第四章【2】 思わぬ刺客

 叡都大学にある喫茶店ル・ジャルダンの営業時間は短く、十一時から十六時までの五時間だ。これは学生が学校に居る時間に合わせたからこそのもので、決してオーナーの怠慢によるものではない。朝早いうちに登校する学生は講義があるだろうし、かといって遅い時間になると講義を終えた学生は下校してしまう。そこを見極めて、多くの学生が利用するであろう時間帯のみを狙っての営業は無駄が少なく、コストが抑えられる。オーナーはむしろ敏腕経営者と言えるだろう。

 響子の電話を受けてから数分後、怜奈は約束のル・ジャルダンの前へとやってきた。とっくに営業時間を過ぎた喫茶店には当然人の姿は無く、ちょうど研究棟エリアと大講堂の裏手に位置するこの場所に近づく者もいない。

 怜奈は響子の姿を探し、辺りを見回す。

「あ、こっちこっちー。ここです、先輩」

 頭上から聞こえてきた声。怜奈が見上げると、喫茶店の屋上、ガーデンの柵から半身を乗り出して手を振る響子の姿があった。

 喫茶店の外壁に造られたガーデンへと続く階段を見ると、登り口の手前に申し訳程度に細いロープが張られている。喫茶店の営業時間が過ぎたら一応は立ち入りを禁じているのだろう。怜奈は一瞬躊躇ったが、ロープをくぐると、ガーデンへと続く階段を上っていく。

 …………

 階段を上りきったところで、響子が出迎えてきた。

「もう……いいの? 勝手に入っちゃって」

「あはは、誰にも聞かれたくなくって。ここならいいかなーって」

 怜奈は窘めるように言うが、響子は特に気にしていないようで、笑いながらあっけらかんと答える。

「それでどうしたの? 相談って」

「実はですね……ある人から頼みごとをされちゃって」

 響子はのんびりとした歩調で歩きだす。怜奈も自然とその後に続く。

「……? うん、それで?」

「……それが結構厄介で。それであたし、少し困ってるんですよ。とても一人じゃ解決できそうにないなーって」

 怜奈は黙って聞いている。

「で、考えたんです! これを解決するには誰かにお願いするがいいのかな、って」

 ガーデンのちょうど中央辺りまで来たところで歩みを止めると、響子は怜奈のほうへと振り返った。

「そ、それで私? そんな大変なことなら私だけじゃなくて……他のお友達にもお願いしたほうがいいんじゃない?」

 響子の困っていることが、どういった内容なのかはまだわからないが、どうにも一筋縄ではいきそうにない。自分を頼りにしてくれている気持ちはありがたいが、当の怜奈自身も問題を抱えている真っ最中だ。怜奈としては、できる事なら面倒事は減らしておきたいと思うのが正直なところだった。

「だから……先輩にしかできないお願いなんですって。わかるでしょ?」

「…………」

 響子はゆっくりと怜奈に背を向けながらそう言い――

「……ねぇ? 小早川怜奈先輩?」

「……!?」

 振り向き様、響子は怜奈の喉元目がけて疾風の一撃を放つ! いつの間にか響子の手には九十センチほどの刃渡りを持つ大鎌が握られていた。怜奈は反射的に上体を反らしこれを躱す! 長い髪が舞い上がり、凶刃から逃げ遅れた何本かの髪の毛がはらはらと風に散った。上体を大きく反らしバランスを崩した怜奈は、そのまま地面に倒れ込む……かと思われた寸前、右手に魂装具を具現させ、地面に突き立て、棒高跳びの要領で後ろへ飛び、着地。体勢を立て直す!

 そして響子の方を向き直る――と既に目の前には間合いを詰めた響子が迫る! 左斜め上からの両腕での振りおろしを魂装具で防ぐ……が響子の動きは止まることなくそのまま踏み込むと鎌を右手のみに持ち替え、返すように右からの横払いへと変化する! 怜奈は魂装具を縦に構えこれも受け止め弾くが……響子は勢いを止めることなく左足を踏み込むと身体を右旋回させて一回転、そのまま回し蹴り気味に踵落しを放つ!


