作戦

「ふぅ……」


 とりあえず危機は去った。


「それにしてもマナの奴……あんな危ない奴だったとは……」


 マナに殴られた頭のこめかみ部分がいまだにジンジンと痛む。

 まぁマナは既に博士を直接殺したりもしているし、何をやらかしても不思議はないか。


「でも、彼女の行動は理にかなっていると言えるわ」


「え……」


「マナは私を攻撃したけれど殺そうとはしなかった。これは明日私の若さが必要になるから。そして私を攻撃したのもおそらく私を恨んでいるからとかそんな理由じゃない。私の戦闘力が高いからそれを削いでおきたかったんでしょうね。生かしておかなきゃならないけど生かしておけば私に殺されてしまうかもしれないから」


「そ、そうか……」


 あの攻撃は生かさず殺さずの状態を作り上げるためだったってことか。


「あんなイカれてるように見えて案外ちゃんと考えている。今までロウジンとして生き残ってきただけのことはあるのかもしれないわね」


 まぁ、これだけの怪我をしてそこまで考えられるシズカもなかなかすごいとは思うが。


「しかし、これからどうするか……」


 僕はその場に立ち上がり、コントロールルームの入り口まで歩き扉を見下ろした。次に腕の時計を確認する。


「現在の時刻は午後2時か……」


 あと7時間でロウジンが若さを奪う時間が来てしまう。


「ミツル君」


 その時、シズカが呼びかけてきたので僕はそちらを振り向いた。


「その……ありがとう。私のこと助けてくれて」


「え……? いや、別に」


「でも……彼女本体の脅威からは逃れられたけど、私は結局殺されてしまうかもしれないわね」


「え……?」


「その通りだよ」


 その時男とも女とも言い難い声が部屋の中に響いた。そして床から黒いローブを身にまとったガリガリに痩せた老人が姿を現した。ロウジンの分身、ファントムだ。


「マナか……」


「ミツル……この姿は実はあんまりミツルには見せたくないんだけどね」


 どうやらファントムの中には別人格が存在するわけではなく、マナが遠隔操作しているような感じらしい。声は違うが喋り方でマナ本人だと分かる。あのバカ丁寧な話し方をしておいて正解だったようだ。


「知っての通りこの体、私の分身であるファントムは人間が走るスピードなんかよりもよっぽど速い。そして壁だろうが床だろうが、どこでもすり抜けることが出来る。この船の中のどこに移動しようと、どこに隠れようと私のファントムから逃げ切ることなんて不可能だよ」


 僕はシズカの様子を見た。僕には彼女がどう考えているのかイマイチ分からなかった。彼女はおそらく分かっていると思うのだが。あのことを僕にお願いしたりしないのだろうか。


「でも、なぜ言い出さないのかな。逃げることは出来ない。けど戦うことは出来るはずだよね」


「……!」


 するとマナが自らそのことに言及を始めた。


「私が死ねばこのファントムも当然消えると思うよ。シズカはもう戦えないと思うけどそのスーツ着たミツルなら私を殺すことなんて造作もないことだよね」


「それは……」


 そんなことはしたくない。でも、僕はシズカの側に立つと言ってしまった。シズカがそう望むのであれば僕はそれを実行するしかないのかもしれない。このまま放置してシズカを死なせてしまえば僕は一体何のために彼女の側に立つと言ったのか、意味が分からない。


「そんなこと、しなくていいのよミツル君」


「え……」


 するとシズカがそんなことを言い出した。シズカはファントムを強い目で見つめる。


「私たちはあなた達とは違うんだから」


「……何を言っているの?」


「あなたを殺して生き残っても、それじゃああなた達と同じになってしまう。私たちに戦う意思はない。出来ることは逃げること、守ることだけ」


「はぁ……?」


 ファントムがシズカの元に近づいた。


「仮に逃げ切っても私が死ぬんだからそんなのどっちでも一緒じゃない!」


 顔がくっついてしまうのではないかという距離でファントムがシズカに向かって叫ぶ。シズカはそれに動じることなくファントムに強い視線を向けていた。


「ふん……まぁいいよ。逃げるつもりならそれは私にとって好都合。それってつまり私の生贄になってくれるってことでしょ? やさしいんだねシズカは。あ、そういえばシズカじゃないんだっけ? まぁいいや。じゃあ9時が来るのを楽しみ待ってるから」


 ファントムはそれ以降ピタリと何も話すことなく動くこともなくなってしまった。


「マナ……?」


 近づいて話しかけてみても反応がない。まるで中身がカラッポの人形になってしまったようだ。


「……動かなくなったな」


「操作せず放置させてるって感じかしら」


 そういえばエイリが脅されていることを暴露した時もこのような状態になっていた。


「まぁ、動かないとは言ってもその目を使ってこちらの様子は伺っているかもしれない。監視カメラの代わりって感じかな」


 いくら物質をすり抜けられるからと言っても透視が出来るわけではないだろう。分かりづらい場所に隠れられてしまえば、マナにとって面倒なことになってしまう。下手すれば見つけられず時間をオーバーしてしまうかもしれない。おそらくマナはこうやって9時までずっと僕たちの見張りを続けるつもりだろう。



