外へ

 それから約2時間後の午後17時15分、ファントムが床から再び姿を現した。


「マナ、何してたんだ」


「……」


 ファントムは僕の質問に何も答えることはなかった。コントロールルームの中央でふわふわと漂っているだけだ。もしかしたら何か喋ったりしたら、活動出来る時間が短くなってしまったりするのだろうか。それとも僕達に活動限界時間を悟らせないために黙秘しているのかもしれない。


 これで先ほどと同じように、1時間でファントムが再び消えるようなことがあれば、僕の仮設はおそらく正しいのではないか。

 そしてその1時間後、ファントムは今度は床の下へと消えていった。


「消える瞬間は見せなかったな」


 もしかして先ほど消える瞬間の姿を見せたことに危機感を覚えたのだろうか。


「でも、時間は丁度1時間だった。これはやはりその可能性が高いかもしれないわね」


「よし……やろう。もうその方法にかけるしかない」


「今からおそらく2時間後にファントムは再び姿を現す。つまり8時15分ね」


 この2時間が勝負だ。



--------


 そして20時15分。老化の時間まであと45分という時、僕がコントロールルームの壁の中央であぐらをかいているとファントムがミーティングルームに姿を現した。


「ミツル、そろそろ時間が近づいてきたね」


「そうだな……」


 どうやら今回はちゃんと喋るらしい。


「ってシズカは? どこに行ったの?」


 ファントムは体を回転させシズカの姿を探している。

 僕はそれに何も答えず、ただファントムの姿をじっと見ていた。


「……彼女を隠したんだね? ふん、でもそんなこと無駄な足掻あがきだよ。ファントムならそんなのすぐに見つけられるんだから」


「ふふ……」


「……なんでそんな余裕そうなの」


 僕は目をつむり腕を組んで口角を上げて含み笑いをした。


「それはシズカの端末……? なんでミツルがそれを……」


 するとマナは僕の腕に巻かれた物に気付いたらしい。


「これでオペレーターと連絡を取りながら、彼女に船外活動ユニット……宇宙服を着せたのさ」


「船外活動ユニット……? ってまさか……」


 僕は目を開きファントムに強い眼差しを向けた。


「残念だったなマナ、シズカは今この船にいない。船外に脱出した」


 ファントムは驚いた様子で目を見開いている。


「シズカが船から離れた時間は約1時間半前だ。そして脱出してからずっと加速させ続けてる。もうすでに相当な距離が離れているはずだ。こんなに離れたんじゃたぶんその姿を見つけるのすら難しいだろうな」


「くッ!」


 次の瞬間、ファントムは壁をすり抜けて外へと出て行ってしまったようだった。

 果たしてこの作戦うまくいくのだろうか。しかし僕に出来ることはやったつもりだ。あとはファントムの性能次第というところか。

 そしてその約15分後、20時30分シズカの端末にマナからの通信が入った。腕の前にマナの顔が平面的に浮かび上がる。


『ふふ、ミツル、見つけたよ! シズカの姿を……!』

「え……」


 この1時間半で離れた距離は相当なもののはずだが。普通の人間の肉眼ではおそらく見つけられないレベルのサイズになってしまっていることだろう。ロウジンという名の割りに目が良すぎないか。


『21時まであと30分! 大丈夫……! この距離なら全力を出せばたどり着ける!』

「ま、間に合うのか?」

『あはははは! うんそうだよミツル! 待っててね! 私ミツルのためにきっと追いついてみせるから!』


 マナは通信越しにケラケラと笑い続けている。


「オペレーター! ファントムの姿を映し出せるか!?」

『可能です。ただいま前方に映し出します』


 すると本来の天井だった場所にファントムの姿が大きく映し出された。すごいスピードで遠ざかっていっているようだ。その先には一見何も見えないが、宇宙服の方向に向かっているのか。


『ちなみに2つの距離を図式的にも表示できますが、いかがなさいますか』

「あ、あぁ頼む」


 するとその横にこの船の略図と宇宙船から離れていく二つの凸の字が表示された。しばらく見てるとじわじわと二つの凸の距離が縮まっているように見えた。どうやらマナの言っていることは嘘ではないのかもしれない。


「くそッ……!」


 こんな状況だが、もう僕に出来ることは何もない。目の前の画面を見つめることくらいだろうか。


「はぁ……はぁ……はぁ……」


 さらにしばらくするとマナの呼吸がなんだか荒くなっているように感じられた。


「マナ……?」


 腕の前に映るマナは苦しそうに顔をゆがめ、その額は汗で濡れていた。どうやらファントムに無茶をさせるとそれはマナに返ってくるらしい。マナも全力で生き延びようとしているということか。


『ねぇミツル……』

「……なんだ」

『なんで……どうして私を選んでくれなかったの。私と一緒にいることが幸せだったって言ってくれたのに……』

「それは……」


 僕はあのプログラム内での9ヶ月間の出来事をまるで走馬灯に頭の中に思い起こさせた。


「男女二人の子供を見かけたんだ」


「子供……?」


「あの壁の中にいたクローンのことだよ。その子供たちは手を繋いで仲良く一緒に走り回っていた……」


 マナは息を荒げながらも黙って僕の話を聞いていた。


「その二人を見て僕は思い出したんだ。僕達も昔あんな風に手を繋いで近所を走り回って遊んでたよな」


 マナは少し具合が悪化したのか画面の下のほうを向いている。


「あの2人と僕らは一体何が違う? 何も変わらない。他の子供たちも、シズカも、既に脳を奪われて死んでしまった僕達のクローンも……僕達と同じ感情を持つ人間じゃないか。そんな僕らと同じ人達を僕たちが食い物にして生き続ける……そんなこと、僕には出来ない」


 オペレーターが表示させた図を見るとその距離はあと一歩というところまで迫っているようだった。


「僕は……人としての尊厳を失ってまで生き続けたくない! だから僕はマナの側には立つことは出来ないんだ!」


 マナはしばらくの間目を伏せて黙っていた。


『そう……ミツルの言いたいことは分かったよ……ミツルって本当にやさしいんだね。でも……』


 次の瞬間マナは目を見開き強い視線を僕に向けてきた。


『でも、そんなの裏を返せばただ甘いだけだよ! そんな主張があるなら私と直接戦うべきだった! 私を殺してでもシズカを生き残らせるべきだった! ミツルのやってることってただ逃げてるだけじゃん! そんなんじゃ何も実現なんて出来ないんだよ! 戦って、戦って、そして勝ち取らなきゃいけないんだ!』


 ホログラム上の図を見ると二つの凸がもう接触しようとしていた。


『あははは! 21時まで残り時間5分! やっぱり間に合った! 残念だったねミツル! ミツルがどんな考えを持っていても、それが正しくても! 負けたらそれまでなんだよ!』


 ファントムが一度宇宙服の正面に立ちシズカに向かって突進していく。


『これでシズカは終わりだぁッ!』

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