第6話
――小さく呟いたその刹那、ピリピリピリ、と遠く微かに音がした。
少し間を置き、またピリピリピリ‥‥
繰り返されるデジタルの信号音にはっとして、上野は目を開けた。
すべての静寂が破られる。
育ての母の後姿、産みの母の白い腕、すべては幻、ただあるのは人形と自分だけ。
呆然としていた上野は鳴りつづける信号音に、上着の内ポケットから慌てて携帯電話を取り出した。
相手を確かめもせずに出る。
「も、もしもし、上野ですが」
受話器の向こうで、聞きなれた女性の声がした。
ねぇ、あなた、まだ怒ってる?
‥‥ごめんなさい
さっきは言いすぎたわ‥‥
上野は毒気を抜かれた後のように、いいや、と呟いた。
「‥俺も悪かった。‥‥ああ」
判った、もう帰るから、切るよ?
上野は携帯の電源を切ると、深いため息をつきながら周囲を見回した。
部屋には人形、幾つも、幾つも。
冴えた瞳で、自分を見つめる。
まるで、仲間にならない自分を責めているような気さえする。
「‥‥俺は――」
上野のすぐ背中から、文机の上の人形に伸ばされる白い腕。視界の端に映って彼は思わず振り向いた。
小竹が、薄く微笑んだまま、人形を見つめている。
「こ、小竹さん‥‥」
「携帯電話は‥‥無粋ですねぇ‥‥」
立ち上がり、人形を元の棚に並べ直す。
振り向く小竹の顔を見る事は出来ない。
「奥様、御心配なすっていらしたみたいですねぇ。お戻りになられますか?」
小竹の穏やかな声に、顔に朱を散らす。
「自分は、あ、あの‥‥」
小竹は障子を開けた。
竹が泣く。花の散るのが見える。
お送りいたしましょう、息を吐くように、彼がそろりと呟いた。
幾度か角を右に左にと曲がり、大通りに出たところで、小竹は、では私はここで失礼いたします、と。
上野も応じて、わざわざありがとうございました、そう言って頭を下げ。
大通りに出れば、大体自分のいる場所の見当つくのがその街の特徴の一つ、上野も大通りに沿ってだらだらと歩いているうちに、自分の居場所がおぼろげながら判ってきたとか。
彼は独りで歩きながら、思い返したそうです。‥‥自分にそんな記憶はない、と。
上野の母は一人だったし――つまり、産みの母、育ての母の違いはなく、己を産んでくれた母こそが自分を育ててくれた母親に間違いなかったし、勿論、母親に連れられて、誰か――見知らぬ婦人の見舞いに出かけた事もなかったはずだ、と。
では、思い出した、と思ったアレはなんだったのか――
勿論、上野を含めた誰もが確かな答えをお持ちのものでもないのでしょうけれど。
ただ、私はなんとなく、この話を聞いたとき、幸か不幸か、上野は人形になり損ねたのだろうと、そう思ったわけですが。
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