 ――ごっ!


「くっ……!」

 回転エネルギーの乗った強烈な一撃を受け、よろめく怜奈。なんとか隙を作らぬようすかさず構えを取る。

「あっちゃー……これでも隙ができないなんて。先輩、さすがですね」

 大鎌を右肩に掛けながら、響子が言い放つ。

 漆黒の柄に銀色の刃。

 巨大な刃の表面は鏡のように周囲の景色が映り込むほど美しく、黒光りの柄には、刃の付け根辺りから全体にかけて頭のない蛇が巻きついたような意匠が施されている。螺旋状のそれはその終着点――柄の先端部分――で矢じりのように尖っていた。その様相は、悪魔の尻尾と形容するのが相応しいか。

「響子ちゃん……!? あなた一体!? まさか……スコーピオンの……!?」

「あ。それでさっきの『お願い』なんですけど――その様子なら……もうわかってもらえたみたいですねっ!」

 言い終わると再び、響子が間合いを詰める。速い! しかし先ほどとは違い怜奈の体勢も万全だ。右からの大鎌の一撃を魂装具を正面で高速回転させ、弾き飛ばす! 攻撃を弾かれた反動で響子の両腕が大きく上がる! 怜奈はすかさずカウンターの一撃を放とうとするが―― 

「まだだ! 怜奈!」

 エフが叫ぶ。

 直後、その光景に怜奈は驚愕する。

 響子は攻撃を弾かれたままに身体を左に捻ると――そのまま一回転! 怜奈の左側へ回り込みつつ、右手で大鎌を怜奈同様に高速回転させる!

「!?」

 とっさに怜奈も魂装具の回転を止めずに響子の方へと向き直る!


 ――ぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎっ!!


 互いの回転する魂装具が高速でぶつかり合い、壮絶な音を奏でる。

 もしもさっきカウンターを放っていたら、怜奈はこの回転する大鎌の餌食となっていただろう。

「くっ……」

 両者の力は拮抗しているかのように見えたが……その残像から徐々に怜奈の魂装具の回転が弱まっていくのが見て取れた。そして――ついに遠心力を失った怜奈の魂装具は弾かれ、高く上空へと舞い上がる。

「あはっ♪」

 にっ、と響子は笑みを浮かべる。

 咄嗟に怜奈は大きく後ろに跳ぶ! 直後、怜奈の居た場所を巨大な刃が通り過ぎた。

 当然、丸腰の怜奈を仕留めるべく、響子は再び怜奈へと詰め寄る! 身体の回転力を活かし、絶え間なく迫る響子の斬撃! 怜奈は下がりながら華麗な体捌きでこれを避け続ける。……と怜奈の背が何かに当たった。怜奈はちらりと後ろを見る。それはガーデンに敷かれた細い遊歩道に、トンネルのように設置された小さな鉄骨製のアーチ。その壁面だ。怜奈が正面へと視線を戻すと、既に右方向から響子の振るう刃が脇腹へと迫りつつあった。防ぐことは勿論不可能、逃げ場もない――!


 ――ざごんっ!


 アーチの側面に刻まれた一筋の斬痕。そこに怜奈の姿は無い。

「おおー、さすがっすね」

 響子が上を見上げて言う。

 その視線の先には……アーチの上に立つ怜奈の姿があった。

 あの瞬間、怜奈は背中にあるアーチ側面の網目を掴み、そのまま逆上がりの要領で上へと逃れたのだ。

 響子を見おろしながら、怜奈は右手を天に伸ばす。そして――伸ばした手に先ほど吹き飛ばされ宙に舞っていた魂装具が落ちてきて――収まる。

「……あなたもね。大したものだわ」

 呼吸を整え、怜奈も返す。

 そして――

「エフ……いくわよ」

「……いいんだな?」

「ええ……これが出し惜しみしてる場合?」

 怜奈とエフが意味深に言葉を交わす。そして――

 …………

「具現せしたる我が力――」

「主たる我が魂の叫びに応え――」

 エフの声が響き、それに怜奈が続く。すると――

 怜奈の全身から虹色のオーラ――魂の中のエーテルだろう――が湧き出すと、魂装具の先端、埋め込まれた紅い宝石へと向かい収束していく。

「彼の者の願い叶えんと――」

「其の戒め解き放ち――」

 さらにエフと怜奈が言葉を紡ぐ。

「…………」

 響子はその光景をじっと見つめる。

 やがて紅の宝石は怜奈のエーテルに反応するかの如く、次第に強く輝きだし――宝石から紅い炎が湧き上がる。そしてそれは徐々に何かを形どっていく。

 宝石を守るかのようにその左右に一対の尖りが生まれ、それは中央に向かうにつれ緩やかな曲線を描きながら収束していき――そして金色の棒の先端に長く鋭利な刃を成していく。紅い宝石から燃え上がるようにそれが宿る。

「――いま此処に、紅蓮の裁きとなりて顕現せよ!」

 エフと怜奈の言葉が重なり、刹那、怜奈の手に握られた魂装具が強く虹色の光を放つ!

 その姿は――深紅の刃を持つ金色の槍だった。刃の周辺は紅蓮に燃え、絶える事なく火の粉が舞い散っている。

「さあ――今度はこっちの番よ!」

 怜奈が響子目がけて紅蓮の槍を振るう! この位置から刃は届くことはない、が――刃から軌跡を描くように炎を纏った衝撃波が飛び、響子を焼き斬らんと迫る! 後ろへと飛び、これを回避する響子。同時、怜奈はアーチから飛び降り、響子へと走り込み――突きを放つ! 響子はこれを右に半身を捻り躱すが、怜奈は突いた刃をそのまま響子の右側頭部を目がけ振り上げる! 上体を反らしこれも躱す響子。降りぬいた槍の軌跡には火の粉が舞い、わずかにかすったツインテールの先端から髪の焦げる臭いがする。

「ち……!」

 怜奈の振り上げは隙があるが……この間合いでは響子の大鎌は一息では届かない。反撃不可能と判断したか、響子はそのまま左手一本でバック転をし、一旦体勢を整える。

 先ほどまではほとんど無かったはずのリーチ差に、響子の猛攻が影をひそめたか。

「……ようやく本領発揮ってとこ? 煉獄の魔女降臨! って感じ?」

「あら、あなたにまで知られてたなんて……光栄ね!」

 怜奈が槍の穂先を地面にマッチのように擦りつけ、そして上へと振りぬく! 地に発生した炎が弾丸のような速さで標的目がけて疾走する! 響子はそれをダンスでも踊るかのように身を回転させ避ける。標的を外れた炎は花壇を横断し芝桜を一直線に焼くと……炎は勢いを失い火の粉をまき散らしながら消えた。

「ちょっとちょっとー。せっかくの綺麗な花壇なんですから、焼畑にしないでくださいよ?」

 余裕の表情で響子が冗談めかして言う。

「……そうね。なるべくそうならないように……早めにケリをつけてあげる!」

 言うや否や、怜奈は同様の炎を次々と撃ち放つ!

「――っ!」

 響子はターンを繰り返し、殺到する炎の波をギリギリのところで避け続ける。炎は響子の後ろへと抜け、花壇を焼き、あちこちに置かれた直径七十センチはあろうかという植木鉢をも粉砕する!

 止むことのない波状攻撃に、響子も防戦を余儀なくされる――いや、少しずつではあるが……徐々に怜奈との距離を詰めてきている!

