第2話

 遠慮しないでお座りなさいましなと声を掛け、奥に老人は姿を消す。何の事はない、お茶の用意をしに行ったまでのこと。

 その背中を見送ってから、とりあえず上着を脱ぎ、それをくるりと丸めると壁際に押しやる。炬燵に目を落とし、一人頷くと、炬燵布団の中にするっと足を入れる。

 見かけでは判らない、足は空洞に従って垂れ下がり、へえ、掘り炬燵ですか、と。丁度戻ったご隠居に向かって一声かけた。

 炬燵に入って落ち着いたのか、無遠慮にぐるりと見回した部屋の中は、床の間もちゃんとしつらえてある。広さは六畳ほどだが、十分にゆったりとしている。

「トシとるとさ、膝が痛くってねぇ。掘り炬燵ぁラクでさぁ」

 手にあるのは漆塗りか、光沢をもつ盆、その上に、茶瓶、湯のみ。片手に持って静かに笑いながら膝を落とすのを見やって、座ったなり、老人の方に手を伸ばし、大介がそれを引き受けた。

 すまないねぇと言いながら老人は大介にそれを預ける。

 ご隠居が炬燵に足を入れるのを頭のどこかで見ながら、大介は盆を机の上に置く。急須、茶碗を前に並べたところで老人がこちらに手を伸ばす。

 部屋を眺めていた時の記憶か、丁度老人の座した横に電気ポットがあることをなんとなく理解していて、無言のままに急須を差し出す。急須のふたをあけ、そのまま湯を入れる姿を見つつ、

「棗の中は何が入ってるんです?」

そう声を掛けた。

「塩昆布ですよ」

 その声を聞いて頷きながら、皿代わりの小さい杯のようなのを並べてから棗の蓋を開けると、細く刻んだ塩昆布を菜箸でちょんちょんと盛り付けた。

 用意万端、あとは湯飲みに注がれるのを待つばかり。

「…どうぞ、遠慮なく」

「いただきます」

 湯気を立てる湯呑み、差し出されたのを軽く頭を下げて自分のほうに引き寄せる仕草を見ながら、老人は穏やかな声を出した。

「で、面白いもの、でしたっけねぇ?」

 目を細めて笑う、穏やかな老人の笑顔に照れたように大介は頬をかいた。

「ええ、まぁ、なんといいますか」

 いわゆる一種の職業病。

 炬燵の布団を引き寄せ腹に掛け、子供のように腕まで中に入れる顔を見つめてから、ぽん、と手を叩いた御隠居は、先生は鼻が利く、そう呟いてすっくと立ち上がった。

「ちょっく、待っておくんなさいましな。いいものをお見せいたしましょう」

 障子の向こうに姿を消すのを見送ってから、大介はまた辺りを見回した。

 いつもは閉まっている、帳場の奥はこんな風になっていたのだな、と。障子の手前の板の間が縁のようになっていて、たまさか立ち読みならぬ座り読みなどするものだが。

 飴色の天井、木目、床の間、活けられた花は柊南天、梅、白いのは多分トルコ桔梗だ。その奥には掛け軸。水墨画。画題は――?

 間もなく老人が戻る。手には古びた白木の箱だ。紫の組紐で結ばれているのが見て取れる。それを炬燵の上に置いて、

「コレなんですがね、先生」

と。

 思わず身を乗り出して、箱を見つめる。

「いやさか、立派なお品でねぇ。この間、ちょいと頼まれて、蔵をあけるのを手伝ったんですがね、そん時に出てきたものの一つでね。箱書き一ツない、誰のお作かも判らない、ご主人もね、いつから在るのかすら憶えちゃいないらしくってさぁ。…あのシトぁ適当に何でも買い込んじゃあ溜め込む性のオシトだからさ、昨日のものも十年前のものも、それこそ御先祖さんからのものだって、いっしょくた、だ。判るわきゃぁないやねぇ。それでも、そりゃぁいい品でねぇ。出して飾っておかなきゃ勿体無いですよって言って帰ったんですがね」

 からから笑って紐を解く。

「そしたら先生、出たんですってよ、こいつがさぁ」

 ひょいと手を段違いに胸元に上げて、手首を力なく垂らせる。

「こいつって、幽霊、ですか?」

 仕草を眺め自分も鏡映しに同じ所作をやって、大介はのんびりとした声で返した。それに向かってしかと頷き返した老人が、まぁ、姿が出たんじゃあなくって、泣き声が聞こえたのどうのなんですがね、と続けて笑う。

「ご主人がさ、そりゃぁ大層気味悪がって。なんだかね、とってもイヤな心持がするんだってさ、一目見てから落ち着かない、よっく判らないが、とにかく、厭なんだ、って。だからあたしが二束三文で買い叩いて。いやさか、いい買い物。寿命がちったぁ延びましたよ。ほら、青蛙堂の会にぁ好事家が寄るだろ。アレが狙い目」

 買い叩いたというのはご隠居の冗談であることを大介は知っていて――何故ならご隠居という人は、物を正当に、そして大切に扱う人だったので――だから、それには返さず老人が蓋を取るのを今か今かと待ち続けた。

「先生、どうぞ」

 声に顔を上げて首をかしげる。それから箱を見下ろして、視線を二度三度動かしてからもう一度老人の顔を見た。

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