第6話

 一等最初はそれが夢か幻かはわからない。

 ただ繰り返される光景。その夢を見る。まるで夢に憑かれでもしているかのように。

 何故そんな夢を見ていたのか、判ったのは――否、判ったと思ったのは後になってのことだ。

 呻き声かあるいは叫び声か。とにかく奇妙な声にふと目を覚ます。

 白い布団から起き上がると、昼下がりのあかりが障子をすかして部屋に降っているのがいつもの光景。見慣れた部屋だ。障子、脇の箪笥、襖。箪笥の上に人形が幾つか。見慣れたそれらは、ほんの少し母親の面差しに似ている気がする。

 そこから視線を外し、布団から抜け出して、飴色の部屋の中から薄暗い廊下に出ると、足元からひんやりと風が舞い上がる。身のうちに湧き上がる微かな寒さが心細さを募らせる。

 ――……だ………た……ぬ…

 やはり声が聞こえる。父親の声ではない。

 首を傾げて藤乃は声のほうにと歩き出した。

 そちらには父親の仕事部屋があった。普段には近寄ってはならないときつく言い含められた場所だったが、言い含める母の姿がなくなってもうどれだけの日々が過ぎたろう。思い出せない。

 ゆっくりと首を動かしながら辺りを見回す。ほのぐらい家の中、天井は高く、すべてのものを見上げながら歩く。眠りに引き戻そうとする瞼、眩暈か、朦朧とする意識。ゆるゆると瞬きながら、奥に、奥に。

 ――……とぉちゃん?

 微かな声を上げた。目をこすりながら奥に、奥に。そう広くもない家だ。なのに時間だけがやたらとかかる。

 もう一度、声を上げようとしたとき、廊下に落ちている人影に気づいた。父だと思い、声をかけながら顔を上げる。

 ――とぉちゃん?

 ――…だ……ぬ……りぬ……

 一瞬の空白。

 彼は目の前の光景に叫び声をあげて目を覚ます。

 激しく踊る心臓と乱れた荒い息を呑み込んで自分の手を見つめる。

 夢の中とは違う、大きな手。それで額に浮いた汗を拭う。拭いながら、夢だ、夢だと繰り返す。

 何を目にして叫んだのか彼には思い出せなかった。ただ、がたがたと身体が震えた。もういい大人だというのに、だ。

 藤乃は指し物繕い物中心の職人で、あいた手間に小さな木彫りの人形を作った。父親の血だと育ててくれた祖父母は言っていたが、彼には父親の記憶も母親の記憶もほとんどなかった。

 大体人形を作るのは、繕い物をする手が鈍らないようにとそれだけで。あるいはそれだけのことに人形を作ってしまうことが血なのだといわれればなるほど、と。

 人形といわれて藤乃の記憶にのぼるのは、夢の中のあの箪笥の上の白い貌をした人形の、おぼろげな輪郭だけだった。

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