第二章【2】 二つの個室
講義を終えた真斗は、烈からの遊びの誘いを断ると、ひとり足早に図書館へと向かった。しかし、今日はバイトの為ではない。連日で誘いを断られた烈はさすがに不服そうな様子だったが、どうにか納得したようで一人街へと繰り出していった。
図書館の一階の片隅、学生に解放された個室の自習室。広さは一人用の小ぶりな机と椅子、読書灯がぎりぎり設置できる程度のものだが、擦りガラスの扉には内側からロックを掛けることができ、壁は外界に音を漏らさない防音素材でできている。
真斗はその密室に籠ると、ズボンのポケットからスマートフォンを取り出し、画面を見つめる。そして意を決したように軽い深呼吸をすると、ホーム画面の『21』と書かれたアイコンをタッチする。
アプリが立ち上がり――
「あっ、おはようございます♪ マスター」
画面内に緑の少女が現れ、振り返って笑顔で出迎えた。両手で何やらダンボール箱のようなものを抱えている。昨日の少女だ。だが、いささか少女の周りの様子は昨日とは異なっていた。
昨夜、真斗と会話をしていた時、少女の周りは真っ黒なだけで、空間なのか平面なのかすらわからないような状態だったのだが……それが今はどこかの室内のようなものに変わっていた。壁や天井、床は薄い水色で統一され、要所に継ぎ目のような線が走っている。ちょうど金属製の板を組み合わせて造られたような感じだ。部屋の片方の壁には金属製のラックが並んでおり、おびただしい量の資料らしきファイルが綺麗に収まっているのがわかる。反対側の壁の奥には扉があり、どうやら別の部屋へと通じているように見受けられる。
そして、部屋のちょうど中央――真斗の視点から言えば、スマホの画面の真ん中の座標付近――にはこれまた金属製の机がこちら向きに置かれていた。少女はそこに抱え込んでいたダンボール箱を置くと――
「よかったー。とりあえず、最低限の準備はできたところです」
真斗に向き直って言った。
「でもこのお部屋、あんまり可愛くないんですよね。お仕事には支障ないですけど、もっといろいろオシャレにしたいなー」
両手を腰の辺りで後ろ手に組みながら、部屋の中をきょろきょろと眺めながら言う。少し不満そうな様子だ。
「えっと、そこは一体何なんだ?」
普通の口調で真斗が聞く。もうこの程度のことでは動じないようだ。
「あっ、ここはわたしの執務室です。昨日はバタバタしてて用意できてなかったんですけど。今後はここからマスターのお手伝いをしていきます」
「へぇ……」
何の気なしに返事を返す。
「んで、今までその部屋の準備をしてたってわけか」
「はい! ダンボール何箱も運んで開けて……大変だったんですよ! でも、マスターの為にがんばりました!」
「はは……。なんか……けっこうアナログな感じなんだな……」
真斗は半眼になり、素直な感想を口にする。
「そっちの奥の部屋は?」
その先が部屋であるのかどうか、真斗にはわかる由もなかったのだが、扉を指して言う。
「あっ……そっちはダメですっ! そこから先はわたしのプライベートルームですっ! くれぐれも無断で入ったり、覗いたりしないでくださいっ! プライバシーの侵害は犯罪ですよっ!」
ぷう、とほっぺたを膨らませて少女は主張する。
「んなことしねーよ。お子ちゃまの部屋になんか興味ねえ……っていうか、やろうったって、オレにスマホの中のそっち側をどうこうできるわけないだろ……。それにプライバシーの侵害とか言ってるけど、そもそも昨日のオレのプライバシー侵害の件はどうなんだよ……」
よからぬ雑誌を見られたことを真斗は思い出してしまい、げんなりとする。
「あ……あれはあんなところに置いとくマスターの責任です! あと、子ども扱い禁止ですっ!」
「はぁ……。はいはい」
いちいち反論してもキリがないと思ったのか、真斗は大人の対応をする。
…………
「えっ……と。それでご用は昨日のお話の続きですよね」
『執務室』の真新しい机の椅子に座りながら少女が言う。
「ああ、でもオレのほうからもいくつか確認させてほしい。『21』とかエーテルとかのこと」
「……? 昨夜となんか変わりましたね。前向きっていうか」
「疑問点は、調べて解決しておかないとな」
真斗も自習室の椅子へと腰を下ろす。
「そうですか。では、何から解決します?」
「そうだな……まず、魂の重さは二十一グラムって聞いたけど本当か?」
「はい。その通りです。というかマスターも学習できるんですね。すごいです!」
「ぐっ……」