「怜奈! 気をつけろ! 何か狙っているぞ!」

 その動きに気づいたエフが怜奈に警戒を促す。

 直後、響子の動きが一変、回転運動から一気に直線運動になり怜奈へと迫る! 必殺の間合いに入ったか!

 しかし、怜奈の表情に動揺は見られない。

「……はっ!」

 怜奈は紅蓮の穂先で自分の前方に大きく半円を描くように地面を薙ぎ払う! 直後、その軌跡に沿って火柱が吹き上がり、炎の壁が出現する!

「!」

 響子は急停止、振りかぶってた鎌の動きを止め……強く地面を蹴る! 左回転の錐もみで上空へと飛ぶと、炎の壁を飛び越え……その回転のまま刃を振るい怜奈の首筋目がけて急襲する!

「……かかったわね」

 怜奈の口元が緩む。そして、空中から迫りくる響子目がけて渾身の対空突きを放つ! 火の粉を散らし、空気を焼き、紅蓮の刃が響子の胸元をえぐる! と思われたが――

「!?」

 あろうことか空中で響子の身体が再び上昇する! よく見ると響子の足元に小さな旋風が発生している。これで……軌道を変えた!? 怜奈の顔に動揺の色が浮かぶ。

 完璧なタイミングで放たれたはずの突きは手応えもなく空を斬り……怜奈を飛び越えた響子が着地、その背に強烈な回し蹴りを放つ!

「うぁっ……!」


 ――ごごごごごごっ!!


 怜奈の身体はガーデンの床を数度バウンドしながら数メートルの距離を吹っ飛び……テーブルと椅子のセットに激突し、ようやく止まる。

「先輩が炎なら、あたしは風。どう? なかなか面白い曲芸だったでしょ? ……にしても、あんなことまでできるなんて、さすが先輩♪ あたしもここまで見せる気はなかったんだけどなー」

 衝撃で壊れた椅子やテーブルの瓦礫をがらがらとかき分けながら立ち上がろうとする怜奈に向かって響子が言う。その表情はどこか楽しげにも見える。

「そう……。なら……! 今度は私が本物の炎を見せてあげる!」

 ようやく立ち上がった怜奈が響子を見据えて言う。

「! ……正気か!? よせ! 怜奈!」

 エフが叫ぶ。しかし、怜奈の視線は響子に向けられたままだ。

 怜奈は紅蓮の槍を正面に構え、両手で高速回転させる。刃は炎を吐き、炎は円を描き、そして輪を成していく。

「ちょっとちょっと。まさかガーデンごと焼き払うつもりじゃ……ないですよね?」

 怜奈は答えない。ただ回転速度を高め、それに呼応するかのように炎の輪は勢いを増していく。

「……ったく……めんどくさいなー」

 わずかに眉をひそめた響子の身体からエーテルの輝きが溢れ――全身を包み込むように旋風が出現する。

 そして響子が一歩足を踏み出したかと思った瞬間――その姿が消える!

「なっ!?」

 エフが驚愕の声を上げる。

 いや……消えたのではない。走ったのだ! 纏った竜巻の風に乗り、想像を絶する速度で怜奈へと迫る! それも一直線ではなく、右へ、左へと的を絞らせぬように軌道変更を繰り返しながら!

 怜奈はこれを目で追うが……わずかに追い切れない。怜奈の技の準備が整うまでにはあと一呼吸ほどかかる。それを待つ余裕はない。不完全な状態で放つという選択肢もあるが……外したときは即ち――

 そして――

 一瞬、怜奈は迫りくる風を完全に視界から失う。

 怜奈の背筋を冷たいものが流れる。

「怜奈! 左だ!」

 エフが叫ぶ! 同時、怜奈のすぐ傍らに出現した響子が自身をコマのように高速回転させ、迫る!

 次の瞬間、大鎌と竜巻の衝撃が怜奈を襲った――

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