老化の時間

「そ、そんな……」


 その瞬間視界が揺らぎ、現実が現実ではなくなっていくような感覚に陥った。あんなに強く願ったのに。たったそれだけの願いだったというのに、それが叶わないというのか。


「ふぅ……」


 その時、僕の隣からため息が聞こえた。横目で見るとシムが安堵したような顔をして額を腕で拭っている。僕はこれから死ぬというのに、少しヒドくないか。

 そうだ、死ぬ。僕はこれから死んでしまうのだ。あのセイラのように体が老化し、まるで朽ち果てるようにして。そう思い、僕が再びファントムへ目を向けた瞬間だった。


「え……」


 まるでスロットゲームで777と並び大当たりするかと思いきやそうでもなかったように、ストンとファントムはシムの方へと体を向けた。


「えぇっ……!?」


 シムが驚嘆の声を上げる。

 それは本当に確定だったようで、ファントムはじわりとシムに向かって進み始めた。


「う、うそだ! な、何で僕の方に!」


 シムはそれから壁に張り付くようにして移動を始める。


「く、来るなぁッ!」


「え……」


 するとシムは彼の隣に立っていたエイリの背後に回りその体に取り付いた。


「キャッ! な、何をするの!」


「す、すまない!  ぼ、僕は死にたくないんだ!」


 羽交い絞めにされエイリはその場から動けなくなってしまっているようだ。


「エイリさんの体を盾に使うつもりでござる!」


 2人のもとへファントムが近づいていく。


「うおおおおおッ!!」


 次の瞬間だった、ジンが2人にものすごい勢いで突っ込んでいった。


「ぐふッ!?」


 2人は吹き飛ばされてこちらに向かって倒れてきた。


「うっ……」


 そしてファントムはその勢いのまま進み、その軌道上にいたジンの体の中へと入っていってしまった。


「ジ、ジンッ!!」


 エイリがすぐに立ち上がりジンの元に駆け寄った。


「バ、バカ! 何てことしてんのよあんた!」


「へ、へへ……つい体が勝手に動いちまったんだよ」


「そん……な……」


 彼女はジンの胸に頭を寄せて、その体を叩き始めた。


「バカバカバカァッ! あんたは本当のバカよ! 何もしなければ助かってたっていうのにぃッ!」


 ジンの胸に頭を寄せ泣き始めるエイリ。


「俺はもう駄目みたいだが……あとのことは……頼んだぜ」


 僕達はそんな二人の様子を黙って見守っていた。


「……」


 しかし、しばらくしても、ジンはなかなか老化なんてしなかった。


「あ、あら……?」


 ジンが自身の腕を不思議そうに眺めている。


「老化って結構時間が掛かるのか?」


 ジンが僕に目を向けてきた。


「い、いえ……セイラさんの時は割とすぐに……」


 次の瞬間、


「きゃッ!」


 ジンとエイリの間から黒い影が現れた。ファントムだ。ファントムがジンの体から抜け出てしまった。そしてファントムは横に体を向けると再びシムの方向を向いた。


「ま、まさか……」


 次の瞬間、ファントムはシムに向かって急発進した。


「う、うわぁぁぁ!!」


 シムはきびすを返し逃げようとしたようだが、今回のファントムの速度は速すぎた。一瞬にしてシムの体へと到達しその体に入り込んでしまった。


「あ、ああああぁぁ……」


 変化はすぐに現れた。彼の顔にはシミやシワが目立ち始め、髪には白髪が増えてきた。

 どうやらファントムの攻撃は他の人が代わりに受けることが出来るものでもないらしい。ファントムが意図した相手の体に入り込むまで攻撃は止まらない。どんなに僕達があがいたところで何も結果は変わらないのだ。


「ぼ、僕の体が……」


 シムは自分の身を守るためにエイリの体を盾にしようとした。先ほどまで彼のことを責めたい気持ちがあった。しかし結局彼は被害者となってしまったのだ。何だか彼に対してはもはや哀れみしか感じることはできなかった。


「シムさん……」


 僕達は老いていく彼の姿を黙って見ていることしか出来なかった。

 彼の体は次第に丸まり、縮こまり、ついには立っていられなくなってしまったらしい。膝を突き、その場にシムはうずくまってしまった。


「……シムさんを移動させましょう」


 何だか誰も動き出さなかったので、一緒に護衛をしたよしみで僕が率先して彼を運ぶことにした。

 担架を彼の傍まで運ぶとクメイがそれを手伝ってくれるようだった。何だか冷たい発言が目立つ彼だが、割りとやさしい一面もあるようだった。


「じゃあ持ち上げるぞ」


「はい」


 シムを担架に載せるとの両端を同時に持ち上げた。そのまま部屋を出る。するとクメイがぼそりと感想を呟くように話しかけてきた。


「その体、本当に普通の人間並みの力が出せるようだな。病気だとはとても思えん」


「えぇ、まぁ……」


 というか、人を持ち上げているのにあまり重さを感じない。これはもしかして、普通の人間以上に力が出せてしまうのではないだろうか。

 ミーティングルームから直近の位置にある部屋に入ると、シムがうわごとのように呟き始めた。


「は、はは……やはり僕は運が悪いな……9割の確率で助かってたはずなのに……」


 なんとかベッドの上にシムを寝かせると、クメイはさっさと部屋を出て言ってしまった。やっぱり優しいというのは前言撤回しておこう。


「さ、最後まで僕はなんて情けない男なんだろう。エイリさんを盾にとるなんて」


「……しょうがないですよ。咄嗟のことだったんですから」


「いや……きっとそんな咄嗟な時こそ人は本来の性格が出てしまうのさ」


 確かにそれはそうかもしれない。いざという時に人を犠牲にするような者もいれば自分を犠牲にしても人を助ける者もいる。僕はどっちだろう。例えばマナが選ばれていた場合、ジンのように身をていして彼女を守ろうとすることが出来ただろうか。


