第4話

 品の良いご婦人だ。微笑みの堪えない姿。

 品が良いのは篁も同じだ。宗匠と呼ばれるからには、和歌連歌、茶道だか俳諧だかの師匠なのかといえば、そんなはずは勿論なくて。大体見た目からほとんど大介と変わらない、年の頃なら三十手前から三十路を越した辺り。

 濡れ者と名取りはあってもこの年齢で宗匠ならば出世が早い。もっとも二人ともいささか年齢不詳の類で。

 どちらにしろ、宗匠、はこの男につけられたただの綽名だった。

 誰がつけたかといえば、この矍鑠たる御老人、青蛙堂のご隠居だ。だって見た目が茶道だか華道だかの家元みたいだろ、そういわれてみれば頷くほかのない姿かたちの橘綜月は、別の名を篁という。

 老人のお茶目だと思えばこそ、呼ばないで下さいなと言い返すのも大人気ない。故に大介は先生と呼ばれ、篁は宗匠と呼ばれる。ただ表向きは橘で通しているから、宗匠と呼ぶのはご隠居くらいで、篁と呼ぶのは大介くらいか。

 橘綜月とは人形師の名で、何代か続いている屋号のようなものといえば通りが早い。世間にはそれが何処の誰それと判り易い。

 当代の篁も評判の腕、彼の手になる人形は不可思議な芳香を放つ独特の美しさをもって人を魅了するという。

 確かに彼の面差しにも似た人形は、向かい合って見つめればため息の漏れる美しさだ。

 ため息を漏らしたくなる男前が、雪駄の音をたてながら框まで歩み寄る。それにあわせて老人も炬燵から身を出して、縁のようになっている板の間に出た。

「ちょいとお尋ねいたしますが御隠居さま、向こう矢代の千徳さんのお蔵、あけるのをお手伝いになったとか?」

「ああ、あれかい。確かにあたしも手伝った。それがどうかしたかい?」

 心なし、後ろの老婦人を見返ったか、篁は軽く頷いて、

 その中に、面はありませんでしたか?、と。

「ああ、あったよ、立派なのがいくつか。中でも一等良いのが‥」 

「鬼の面」

 老人の言葉を受け取って篁が続けた。

「おや、知ってたのかい。耳の早い」

「いやさか、頼まれ事でちょいと。御隠居さま、その面、今は何方様がお持ちでござんしょう? 千徳さんは手放されたとか」

「何方様も何も。あたしが持ってるよ」

 言いながら炬燵の上を見返る。

「ああ、御隠居様がお持ちとは話が早い。ものは相談ですが御隠居さま、その面、お譲りいただけませんでしょうか?」

「あたしの方も商売だ。ゆずんのぁかまやしねぇが。頼まれ事たぁそいつかい?」

 ひょいと指先を炬燵の上の面のほうに向け、顔は篁をじっと見る。

「あい」

「宗匠にぁ、いっつも無理ぁきいてもらっているからねぇ。断ることもできゃしねぇやな」

 からからと笑う老人に伏目がちに笑んだ篁はそろっと頭を下げる。

「頭下げるなんざ、よしておくんなさいよ、宗匠。商売じゃござんせんかい」

「あい。ですが、それじゃ左様これにてと失礼するのも愛想のない」

 顔を上げ、篁は笑った。

「ご隠居のお時間さえ構わなければ、不思議な話というわけでもござんせんから会には持っていきませんが、此処で一つお話いたしましょう。サゲも何もありゃしませんが、よろしゅうございますか?」

「願ってもない」

 老人は破顔して、座敷を指した。

「折角だ。お上がりになりませんかい?」

 その声に篁は手のひらをすうっと上げると老人の方にちょっと向けて、いえ、あたしはここで、と。代わりに板の間に腰掛けて、風呂敷包みを老人と自分の間に置いた。

 帳場の下から電気ストーブを引っ張り出したご隠居は、篁と老婦人の足元を暖めるように置く。それに頭を軽く下げて、鳴海さんもお時間大丈夫ですか?、と。障子の奥を気遣う声に大介は何度か頷いた。

「僕のほうも願ったりかなったりです」

 待ってましたとばかりに手をすりあわせないのが不思議なくらいで、炬燵から抜け出すのには多少の勇気が要ったが、障子のほうに二、三枚座布団をもって近寄るとそこに胡座をかいた。老人に座布団を渡し、それを今度は老人が篁にすすめる。

 それも断って、篁は微かに首を傾けてうっすら笑みを浮かべた。

「御隠居さま、その面の作者はおわかりになりましたか?」

「いやさか、いっこうに。宗匠、御存知なんですかい?」

 藍は紺屋に売っているが、返す言葉もあいはあい。篁は、あい、と答えてから続けた。

「もとより、面打ちとしては名の知られてない方のお作でございまして。あたしと同じ人形師のものでございます」

「なるほど、そうだったかい。あんまりいいものだからさ、あたしゃてっきり」

 篁はその声に軽く頷いて、魂を喰らった鬼のオモテにございますからねぇ、と呟いた。

「魂を、かい?」

「あい、左様にございます」

「そいつぁ穏やかじゃあないねぇ」 

 老人は腕を組みなおして唸った。そりゃぁ泣きもするか、と小さく呟いて。

 その声に小首を傾げてから篁は続けた。

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