第一章

第一章【1】 謎のアプリ

 木々は新緑の衣を纏い、季節はすっかり初夏の装いを見せている。

 雲一つなく、晴れ渡る澄み切った空。この季節特有の、優しく暖かな日差し。それはあたかも生命に対する賛歌のようで、地上の全てに等しく降り注ぎ、木々はより一層、命の煌めきを帯びる。

 …………

 ――叡都えいと大学。

 都心から少し離れた郊外にある有名私立大学だ。

 広大なキャンパスの敷地内には、ちょっとしたビルであれば軽く凌ぐほどの巨大な本校舎や、豪奢な造りの大講堂、レンガ造りの図書館、講師や大学院生たちによって様々な研究が行われる研究棟の一群など、実に様々な建物がそびえ立つ。

 加えて敷地の随所には様々な植物が美しく植えられており、下手な公園よりも緑豊かな環境を備え持っていた。

 学食の大きな窓越し、そんな景色を背に夜霧 真斗よぎり まさとは神妙な顔つきで手にしたスマートフォンの画面を見つめていた。

 澄み切った晴れ空の昼下がり。日差しは眩く、覗き込んだスマートフォンのガラス面は自然とその顔を映しこむ。

 比較的整った顔立ちに、わずかにウェーブのかかったミディアムショートの黒髪。無造作な感じではあるが、極めて自然体で不衛生さはない。少したれがちな目からは、穏やかで柔和な印象を受ける。

 ただ一つ、際立つのはその額――正確には右目の付け根の上辺りから眉間を跨いで左目の付け根の下まで――に走る傷痕だ。傷は大分昔のものらしく、見ていても痛々しさを感じさせるものではない。ただ、その大きさはかなりのものと言っていいだろう。

 穏やかな印象を与えるその顔とは、およそ無縁そうな代物に感じられた。

 このこと――大きな古傷――を除外すれば真斗はどこにでもいそうな、至って普通の男子学生といって差し支えない存在であった。


 【 叡都大学 情報科学学部 情報学科 二年 夜霧 真斗 (二一歳) 】


 これが真斗の社会的な肩書きだ。

 高校卒業後、大学受験に失敗し、一年間の浪人生活を経て、叡都大学に合格。現在に至る。

 ――ので、年齢的には現役合格を果たした同級生よりも一つ上、ということになる。

 もっとも、大学ともなれば一言に学生と言っても様々だ。還暦を過ぎて学問に目覚めた、元八百屋のオヤジさんもいれば、子育てを終えて、若き日の夢だった学生生活を謳歌しようと一念発起、猛勉強の末に入学を果たし、実の息子と同級生の保護者兼女子大生、なんてプロフィールの持ち主もいる。

 まあ、そういう極端なケースの学生もキャンパスには少なからずいるわけで、真斗自身は同級生との年齢差について、さして気にもしたことは無く、良好な交友関係を築いていた。

 加えて言えば、朗らかで、物腰も柔らく、周囲に気づかいを欠かさない真斗の性格からして、先述のようなレアなプロフィールを持つ学生がいようがいまいが、結果は変わらなかっただろう。

 つまり率直に言えば、真斗は極めて平凡ではあるが、トラブルとは無縁な、平和な学生生活を謳歌していた。

 …………

「あっ、いたいたー。射場まとば、こっちこっちー」

 聞き覚えのある緊張感のない黄色い声に、真斗は顔を上げる。

 真斗の正面の方向、テーブル越し数メートル先から手を振りながら一人の女子学生が近づいてくる。

 そのファッションはかなり特徴的だ。

 ゴシックパンク、というのだろうか。

 黒を基調とし、要所に赤いチェック柄のフリルが施されたブラウスシャツは、肘から下が分離したセパレートタイプのデザイン。

 ブラウスの襟から下がるのは、黒文字でゴシック感溢れる書体の英単語がプリントされた真っ赤なネクタイ。さらにその中ほどには、安全ピンを模した大きなシルバーアクセサリが光を放っている。

