12月の窓
――あ。
藍色の夕暮れの中で、キャンバスに向かう彼女の背が窓越しにはっきりと見えた。
隣家に住む彼女は一心不乱といった様子で、きっともう夜になることすら気づいていない。
12月の日暮れは早い。夕焼けなど満足に堪能できぬまま、日は落ち、家の壁だとか電柱だとか外にある物質は色を失い、夜の一部になっていく。そんな世界から切り離されえたように、明かりの灯る室内だけが鮮やかな色を保っている。
薄暗い自室の窓の向こうで、寒さをいとわずに窓を開けた部屋の中で彼女は筆を動かし続けている。
自室のカーテンを閉めていたはずなのに、勝手に母が開けたのだろうか。
「油彩絵の具の匂いは家族が嫌がるから」
そう彼女が話していたのはいつだったか。陽射しのまばゆい夏だろうと、しんしんと雪の降り積もる冬だろうと窓を開け放ち、絵筆を握り続ける彼女は、周りからみれば変人にしか見えないかもしれない。
でも、そんな彼女が好き、だった。
キャンバスを前にすると目がきらきらと輝き、どんな娯楽よりも多彩な色で世界を表現することに夢中になる彼女が。
そうして仕上げられていく数々の絵たちはやがて数多の賞を受け、彼女自身にも多くの賞賛が降り注いだ。
当然だ。日々の彼女の努力はそれに値する。
「おめでとう」「おめでとう」「おめでとう……」。祝いの言葉を口にしていくうちに、身近だった彼女がべつの世界を歩んでいる錯覚に陥った。こんなにも近くにいるのに、こんなにも彼女が認められていくのがうれしいはずなのに。その賞賛が自分も手に入れたいと思うようになったのはいつなのか。
言葉の端々で彼女への妬みが出ないようにするのに必死だった。
彼女に会うのが怖い。
好きなものなどない、何かを成し遂げたことのないまま大人になっていく自分には彼女がまぶしすぎて、違いを嫌というほど感じて。いつしかカーテンを開くことはなくなった。
久しぶりに見た華奢な背中に、胸の奥でタールに似た昏い感情がふつふつと湧き出るのを感じた。
大またで窓まで歩き、彼女を視界から追い出すように、ざっとカーテンを閉めた。
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