第5話
「……それをお打ちになった人形師を藤貴さんとおっしゃるんですが、あまり御運に恵まれないお方で。腕は確かなのですが、よく言えば職人気質、悪く言えば頑固偏屈、まぁお商売の下手なお方だったとか。いやさか、あたしの方も藤貴さんを存じ上げているわけではございませんが、そんなお話。
商売がお下手でも、ほら、あたしみたいな偏屈でもご隠居さまがお声掛けてくださいますように、藤貴さんにも贔屓筋の旦那がいらっしゃいましてね、その旦那の注文だったそうにございますよ、その面は」
障子のほうを見返って篁は言葉を切る。合いの手は入らず、ただ老人も大介も黙って聞き入るばかり。
「あるとき、どうした理由かその旦那、鬼面が一ツ要りようになった。おんなじ必要なら普段から自分が贔屓にしている藤貴さんにつくらせようと思い立ったのが、そもそもの因果の始まり。無理をおして面打ちを承知させたそうにございます。
お前の腕は私がよく知っている、どうだろう、一ツ、面をうってみちゃもらえまいか。無理を承知で頼むよ。見てみたいんだよ、お前の打つ面をさ。――などと贔屓筋に頼まれちゃあ断りにくかったのでございましょうね。あたしだってご隠居さまに頼まりりゃあ断りにくい。…よしてくださいよ、御隠居さま。
兎にも角にも藤貴さんは承知しなすった。ところが、頼まれたものは鬼面だ。おいそれと打てるもんじゃない。
いやさか人形ならばもとより、生身の女より艶めかしくも創れましょう。したが勝手の違う。打っても打っても到底気に入る物の出来ようはずがない。
旦那の手前もありますし、それ以上におのれが仕事を受けた以上、生半のものを渡せようはずもない。今更後にもひけない。身を削っていく日々を送っておられたそうにございます。
ところで、藤貴さんにはお美しいお内儀さんがいらっしゃったとか。可愛いさかりの坊やも一人。御家族には仕事のことは話さないお人だったのにも関わらず、納得のいくものが出来ない苦しさにか、とうとう藤貴さんはこう零されるようになった。
曰く――地獄を見てくる他にはあるまいか。
あんまり思いつめるもんじゃござんせん、その昔の物語には地獄図を描くために墓をあばき、己が家、弟子や娘までを死なせた絵師がいたといいますから、それに近い思いだったんでございましょうねぇ。見たことのないもの、知らぬものだからこそ満足のいくものが創れないのだ、地獄で鬼を見たのなら、きっと思う通りの面が打てよう。そう繰り返されたそうで。
こうなると、いたたまれないのは奥様でございます。ついぞ仕事の愚痴など零したことのない主殿が自分に救いを求めている。日に日に痩せ衰えていく、憔悴している、そんな夫の助けになれない自分を歯痒く思うばかり。
なんら手付きはないものなのかと心を痛める毎日。それこそが彼女にとっては地獄の苦しみ。左様――地獄をみつけた」
篁は言葉を切ると、老人と大介の顔を順に見つめた。
「その間の経緯などは知る由もござんせん。ただ、奥様はその面を頼まれた旦那と、早い話がなさぬ仲になってしまいましてね、それを夫に隠そうとはしなかった。つまりは夫に知られることこそが狙い。
藤貴さんはそりゃあ苦しんだ。心底惚れていた奥方様の働いた不貞だ。その相手といえは、贔屓に預かっているご恩ある旦那。己の才能を評価してくれ、可愛がってくれ。己が信じている数少ない人。
そのあちらとこちらに裏切られて、どうしようもない怒り抱いても、哀しいかな、面にぶつける他にはない。それでもまだ苦しみが足らないか、面の出来上がらぬのを知った奥様は、旦那を誘ったのは私の方だと叩きつけてぷいっと家を飛び出したそうにございます。
藤貴さんにとっての地獄が目の前に。自身が鬼となる他にはない。藤貴さんは鬼を知った。己のうちに在る闇、鬼、それを面に写し取った。一世一代の仕事をなした。
…それを成し遂げさせたは奥様の捨て身の功でございますが、なんとも罪な話でございます」
大介はそろりと炬燵の上を見返った。遠く微かな叫び声が耳を打つ。何処から聞こえてくる声だろう。眉を寄せ、指先を耳にと。
「……愛情と引き換えか魂と引き換えか、そうやって出来ましたのが、それ、その面」
そんな話でございます。と言葉を切った篁の姿に、目を瞑り、耳にそっと手をやっていたのを戻して、あの、篁さん、と。小さく問いかける声。
「なんでございましょう?」
「…それで、その、奥様や坊やは、どうなられたのですか? いや、その藤貴さんも‥」
大介の声に薄く笑み、それには答えず篁は続けた。
「このお話は此処では終わりません。むしろあたしの知っているのはここから先。おききになりますかい?」
唇に浮かぶ微笑みに頷き返し、大介はお願いします、とかすれた声で呟いた。
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