第3話「所長! ゾンビですよ!」

 現在、時刻は正午にさしかかろうとしている。

俺は学会に提出するため、研究レポートをまとめているところだ。

こいつを提出しなければ俺は学会から研究資金の援助をいただくことができないので、怠けることはできない。

しかし、作業に対して苦を感じることはなかった。

好きで研究をしていることと、優秀で美人な助手がいることで作業に対するモチベーションは十分だからだ。


「よし! 終わったァ!」


俺は腰掛けていた椅子が倒れんばかりの勢いで立ち上がり、天に拳を突き上げた。

その声を聞きつけ、パタパタとスリッパを鳴らしながら助手のアンリカがやってきた。


「お疲れ様です。所長。お飲み物をお持ちいたします。何がよろしいでしょうか?」


「グリーンスムージーで頼む。そんな気分だ」


「承知しました。少々、お待ち下さいね」


俺は伸びをすると、防弾ガラス越しに見える機械を見る。

異世界生物召喚装置。

魔界の生物をこちらの世界に召喚できるマシーンだ。

先日は紫色のスライムを召喚し、データを採らせてもらうだけの予定だったが、成り行きでスライムの悩み事を解決したのだ。


「しかし掃除が大変だったなぁ。毒化しないように防毒スーツを急遽作ったが、あれがなければ死んでいたかもしれん」


「ふふ。私は平気ですけどね」


気づくと、アンリカがプラスチック性の透明なカップに入れたグリーンスムージーを持って立っていた。


「やっぱ魔王族だから効かないのかな? 1度アンリカちゃんも研究してみたいなぁ」


「ダメですよ〜。はい、所長。ほうれん草とバナナと魔界の木の実をミックスしたグリーンスムージーです」


魔界の木の実が入っているのか。

口に合うか少々不安ではあるが、なんとも好奇心を掻き立てられる一品。

ものは試しというやつだ。

うむ。何事も経験なのだ。


「ありがとう。アンリカ。いただこう」


俺は抹茶のような色をしたドリンクを恐る恐る飲んだ。

するとどうだ。

美味いではないか。

青臭さもなく、口に広がるのはフルーツの甘い香りと芳醇な甘さ。

飲み心地は濃厚な飲むヨーグルトを思わせるも、それでいて、後味はすっきりとしている。

何杯でも飲めそうだ。


「美味い! もう一杯!」


アンリカは困ったように笑いながら言う。


「もう。所長ったら。何事も摂りすぎはよろしくないのですよ?」


「まあ、そう堅いこと言わずにさぁ」


俺は片手をデスクにつきながら言う。


ーーピッ


何かの機械音が聞こえたかと思うと、すぐに緊急事態に常用される『例のアレ』の警告ブザーが鳴り響き、パトライトが激しく点滅する。


「所長! 小指がエンターキーに当たっています!」


「なに! またやってしまった!」


装置はガタガタと動き出し、多量の白煙が漏れ出している。

鉄製の扉は激しいノックを何度も繰り返す。

今にも中から飛び出してきそうだ。


「所長! 来ます!」


「さあ、実験開始だ」


抑えることを放棄した鉄扉の鎖は弾け飛び、実験室は白煙で満たされた。


「見えるかい? 助手ちゃん」


「いいえ、まだ確認できません......」


白煙はだんだんと収まり、魔物の正体は暴かれた。


「確認しました。所長。あれは......ゾンビです」


「え、ゾンビ?」


黒いライダースに、赤いチェック柄のシャツ。そしていい具合の青いGパンにスニーカーを履いたゾンビが姿を現した。


「えらく小綺麗なゾンビが出てきたな」


「データスキャン開始します」


デスクトップのモニター画面にゾンビのデータが次々と更新されていく。

やがて、文字と数字の羅列が画面を埋め尽くした。




[種別] 人間科 ゾンビ属

[学名] ゾンビ・ベツニソコマデクサク・ナインデハナイノ

[名前] メルクリア・クラプテッド

[性別] ♂

[性格] 陽気

[年齢] 21歳

[身長] 182cm

[体重] 74kg

[レベル] 14

[血液型] A型

[好きな食べ物] ディアボスニッカーズ

[嫌いな食べ物] 聖水

[好きなこと]  バスケットボール

[嫌いなこと]  同じ体制をとり続けること

[得意技]    仲間を増やす




「データスキャン完了しました」


「ありがとう。助手ちゃん」


そう言うと俺は、マイク付きヘッドフォンを装着してゾンビとコミュニケーションを試みる。


「突然呼び出してすまない。我々は君について知りたいだけで、危害を与えるつもりはないんだ。協力してはくれないだろうか」


ゾンビは顎に手を当て、考える。

そしてしばらく悩んだ末、こう言った。


「悩みがあるんです」




 研究室にちゃぶ台と座布団を広げ、即席の客間にて臨時のお茶会が開かれていた。

研究者と魔界生物の手元へと、芳ばしい香りが届けられる。


「粗茶ですが、どうぞ」


「これは。どうもありがとうございます。これはなんという飲み物ですか?」


見慣れない飲み物に興味深々のゾンビは、助手のアンリカに尋ねた。


「こちらは『ホウジチャ』といいます。緑茶に使用される茶葉を焙煎したものですね。ちなみに、この国の『キョウト』という所から取り寄せました」


「あ。美味しい。あっさりとしていて飲みやすいですね」


俺も同意見だ。渋みもなく、食欲を刺激される芳ばしい味だ。

やはり、アンリカに淹れてもらう飲み物はどれも美味しい。


「さて。君の悩みについて聞かせて欲しいな」


「はい。では......。僕は最近ゾンビにされたばかりでして、以前は村人として暮らしていました」


どうりでゾンビらしくないと思った。

見た目は少々顔色が悪いくらいで、他には普通の人間と何ら変わらない。


「それでーー」


ゾンビは続ける。


「『稀にモンスターを倒すとアイテムを落とす』という暗黙のルールがあるでしょう。あれによって、僕の私物である『お洒落なキャップ』を勇者に持ち去られてしまいまして」


「あれは暗黙のルールだったのですか」


「そうです。そこで相談です。勇者から僕のキャップを取り返す方法を考えていただきたいのです」


「そうでしたか......。それはなんとかしてあげたいですね」


俺は解決法方を考える。

しかし、頭が思うように働かない。

どうしたものか......


ーーグゥ〜


どこからか腹の虫の鳴る音が聞こえた。


「すいません、僕です。朝から何も食べていないもので」


ゾンビは照れ臭そうに頭を下げる。


「ははは。それなら腹が鳴るのも仕方ない。俺も何だかお腹が空いてきたな」


「では、何かお作りましょうか。何か希望はありますか?」


アンリカは俺たちにアンケートをとる。


「僕は何かガッツリしたものが食べたいです」


「俺もだ」


少し困ったように微笑むアンリカ。


「わかりました。では、しばらくお待ち下さい」


そう言うと、白衣をはためかせながらアンリカは給湯室へ向かう。


「さて、助手ちゃんが戻るまでお話しでもしようか」


俺たちはゾンビの生活や、逆にこちらの生活を互いに教えあった。


「お待たせしました。カツ丼です」


蓋をした丼に、小鉢にたくあん。お吸い物が盆に載せられている。


「カツ丼......いったいどんな食べ物なんだ」


ゾンビはまたしても見慣れないものに驚く。


「食えばわかるさ。さあ、いただこう」


蓋を開けると、美味しさの軍勢が湯気と化し、我々を歓迎してくれる。

半熟の卵に閉じられた均等に分けられたカツ。その上には青ネギが彩りのために添えてある。

出汁の良い香りが鼻をつっつき、脳内は食欲一色に染まる。


箸でカツをつかむ。

衣がまだ柔らかくない。半熟の卵に抱きしめられてもなお、揚げたてサクサクの状態を維持したままである。


ーーサクッ


溢れ出す肉汁。出汁の旨み。とろける卵。

それらが1つに合わさり、互いは互いの味を高め合っている。


白米だ。

カツの下から艶やかに輝く白米が現れた。

一粒一粒がほど良いかたさを保ち、丼モノに適しているといえる。


カツの存在が消える前に、白米を放り込む。

ああ、幸せだ。美味すぎる。

知らずについてきた柔らかい玉ねぎが良い働きをしてくれたようだ。


そして、箸休めのたくあん。

ポリポリとした心地よい音が鳴る。

落ち着く。なぜかこの味は落ち着くのだ。


お吸い物は茎ワカメのみのシンプルなものである。

器を持ち上げ、そっと、なるべく音を立たせないように飲む。

熱さが喉を通り過ぎ、胃へとたどり着く。

顔がほころんでしまう。

やさしい。やさしい味だ。

そしてまた、カツ丼へ帰りたくなる。それを何回も繰り返す......


 俺たちは腹の空き具合も手伝ってか、あっという間に完食してしまった。

ああ、満足だ。

ゾンビも、満足そうに自分のお腹を撫でている。


「ありがとう。美味しかったよ、助手ちゃん」


「美味しかったです。魔界でもこれほどのご馳走は滅多にありません」


アンリカは恥ずかしそうに笑うと、謙遜の言葉を羅列し始める。


「あ、閃いたぞ」


脳内に疾る電撃。

カツ丼のおかげだろうか。

問題の解決方法を閃いた僕は、駆け足でラボへ閉じこもる。


「少々お待ち下さいね。15分ほどで出来上がると思います」


突然その場から風のように去って行った俺を、アンリカは呆然とするゾンビに対してそう言った。




「できました。『引き寄せのアミュレット』です。


俺はゾンビに、色とりどりの宝石が寄せ集められたアミュレットを手渡す。


「これは」


ゾンビは不思議そうに言う。


「これは、宝石に見せかけた匂いを記憶する機械でね。記憶された匂いを持った物体を引き寄せる効果がある。これで君のキャップを取り戻せるはずだ」


「ありがとうございます! これでようやく安心して眠ることができます!」


ゾンビは心底嬉しそうな顔をしている。

俺は天才だから何でもできるんだ。専門分野だけ、ね。

しかし、ゾンビも眠るとは意外だと思う俺であった。



こうして俺とアンリカは魔界生物転送装置へゾンビを誘導し、無事魔界へと送り届けた。

なぜ無事だとわかるかって?


ピリリリリ。ピリリリリ。ピリリリリ。


おっ。来た来た。

ポケベルの番号を教えておいてあげたからね。

さて、メッセージを確認しよう。


「ありがとうございました。キャップは戻ってきました。ありがとう」


無事取り戻せたようでよかった。

おや? 助手ちゃんが何か荷物を受け取ってきたみたいだ。

差出人は......


箱を開けてみると、中には『ディアボスニッカーズ』と書かれたエナジーバーのようなものがたくさん入っていた。



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