第7話「所長! 年末年始ですよ! 下」

 研究所とは別棟にある、三階建の生活居住用棟の一階——リビングにて、袴を着た俺と小紋を着たアンリカは向き合っていた。それぞれ、座布団の上に座っている。

十一畳のリビングにはフローリングの床、白いカウチソファがあり、隣り合うように、おにぎり型のガラステーブルがあった。


グラスを逆さにしたような黒いシーリングライトが天井に幾つかぶら下がっていて、部屋中を柔らかな光で照らしてくれている。

たいてい、休日はソファに腰掛け、プロジェクタースクリーンに映画などを投映して観ることが多い。


スクリーンの左右に位置する細長いスピーカーからは、映画館さながらの迫力あるサウンドが楽しめるのだ。

左に目をやると、磨き上げられた四枚のガラス窓越しに芝生の庭が見え、そこでは毎年、バーベキューなどを楽しんでいる。


 アンリカの着物姿はよく似合っていた。後ろで纏めた金色の髪をかんざしで固定している。化粧をしている。綺麗だ。素直にそうおもった。

 俺たちはお互いに深々と頭を下げ、新年の恒例の挨拶を交わした。


「「あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします」」


 一拍おいて、俺が腹をなでながらいった。


「とってもお腹が空いたよ。早くおせち料理を食べよう」


「はい。そうですね。キッチンから持ってきますので、少々お待ちください」


 と言うと、アンリカはなれない着物に足を取られないよう気をつけながら、キッチンへ赴き、三段重ねの黒い重箱を抱えて持ってきた。

 待ちかねていた。おせち料理が楽しみで仕方がなかった俺の初夢は、おせちを食べ過ぎて倒れるという、縁起が良いのか悪いのかわからないものだった。


 重箱がガラステーブルに置かれる。蓋を取ると、縁起を担いだ食材たちが綺麗に配置されていた。

 壱の重は段詰めに、奥から紅白かまぼこ、伊達巻、田作り、錦卵、黒豆、栗きんとん、昆布巻きがあった。どれも美味そうだ。


続いて弐の重は、升の形を模して詰めてある。そこには酢だこ、紅鮭昆布巻き、酢ばす、のし鶏、エビの甘酢和え、煮豚、鬼殻焼き、穴子八幡巻、小肌栗漬け。


最後に参の重。これは扇のように曲線を描いて詰められており、いずれも煮物で、たけのこ、しいたけ、ごぼう、れんこん、さといも、手網こんにゃくだ。

 どれからいただこうか——考えながら眺めていると、アンリカが取り皿、漆器製の赤い屠蘇器、お雑煮、五色なますをお盆にのせて持ってきた。


「せっかくですし、縁起よくいただきましょうか」


「うむ。いいね、そうしよう。それなら、まずはお屠蘇から」


 俺とアンリカは一礼し、俺は盃台を持ち上げた。アンリカは持ち上げられた盃台から中盃だけを手に持つ。

俺は盃台を屠蘇台へ置き、銚子を持って、中盃へ屠蘇を三回注ぐ。その内、一回目と二回目は真似で、三回目で注いだ。

アンリカはそれを一口、二口目は少し飲み、三口目で飲み干した。


その後、銚子を屠蘇台へ置き、再び盃台を取る。アンリカは、中盃を盃台へ戻した。

俺は盃台を屠蘇台へ戻して、互いに一礼した。俺はアンリカに感想を訊いた。


「助手ちゃん。どうだった? お屠蘇の味は」


 アンリカはちょっと首をかしげながら、


「少し苦いですね。それと、屠蘇散の香りをほのかに感じます」


 と言った。

 お屠蘇は屠蘇散という山椒、細辛、防風、肉桂、乾薑、白朮、桔梗をブレンドし、屠蘇袋に入れ、それを酒と本みりんに浸して作られる。

 正直、それほど美味しいものではないと思う。俺はアンリカに「美味しい?」と殊更に訊ねると、彼女は困ったように笑った。


「じゃあ、次はお雑煮を食べよう!」


 と言い、俺はお椀の蓋をあける。閉じ込められていた湯気がふわりと顔を包み込んだ。出汁の良い香りのなかにゆずの爽やかさが混じっている。

具材は焼いた角餅が二個、鶏肉、小松菜、なると巻き。上にちょこんと、三つ葉とゆずの皮が添えてある。

 まずは出汁から。ひとくち、飲み、うま味を舌全体であじわう。昆布や鰹節、煮干からとった出汁だ。


餅を食うと、よく伸びた。おいおい、どこまで伸びるのだ。お椀を忌避するように遠ざけている俺を見て、アンリカが笑っている。

ようやく餅を噛み切ると、鶏肉を食べた。くさみが一切なくて美味い。あっという間に平らげた。


 いよいよおせち料理だ。黒豆を箸でつまみ、口へほうり込むと、優しい甘さが広がった。いくらでも食べられそうだ。