 赤地に黒のチェック模様のミニスカートから延びる色白な脚は、鈍く黒い光沢を放つ編み上げが特徴的な厚底のロングブーツへと収まっていた。

如月きさらぎ。呼び出しちゃって悪いな」

 テーブルに缶ジュースを置きながら、向かい正面の椅子へと座る彼女――如月 響子きさらぎ きょうこ――に真斗は声をかける。

「あはは、全然オッケー。ちょうど時間も空いてたし」

 軽い調子で言いながら、響子は鮮やかなデコレーションが施された長い爪に苦労することもなく、細い指先で器用に缶ジュースのタブを起こす。

 ――と、ほぼ同時。

「うっす。真斗。待たせたな」

 響子の隣にやってきた男が真斗に声をかけてくる。先ほど響子が真斗を見つけた際に呼ばれていた男だ。

 言いながら、その男は響子の左隣りの椅子をテーブルから引き出して、座る。

 その身を包んでいるのは光沢を放つ群青色のスカジャン。左右の胸元にはそれぞれ、龍と虎を模った豪奢な刺繍が施されている。短めで逆立った髪は、明るい茶髪。首には青黒いワイヤレスのヘッドフォンが掛けられている。

 見た目だけで人の内面を推し量るのは軽率というものだが――やはり、見るからに軽そうな男だと思わずにはいられない風貌だ。

「よう。いさお

 真斗がそちらを向き、軽く返事を返す。

 どっか、と椅子にふんぞり返るように座った男――射場 烈まとば いさお――は真斗と同じく情報科学学部所属の二年生だ。

 実は真斗とは出身高校も同じで、高校時代からの友人である。浪人した真斗とは違い、現役で大学に進学できたのだが、勉強漬けだった受験生時代の反動が大きかったのか、大学では講義をサボって遊びまわり、入学初年にして留年するという不名誉な経歴の持ち主だ。かくして、現役合格生と浪人生という一年間のタイムラグは大学で再会を果たした時点で解消され、高校時代と同様、現在は真斗と同級生という関係に落ち着いている次第である。

「んで、相談って何?」

 響子が両手で頬杖を突きながら真斗に訊ねてきた。

 その動きに合わせ、軽くウェーブのかかった金髪を纏めた、ボリュームのあるツインテールがかすかに揺れる。

「わかった。恋の悩みだな!」

 真斗が答える前に、無遠慮に烈が口を挟んでくる。

「うんうん。そういう事なら任せておけって。オレの口説きの奥義、余すところなく伝授するぜ! 親友」

「奥義? あの気持ち悪い念仏みたいなやつが?」

 勝手に話を進める烈に、響子が呆れ顔で横目を流す。

「ぐっ……! わ、わかってねーな。あれこそ真の愛の詩だっての!」

 響子の指摘は相当に的確だったのだろう。烈は顔を引きつらせながら、苦し紛れの反論をする。

 事実、一年ほど前に響子もまたその念仏――もとい、烈曰く『真の愛の詩』とやらを聴かされたことのある一人であった。単純な話、烈が入学したての響子をナンパしたわけだが、勿論それは一秒とかからず判決を言い渡され、失敗に終わった。しかし、これをきっかけに真斗らは響子と知り合うこととなり、気が付けば親しい間柄になっていた。