少女の様子から察するに悪意なく褒められている、が逆にそれが屈辱的だ。しかし真斗は感情を押し殺し、冷静さを保つ。
「あ、そうそう」
言いながら少女は机上のダンボールの中から、何やら板状の機材のようなものを取り出して立ち上がると、正面――画面を見る真斗の方――に向かって腕を伸ばし、なにやらごそごそと作業をしている。
…………
「はい。できました」
どうやら先ほどの物体を真斗の見やすい位置に取り付けたらしい。といっても、どういう仕組みでその位置に固定されているのか、真斗の視点からはわからないのだが。
ちょうどスマートフォンの画面上部の位置に取り付けられたその物体は、何かの表示板のようだ。七つの正円が上下互い違いに‘W’を描くように配置され、隣り合う円と円を一本のラインが結んでいる。正円は平面ではなく、ふっくらとカーブを描いた立体感を持ち、無色透明。ちょうど丸底フラスコの球体の部分に似ている。そしてその中はキラキラとわずかに虹色の輝きを見せる気体とも液体ともつかない物質で満たされていた。
「これが今のマスターの魂の状態。魂にあるエーテル量を示すものです」
少女が解説する。
「やっぱ……魂にはエーテルが関係してるのか」
先ほどの講義で聞いた話を思い返しつつ、真斗は呟く。
「はい。魂はその源たるエーテルを常に……ほんの少しずつですが、大気中から吸収しているんです」
少女が相槌を打ちながら、説明を続ける。
「丸い容器の中にあるキラキラしたもの、これがエーテルです。一つの容器が満たされている場合、三グラムのエーテルがあることを示します。なので……」
「三グラムが七個。つまり魂には最大で二十一グラムのエーテルがある。魂の重さだ」
真斗が続きを言う。
「その通りです」
にっこりと笑い、少女は頷く。
「そしてこの物質『エーテル』をオレは回収しなきゃならない。もしそれを放棄した場合、オレの魂の中にあるエーテルからその分が差し引かれる」
そしてもしこれが無くなると……最悪、死ぬ。
「エーテルは魂のガソリンみたいなものってところか。そのエーテルを集めさせて、その後はどうするんだ?」
「それは……わたしにもわかりません。わたしにも回収量と期日が指定された指令がくるだけなので……。そして、もしも期日までに指令分のエーテルを回収できていない場合、不足分がマスターの魂から強制的に差し引かれて回収されるルールになっています」
「……ん? 待てよ。じゃあ回収したエーテルはどこに行くんだ?」
「わたし――S.N.Sの機能を通じて転送されます。転送先は『21』のサーバーに相当する装置だと思われます」
要するにS.N.Sはあくまでエーテルを回収するまでが役目――その先のことについては何も知らないということか――真斗は推測する。そうなると指令について今わかることはこれくらいだろう。
それとは別にあと一つ、訊ねたい事――じっ、と真斗は少女の顔を見つめる。
「……? どうかしましたか?」
「いや……いい。なんでもない」
その質問を口にするのは――どうしても躊躇われた。
「それで早速だけど、オレはいつまでにどれくらいのエーテルを集めればいいんだ?」
「あ、ちょっと待ってください。ホントはそれ最初に伝えないといけない項目だったんですよ。ええと……」
そう言って、少女は例のファイルを開く。要所でとことんアナログ感があるのは何でなのか。
「……〇.二グラムですね。初めてなんで少なくていいみたいです。それで、期日は……」
とりあえず失敗しても命にかかわる量ではなさそうだ。真斗は少し気が楽になる。
「……最初にS.N.Sと接触後、二十四時間以内」
「…………」
「…………」
真斗は腕時計を見る。十八時を回ろうかというところだ。
昨夜真斗が少女――S.N.Sと出会ったのは確か深夜零時前といった頃合だ。
無言で少女に視線を戻す。
「……てへ♪」
「『てへ♪』じゃねぇっ! あと六時間切ってるじゃねぇかっ!」
「それだけあれば大丈夫ですって。多分」
「多分じゃ困るっ! 例え死なないとしてもっ!」
無理やりやらされているような指令とはいえ、簡単な内容であるはずの初っ端から失敗というのは、どうにもみっともない。なによりそれでは、この先が思いやられるというものだ。
「何はともあれ、今夜決行ですっ! 回収にベストな場所と時間はわたしの方で調べますのでお任せくださいっ!」
本当に大丈夫か……?
自信たっぷりに張り切る少女とは裏腹に、真斗は天を仰がずにはいられなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます