第4話「所長! デビルバットですよ!」

 研究室は冷蔵庫を開け放したように涼しかった。

窓の外を見やると、青空に綿菓子のような入道雲が映えており、蝉の鳴き声に室外機の音とキーボードの音のジャズコンサートを俺は楽しんでいる。


デスクチェアにもたれ掛かり、重さを傾けて回転する。

助手のアンリカちゃんはどうやら自身の興味のある分野について研究をしているらしく、細く白い指指の——鍵盤を触るようにカタカタとキーボードを打つ様子を俺はしばらく眺めた。


「どうなされました?」


こちらの視線に気づいたアンリカは、口許を緩めてそう言った。

アンリカはかけている紅い縁のブルーライトカット眼鏡を人差し指でしっくりくる位置に調整する。

この眼鏡は、彼女の健康を案じて購入したものであり、PCを使用する作業では目の負担軽減に一役買っているというわけだ。

俺は両手をわざとらしく頭の後ろに持って行くと、シロクマのような表情で嘯いた。


「いや、なんでもないよ。ちょっと休憩していただけさ」


アンリカは「やれやれ困った人ですね」と言いたげな顔で俺を見る。


「今日は暑いそうですね。最高気温は39度を超えるようです」


「そいつは酷い。アイスクリームを買ってもゆっくり味わえないな」


「ふふ、そうですね。あ、そうだ」


アンリカは両手のひらを合わせて軽快な音を出す。


「冷蔵庫にアイスキャンデーがありますよ! 昨日から仕込んでいた手作りです。食べませんか?」


おや珍しい。アンリカから一緒に何かしようというお誘いは滅多にないので、よほどアイスキャンデーを楽しみにしていたとみえる。


「いいね! ちょうど甘いものを食べたかったところなんだ。頼むよ」


俺はその誘いに快諾した。


「はい! では、すぐにお持ちいたしますね!」


レモン色のポニーテールを尻尾のように振りながら、アンリカはいつもより急ぎ足で去っていった。

いったいどんなアイスキャンデーだろうか。

アンリカのことだ。どうせ美味しいことはわかっているけれど、それゆえに期待値は高まる。

ああ、まだ食べていないのに想像するだけで唾液が出てきた。

困ったなあ。もはや癖になってしまったようだ。


「お待たせしました、所長! 手作りフルーツアイスキャンデーです」


待ってました。

いつもより早足で戻ってきたアンリカは、エメラルドグリーンのガラスの器に、

様々なフルーツの色をちりばめてあるアイスに木の棒を刺したアイスキャンデーを持ってきた。


「こちらは、どちらも果汁100%のオレンジジュースとパイナップルジュースを使用し、

フルーツはピーチ、ラズベリー、キウイフルーツ、パイナップルを入れてみました」


「うむ。美味しそうだ。早速いただこう」


俺は氷のように冷たい木の棒を持ち、滑らかなカーブを描く先端のど真ん中にかじりつくと、

シャクリ、シャクリとアイスとフルーツの食感を楽しむ。

そして舌に感じる衝撃。


濃厚なパイナップルジュースとオレンジジュースのパンチを、噛むたびに飛び込んでくる4種の爽やかなフルーツたちが受け止めてくれる。

実に美味い。これは夏にぴったりの一品だ。リピート決定である。

アンリカも頬に手を当てて、幸せそうに味わっているようである。


「助手ちゃん。これ、毎日食べたいのだが」


「はい、確かにこれは毎日でも......い、いえ。冷たいものは体に良くないので、たまになら!」


しょうがない。うちの助手は健康管理に厳しいのだ。


「うむ、残念だ。さて......」


俺は裸になった木の棒を捨てるべく、ここから4メートルほど離れた木製のゴミ箱の中へ向かって、ダーツの要領で投げる。

しかし棒はゴミ箱の縁に当たり、弾かれる。

それは壁にバウンドすると、デスクの上にあるキーボードのエンターキーを押した。


ーーピッ


電源を入れる時に鳴るような音の後、緊急事態に常用される『例のアレ』の警告ブザーが鳴り響き、パトライトは激しく点滅する。


「あの、所長......?」


「さあ、実験開始だ」


装置はエンジン音とともに動き出し、白煙を撒き散らす。

鉄製の扉は内側からタックルをされているように激しく揺れていた。

巻きつけられた鎖は鉄扉に力を貸しているも、長くは持ちそうにない。


「今のは、その......」


「さあ! 実験開始だ!」


助手ちゃんよ、突っ込まないでくれたまへ。

あれはさすがの俺でも予想外だ。頼む、なかったことにしてくれ。

と、俺は心の中で唱えた。


乱暴に鉄扉は開かれ、白いガスに視界を支配される。


「助手ちゃん、どうだ?」


「は、はい! すぐに確認します......。見えました。あれはどうやらデビルバットですね」


「デビルバット?」


よく目を凝らすと、コウモリのような悪魔のような魔界生物を確認できた。

目は卵のように大きく、口に収まりきらない牙、悪魔のような翼を持ち、全身は黒い。