「はは。そんな相談じゃないって」

 真斗は苦笑しながら烈の勝手な勘違いを否定する。

「なんだ。真斗もとうとう神崎かんざきに告る決心がついたのかと思ったのになあ」

 残念そうに、さらりと、でもとんでもないことを口にする烈。

「な、ななっ……!? おっ、お前いきなり何を……!」

 思わぬ奇襲攻撃に慌てふためく真斗。瞬時に顔が紅潮し、耳まで赤みを帯びている。

「ふーん。なるほどねえ」

 小顔に備わった大きな瞳で、響子がにやにやと真斗を眺める。まるでおもちゃを見つけた猫のように、好奇に満ちた眼差しだ。

「とっ……とにかく! そういうのじゃないんだ。二人に相談したいのは」

 これ以上この話題が広がるのを避けたい一心で、真斗は本題を切り出しにかかった。

「実は……これなんだけど」

 真斗は自分のスマートフォンを差し出す。

 響子と烈は一瞬顔を見合わせ―――響子がそれを受け取り、二人で画面を覗き込む。

「…………」

「なんだ……? こりゃ」

 当然の反応といえる感想を先に述べたのは烈の方だった。

 それは奇妙な画面だった。

 何の飾り気もない真っ黒な背景。そこに味気のない書体の白い文字で何やら書かれている。

 その内容は――



 《『21』 ~トゥエンティワン~ 利用規約》

 《本アプリの使用者(以下、「マスター」という)は、利用規約のすべての記載内容について同意して使用するものとします》


 《1 マスターは、必要に応じ本アプリからの、記憶、潜在意識へのアクセスを認めるものとします》

 《2 マスターは本アプリからの指令の履行を順守するものとします。なお、不履行の際には、その魂の一部もしくは全てを以って不足の補填をするものとします》

 《3 マスターが任意に本アプリの使用を中止することはできないものとします。ただし、本アプリによりマスターとしての資格を喪失したと判断された場合、この限りではありません》



 そして最後には『同意する』と書かれたボタン状のインターフェイスが表示されていた。殺風景なモノクロームの中に、赤とオレンジを混ぜたような暖色で輝くそれは、ひときわ際立って見えた。

「アプリの利用規約画面……みたいね」

「内容は完全にSFかオカルトだけどな。それともゲームの演出か何かか?」

 正直なところ、真斗自身も期待はしていなかったのだが――この反応を見る限り響子も烈もこのアプリを見たのは初めてのようだ。

「……やっぱり二人とも知らないか。実はこいつが結構厄介で困ってるんだ」

 真斗の言葉に、要領を得ない様子の響子と烈は顔を見合わせる。

「そもそもこれって何のアプリなんだ?」

「それが……オレにもよくわからないんだよ」

 烈の問いに対し奇妙な回答をする真斗。

 次なる疑問を投げかけようとする烈を制して真斗は続ける。

「いつの間にかインストールされてたんだ。先週の金曜の夜に携帯を見たら、もう勝手に入っていたっていうか」

「ホントかぁ?」

 烈が疑惑の眼差しで真斗を見つめる。

 おおよそ、よからぬサイトを閲覧した時にでも、タチの悪いウィルスに引っかかったんじゃないか、といった想像をしてのコメントであることを真斗は察した。

「本当だって。気づいたときには『21』って書かれたアイコンがもうホーム画面にあったんだよ」

「それで起動したらコレ、ってわけか」

 真斗が真剣な顔で訴えたのが功を奏したのか、もう烈の表情から疑惑の色は消え失せている。

「……っていうか、こんなわけのわからないアプリ、削除しちまえばいいんじゃねーのか?」

 烈は当然の提案をしてくる。

「それができりゃあ、な。とっくにそうしてるさ」

「……?」

「消せないんだよ。これが」

 真斗の言うとおりだった。烈がいくらアプリ管理画面から削除操作をしても、何故かそのアプリ――『21』を消すことはできなかった。

 ちなみに、一度スマホ内のデータを全て削除し、端末を初期化すればさすがに消えるだろう……と思い週末に休日返上で作業に取り組んだ真斗の努力は徒労に終わっている。

 いつの間にかインストールされており、内容は怪しさ満載で、用途も不明。しかも削除すらできないアプリ。

 まさに現代の情報化社会に潜む恐怖だ。パソコンやスマートフォンにあらゆる個人情報が詰まっているのが当たり前の時代、それを狙ってのサイバー犯罪は後を絶たない。真斗が不安になるのも頷ける。