--------


 しかしその1時間後、ファントムがフッとその姿を消してしまったのだった。


「え……」


「……今の見た?」


「あぁ……」


 僕とシズカは部屋を見回したが、どこにもファントムの姿が見当たらなかった。


「ファントムが……消えたのか?」


 今までは必ず壁や床をすり抜けていなくなっていたはずだったが、今回はその場で消滅するように消えてしまった。


「どういうことだ。まさか、マナが死んだ……?」


 もしかして、さきほどの船の操作によって致命傷を受けていたのだろうか。


「いえ、さっきの言動からはそんなもうすぐ死ぬようなことは仄めかしてなかったように思えるけど……」


「そうだな……」


 そんな怪我をしていたらあんな強気な発言なんてしてこないはずだ。21時を待つなんてことも言わないだろう。


「だったら何だろう……他に何か用事があるとか?」


「用事って?」


「え……? うーん……」


 考えてみたが思いつかない。もう他にこの船に乗っている人は誰もいないことだし、僕たちの見張りを差し置いてまで何かやることなんてあるだろうか。もしかして僕達のことを完全にナメきっているのか。


「いや、もしかしたら……」


 僕はあることを思いついたが、果たしてこのまま話し始めていいのだろうか。


「もしかしたら……?」


 キョロキョロと再び部屋中に視線を向けた。とりあえずファントムの姿は見えない。しかし、これでは絶対いないことの証明にはならないだろう。もしかしたら壁の中に潜んでいて音だけ聞いているかもしれない。

 その時、ふとシズカと目があった。


「そうだシズカ」


「え……?」


 僕はシズカに顔を向けたまま彼女の元に向かって歩いた。


「どうかしたの?」


 足を怪我し動けなくなったシズカを見下ろす。


「……マナがいなくなったことだし、キスしようか」


「えっ!?」


 僕は彼女の前に膝をつき頭の横に片手をついた。


「ちょっ、ちょっと! どういうつもり!?」


「……いやかな。僕とするのは」


「え……べ、別にいやっていうわけじゃ……ってそういう問題はじゃなくて! なんで今そんなことしようとしてるのよ!」


「頼む。これは必要なことなんだ」


「ええ……」


 彼女は顔を紅潮させて僕に目を向ける。


「なら……いいけど」


「よし……」


 僕は彼女にゆっくりと顔を近づけていった。彼女は僕の顔が目の前に来るとゆっくりと目を閉じた。なんだか彼女の肩が震えている。人妻だったとは思えないすごいウブな反応だ。

 僕はコツンと彼女の額に自身の額を当てた。


「え……」


 そして僕は彼女から顔を離すとそのまま上体を起こして辺りを見渡した。


「ど、どういうことなの」


「今の状態、マナが見たり聞いてたりしたら絶対に止めようとしてくると思わないか?」


「それは……まぁ」


「来ないってことは本当にファントムはいなくなってしまったってこと。話をするなら今だな」


「話……?」


 僕は自身の腕時計を確認した。


「今は……3時を過ぎたところか。確かここにたどり着いてファントムが姿を現したのは2時だった。ちょうど1時間くらいで消えたことになるな」


 僕は顎にこぶしを当てて考えた。


「それで……何か分かったの?」


「いや、これはただの仮説にすぎないけど……もしかしたら連続で長時間ファントムを出していられないんじゃないかって思ってね。ファントムの活動時間には限界が存在するのかもしれない」


「活動時間の限界……」


「そういえばこれまで1時間以上連続でファントムの姿を見てないようなきがするし……。まぁあくまで仮設だけどな。次現れてまた1時間程度で消えるようなことがあったらその可能性は高いかもしれない」


「それは……そうかもね」


「それで、ここからが話の本題だ」


 僕はコントロールルーム前方、上に顔を向けた。


「オペレーター、この船の外にどうにかして出ることは出来ないのか」


『コントロールルームを出てすぐ右手にある船外活動控室には船外活動ユニットがあり、そのユニットを装着した上でその先にあるエアロックから船外へと出ることが可能となります』


 船外活動ユニット……つまり宇宙服を着て外に出れるということか。


「それで外にいられる時間は?」


『酸素消費量には個人差がありますが、約12時間の船外活動が可能となります』


 12時間か。思ったよりも十分すぎる時間だ。


「……それって移動は自由に出来るのか?」


『船外活動ユニットに有人起動ユニットを装着させることにより可能となります』


「有人機動ユニット……?」


『有人機動ユニットとは窒素ガスを噴出することにより船外にて自由な移動を可能とするユニットです。そのユニットを使った場合の加速度は最大で0.3Gとなります』


「そうか……分かったありがとう」


『どういたしまして』


 加速度0.3Gというのがイマイチ体感的にどのくらいなのか良くわからないが、まぁいいだろう。分かったところで全力を出させることには変わりない。


「船外に逃げるってこと?」


「あぁ、この船の中にいても絶対にファントムから逃れられないんならそうするしかない」


「でも、ファントムはあの姿のまま宇宙空間でも活動出来るんでしょ。それにあのスピードだったら、すぐに追いつかれてしまうと思うけど」


「あぁ……でも今みたいにファントムがいない時間に逃げてしまえば結構な距離を離せるかもしれないだろ」


「なるほど……」


「それをやるんだとしたら21時の前、最後にファントムが姿を消した時間にこの船を脱出しなくてはならない。ファントムがどれくらい連続で現れて、どれくらい次の登場まで時間が掛かるのか。今のうちに観察しておこう」



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