「データスキャン開始します」


アンリカはそう言うと、デスクトップのモニターに解析データを表すための作業を素早く進行していく。


「所長。出ました」




[種別] コウモリ化 悪魔属

[学名] バット・デビラ・デビリ・デビル・バット

[名前] コモリ

[性別] ♂

[性格] おとなしい

[年齢] 15歳

[身長] 90.4cm

[体重] 18kg

[レベル] 7

[血液型] C型

[好きな食べ物] 何かしらの血

[嫌いな食べ物] 栄養ドリンク

[好きなこと]  夜の散歩

[嫌いなこと]  下手な歌を聴かされること

[得意技]    吸血




「データスキャン完了しました」


「ありがとう! 助手ちゃん!」


俺はそう言うとマイク付きヘッドフォンを使用し、防弾ガラスの向こう側のデビルバットに話しかける。


「こんにちは! 急に呼び出して申し訳ない。ただ、危害を与えるつもりなど毛頭ないので安心してほしい。我々に君のことを教えてはくれないだろうか」


「いいっすよ。その代わり、相談があるんだ」


そう言うと、デビルバットは背中を見せた。



「よし、完成だ」


ちゃぶ台1つと座布団を人数分。完璧だ。

あとは給湯室にいるアンリカを待つのみである。


「お待たせしました。『ムギチャ』でございます」


「えっと、この茶色い液体はいったい?」


デビルバットは訝しげに聞く


「ああ、心配ありませんよ。これは『ムギチャ』という大麦の種子を煎じて淹れたもので、この国の『トウキョウ』から取り寄せました」


麻製のコースターの上に置かれた透明のグラスには細かい水滴が膜を張っており、持ち上げて角度をつけてやると、カランと風情のある音が鳴る。

麦茶の香ばしい香りごと口に含み、舌に残っていた甘みを洗い流す。


「ところで、先ほどの背中に書いてある文字はなんですか?」


俺は先ほどデビルバットの背中に書いてあった『にんじん』という文字を思い出す。


「あれね。勇者に落書きされたんだ。昼寝をして起きてみりゃ仲間に大笑いされて参ったよ」


「なるほど」


「それでさ、なんとかして僕の背中に落書きした勇者に『ふくしゅう』したいんだ」


復讐という物騒な言葉に俺たちは一瞬ギョッとした。しかし俺は大袈裟な素振りで応える。


「ほう! 復讐ですか! いいじゃないですか、やりましょうやりましょう!」


アンリカに肘で脇腹を突かれた。俺を見るそのガラス玉のような碧い瞳からは不安さが滲み出ている。

心配するな。なにも怪我を負わせたり、死に至らしめるようなことはしない。

そんな趣味はないからね。俺はただ魔界生物について知りたいだけで、

もちろんお客さんの悩みはバッチリ解決する。


俺は天才なんだぜ? 安心してくれといった意味のグッドサインをちゃぶ台の下からこっそり見せてやる。

アンリカは麦茶を飲むと、ホッと小さく息を漏らした。


「ではそのお悩み、解決いたしましょう! 15分ほどお待ち下さい」


そう早口で言い、俺はラボへすっ飛んで行った。


「うちの所長はたまにドジなところはありますけど、普段はとっても頼りになる方ですので安心してくださいね」


と笑顔で言うアンリカ。


「そ、そうなんだ。ねぇ、ここってどんなところなの?」


「それはですね......」


それから二人はこの国の美味しいものや、魔界との違いについて話しあった。


「さあ、できたぞ! 『居眠りオートマチック落書き装置』だ。こいつは1度しか使えないけれど、

落書きをしたい人物の名前を入れると、対象が居眠りをした時に自動的に落書きを仕掛けてくれる装置だ」


ペン型のボイスレコーダーそっくりなモノをデビルバットに手渡す。


「そこの赤いスイッチを押しながら名前を言ってごらん」


「わかった。じゃあ......」


 装置の起動を確認した後、俺とアンリカは魔界生物転送装置へデビルバットを誘導してやり、無事魔界へと送り届けた。

なぜ無事とわかるかって?

それはね......


ブー。ブー。


お、メールだ。

メールアドレスを教えておいてあげたからね。

どれどれ......


「こんにちは。この前はすごい発明品をありがとう。隣町に顔にマジックで『麦茶』と書いてある間抜けな勇者がいるって噂を聞いてスッキリしたよ」


まあ子供の悪戯レベルだし、勘弁してほしいかな。名も知らない勇者さん。

おや、魔界から何か荷物が届いたらしい。

開けてみてくれないか? 助手ちゃん。

......え、いやです? しょうがないな、開けてあげよう。


黒く怪しい箱を開けてみると、中からピエロの人形が勢いよく飛び出してきたので、

俺とアンリカは驚いた顔を見合わせて思わず笑った。

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