 次は数の子。ポリポリとした食感が楽しく、この独特な味がたまらない。

 田作りに箸を伸ばす。砂糖、醤油、みりんに浸したカタクチイワシ。

甘しょっぱさを追いかけるように、唐辛子のピリリとした辛さ——噛めばかむほど、味が染み出てくる。


 紅白かまぼこをいただこう。俺はマヨネーズと七味唐辛子を和えたものに、ちょっとつけて食べるのが好きなんだ。

うん、やっぱり美味しい。掴むと紅白がセットでやってくるのが通例なので、構わず、一緒に食べた。


 アンリカに目をやると、落ちそうな頬に手を添えて、穴子八幡巻を幸せそうに食べているところだった。

彼女は食事のときは特にこんな表情を見せてくれる。俺はそれがたまらなく嬉しかった。

 さて、エビの甘酢和えを食べようかな。『甘酢』というワードを聞くだけで自然と唾液が出てくる。

プリッとしたエビに程よい酸味の甘酢が絡んで美味い。


 すぐさま煮豚に手をつける。固くない。柔らかく、ホロホロと崩れていく。

普通、冷めた煮豚は固くなっているはずなのだが、これは全然違う。店で出せるよ、助手ちゃん。

 見ると、アンリカが煮物を食べていたので、俺もつられてたけのこを噛んだ。

これだ。このシャキシャキというか、コリコリの食感。そして、期待を裏切らない味。出汁がよく染みている。


 しいたけ、ごぼう、れんこん、さといも、手網こんにゃくも同様に、よく煮てあった。どうやら、具材ごとに別々の鍋で煮込んだそうだ。

俺はその手のかかりように脱帽した。

 アンリカは料理に関して一切の妥協を許さず、完成度を上げるため、日々努力している。

おかげで、うちの給湯室には、アンリカのために料理レシピ専用の本棚をこしらえたもんだ。


 ふと、警報のような音がかすかに聞こえた。いま、研究室には誰もいないはずだ。

気のせいとか思い、伊達巻を食べようとしたけれど、アンリカが眉をひそめながら耳をそばだてているので、

これは気のせいなんかじゃないぞと思った俺は、急いで研究室へ走った。袴だからどうも走りにくい。

 研究室に着くと、案の定、デスクトップのモニター画面に『予期せぬエラーが発生しました』というメッセージが、黒い背景をバックに、黄色い文字で示されていた。


 警報は依然として鳴り響いている。実験室に目をやると、異世界生物召喚装置起動が白煙を燻らせて、激しく揺れていた。

 ドラゴンマンが魔界へ帰ったあと、掃除機をかけて、確かに電源を落として出たはずなのに!

 原因があるはずだ。なにか、ないか——俺は辺りを見回すと、それはあった。

作ったまま、どこかへ亡くしてしまったと思われた『電力無駄遣いし太郎』が三体——それぞれ、コンセントの所とデスクトップの電源付近、キーボードに腰掛けていた。


「なんだとっ! 君たち、どっから湧いて出てきたんだい?」


 問いかけると、キーボードに腰掛けているぜんまい仕掛けのロボットが、グッドサインを得意げに見せてきた。


<<魔界から現実世界へ。魔界から現実世界へ。三体の魔界生物を転送中。三体の魔界生物を転送中>>


 無機質な声がスピーカーから流れてきた。入り口を見ると、ちょうどアンリカが入ってきたところだった。


「所長、これは」


 アンリカは憮然として言った。


「それはね、あれを見てくれ」


 俺は指をさして示した。アンリカがその方を見やると、コンセントの所で電力無駄遣いし太郎一号がピースサインを見せた。


「......所長、あれはなんです?」


「......さあ、実験開始だ」


「所長ったら、ごまかさないでくださいよ! もう!」


 鉄扉が勢いよく開かれる。鎖が千切れ、飛び、散らばる。

白煙が実験室を満たしたため、視界の状況はすこぶる悪くなった。

こうなれば、アンリカの常人離れした視力に頼らざるをえない。


「どうだい。見えたかい?」


 と俺はアンリカに訊いた。


「もう少し......もう少しで見えます」


 アンリカはガラス越しに広がる煙の奥を睨んでいる。

 ややあって「確認しました」と言った。


「いったい、誰なんだい?」


 訊かれたアンリカは微笑すると、


「所長のよく知っている方たちですよ。お雑煮、追加で作らなきゃですね!」


 と言い、給湯室へ走っていった。俺は彼女の後姿を見送ると、もう一度実験室に目をやった。

 すると、俺は嬉しくなって笑った。そしてマイク付きヘッドフォンを装着すると、彼らに呼びかけた。


 

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