第二章
第二章【1】 記憶の在り処
昼下がりの大講義室。
今日も空は澄み切っており、眩い日差しが窓越しに差し込んでくる。
教壇に向かって左端の長机。真斗と烈は、後方から三列目の位置に陣取っていた。
昼食後の講義は満腹感から強烈な睡魔が襲ってくる。烈は講義が始まって早々にノックアウトされ、既に真斗の右隣で夢の中だ。
百五十人はゆうに入る大講義室は多くの学生でほとんどの席が埋まる盛況ぶりだった。
教壇では、マイクを手に
情報科学とは人間の持つ情報処理能力をコンピューターを使って実現させる科学のことで、コンピューターサイエンスとも呼ばれている。その研究事項は、人間が行う計算、言語使用、記憶、認識、推論、学習など多岐にわたる。
磯崎教授の講義はわかりやすく、面白いと学生に人気だ。例年定期試験が簡単で、単位がとりやすいというのも人気に拍車をかけているのかもしれない。
少なくとも……隣りの男はそういう理由でここにいることを真斗は理解している。
普段は講義を熱心に聞いている真斗だが、今日に限っては頭の中は昨夜の出来事でいっぱいで講義など上の空だ。
『21』『ソウルリンク』『S.N.S』。そして……エーテル回収という使命。
あれは本当に起こった事なのだろうか? 悪い夢かなんかじゃなかったんだろうか? と、疑いたく……いや、そう信じたくなる。
もっと詳しい話を聞きたかったのだが、あの後、少女は眠くなったと訴え、続きは明日、と半ば一方的に話を切り上げて眠ってしまった。
なんて自由奔放なんだ。オレのサポートが役目じゃないのか、と思いつつ、仕方なく真斗も眠りについた。そして何事もなく朝を迎え、いつも通りに大学に登校した。
幸いにもスマホは普通に動くようになっていたが、変わらず例のアプリのアイコンはホーム画面に顕在だった。起動してみようかとも思ったが、結局踏ん切りがつかぬまま、既に半日が経過している。
…………
天井に設置されたスピーカーから、磯崎教授の声が響く。
「人間の記憶は四つのプロセスの集合で構成される。それは即ち『記銘』『保持』『想起』……そして『忘却』だ。最初の三つを情報科学的な視点からは『符号化』『貯蔵』『検索』と呼ぶ。――情報科学的には、忘却は人間特有の現象だ。エビングハウスの忘却曲線に示されるように、人間の記憶というものは重要度に応じて取捨選択されていく」
――忘却。忘れたい記憶。忘れられない記憶。忌まわしい事故の記憶。妹を守れなかった後悔の記憶。
そして……魂の記憶から生まれたというあの少女。
真斗の頭に色々な思考がごちゃごちゃに浮かんでは、形付く前に消える。
その間も、講義は続く。
「コンピューター上でこの過程を実現しようとする場合、『記憶』はデータとしてハードディスクなどの記録媒体に保存される。では、人間の場合はどこに保存されているのか? それは皆も知ってのとおり、脳だ。大脳皮質と海馬と呼ばれる部分になる」
ここで教授は一呼吸おいて、講義室の学生たちを見渡す。
「――しかし、人間の記憶はコンピューターで保存できる記録とは比べ物にならないほどの情報量を持っている。それは記憶と共に蘇る感情や、想い、それらから生成された希望的未来の光景などだ」
変えれる事なら、変えたい。現在を、かつて望んだような未来へ。
真斗があの日を思い返す度、何度も思ったことだ。
「心臓移植等により、ドナーの記憶の一部や食べ物の嗜好が移植を受けた患者に移ったという話を、一度くらいは聞いたことがあるだろう。このような事例からも、これらの膨大な情報は全て脳の記憶のみで実現されているのかという疑問が浮かぶ」
教授は教卓にあったミネラルウォーターのペットボトルを手に取り、中身を少し口に含む。
「ここで少し、面白い話をしよう」
これまでとは語調が変わり、小話でもするかのような調子だ。
「君たちはアメリカ、マサチューセッツ州の医師、ダンカン・マクドゥーガル博士の実験を聞いたことがあるかね? 結核患者の亡くなる前と後の重さを計量したというもので、博士は六人の患者の死に立ち会い、その変化を調べたそうだ。これにより……博士は人間の魂の重さを割り出そうとした」
どうやら学生の興味を引く為の余談のようだ。大半の学生はリラックスした様子で話に耳を傾けている。
しかし、真斗は『魂』という単語に過敏に反応する。
「――その結果、博士は魂の重さを四分の三オンス。つまり二十一グラム、と結論付けた」
二十一グラム……!? 例のアプリの名前も『21』――トゥエンティワン――だ。
そして、魂にアクセス――偶然ではない、と真斗は思う。
「また、博士には魂の写真の撮影に成功したという話もある。どのような写真が撮れたのかは情報が少なく不明だが、博士の証言によれば、『星間エーテル』と呼ばれる物質に似た光だったそうだ。……ああ、『星間エーテル』というのは中世の物理学の概念『エーテル理論』で天界を構成する物質と言われていたものだ」
……エーテル。これも昨夜聞いた単語だ。
天界を……構成する物質? これを集めろってことなのか……?
「勿論どちらの話も現代科学では否定されている。だが、もしも魂というものが本当に存在するのであれば、人間の記憶は脳ではなく、魂に保存されているのかもしれないな」
教授は笑うと、そう締めくくった。
――と、ちょうどそこで終業のチャイムが鳴る。
「今日はここまで。疑問点などあれば次回までに各自調べておくように」
その言葉に反応するかのように、寸分違わぬ完璧なタイミングで、烈がまどろみから帰還した。真斗はじっと、手にしたスマホの一点――『21』――を見つめていた。
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