第16話

 穏やかな日常と同じように、ただ続く善郎への責め苦、それはずっと、何一つ変わることなく、果てしなく続くもののようでございましたが、ふってわいたお嬢さんの婚姻が、新たな因果を生みました。

 …受けた誘いは二度になり、三度になり。親交が深まるにつれ、彼は徳次のいざなう遊びの深みにはまっていきましてね。

 そうなると、家の仕事は疎かになる。もともとあまり当てにされていなかったとはいっても、体の不自由な主の代わりになるはずだった婿。それが仕事もせずにいる。どこかに出かけたっきり帰らない日も多かったが、そのツケはちゃんと三橋の家に回されて。

 酒、博打、女、何処で覚えた遊びのものか、三橋の家に支払いの請求にくる数は増える一方。

 いや、女遊び、酒だ博打といっている間はまだよかったのでございますが。

「…それで…どうなったんですか?」

 電気ストーブの明りが下から照らしても、話す篁の顔は白い。陰はセピア色の店内のそこかしこから手を伸ばし、辺りを取り囲む。

 本の生む陰、別の何かを孕む陰。

 その陰の中から続く声は、淡々と流れる夜の川。底の見えない、冥い声。

「婿殿の遊びを責める者もおりませんで、ただ陰口ばかりを叩く。まぁ、叩かれることをなすってらっしゃるんですから当然なんでございますがね、その使用人たちを見返してやろうと思ったのでしょうか、それとも他の思惑でもございましたか、相場に手を出されましてねぇ」

「…相場って、米相場、とかの、あの?」

「左様でございます。商品相場、先物取引、今でしたらヘッジファウンドでしたか、どちらにしろ」

「ハイリスク・ハイリターン?」

 人形師の口から出た言葉に驚きながらも、ちょっと眉を動かし気味に言った大介の声。

 それを篁は口許で静かに笑った。

「…三橋の家は、あっという間に傾いてしまいました。相場での負債を埋めるために、生家の方からお金の融通の口利きもあったようでしたが、お嬢さんはそれをすべてお断りになったとか。馬鹿息子の侘び、ろくでもない婿を紹介した侘び、かけてくださる声を断ったのは、どうしたわけでございましょうね?、三橋の家の出した負債、三橋の家でかたをつけます、と、家屋敷を売り払い、それでも残った負債を返す方法はただ一つで」

 ――暗い屋敷の畳敷き。

 磨きこまれて黒光りする柱の前に座す凛とした華一厘。

 背景は暗い方がいい。赤い花色が光を吸ってよく映える。

 大介はぼんやりと思い描いた。鬼はそれを見つめたろうか。

 向かいに座るのは婿が家の親兄弟。母が家の主。それらに向かって座したまま、お断りいたします、と鈴の音で告げるまだ若い娘。

 華のもつ陰、憂いは、父親の看病疲れか、婿の放蕩か、或いは果たされなかった恋か、それらがしっとりと彼女を濡らし、陽光華やかな娘から、雨に匂う華に変えた。

 濡れて露をのせても伏せぬ黒髪、双眸、娘はただ一人ですべてを背負い込んで、そこに座す。

 座した正面に、鬼が――いや、藤乃が。

「…婿殿を離縁して、使用人たちに出来る限りのことをして、何もかもなくしたばかりか、残る借財。身売りの先が善やさんだったと申しますから、初めからそういう事だったんでしょうねぇ。愚かな婿殿はまんまと騙されたいい面の皮。

 親の借金で苦界に身を売るものは多かったでしょう、年季奉公、十年勤め上げれば大門から出られると言いますが、それは江戸の昔。今ならば――

 いや、何より、病身の父親を抱えて勤められようはずもありますまい。

 その父親を引き取ったのは、どうしてなんでございましょうね、藤乃さんで。

 もっとも、数年後に旦那さんは亡くなられまして、いえ、殺された、などということはございません、人間、床について長くあり、心労も重なれば、どうしようもありませんでしょう。お嬢さんの哀れな姿を長く目にせずにすんだだけでも幸せだったと思うほかありますまい。

 …哀れなのはお嬢さんただ一人」

 大介はゆっくりと面を見返った。

 暗い穴が――何を飲み込んでも足りないと叫ぶ暗い穴が横たわる。

 華は露に濡れても涙は落とさない。

 ただ、此方を見つめる瞳が――

「…鬼は…一体…何を喰らえば…足りるのでしょう?」

 大介の問いに答えるように篁は一つ頷いた。

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