「なぁ、こんな最低だった僕だけど、ミツル君に一つ頼みたいことがあるんだ」


「……なんでしょう」


「息子にメッセージを残したい。もしよかったらそのメッセージを息子に届けてくれないか」


「……分かりました。必ず届けます」


 部屋の机の上にあったボールペンとメモ帳をシムに渡すと、彼はメッセージを書き残していた。


「シムさん……?」


 しばらくしてシムの手が止まっていることに気づき話しかけてみた。みると彼は既に息を引き取ってしまっていたようだった。

 手に持たれたメモ帳を取り目を通してみる。一応区切りがいいところまで書かれてはいるようだった。僕が落胆し、ため息をついたその時だった。


「くきききき」


「うわッ!」


 ロウジンが再びシムの体から出てきた。何だかよくわからないがうめき声のような笑い声のようなものを上げている。


「どうした!?」


 僕の声を聞きつけたのか、クメイが部屋へと入ってきた。


「うッ……!」


 クメイはロウジンの姿を見て身を硬直させた。


「……大丈夫ですよ。こいつは24時間に一度しか人を襲えませんから」


「あ、あぁ……分かってはいるが……」


 僕は立ち上がりファントムに強い視線を向けた。ファントムもこちらを視ている。


「……お前もこれで終わりだな。もうすぐ本体が誰なのか、博士の検査で暴かれるはずだ」


 もうこいつに恨まれるとかそんなことを考える必要もないだろう。


「くけけけけ」


 ファントムは思ったよりも知能が低かったのかもしれない。少なくとも言葉を理解出来ていないようだ。自身のピンチだというのに、笑いながら壁をすり抜けてどこかに行ってしまった。

 クメイとミーティングルームに戻るとみんなはまだ会議室に残っていた。


「あいつは……死んだのか?」


「あぁ」


 ジンの質問にクメイが答える。


「そうか……」


 もしあれでエイリが死んでいたらジンはたぶんシムにブチ切れていただろう。そんなシムが結局死んでしまってジンは何とも言えない微妙な顔をしていた。


「じゃあ……また僕達で博士の護衛につくことにしますか」


 現在の時刻は22時過ぎ。僕とヒースは護衛の途中だった。あとどの程度検査結果が出るまで時間が掛かるのか分からないが、最後まで護衛を続ける必要があるだろう。


「いや、別にその必要もないじゃろう」


「え……?」


「おそらくあと30分ほどで検査結果は出る。どうせ検査結果を発表する時はみなここに集まるんじゃ、解散せずに結果の発表をここで待てばええじゃろう。ロウジンはこの中におる。誰もここから出なければワシを襲うことも出来んしPCを破壊することも出来んからの」


「あと30分ですか……分かりました。じゃあそうしますか」


「うむ。では行ってくるとしよう。トイレにでも行きたい奴がおれば3人くらいで固まって行動すればよいじゃろう」


 博士が1人部屋を出ていったあと、


「ミツル」


 マナが話しかけてきた。


「ん……?」


「シム君が亡くなったのは残念だったけど……でも、これで私達2人揃って地球に帰れるね」


「あぁ……そうだな」


 僕は改めてみんなの顔を見回してみた。これからロウジンの正体が明かされ、そして僕達はその人物を殺さなくてはならない。それはまた修羅場になること間違いなしだ。しかし見たところみんな最大の難所を乗り越えたような、どちらかといえば安堵の表情を浮かべているような気がした。まぁ、とりあえず自分が死ぬことはなくなったのだからその気持ちも分からないでもない。


 でも、よく考えてみると、全員がそんな表情でいるのはおかしなことではないだろうか。ロウジン本人はこれから殺される立場にあるのだ。もし僕がそんな状況であればとてもじゃないが普通の心情ではいられないと思うのだが。きっとその動揺は表に出てしまうだろう。


 それから40分ほどで博士はミーティングルームに戻ってきた。


「さて諸君、結果が出たぞ」


 先ほどまでの安堵の雰囲気が急に引き締まる。先ほど自分はもう殺される心配はないと思ったが、これから殺されてしまうロウジンは必死に抵抗する可能性がある。もしかしたらそれにより何かしらの被害が出てしまうかもしれない。


「それでロウジン正体じゃが……」


 博士は一度目を瞑った。案外溜めるものだ。僕は緊張のせいでつい生唾を飲み込んだ。

 そして博士はクワッと目を見開くと、とある人物へと目を向け指を差した。

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