最後の老化

 しかし、ファントムは宇宙服に突っ込む寸前でその動きをピタリと止めてしまった。


『って、何よこれはぁッ!?』


 どうやらマナは気づいたらしい。


『な、中には誰もいない!? か、空っぽ!?』


 宇宙服を離れ慌てるようにこちらを向く。


『くッ……まさかこれって! シズカは今!』

「……その通り」


 僕は部屋の中央辺りにあるコントロール台にジャンプして上った。


「シズカなら、ここにいるよ」


 その下部にある扉を開ける。中にはコンピュータの配線やら基盤とともにシズカが汗だくで窮屈そうに入っている。


「この中は……なかなか居心地が悪いわね」


 シズカはずっとこの部屋から動いてなどいなかった。そもそも骨折している状態で宇宙服を着るというのは難しかったのだ。


『くっ! この宇宙服は囮だったっていうの!』


 そう言った瞬間ファントムはこちらに引き返してきた。ものすごいスピードでこちらに向かってくる。


『は、早くファントムを戻さないと!』


「……それは無理だな」


『なんで!』


「ファントムには活動限界時間があるんだろ?」


『……!』


「そしてそれは丁度1時間のはずだ」


 マナは額から汗をだくだくと垂らしている。


「マナはファントムを全力でその宇宙服の元まで移動させたはずだ。それで片道25分の時間が掛かった。ファントムの活動限界まで残り20分。この船との相対速度を0にするまでにもまず時間が掛かるし、ここまで帰ってこようとしても途中でファントムは活動限界時間を迎える。それを過ぎればファントムは消え、次の活動可能な時間まで2時間ほどは掛かってしまうはずだ。その時にはマナ……おそらく君はもう老化して死んでるだろう」


『そ、そんな……そこまで考えていたなんて……』

「僕達は戦わなかったかもしれない。でも僕たちは僕達らしく、逃げ切ったんだよ。マナの手から」


 モニターのファントムを見ると、その場で固まっていた。どうやらマナも僕が言っていることを理解し、無駄な行動だと諦めてしまったのだろう。


『う、うぅ……』


 マナは頭を抱えそのまま通信を切ってしまった。

 しかしその5分後、21時を過ぎたときのことだった。再びマナから通信が入った。どうやら映像はなく、音声のみの通信のようだった。


「マナ……?」

『ミツル……私……体が……』


 やはり誰の若さも吸収出来なければ自身が老化してしまうのか。ぼくはその言葉に何も返す言葉がなかった。彼女がこのような状態になってしまったのは仕方がなかったとはいえ僕のせいでもあるのだから。


『私怖いよ……死んだら一体どうなっちゃうの』


 彼女の声は少ししゃがれ、そして恐怖に震えているようだった。


『私このまま一人で死にたくないよ……お願い。最期にミツルに会いたいの……』

「……分かったよ」


 僕はそれを了承した。僕もマナに会いたかったし、ファントムが遠く離れた位置にいる今、彼女は無力のはずだ。会っても問題はないだろう。

 僕はまずシズカを台の中から出して抱きかかえたあとオペレーターへ命令した。


「オペレーター、船の向きを通常へと戻してくれ」

『了解いたしました。乗員の皆さまへお伝えいたします。これより船の向きを通常方向へと戻します。急激な重力方向の変化にご注意ください。繰り返します……』

「ちゃんとつかまってろよマナ」

『うん……』


 そして船全体がどんどん傾いていき、壁は壁へ、床は床へ。重力の方向が通常へと戻っていく、僕はバランスを取りながら、シズカを落とさないように床へと降り立ち、コントロールルームに備わっていた椅子へとシズカを座らせた。


『ありがとうミツル、今すぐそっちに向かうから待っててね』

「え? あ、あぁ……」


 次の瞬間、マナとの通信が切れてしまった。

 僕が向かうものだと思っていたのだが、マナがこちらにやってくるらしい。彼女は老化が進行していっているはずだが大丈夫なのだろうか。

 そしてそれから数分後、コントロールルームの扉が開かれた。


「ミツル……」


 彼女の老化はやはり進んでいた。しかし、他の者よりも少しその進行は遅いように思えた。ロウジン本体だからだろうか。


「ねぇミツル……私の体……醜い?」


 マナは目を合わせず、下を向きながら尋ねてくる。


「ううん。全然そんなことないよ」


 僕はかぶりを振ってそう答えた。


「じゃあ……私を抱きしめて」


「あぁ」


 僕は言われた通り彼女のもとへ行き、その体を抱きしめた。彼女も僕の背中に手を回す。


「ミツル……やっぱりミツルってすごいね……こんな未来に飛ばされちゃったのに……こんなに頑張って……私とここまで張り合うなんて……」


 彼女の体は細く、随分と小さくなってしまっているように感じられた。


「……けどね」


 その時、首の後ろから何かピコリと聞き覚えのある音が聞こえた。


「え……」


 次の瞬間、いきなり体が言うことを聞かなくなった。


「な、なんだ……!?」


 体から急激に力が失われ、僕は立っていられなくなりその場に膝をついてしまった。どうやらアシストスーツの電源を切られてしまったらしい。


「くっ……この後に及んでどういうつもりだマナ……」


 一体僕をこんな状態にさせて何がしたいのだ。もうファントムは消えてしまったというのに。

 僕はそのまま糸の切れた人形のようにその場に倒れてしまった。何とか体を捻り上を見上げるとマナが僕を冷たい目で見下ろしていた。


「最後の最後の見誤ったねミツル。実は人から若さを吸収する方法、ひとつじゃないんだよ」


「なん……だと……」


 スーツを復帰させようと自分の首元に手を伸ばそうとするが、筋力が足らずなかなか届かない。


「若さはね、この体から直接吸い取ることも出来るんだよ。別にファントムなんて必要ないんだ」


「そん……な……」


 マナは僕を跨ぎシズカの元に向かっていった。マナが自らこの部屋にやってきたのはそういう理由か。マナはまだ全然諦めてなどいなかったのだ。


「に、逃げろシズカ……!」


 シズカはマナからの攻撃により右足を骨折してしまっている。逃げろとは言ったが、おそらくあがいたところでマナの手から逃れることは出来ないだろう。シズカもそれを悟っているのか、その場から動こうとはしないようだった。

 マナがシズカのもとへとたどり着く。シズカはそんなマナを無表情で見あげた。


「さぁ、シズカ、私に頂戴、その若さを……!」


「待て! 待つんだマナ……!」


 僕の言葉を無視するようにマナはシズカの首を両手でつかんだ。


「くっそぉぉぉッ!」

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