第8話

「一つはたわいもない事ですが。橘さんは、注文を受けられるときに、なんでも依頼主の方にお話を所望されるとか」

「確かに」

「僕の話では、どうでしょう、創って頂けそうですか?」

 あたしの人形が必要なのでしょうか、と橘は呟いた。

「ええ。その‥‥とある――身内に縁の薄い女性が居りまして。雛人形も持った事がないと、つい最近に聞きましたので――次のお雛祭りまでには、まぁ、彼女に贈りたいと思い立った次第でして。ご隠居さまに相談しましたら、宗匠のお名前とお噂を教えて頂いたのです。‥‥どうでしょう?」

 橘は大介の問いをかわした。

「…左様そうでございますねぇ、ついででございますから、先に、残るひとつもお聞かせ願いましょう」

 楽しそうともとれる声。

 大介は一度畳に目を落とし、それから穏やかとも哀しげともとれる微笑を浮かべた。

「人形は――何処に還るのでしょう?」

 眼鏡の下、大介の瞳がまっすぐ橘に向けられる。子供のような純粋な瞳の色ともいえるかもしれない。ただそれは、容赦ない強さも併せ持つように思われる。

 人形をお創りになられる方に、問うてみたかったのです、と。

「僕はあの時彼に――野見山に、奥様からの電話が入らなかったなら、今頃我が友人殿は行き方知れずで、かわりに、吾子を胸に抱いた母子人形が出来上がっていたんじゃないのかな、と――そう思えてならなかったんです」

 眼鏡の下で、まっすぐな瞳が微かに揺れる。

「それは勿論、作家なんて事をしているから、想像力が豊かで好い話、そう笑われて終わることでもありますが。‥‥それでも僕は――我が子を抱けなかった母親を――その人形を思い浮かべました」

 薄い朱い唇を大介は見つめる。

「‥‥願いは叶ったのか叶わなかったのか。ねぇ、篁さん。人形は――一体何処に還るのでしょう?」 

 篁、そう呼ばれて橘は、闇を切り取ったような微笑みを浮かべて見せた。

 篁とは野見山に名乗った彼の名だ。屋号は橘綜月、篁の庵は幽篁庵、という。

 知る人は少ないし、話では態々変えてはいたけれど、今此処でその名を出せるのは、確かにその男から聞いた話だと証立てしているようなものだ――

「…人形も――花も人も、還るところは一緒でございましょう」

 一瞬目を細めた大介を気にせず橘――或いは篁が続ける。

「花も、人も、人形も。みんな同じではありませんかねぇ?」

 ――散れば、後は土に還るだけでござんしょうねぇ、と。薄く微笑む。

「‥‥そうですか」

 大介は静かに呟いた。それは、いい事なのでしょうか、淋しい事なのでしょうか?

「…それは、鳴海さん御自身がお決めになること。あたしにはどちらとも」

 彼は髪を微かに揺らせて微笑んだ。

「‥‥雛人形、でしたか。よろしゅうござんす。お請け致しましょう。細かな相談は、また後日でようございますか?」

 突然のように彼はそう言った。

「え?、あ、はい。――創って頂けるんですか? よかったぁ」

 大げさに胸をなでおろす仕草をして見せる大介の前で、すうっと立ち上がる。

「また、後日に‥‥。そう、人形を差し上げるというご婦人も御一緒でしたら、尚、良ろしいのですが。お待ちしております」

 頭を下げ、広縁にでると、砌に降りる。

「‥‥お邪魔したときには、その母子人形、見せて頂けますか?」

 そのまま黒い背中が、庭の闇に融けていくのを見送りながら、大介は思い出したように声をかけた。

「‥あれは――もう、土に還りましたから」

 闇の中から、静かで低い、耳を打つ声が還った。

「‥‥土に、ですか?」

 大介のその声に、もう答えはなく、ただ灯篭の明かりが揺れた。

 暗闇、ため息ですら花びらの散りそうな静けさの中、はて、そう大介ひとりごちた。

「‥‥真実は藪の中、そういうことなのかなぁ。流石は幽篁庵、ということかしらねぇ――?」

 それから、落語のサゲじゃあるまいし、そう呟いて、微かに笑った。



 吾子から母と呼ばれ、人形は眠りについたのか。

 明りの消えていく座敷の外、水琴窟が闇の中、女性の泣き声のような、微かな響きを奏でていた。

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