ」


「一言で言えばお金が欲しいんです」


「素直だな。言っておくが、今月の給料は期待するなよ」


「期待してます。きっちり払ってくださいね」


 んなこと言ってもどこも記事載せてくれないんだよ、と先生はぼやきながら新聞をばさりと開きました。新聞の表には東都日日新聞の名前が躍っています。

 控えめなノック音が戸口から響いたのはその時でした。


「ごめんください」


 ドアの向こうに立っていたのは、黒髪をしっかりと結った妙齢の女性でした。喪服のような黒い洋服を着た、唇の右下のほくろが印象的な方でした。


「記事にしていただきたいことがありまして」


 突然の訪問にぽかんとしていた先生は、その声に一気に硬直が解けたようで、慌ててその女性に席をすすめだしました。


「あ、はい、どうぞどうぞ! こちらにお座りください!」


「ありがとうございます」


 しずしずとソファに座った女性の向かい側に、先生も座りました。


「猫塚依里子(ねこづかよりこ)といいます」


「裏島正雄です。フリーの記者をしております」


 二人は頭を下げあいます。私といえば居場所のなさを感じながら、とりあえずソファの後ろに立つことにしました。

 メモと鉛筆を取り出して、先生は尋ねます。


「どういったお話なのでしょうか?」


 依里子さんは躊躇いがちに目を泳がせた後、真剣な顔つきになって口を開きました。


「それが、化け猫なんです」


 彼女の言葉を聞いた途端、先生は居住まいを正しました。



 そうそう、一つだけ紹介するのを忘れていました。

 裏島先生はそんじょそこらの記者とは違います。

 先生はこの世の不思議を記録する、アヤカシ記者なのです。

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