「んー。でもまあ、とりあえずは」

 再び端末を手にして画面を見つめていた響子が思案したように天に視線を泳がせる。

「結局のところ、ただのイタズラじゃないの?」

 それはあまりに楽観的な思考だ……と反論したくなる見解を響子が口にする。

 ……が、今回の場合はそう考えるほうが普通なのかもしれない。

 なにせ利用規約に書かれた内容は、記憶へのアクセスだの、魂で補填だの、全く現実感がない話なのだから。

「それにしたって、ここまでするかなあ」

「まあ、消せないように細工してあるとか、手が込んでるよね。結構悪質かも」

 真斗の訴えに、響子は笑いながら同意する。

 真斗は「うーん」と唸り思考を巡らせる。

 イタズラだろうという響子の見解を疑うわけではないのだが、アプリは消せない、しかも同意ボタンしかない、ときては何らかの悪意が渦巻いていると勘繰りざるを得ない。そうなると最も安全そうな対処法はもう、諦めて放置しておく……しかないのだが、それはそれで結局相手の思う壺なのではなかろうか? スパイアプリを常駐させておくことで、端末から情報を盗み取るのは情報犯罪の常套手段だ。

 ……もっとも、利用規約に同意を求めてくるスパイアプリなど存在しうるのか、甚だ謎ではあるのだが。

 結局どうすればいいのかわからない。堂々巡りだ。

「……結局、放置、しかないかあ」

 真斗が諦めたように呟く。

「でも……『同意する』ボタンはあるのよね」

 響子が言う。

「じゃあ……同意するしかないってことだ」

 烈が続ける。

 それじゃ何の為の利用規約なんだよ、と真斗は思う。

「よし」

 烈がきりり、と表情を引き締めた。

 真斗は嫌な予感がする。いや、それしかしない。

「困窮の友を救う為、オレが犠牲になろうではないか!」

 烈は立ち上がり高らかに宣言すると、響子の手から端末をかすめ取り――

「烈! ちょ、ちょっと待った!」

 真斗も慌てて立ち上がる。

 その勢いで真斗の座っていた椅子がそのまま後方へ倒れた。

 がつんっ! ――椅子の鈍い転倒音が学食内に響く。唐突な衝撃音に遠くにいた学生たちが何事かと、ちらちらとこちらの様子を伺う。

「どうしたんだ。真斗」

 その音に驚くわけでもなく、平然とした顔で烈が言う。

「お前まさか……同意ボタン押そうとしてるんじゃないよな」

 真斗は訝しげな顔で、内心既に意味をなさないとわかっている質問を投げかける。

「…………」

 ふうっ、と息を漏らして目を閉じると烈はゆっくりと頭を振りながら言う。

「止めるな、友よ。犠牲は俺だけでいい」

「……何を言っているんだ。お前は」

 演技染みた烈とは対照的に、真斗は冷淡に言い放った。

 烈にはどうもこう、自分をゲームやドラマ、漫画など何らかの主人公に見立てたかのような言動をする癖がある。それだけならまだいいのだが、揚句ブレーキが利かなくなり、暴走することも珍しくは無いことを真斗は経験から知っていた。

 きっと今の烈なら、冗談でもなんでもなく躊躇わずに同意ボタンを押してしまうだろう。

「もういいから。ほら、返してくれ」

 やれやれ、と思いながら真斗は烈の手に握られているスマートフォンを取り返そうと手を伸ばした――のだが、その手首を烈が掴み強引に阻止する。

 そしてじっ、と真剣な眼差しで真斗に向き直る。

「安心してくれ。同意するのはオレだ」

「安心できるか。同意されるのはオレの端末だ」

 間髪入れずに真斗が言う。

「…………」

「…………」

 しばしの沈黙。

 そして、火蓋は切って落とされた。

「このオレを信じられないというのか!? 友よ!」

「この状況で信じられるか!? お前、同意ボタン押した後どうなるか見てみたいだけだろ!?」

「なぜわからない! オレはお前を救う為、この身、魂、厭わぬ覚悟で!」

「救いたいなら何もするな! つーかその手を離さんかっ!」

「例え友を敵にまわすことになろうとも、信念を貫かねばならぬ時もある! それが今だっ!」

 真斗のスマートフォンを取り合いつつ、舌戦を繰り広げるそんな二人のじゃれ合い(?)を、響子は頬杖をつき、缶ジュースを飲みながら眺めていた。

 …………

 しばらくの後――かくして勝者は決した。

 勝者は――真斗。

 まあ、持ち主なのだから当然と言えば当然のことではあるのだが。

 テーブルの上には敗者の骸よろしく、烈がうつ伏せに突っ伏していた。 

「……はぁ、はぁ」

 荒げた呼吸を整えつつ、真斗は安堵の溜息と共に、ようやく救い出した戦利品へと目を向ける。

「……あ」

 自分の右手を見た真斗の口から小さな声が漏れていた。

 端末を握りしめた親指は付け根の辺りでしっかりと端末の側面をグリップし、そこから第二関節から第一関節はディスプレイ正面へと回り込む。次いで第一関節より先は画面中央へと延び、そして――ぷっくりとした指の腹は、そりゃあもうばっちりと、『同意する』ボタンのど真ん中に着地していた。

「…………」

「…………」

「…………」

 大半のアプリにおけるインターフェイス――要するにボタンなど――は、指でタッチした時ではなく、指を離したタイミングで反応する。

 そして、このアプリ――『21』――もそのご多分に漏れず、同じ仕組みのようだ。『同意する』ボタンは真斗の右親指のタッチによって、ボタンがへこんだような表示になってはいるものの、それ以外に変化は見られず反応した様子はない。

「くっ……かくなる上はっ……!」

 真斗は同意ボタンから指を離さないように注意を払いつつ、左手で端末の側面にあるスリープボタンのスイッチを押すことに成功する!

「おぉ……!」

 機転を利かせた判断に烈と響子から感嘆の声が上がる。

 ――だが、しかし。

 最後の希望はあっさりと打ち砕かれた。

 本来であればスリープモードに移行して消えるはずの画面の表示は、依然残ったままだ。どうやら、物理的なスイッチによる操作も受け付けないようになっているらしい。電源ボタンも同様で、全く反応することはない。

 アプリを削除できないことといい、こういった部分は周到に作られている。

 全く迷惑なアプリだ。

 ――万事休す。もはや、真斗に残された選択肢は一つしかなかった。

「いくしかないな」

 烈が好奇を含んだ声で促す。

「まー、どうせイタズラってオチっしょ」

 響子が涼しい顔で言う。

 真斗の視線が烈、次に響子と交わり……そして二人は無言で頷く。

 真斗はふうっ、と溜息をはくと、意を決し――諦めにも近い気分で――しびれかかっていた右手の親指を離した。

「…………!!」

「…………♪」

「…………」

 固唾をのみ、画面の行方を見守る三人。

 そして――

 …………

 何も――起こらなかった。

 いや、正しくいうと、例の怪しげな画面は消え失せ、何事もなく通常のホーム画面へと戻る、ということが起こっていた。

 ほっ、と胸を撫で下ろす真斗。対して烈の表情は不満気味だ。

「なんだ。何にも起きねーじゃねえか。つまんねーの」

 お前はオレを救いたいんじゃなかったのか? 真斗は烈に横目を送る。

「やっぱり、ただのイタズラだったみたいね」

 響子が言う。

 緊張から一気に解放された真斗はどっ、と疲労感を覚え思わず大きく伸びをした。一息つき、ふと学食の壁にかかった時計に目をやると、長針が文字盤の『5』を指し示している。十五時二十五分だ。

 もうこんな時間か、と思い真斗はスマートフォンをジーンズのポケットに押し込み、立ち上がる。

「ん? どうした。どっか行くのか?」

 もうすっかり先ほどの騒動への興味をなくした様子の烈が訊ねる。

「図・書・館」

 のんびりと抑揚をつけ、言いきかせるような調子で真斗が答える。

「あー。なるほどな」

 烈が納得顔で答える。

「今日はもう講義もねーし、久々にお前と遊びにでも行こうと思ってたのによ」

「アンタは講義があってもサボっていっつも遊びに行ってるじゃん」

 響子がすかさず烈の誤りを訂正する。

「はは、悪い。それと今日はありがとな」

 言いながら、真斗は傍らの椅子に置いてあったオリーブ色のミリタリージャケットを羽織り、肩掛け型のカバンを掴む。

「んじゃ、あたしも行くわ。これから友達と買い物の約束なの」

 響子も立ち上がる。

「ん? そっか……。じゃあな。真斗、如月」

 どことなく名残惜しそうな烈を残し、真斗と響子は南側の自動ドアへと向かって歩きだした。

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